2008.06.11 (Wed)
競争社会のひずみ:秋葉原通り魔事件の加藤智大容疑者「自分は負け犬」
『晴天とら日和』のとらちゃんがこの事件に関するニュースをまとめてくださっているので、事件の詳細を知りたい方は、ご一読を。
秋葉原通り魔事件:勝ち組と負け組み「格差社会」
せっかくすばらしいコメントを書いてくださったのに読者のみなさまに読んでいただくことができないのはとても残念なので、今日は上記の記事についていただいた管理人だけしか読めないコメントの中で、私が読者のみなさまに読んでいただきたいと感じたコメントも紹介しようと思う。
まずは、誰でも読めるコメントの中にことさんがリンクして下さった、低賃金で過酷労働で若者をこき使い、使い捨てにする請負労働に関する赤旗の記事を紹介したい。
過酷労働 動けず休んだ青年の寮に「てめえ」と…現代「たこ部屋」物語
日研総業が「寮」と称して、男性を押し込んだアパートの生活は異常そのものでした。黒部市での二週間、男性は自分が寝起きする「寮」の住所すら知りませんでした。
(中略)
六畳二間の二LDK。初めは個室でした。
「毎日、仕事から帰ってくると知らない人がいました。一人ずつ増えていき、四人でぎゅう詰めの満杯になりました」
年齢は二十五歳から四十代後半。みんな数日の小旅行に出かけるような大きめのスポーツバッグが荷物でした。自炊道具などの段ボール四箱を運び込むと、営業担当者はいいました。「荷物、多いんじゃないの」
「寮」から自転車で約十分の職場は、YKKの工場。アルミサッシの加工ラインで、木目調フィルムをカッターで切り張るなどの作業でした。
数日前、別のラインで同じような作業に就いていた四十代の正社員が心筋梗塞(こうそく)で倒れました。
黒部市に赴いた当時、男性には、親の仕送りから自立する“社会復帰”への願いがありました。高校卒業後の長時間労働から、二十一歳で、うつ病を発症。完治を待たずに再就職しますが、三十歳のとき、約三カ月の住み込みの請負労働で病気を悪化させ、治療入院などで二年ほど仕事から離れていました。
社会復帰の願いもむなしく、相談に訪れたハローワークでは、男性の病気や職歴の多さを理由に紹介を断られました。
「まともに取り合ってもらえませんでした。追い詰められていました。請負の世界しか、受け入れてくれるところはありませんでした」と男性。
地元に戻った男性はいま、生活保護を受けて暮らしています。
急成長を続ける請負・派遣業界。その陰には、正規採用の門を拒まれた多くの若者たちの過酷な労働があります。
「正社員で働ける道は閉ざされてきています。働こう、仕事を探そうと思っても希望がない。企業はまず、正規雇用を考えてほしい」
秋葉通り魔事件の容疑者がこのようなたこ部屋で生活していたかどうかは知らないが、湘南のデザイン事務所で大きな波がきたら、仕事中でもサーフィンに行ってもいいというようなロハスな生活や、好きなだけ残業できて、残業代も支給され、電車がなくなったら居酒屋タクシーを呼ぶ官僚とは極端にかけ離れた生活をしていたのではないかと思われる。この国にはこのように両極端な労働条件がまかり通るという現実に目を向けて欲しい。この差はどこから生まれるのか。
こういった請負・派遣企業を通して重労働を強いられている人を見ると、低学歴の人が多いように思われる。どんなに無理を強いられても、自分は低学歴だからということで我慢してしまう傾向にある。日本は学歴社会であるのに、義務教育が中学までしかないし、日本の大学では、海外の大学に比べて、奨学金が極端に少ないため、大学に行けるのはお金に余裕のある両親を持つ若者に限定される。この偏った日本の教育制度が中卒者を増殖しながら、社会の中に格差を生み出しているのだと思う。
それでは、管理人だけが読めるコメントを紹介させていただこう。
美爾依様
いつも拝読させていただいております。
秋葉原の事件、天木直人氏のブログにも同様の視点によるメッセージがありました。
私も同感です。しかし、何か日本ならではの事情もある気がしてなりません。
日本ならではと言っても、やはり「アメリカ発」でしょう。銃乱射による無差別殺人などと通底していると思います。そういう凶行に及ぶ者は長らく周りから完全に疎外されていたと推察致します。
一方、格差社会といえば、例えばブラジルなど日本やアメリカの比ではなく、それが引き起こす強盗殺人も後を絶たないようです。しかし、今回のような事件はブラジルでは起こらないのではないか。というのも、貧しい人たちの間にこそ相互扶助の仕組みが根付いていると聞いたからです。つまり、苦しい生活ながらも周りに世話を焼く人がいるということでしょう。それだけもメンタル的には大きな救いだと思います。
