2007.11.13 (Tue)
福田政権の終焉は目の前だ

今日のナイアガラ地方は朝からとてもいいお天気で、気温も最高気温が14℃くらいまで上がり、散歩するにはもってこいの一日だった。でも、明日以降気温は下がり続け、金曜日には、最高気温が今日よりも10℃も低い4℃で、最低気温はマイナスになるそうで、いよいよ本格的な冬到来といった感じだ。

昨日、衆議院テロ防止特別委員会では自・公票賛成多数で新テロ特措法が可決された。自宅で療養中のあほ晋ちゃんもわざわざ一票を投じに出向いたようだが、国民のための年金問題は途中でほっぽり投げたくせに、米国さまのためのテロ特措法可決のためには、這ってでも出てくるという明らかに従米精神旺盛のおめでたい人物だ。
これを見ても、自民党の見ている方向がアメリカであり、国内は二の次で、国民の生活にはほとんど関心がないということや、国民の命よりも戦争に税金を湯水のごとく使うことを当然としているのが自民党政治だということがわかるだろう。
Mixiでこれをうまく言い表している日記があったので紹介しよう。
『尾楢 玖斎さんの日記』より
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=5834747&id=623418591
命ヨリ尊ヒモノ 2007年11月14日07:19 安倍前首相「衆院通過に安心」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=338600&media_id=4
戦争云々ノ法案可決サセル時ニハ、這ッテデモ出テクルノデスネ。
年金問題、薬害C型肝炎問題、色々アルケド、ソレヨリ優先カ。
結局、見テイル方向ハ日本国民デハナク、亜米利加ナノデスカ。
国民ノ生活・命ヨリ、戦争デスカ。
この後、新テロ特措法はどうなるのかというと、参院へ持ち込まれ、そこで否決された場合、衆院で再議決ということになるが、その時、野党が問責決議を可決する可能性は高く、それを受けて年内に福田首相が解散を指示する公算は大きい。
長年続いた自滅党政権のおかげで国民の生活はかなり苦しくなっており、経済的にも福祉の面でも国民は限界まで来ている。今、解散したら、民主党は勝てないという説もあるが、国民はそこまで馬鹿ではないと思う。いくらなんでも、国民よりも大企業や高級官僚を重視しようという政党に大切な一票は入れないだろう。ほとんどの国民は、外国の戦争に加担するよりも自分の命を優先するだろう。
ところで、連立政権のための党首会談をめぐってネットでは民主党の小沢氏を批判する人が目立つが、今の自民党政権を終焉させ、政権交代を目指す同志なら、ただ小沢氏のとった行動を批判するだけではなく、一歩進んで、それではどうしたら国民の信頼を取り戻せるか、又、政権交代を実現できるかということを提案されることを求めたい。
密室での党首会談に応じた小沢代表のとった行動は決して褒められるものではないが、小沢代表はすでに謝罪しているし、その経緯についても国民に正直に話してくれた。そして、結局連立政権は党の幹部と相談した末、反対を受けて、即、福田総理に断りの電話を入れているのである。
一番責めるべきは、小沢代表を罠に陥れようとした福田総理を初めとした自民党幹部や虚報を流したナベツネではないだろうか。今回の小沢辞任騒動でネットでは小沢氏やナベツネを含む老害3兄弟を批判するブログは結構見かけたが、下記のブログを除いて福田総理を批判するものはほとんどなかった。
『どーゆーこっちゃ…!! 私は絶対にだまされないゾ』大連立騒動にダマされるな!
