2008.03.20 (Thu)
「Japain」をどう読むか (追記あり)

少し前に
『きまぐれな日々』の「新自由主義者に乗っ取られた自民党政権の存続を許すな」
というエントリーで紹介されていた英経済誌の「エコノミスト」の"JAPAiN"という記事について紹介したい。
この特集のタイトルは、沈滞中のJapan(日本)の経済をPain(痛み)にかけて皮肉ったものだが、前述の『きまぐれな日々』によると、民主党の岩國哲人国際局長が、公演で世界でも権威ある「エコノミスト」誌の特集に対して抗議するとともに公式な謝罪を要求したことを明かしたそうだ。
この"Japain"というタイトルに抗議したことに関しては、冗談の通じない日本人らしくて笑ってしまった。シニカル(皮肉的)な英国のお国柄に面して許して欲しい(笑)。しかし、この内容は、まるで自民党が誰かにお金を払って書かせたような偏ったものになっているため、やはり、公式な謝罪を要求したのは、妥当だと思う。
The world economy
Japain
Feb 21st 2008
From The Economist print edition
The world's second-biggest economy is still in a funk—and politics is the problem
世界第二位の経済大国はいまだに停滞している、それには政治が問題となっている
日本の亡霊の「失った10年間」が米国に取り憑いている。米国の住宅バブルがはじけた結果として、日本がバブル景気と不況を経験したことが前例となっているおかげで、少なくとも米国が直面しているサブプライムローン問題がそれほど深刻な事態に発展するのを食い止められているかどうかの議論が、よく株式市場を通して交わされている。日本の土地と株式市場のバブルはGDPの5分の1に値する不良債権と共に1990年にはじけた。日本の経済が再び正常に成長し始めたのはそれから12年後だった。そして、2005年になってやっと日本では、バブルの裏に財政的な問題や負債によるデフレがあったことが明かされている。
しかし亡霊は人をまどわす。明らかに真の経済を脅かす財政の危機という点で、あの頃の日本と今の米国は類似している。しかしながら、もちろん違う点の方が多い。実際に日本には全く危機感が感じられない。なぜなら、他の経済大国も同じ経済危機を迎えているし、世界で2番目に大きな経済国家だからである。だから、根本的な沈滞の原因をとことん追求しようとしないのだ。
2つの危機の話
今日の最も悲観的な見解によってでさえ、日本の不況が米国の不況を最小限に押さえていると言われている。これは、もし、日本のバブル景気が米国の景気を押さえたとしたらの話だが。例えば、株式市場の下落では、米国のS&P500(S&P:Standards & Poorsによって分析された米国トップ500企業の株価平均)は1999年のピーク時から8%下落しただけだが、日経225の平均株価は1989年のピーク時から3分の2(66%)も下落している。商業地価から見ても、日本と米国の景気と不況には大きな違いがある。
しかしながら、何よりも大きな違いは、日本と米国がどのようにその混乱に陥ったか、そして、どのように対処したかにある。米国では、低所得者のための住宅ローンを小さく切り刻んだ巨大な市場を政府が十分に監督しなかったことが槍玉に挙がったが、政府は貨幣と財政を刺激することによって、低所得者を強引に破産に追い込み、非難に答えた。金融企業は損失を申請するのに忙しい。一方、日本では、政府が市場をよく見せるため、そして、長年次々に起こる混乱を隠す為に市場と深く共謀した。
日本経済は政治家によって停滞させられている(詳細は、関連記事参照のこと)。1990年以降ほとんど変わっていないが、循環的な経済減退が構造上欠陥にむき出しに横たわっている。数年前、人々は、まだ中国よりも大きな経済力があり、優秀な会社を持つ日本が米国の代わりに世界経済の不況を振り払ってくれるのではないかと期待を寄せていた。しかし、現状では不可能に見える。生産能力はきわめて低く、新しい投資収益率は米国の半分にも至らない状態だ。企業が社員の賃金を上げなかったせいで、消費額はいまだに落ち込んでいる。管理職の失敗が経済減退を招いたのであり、経済をこれ以上減退させて失望を招き続けないためには、日本は今、貿易と競争力を改善し、大きな改革を必要としている。
ここまではよく書けている記事だと思う。でも、この先、政治家が日本経済の停滞を招いたという部分でそれまで最悪だった日本経済を小泉改革で是正しようとしたが、小泉が退陣すると共に経済力を再び失ってしまったようなことを書かれているので、「そりゃちょっと違うんではないかい?」と思ってしまったんだよねぇ・・・・。
戦後、半世紀もの間、地方への補助金と支援の中枢だった自由民主党(LDP)は、経済改革の問題に取り組もうとするのをやめてしまった。2001から2006まで総理大臣であった異端者小泉純一郎の改革主義者の傾向を 、今や見失ってしまった。さらに、去年の7月に、野党の民主党(DPJ)が国会で参議院を支配したことが事態を悪化させることになった。国会が相反する政党によって支配されることにより、又、参議院と衆議院が同等の力を持っていることから、国会で法案を可決するのは困難な事態となっており、野党が事実上、政府の主導を挫折しかねない状況が続いている。
このように、9月に総理大臣に就任した福田康夫は、インド洋で米軍に協力するための給油船の補給活動を再認可するための戦いに、最初の4ヶ月をオフィスで費やした。 現在、政府は、4月に始まる会計年度の予算を認可するための法案や、そして、3月19日に日本銀行の新しい総裁を任命するために、民主党との壮絶な戦いに翻弄されている。