日本にもそんな頃があったはずです。それが格差社会を生むプロセスで消滅したのではないでしょうか。学校でも会社でも他人よりマシな暮らしを得るための競争をけしかけられ、それが感受性を徹底的に摩滅する類のものであっても誰も文句を言わない。「オレもゾンビ、お前もゾンビ、みんなゾンビでええじゃないか!」ということで、「ネコに小判」どころか「ゾンビでも小判!」と、人間としてのレベルアップなどどーでもいい!としてきたツケの結果がいよいよ極限に達する気がします。「みんな自分のことで精一杯なんだから、追い詰められた人は自殺するか無差別殺人に走るか、どちらか選びなさい」
これが今の日本だと思います。
昨夏Saskatoonの友人に連れられてReginaの博物館行ったときのことですが、棲息する動物のイミテーションを展示しているところで私が「Banffにもいますかねえ」と言ったら、すぐ後ろで「あなたのテントの中に入ってくるわよ!(笑」と言いながら誰か通り過ぎていきました。
私の友人氏はその人と二言三言、気さくに言葉を交わしていました。日本ではありえないと思いました。
今後ともご健筆を期待しています。
会社員/横浜市
日本とカナダの大きな違いとして、日本では知らない人に挨拶するなとしつけられるが、カナダでは知らない人にも道で挨拶するのが常識となっている。そんな小さなことでも、人とのコミュニケーションが取れて、孤独感から解放されることがある。カナダの人々は日本人に比べて経済的に決して裕福ではない。でも、人間関係や心の中は豊かである。
その後の報道を読むと、秋葉原通り魔殺人事件の容疑者の青年も高卒であるという自分の学歴にコンプレックスを持っており、自分は競争社会から落ちこぼれた負け犬であるとの自覚があったようだ。今の20代の若者が無気力なのは、受験地獄という人生で最初の厳しい競争社会を経験した後に脱力感を感じているからではないだろうか。上の会社員の方のコメントにある通り、生きて行く為には他人を蹴落として行かなくてはならない。生き残りゲームのような今の競争社会では勝ち犬、負け犬などの不必要な言葉まで生まれ、差別主義が蔓延っている。この差別がどこから生じるかというと、基本的には、日本の教育システムのあり方から生じているのではないかと思う。
日本では、教育費が異常に高いため、貧しい家庭に生まれると、十分な教育を受けることはまず不可能だ。学歴社会である日本では、もっとも貧しい家庭では、家計を助ける為に中学の義務教育を終えてすぐ働かなくてはならないため、必然的に中卒となる。一般家庭ではほとんどが高卒か専門学校卒、そして余裕のある家庭では、短大か四年制大学卒と言う具合に家庭の収入と学歴が比例するようにできている。もちろん、裕福でも大学にいかない人もいるだろうが、ほとんどは、両親の収入と学歴は関係していると思われる。つまり、貧しい家庭に生まれた人は、よほどのことがない限り代々低学歴であり、裕福な家に生まれた人だけが、大学以降の教育も受けられるようなシステムになっている。
こういった格差をなくすためには、全ての国民が大卒になる必要はないが、最低、高校を義務教育とし、それ以降の教育の選択は、家族の家計の事情に合わせるのではなく、教育を受ける本人の意志で決定できるように、大学進学を希望する人には国が授業料を低利子で提供するようなシステムにするべきだと思う。学歴社会のわりに、日本の教育制度は欧米に比べてかなり遅れているのが実情だ。
例えば、カナダでは高校まで義務教育だし、本人さえ希望すれば、誰もが大学で教育を受ける事ができる。カナダの大学はほとんどが国立で、日本に比べて授業料はかなり安い。両親から授業料の負担を受けられない場合は、大学に通う4年間は国が授業料を貸してくれるので、学費は卒業して働けるようになってから返せばいいし、在学中に企業と一体化して進めるCo-opというコースでは、働きながら単位を取ることもできる。日本の大学もこのようなシステムにすれば、富裕層の子弟だけではなく、希望する人は誰でも大学で勉強できるようになり、入学を厳しくするのではなく、単位取得を難しくすれば、本当に勉強したい人だけが大学に進学でき、大卒という学歴を手に入れることができるようになる。
日本では、登校拒否や病気などで、一度落伍すると元に戻るのがとても難しい。とにかく詰め込み主義で受験中心の現在の日本の教育は、学ぶものから勉強意欲を奪い取るものであり、それに虐め問題も加わって、登校拒否したり、引き込もりになる生徒の数も増えているのだと思う。