そんな中でJMMの『from 911/USAレポート』第328回「腹芸の時代」で冷泉彰彦氏も福田総理を批判している。冷泉彰彦氏は米国の政治にとても詳しく、日米の政治を比べることができる数少ない作家であり、複雑なこともわかりやすく書いて下さるのでとても理解しやすい。
(前略)
今回の騒動に関しては「ナベツネ」氏や中曽根元首相が暗躍したとか、与謝野前官房長官が囲碁の対戦の際に何かを囁いたとか、色々なことが言われていますが、どうやら全てを主導していたのは福田首相本人のようです。今回の政治ショーにおける福田首相の意図は2つあると思います。それは(1)会期延長を円滑に行う、(2)民主党に公明党への「手を突っ込ませない」、という単純な二点だと思います。
まず(1)について言えば、これからの国会運営で「民主党にイニシアティブは渡さない」一方で「民主党の顔も潰さない」という微妙なバランスを「福田ペース」で進めよう、そのためには「会期延長」「予算」「給油」の三つの中で「3分の2再可決」は一回しか使えないだろう、そんな計算があるのではないでしょうか。そして恐らくは福田首相の計算としては、民主党が腰砕けになる中で「会期延長」を通し、「予算」は民主党と何とか合意を探る、その中で民主党が乗るなら消費税率アップもやり通す、その代わり「テロ新法」は「3分の2」をやっても通す、そんな見取り図を持っているのではないかと思います。
実はこちらの方が本筋、私にはそう見えます。大連立とか中選挙区制というのは壮大な「腹芸」であって、それを使って民主党を揺さぶりながら、公明党に猜疑心を抱かせないようにして政局の主導権を握ろう、どうやらそういうことなのではないでしょうか。どうして民主党に対する揺さぶりになるのかといえば、政権参加をちらつかせてしまえば、相手は「政権のチャンスから逃げれば無責任」、乗る姿勢を見せれば有権者からは「談合で政権批判を取り下げた」と言われ、どちらに転んでも勢いを失うからです。また、何故、消費税の議論を含む予算審議では強硬に行かないかというと、政権として強行突破に行くと選挙で負けるからであり、では安保問題ではどうして最終的に強硬に行く選択があるのかというと、豪腕を発揮できれば党内基盤が固まって長期政権への道筋が見えてくるからに他なりません。
それにしても、内閣総理大臣が自らこうした「腹芸」を駆使して「寝技」を連発しているという構図は、戦後政治では例を見ないのではないでしょうか。戦前でも、そこまでやっていたのは原敬ぐらいで、憲政史上希に見る事態なのではないかと思います。これは福田首相を決してほめているのではなく、私としては半分呆れて見るしかないというのがホンネです。
(後略)
なるほど、こういう考えもあるのだね。そういえば、連立政権での小沢代表のテロ特措法の理解と福田総理の理解と食い違いがあったが、その後、福田総理から詳しい説明があるかと思ったら全くない。そのままうやむやになってしまった。やはり、その辺は「腹芸」を駆使しての「寝技」なのだろうか。それにしても、あまりにも「腹芸」が多すぎて、国民にしてみたら、不透明きわまりないというのが今の自民党政治だ。こういった古臭い政治を変えるためにも、政権交代は必要になってくると思う。
最後に冷泉氏がとてもいいことを言っていたので、ここに引用する。
日本の政局も正にそうです。給油への賛否、消費税率のアップの賛否などを、誠実に世論と対話する、そのために対立軸を整理して選択肢ごとのメリット・デメリットを示すという作業、一見すると大変なこの作業を政治家とジャーナリズムは手間ひまをかけてもやり抜くべきです。腹芸に走る政治家と、それに振り回されて政策の決定プロセスを人間の心理ドラマに矮小化するジャーナリズムの組み合わせは、社会の意志決定能力を傷つけるだけだと思います。
今の自民党には、この誠実に世論と対話するということが全く抜け落ちているため、テロ特措法にしても、国民のほとんどがそのメリットやデメリットが何であるかわからないまま国会で可決されているという現状である。特に会長や主筆が政治家と癒着している新聞会社が全国一の出版部数を誇る日本では、国民が正しい意思決定ができないのは当然のことであり、その結果、一つの政党が50年間も日本の政治を独占してきたのだ。それで国民の生活が豊かになり、日本の経済が良好なら同じ政権のままで一向に構わないが、今の現状で誰もが、政権交代せざるを得ないと考えているだろうと思う。ただ考えるだけではなく、いまその考えを実行に移すときがきたのではないだろうか。
