2008.01.09 (Wed)
Shu Uemura の植村秀氏、急性肺炎で死去
日本のメーキャップ・アーティストの先駆者である植村秀氏が12月末に亡くなられていたことを今日のニュースで知った。79歳だったそうだが、私が初めて植村秀氏に出会ったのは、今から25年前くらいだから、ちょうど彼が50代の頃だろうか。

顔が小さくて彫りの深い日本人離れした八頭身のスラリとした上品な紳士だった。植村秀氏は、その整った容貌やマリリン・モンローやフランク・シナトラなどハリウッドの超有名俳優や歌手などにメイクをしたという経歴、神業のようなメーキャップ技術から、メーキャップ・アーティストや美容院を経営する美容関係者たちからは、神様のように崇められていた。彼の芸術的なメーキャップはとても遊び心があり、こんなメイクされたら、私だったら泣いちゃうっていうものもあったが、普通のメイクはとても自然で特にアイシャドーやチークなどのグラデーションやぼかしが優れていた。メイクをしているはずなのに、してないような、それでもその人の顔の造りの欠点を隠し、長所を生かす、まるで素顔のようなメーキャップとでも言うのだろうか。ShuUemuraのメーキャップ・アーティストはそんなメイクを得意としていた。それは既存のゴテゴテしたメーキャップとは一線を引くものだった。

1982年に表参道にShuUemuraメーキャップ・ブティックの一号店がオープンした。その場で無料で自由に試せるような化粧品を販売するShu Uemuraブティックは、植村秀氏の発案だった。それは日本女性にもっと美しくなって欲しいという植村氏の願いから始まったものだが、その後、Shu Uemuraブティックはすごい勢いで全国、全世界へと展開していった。MixiのShuUemuraのコミュニティを見ても、会員が5474名もいることからも、ShuUemuraの人気の高さが伺える。

ちょうど、その頃、青春を謳歌していた私にとって、ShuUemuraのメーキャップ商品はまさに日常不可欠のものだった。初めて表参道のShu Uemuraブティックに一歩入った時、色とりどりのメーキャップ商品がところ狭しとブティック中に透明の容器に入って並んでおり、それを大きな鏡の前で自由に試せるという斬新なアイディアに心が踊った。それも、メーキャップ商品は質もよく値段もお手ごろだった。メーキャップブラシにおいては、セーブルや山羊など上質の本毛でできており、こんなにやわらかいブラシを顔にあてたのは生まれて初めてのことだった。そして、希望すれば、ブティックの店員がメーキャップをほどこしてくれ、いつもと違う顔になった私はなんだか違う人間になったような錯覚に陥ったのである。
だから、友達と遊びに行く前にブティックに寄って化粧直しをすることはよくあって、ブティックの店員や店長とも仲良くなって、ブティックをたまたま訪れた植村秀氏を見かけることもあった。又、その頃、栄華を極めていたモデル、芸能人や外人アーティストたちにも会った。山口小夜子や二谷友里恵、大原麗子、山本陽子、名前忘れちゃったけど、郷ひろみの京都の芸者の愛人、シャディなど、今の若者は「え?誰その人たち?」って感じかもしれないけどね(笑)。
その頃、表参道は私の大好きな場所だったということもあり、Shu Uemuraの表参道ブティックでは、色物やブラシだけではなく、クレンジング・オイルなどの基礎化粧品もよく買っていた。その頃、お世話になった、玉井店長、田村さん、上原さん、萩生田さん、棚橋さん、蒲田さん、佳代さん、ひろし君、みんな今頃どうしているんだろう。
あれから、25年たって、日本女性は見違えるほど美しくなった。植村氏はさぞかし満足しながら亡くなられたのだろうと思う。

人は誰でも年をとり、死んでゆくものなりけり。
植村秀氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
Shu Uemura 公式ホームページ
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顔が小さくて彫りの深い日本人離れした八頭身のスラリとした上品な紳士だった。植村秀氏は、その整った容貌やマリリン・モンローやフランク・シナトラなどハリウッドの超有名俳優や歌手などにメイクをしたという経歴、神業のようなメーキャップ技術から、メーキャップ・アーティストや美容院を経営する美容関係者たちからは、神様のように崇められていた。彼の芸術的なメーキャップはとても遊び心があり、こんなメイクされたら、私だったら泣いちゃうっていうものもあったが、普通のメイクはとても自然で特にアイシャドーやチークなどのグラデーションやぼかしが優れていた。メイクをしているはずなのに、してないような、それでもその人の顔の造りの欠点を隠し、長所を生かす、まるで素顔のようなメーキャップとでも言うのだろうか。ShuUemuraのメーキャップ・アーティストはそんなメイクを得意としていた。それは既存のゴテゴテしたメーキャップとは一線を引くものだった。

1982年に表参道にShuUemuraメーキャップ・ブティックの一号店がオープンした。その場で無料で自由に試せるような化粧品を販売するShu Uemuraブティックは、植村秀氏の発案だった。それは日本女性にもっと美しくなって欲しいという植村氏の願いから始まったものだが、その後、Shu Uemuraブティックはすごい勢いで全国、全世界へと展開していった。MixiのShuUemuraのコミュニティを見ても、会員が5474名もいることからも、ShuUemuraの人気の高さが伺える。

ちょうど、その頃、青春を謳歌していた私にとって、ShuUemuraのメーキャップ商品はまさに日常不可欠のものだった。初めて表参道のShu Uemuraブティックに一歩入った時、色とりどりのメーキャップ商品がところ狭しとブティック中に透明の容器に入って並んでおり、それを大きな鏡の前で自由に試せるという斬新なアイディアに心が踊った。それも、メーキャップ商品は質もよく値段もお手ごろだった。メーキャップブラシにおいては、セーブルや山羊など上質の本毛でできており、こんなにやわらかいブラシを顔にあてたのは生まれて初めてのことだった。そして、希望すれば、ブティックの店員がメーキャップをほどこしてくれ、いつもと違う顔になった私はなんだか違う人間になったような錯覚に陥ったのである。

その頃、表参道は私の大好きな場所だったということもあり、Shu Uemuraの表参道ブティックでは、色物やブラシだけではなく、クレンジング・オイルなどの基礎化粧品もよく買っていた。その頃、お世話になった、玉井店長、田村さん、上原さん、萩生田さん、棚橋さん、蒲田さん、佳代さん、ひろし君、みんな今頃どうしているんだろう。
あれから、25年たって、日本女性は見違えるほど美しくなった。植村氏はさぞかし満足しながら亡くなられたのだろうと思う。

人は誰でも年をとり、死んでゆくものなりけり。
植村秀氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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Tags : 植村秀 |
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