カナダでは、通うことになった大学に失望したときは、取得した単位をトランスファーして、いつでも他の大学に移転することができる。日本でも入学した学校に失望したとき、他の学校に自由に移ることができるシステムが必要だと思う。又、社会人になってから、もう一度教育を受け直したいと思ったときに、受験勉強からし直さなくても、これまで取った単位を他の学校に移して、途中から始めることができるようになったら、日本の教育はもっと充実していくことだろう。
しかしながら、これは入学試験のないカナダの教育制度だからこそできることで、入試のある日本では難しいかもしれない。そのためにも、入試制度は日本の若者から希望を奪う制度だと思う。私は日本の若者に入試という精神的な大きな負担を強いる日本の教育システムにとても批判的だ。受験のために、将来何の役に立つのか全くわからない知識まで頭の中に強制的に詰め込み、行かなくてもいい塾に通わなくてはならず、最も自分の思考能力を伸ばさなくてはならないときに、知識の詰め込みに次ぐ詰め込みで、自分で考える能力を失ってしまう。若者の将来を思うと、とても残念なことだ。又、塾に通わせたり家庭教師を雇うのも受験生を持つ家庭ではかなりの負担になっていると思う。
少し前にも 大学受験生によるJR岡山駅での突き落とし殺人事件があったばかりだが、もし、国の教育制度がカナダのように誰でも大学に進学できる制度だったら、決して起こりえない事件だったと思う。
新しい政権になったら、日本の教育制度を全面的に改革し、受験地獄やいじめから若者を解放し、若者がもっと生き生きと生活できるようにするべきだと思う。一度だけの人生だからこそ、挫折しても、何度でもやり直しのきく教育制度が求められるのだ。
あの頃は、まだみんなが助け合いながら生きていたし、競争社会もここまでひどくなかった・・・・。
22歳の別れ
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秋葉原事件についてはいろいろな報道がありますが、「加藤容疑者は中学までは優秀だったが、高校で挫折した」という話については異論もあるようです。高校で担任だったという教師の方は、「高校でも成績は問題なかった」と証言しておられます。
「「中部の学校は就職に有利」自信満々加藤容疑者
「わたしの知っている加藤君と事件が結び付かない。何が彼をあそこまで追い詰めたのか」
逮捕された派遣社員加藤容疑者が高校3年生の時に担任だった50代の男性教員は、7年前の印象との違いに困惑し「謝罪できる人間らしさを取り戻してほしい」と苦渋に満ちた表情で語った。
青森県屈指の進学校、県立青森高校。医薬科系の大学志望者が多いクラスだったが、既に進学志望先を岐阜県にある中日本自動車短大に決めていた。進路相談の際には「将来の夢は自動車のエンジニア。中部圏の学校に行けば、トヨタなど自動車メーカーへの就職が有利だ」と自分の選択を自信たっぷりに語ってみせた。教諭は「決して学力的な問題などで挫折したわけではない」と振り返る。クラスの中では「目立たない」印象だったが、1、2年生の時のクラスメートとも頻繁に行き来し、将棋部の活動で快活な表情も見られたことから「社会に出ても大丈夫」と思っていたという。」
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2008/06/11/05.html
また、「家庭に問題があった」というのもどうなのかと思います。確かに取調べでは両親への不満を口にしているようですが、ならば彼の怒りはなぜ両親に向かわなかったんでしょうか?容疑者が自分の境遇を「誰かのせい」と考えたなら、殺意はその誰かに向かっていたはずだと思うのですが。誰のせいにもできなかったからこそ「自爆テロ」になったのではないか、という気もします。
実際の所、報道内容を並べるとあちこちで矛盾が出てきているように感じられます。少なくとも一人はうそを言っている人がいるように思います。
http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20080613ddlk07040302000c.html
一方、他紙の同じ会見記事は「社会の病巣を探らなければ」としつつも
「派遣会社」の「は」の字も出ていませんでした。
ま、同業界の広告の有無の差と思いますが。
犯人は青森に留まっても職がなかった.だから,岐阜の自動車短大を出て,景気の良い東海地方の自動車工業へ就職しようと考えたのです.