しかし、問題は単に、法案をめぐるものだけではない。 日本は居心地の悪い時期にある。: もはや、一つの政党によって支配されない状態、しかし、野党の勢力は弱く、競合する民主主義国であることからはほど遠い状態である。 自民党と民主党は反駁しあうことによって分裂している。: 両党には、古い体質の保守主義者と社会主義者に入り混じって改革主義者が存在する。政治的な混乱は自民党内の古い勢力を許した。;派閥、保守的な官僚、建設業者、農家;それらの影響を再主張するために。 一方、以前は、改革主義者の流れを受け継いでいた民主党の小沢一郎党首は、今では古い体質の自由民主党の支配者のように振る舞っている。
日本の政治は緩衝地帯という道端に滑り落ちようとしている。衝撃(衆院解散?)は早ければ3月に、予算法案のすれ違いから来るかもしれない。それを避ける為に、何人かの政治家は11月に福田氏と小沢氏が話し合った自民党と民主党の「大連立」を組む提案をした。しかしこの計画は民主党幹部らによってすぐに猛反対された。: 結果的にそれは、経済を立て直すよりも停滞を大目に見るということによって、日本を一大政党の状態に戻したのだった。
この記事をここまで読んだとき、これを書いた人がいかに自民党よりかわかると思う。ねじれ国会がまるで悪いことのように書かれているが、とんでもない。例えば、民主党が財務省出身の武藤氏を日銀総裁として否認したのは、日銀が、財務省の天下りの場になるのをやめさせようとした結果であり、民主党の反対こそが、これまで無能の官僚支配によって停滞していた日本経済に改革をもたらすものなのだ。インド洋での給油にしても、税金を米国のために湯水のごとく無駄遣いしている米国追従が止まらない自民党に民主党が待ったをかけたものであり、民主党の反対はとても意味のあるものであった。又、道路特定財源の暫定税率については、この特集では触れていないが、暫定税率維持を掲げて国交省に国民の税金の無駄遣いを許し、自分たちはその見返りをふところに入れようとしている自民党に、暫定税率廃止を訴えて構造改革を求めているのは民主党だ。民主党に代表される野党こそが、これまでの自民党の暴利を暴き、政官業の癒着を改善しようとしているのだが、この特集ではそういった本質には全く触れておらず、まるで、自民党に反対する民主党が悪者のように書かれている。これでは、政府・自民党に圧力をかけられている日本のマスコミと同じである。
これ以降、「せんたく」の宣伝が始まるので、腰抜かさないように(笑)。
洗濯(選択?)の時
しかし、緩衝地帯は日本にとって最高な場所となるのかもしれない。でなければ総選挙を初めとした一連の選挙が2つの政党を対決させる最高の機会となり、有権者にも利権に巣食う候補者よりも真の選択ができる機会を与えてくれるだろう。
かすかな望みはある。党派を超えた改革推進派の政治家、学者、ビジネスマンなどが「せんたく」(選択と洗濯をかけている)という圧力団体を結成した。地方の政治家たちは東京の利権分配者の恩恵を受けているに過ぎないという観点から、「せんたく」では、急進的に、頭でっかちの中央集権型のシステムの分権化を望んでいる。「せんたく」は主要政党は一貫したマニフェストに基づいてキャンペーンを行うよう、又、投票に関心が薄い一般の日本人に対して、選挙の際には地元の使われない高速道路やどこへも通じていない橋の建設といった誤った政治に混乱させられないよう主張している。
多くの政治家が総選挙をすれば、混乱を招くだけだと述べている。それは壊れた体制の中で、ある一定の政治家たちを有利にするための議論だ。有権者たちは改革が期待できる機会を必要としている。もしも選択が混沌の中にあるならば、改革こそが日本に残された道だ。
これってきっと小泉が誰かに書かせた記事としか思えないよ。とんでも主張のとんでも記事だよね。これで、英国の権威ある経済誌『economist』はその名声を失ったようなものだと思う。
経済に関しては全くの素人なので、なるべく経済についてあまり知識のない人が読んでもわかりやすいように訳したつもりだけど、変な表現などしていたら、教えてね♪
関連記事:
『天木直人のブログ』5年前に決められていた武藤日銀総裁人事
Japan's pain
Why Japan keeps failing
Feb 21st 2008 | TOKYO
From The Economist print edition
How the politicians are to blame for the failure of Japan's recovery
21世紀臨調
海外からの小泉待望論(2007年7月20日)
一年前にも小泉マンセー記事がエコノミスト誌に載ったとか。小泉とエコノミスト誌ってきっと何かつながりがあるのだろう。
それにしても、こんな記事が発端で小泉復帰論なんか出て来たら恐ろしい。又、せんたくが政党に化けるという可能性もなきにしもあらず。そんなことは絶対にあってはならない。注意深く監視していこうと思う。
「改革とは痛みを伴うものである」と言ったのは、確か小泉だったと思うが、もしあのまま小泉の構造改革が継承されていたら、それこそ、JAPAiNになっていたはずである。
みなさま、4月の衆議院解散・総選挙をめざして、本日もランキングの応援、宜しくお願いします♪

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The world economyJapain
Feb 21st 2008
From The Economist print edition
The world's second-biggest economy is still in a funk—and politics is the problem