同じ「地方」でも,豊かな静岡や愛知と,極貧の青森や秋田とでは雲泥の差なのです.これだけは理解されて下さい.(秋田県の自殺率が異常に高いのは収入が低い・就職がないせいです)
私が、静岡のとある田舎町に越して来て一番驚いたのは、どんな小学生も歩いていると挨拶することでした。田舎は、挨拶するんだと思った次第です。
彼も、青森にずっといればこのような犯行を起こさずに済んだのかもと思うのは私の勝手な思い過ごしでしょうか。同じ静岡なのに違いがあったのかと不思議に思った次第です。
実は私の息子は中3の時に問題を起こしました.受験の前の大切な時です.何とかして内申書だけはごまかしてくれと,担任に頭を下げに行きました.
結局,彼はそれから立ち直ってがり勉になり,塾も個人でやってる彼向きの所を探して,府立の工業高校へ合格しました.倍率が高かったので非常に心配でしたけど,あの時は親子揃って久し振りに食事をしました.私は息子の教育に手を出せなかったことを非常に悔いています.ただ,高校に入ってからはサッカー部に入り,かなり活躍をしたと妻の手紙にありました.そして昨年,正社員として某企業へ就職が内定し,正月には彼女の写真をたずさえて,二十歳になったら孫の顔を見せるからなと,しっかりした社会人としての一歩を踏み始めました.
この事件の犯人の場合,進学校卒,つまり普通科卒というのがネックになっていると私は自分の息子の体験から考えています.要するに,日本の高校では職業教育がなおざりにされ,偏差値という輪切りによってワンランク下の学校だという意識が保護者にあるせいではないかと考えています.実際,最近の国立大学の工学部系の学生のレベルが異常に下がっている,登校拒否や退学がやたら多いと,隣の教会の信者で元国立工学部教授だった人から聴きました.それだけ,文系へ行って要領よく金儲けをするのが偉い,というイデオロギーが染み付いているのでしょうね.
実際,私の妻も息子が事件を起こすまでは,進学塾に行かせて,多額のこづかいをやることで愛情の代償をしていました.こういう家庭は案外多いのではないでしょうか.同年代の女性からも「子供の携帯代のためにパートに出てる」という話を聴いたりします.私個人は断固として,大学へ行く能力がなかったら,職業教育をさせるべきだという方針で,それが妻と別れる原因でもありました.実際,彼の成績は2に3が混じる程度で,とても普通科へ行かせられるものではなかった.私や妻のように小1からオール5で過ごしてきた訳ではないのだと言い聞かしても,お嬢さん育ちの妻は大卒に拘っていたのです.
仙台の新聞の河北新報の青森版では犯人の両親の謝罪の言葉が載ってましたけど,もう25歳の大人です.親の責任じゃない,あえて言えば,進学校に入って急激に成績が下がった時,進路指導をきちんとしなかった学校側に責任があると言えるでしょう.高2の段階で転校させるか別の道を歩かせれば,こんな悲惨な事件はなかったと私も子を持つ親として思いますね.
逆に言うと,高卒・中卒の人は人間として扱われていない,職安からも見放され,自殺するか犯罪を犯すか重病になって死ぬかしかないのです.しかも,2chなどの掲示板には有能な中国人労働者を罵倒する書き込みが多い.私もショッピングセンターでたむろする若い中国人労働者を捕まえて話すことがあるが,語学学校の教員へ派遣されれば良い方で,大企業に来ている者は事実上のタコ部屋状態である事を嘆き,日本人は鬼子だと言い,カネが貯まったら中国へ帰って事業を始めると言う.私は「中国を先進国にして,散々日本をどん底へ落として下さい」と励ますしか言葉がありませんでした.
恐らく,これからも秋葉原事件の模倣犯はどんどん出るでしょう.しかし,永山死刑囚のように,本当の敵を見破ることができない「殺人犯」は,その無知と無教養(これこそ「日本人の品格」)のせいで,どんどん増えていくでしょう.それを停めるには,とにかく税制を変えて,消費税をなくし,相続税を200%以上に上げ,農家以外の全ての金持ちから財産を没収して社会主義革命を起こすしかないのでは?と考える人が増えてくるでしょうね.
カナダと日本の教育制度は違いますが、日本はカナダに学ぶことが沢山あるようです。
もしかしたら、少子高齢化に歯止めをかけるきっかけになるかもしれません。
なぜなら、高校が義務教育であること、学費が安いこと、誰もが学ぶ機会があるからです。
中学で、受験のテクニックを学ぶことではなく、自分のしたいことをじっくり考え勉強できるだけでなく、したい勉強をゆったりした気持ちで受ける機会に恵まれるからです。
日本は、親の学歴や収入で子供たちの将来が決まってしまうもしくは差別する風潮があります。
以前、通っていた某予備校で進路の相談をした時、そこの講師から、両親の学歴や収入のことを聞かれたことがあります。
私は、親の学歴のことも親の収入のことも言いたくありませんでした。
私の両親は、どちらも中卒でしたし、経済的に余裕もありませんでした。
それと甘えかもしれませんが、学生時代、いじめで辛いことばかりしかなかったので、励ましてほしかったのです。
医療関係のゼミだったので、たぶん高学歴の親や高所得の親たちの子供たちが集まってたるようにその先生には思えたかもしれません。
私は、その先生から「諦めなさい」という言葉と「裏口入学でもしたら?」という屈辱的な言葉をいただきました。
講師の先生から、謝罪がありましたが、誠意を感じることはありませんでした。
その出来事がトラウマになり、違う仕事についた今でも大きな苦しみになっています。
誰でも、学びたいのです。
夢を持っているのです。
どんな家庭の子供でも学ぶ機会がほしいです。
それを摘み取る権利は誰にもないのです。
色々な人がいることが、様々な多様性を生むだけでなく、ひとりひとりの人権を大切にするきっかけになるのではないでしょうか?
美爾依さん、もし日本がカナダのようでしたら医学部で産婦人科かもしくは精神科の勉強したいですね。
僕も美爾依さんが書かれているように、今の日本の格差社会はおかしいと思っています。それに最近は、助け合いの心がないような気もするし・・・ いつからそんなになってしまったんでしょうね。
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派遣労働の世界とは? 35年目の「自動車絶望工場」~秋葉原無差別殺傷事件・容疑者の勤務先ルポ “派遣契約をすべて解除!?”(東京新聞平成20年6月12日付「こちら特報部」より)
悪質なる私(鳥居正宏)に対する名誉毀損について ― 刑事告発検討中 ―
私も派遣社員として働いた事があります。製造現場ではなかったのですが,正社員と同じ仕事をしても,給料や条件の格差はものすごいものでした。
この犯人が,やった事は許されるものではありませんが,雇用格差が事件を生んだという事には納得させられます。
最近,脱フリーターなどと言うことが言われますが,派遣社員でひどい扱いをされるよりは,フリーターとして社会保険を受け収入を得た方が良いのではないかと思います。
最近の日本は,行政と大企業の幹部だけが甘い汁を吸ってあとの人間は死んでも良いという感じているのは,私だけではないと思います。
私の周りには,天下りで美味しい生活を送っている働かないじいさんや,給料は契約社員の6倍以上でも働かないで偉そうにしているだけの県職員など沢山居ました。
その事に不満を持っていた私は即効,首でした。
そこに残っている人達は,いまだ働かない上司分の仕事をしてお世辞を言ってあげています。
私の実家は農家です。減反政策で田んぼは投げっぱなしにしておくしかありません。行政の皆さんは,美味しい国産のお米を食べているんでしょうね。
今の日本は,やっぱり勝ち組と負け組みがあると感じてしまいます。
でも,でも・・・
あきらかに負け組みで無職でいる私ですが,このままではいないぞ!!
負け組みだからある自由を大切にして,羽ばたくぞ!!
と思っています。