THE ghost of Japan's “lost decade” haunts the United States. As the consequences of America's burst housing bubble are felt through financial markets, it has become popular to ask whether Japan's awful experience of boom-and-bust has lessons for other rich countries facing, at best, sharp slowdowns. Japan's property-and-stockmarket bubble burst in 1990, creating bad loans equivalent in the end to about one-fifth of GDP. The economy began growing properly again only 12 years later, and only in 2005 could Japan say it had put financial stress and debt-deflation behind it. Even today the country's nominal GDP remains below its peak in the 1990s—a brutal measure of lost opportunities.
Yet ghosts can deceive. Similarities exist between Japan then and America today, notably the way that a financial crisis threatens the “real” economy. But the differences outnumber them. Japan should indeed be a source of worry—not, however, because other rich countries are destined for the same economic plughole, but because it is the world's second-biggest economy and it has not tackled the fundamental causes of its malaise.
A tale of two crunches
Even by today's gloomiest assumptions, Japan's bust dwarfs America's, if in part because its boom did too. Take for instance the collapse in the equity market. America's S&P 500 is down just 8% from its 1999 peak. The Nikkei 225 share index is now nearly two-thirds below its 1989 peak. In commercial property the comparison between the two boom-and-busts is almost as dramatic.
The more important difference, though, is how each country got into its mess and then responded to it. In America, the government can be blamed for inadequate oversight of the vast market in slicing and dicing mortgages, but it has reacted aggressively to the bust, with monetary and fiscal stimulus. Financial institutions are busy declaring their losses. In Japan, the government was deeply complicit in puffing up the market and complicit, too, in hiding the ensuing mess for years.
Japan's economy is still held back by its politicians (see article). Though much has changed since 1990, a cyclical slowdown is now laying bare Japan's structural shortcomings. A few years ago, people hoped that Japan, which is still a bigger economic power than China and has some marvellous companies, would help take up some of the slack in the world economy if America tired; that now looks unlikely. Productivity is disastrously low: the return on new investment is around half that in America. Consumption is still flagging, thanks in part to companies' failure to increase wages. Bureaucratic blunders have cost the economy dearly, and Japan needs a swathe of reforms to trade and competition without which the economy will continue to disappoint.
The Liberal Democratic Party (LDP), which has ruled for the best part of half a century and remains a machine of pork and patronage, has given up trying to tackle these problems. What reformist tendencies it had under the maverick Junichiro Koizumi, prime minister between 2001 and 2006, have now gone into reverse. To make matters worse, last July the opposition Democratic Party of Japan (DPJ) won control of the upper house of the Diet (parliament). The constitution never envisaged upper and lower houses of the Diet being controlled by opposing parties, and since the upper house has nearly equal powers to the lower one, the opposition can frustrate virtually every government initiative.
Thus Yasuo Fukuda, prime minister since September, spent his first four months in office fighting to reauthorise a solitary refuelling ship operating in the Indian Ocean. Now the government is locked in grinding battles with the DPJ over bills to authorise a budget for the fiscal year that starts in April and to appoint a new governor of the Bank of Japan on March 19th.
But the problem is not merely a constitutional one. Japan is at an uncomfortable point: no longer a one-party state, yet still far from being a competitive democracy with rival parties alternating in power. Both main parties are riven by contradictions: both contain modernisers alongside a grizzled old guard of conservatives and socialists. Political chaos has allowed the old forces within the LDP—the factions, the conservative bureaucrats, the builders and the farmers—to reassert their influence. Meanwhile, the DPJ's leader, Ichiro Ozawa, who used to have a reformist streak, now sounds like an old-style LDP boss.
Japan's politics is skidding for the buffers. The crash may come as early as March, over budget differences. One way to avoid it, some politicians think, is for the LDP and the DPJ to form the kind of “grand coalition” which Mr Fukuda and Mr Ozawa talked about in November. This plan was thwarted when the rest of the DPJ leadership, rightly, balked: in effect, it would have taken Japan back towards being a one-party state, distributing largesse rather than reforming the economy.
Time for a good wash
Yet the buffers may be the best place for Japan. Or rather, a general election—perhaps a string of elections—offers the best chance of forcing parties to confront their inconsistencies, offering voters real choices rather than candidates who compete to bring home the bacon.
There are glimmers of hope. A cross-party group of modernising politicians, academics and businessmen has formed a pressure group, Sentaku (with connotations both of choice and of giving things a good wash). Radically, they want to decentralise the top-heavy system in which local politicians are in thrall to Tokyo's pork providers; they think the main parties should campaign on coherent manifestos; and they are urging ordinary Japanese, who do not readily bother their heads about such things, to reflect on the folly of voting for politicians who smother their districts in unused highways and bridges that lead nowhere—the visible blight of failed politics.
Many politicians say a general election would only add to the chaos. That is the argument of a political class grown fat on a broken system. Voters need a chance to start putting it right. If choice is chaos, bring it on.
- 関連記事
Tags : japain |
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エコノミスト岩國哲人 |
民主党 |
そういえば「日本」を「ニホン」と読んではならない,「ニッポン」が正しいなどと,戦前と同じ繰り言を言い出した偉い人が多く見られる.こういう連中こそ,全員逮捕し死刑台へ送るべきであろう.
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イラク開戦5年:アメリカと言う国は、本当に懲りない国だと思う、・・・。その2(負けインは大統領になれば次の戦争をするという。それでも負けインに投じるアメリカ人って、・・・)
経済誌は、日本の日経新聞を中心にした雑誌でも、新自由主義万歳の姿勢です。だからコイズミが良かったとなる。
イギリスは新自由主義を始めた国でもあるから、そこの経済雑誌が、新自由主義を礼賛し、その下僕だったコイズミを持ち上げるのも不思議では無い。
実際には福田政権は、まだ着任して半年しかたっておらず、現在の日本の構造的な経済力低下は、コイズミの時代にすでに始まっていて安倍の時代に改憲にばかり熱心で経済をないがしろにした結果、決定的となったもの。福田政権を支持するわけではないが、外国の一経済雑誌のたわごとと言うほかはない。
英国にしてみれば、日本がせっせと稼いで、その金をグローバリズムによって、英米系の金融資本に回してくれた方が良かった。そう言っているだけに感じる。
実際に痛みを感じているのは、日本の国民であることをエコノミスト社は知るべきだ。
経済発展、数値による経済指標主義などから決別して、国民の生活本位の政治を望むものとして、このエコノミストの記事に強く反発する。