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『from 911/USAレポート』第328回
「腹芸の時代」
■ 冷泉彰彦 :作家(米国ニュージャージー州在住)
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■ 『from 911/USAレポート』第328回
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「腹芸の時代」
11月も半ばに差し掛かりました。野球に関して言えば、すでに2007年のシーズンは歴史の彼方に過ぎ去り、アメリカの球界は2008年へ向けて「ストーブ・リーグ」に突入しています。その中でも大きな「事件」は、今季まで12年間ヤンキースの指揮を執っていたジョー・トーリ監督が、ロサンゼルス・ドジャースの監督に就任したというニュースでしょう。見慣れた縦縞(ピン・ストライプ)ではなく、白地
に青の文字も鮮やかな「ドジャー・ブルー」のユニフォームに身を包んだトーリ監督が、ヤンキース時代と同じ「背番号6」をつけて現れたシーンは、ヤンキースファンには何とも複雑なものがありました。
ドジャースとヤンキースは、それぞれに伝統球団として長い歴史がありますが、因縁も浅からぬものがあるのです。1950年代以前、ドジャースがニューヨーク市のブルックリン区を本拠としていたときは、ナリーグとアリーグの雄としてワールドシリーズで対戦、両者の対決は、元祖「地下鉄シリーズ」として人気を博しました。ドジャースが大騒動の挙げ句にロサンゼルスへ移って行った後も、ライバル関係は続き、
特にラソーダ監督の指揮下でドジャースが黄金時代を迎えた70年代から80年代には、何度も歴史に残るワールドシリーズでの対決を繰り広げています。
トーリ監督が、そのドジャースの監督に就任するというのは、ある意味では「ワールドシリーズで対決してヤンキースを倒す」というドラマチックな可能性が出てくるわけで、それが過去のライバル関係という歴史と重なることで、実に興味深い出処進退と言えるでしょう。言ってみれば「そこまでしてヤンキースを倒したいのか」とか「究極のライバルチームへの変節」という印象を与えても仕方がない判断です。
では、口うるさいヤンキースのファンは「ジョー・トーリの裏切り」に対して怒りや失望を抱いているのでしょうか。必ずしもそうではないのです。何となく納得している、あるいは仕方がない、そんな受け止め方が多いのです。そうした「理解」の背景にあるのは「やっぱり監督とオーナー父子の間では相当な確執があったのだろうな」という推測であり、更に言えば「あそこまでオーナーに言われたら契約しないという
のも、ライバル球団に移るというのも納得できる」という考え方です。
では、ヤンキースの名物オーナー、ジョージ・スタインブレーナーと、その息子達はトーリ監督への批判や不満を口にしたのかというと、そうしたコメントというのは決して表には出てこないのです。せいぜいが、地区シリーズでインディアンズに二連敗したところで、オーナーが「このままインディアンズに負けたら監督人事は白紙」というコメントをニュージャージーの地方紙に語り、その時点ではかなりの衝撃を与えたということはありました。ですが、以降はそのようなコメントはなかったのです。
そんな中、漠然と「監督更迭?」という「空気」が広がり始めました。そして、敗戦によってヤンキースの今シーズンが終わると、スタインブレーナー一家の住むフロリダで、キャシュマンGMを交えての「幹部会議」が延々と行われ、最終的にはトーリ監督との契約延長は破談になったという発表に至っていますが、最終的に1年契約+出来高インセンティブという球団側の提示した条件をトーリ氏が蹴ったということ以外は、会議の詳しい経過は公にはなりませんでした。
これを受けて、10月18日にはトーリ監督による単独会見がNY郊外(コネチカット州ライブルック)のホテルで行われたのです。既に「球団の人間ではない」という理由から、ヤンキースの広報は一切関わらないという位置づけの会見でしたが、さすがにNYの主要なメディアは勢揃いしましたし、スタインブレーナー一族の経営するヤンキース専門のケーブルTVはライブ特番で中継をしています。
この会見は、前後にWFANラジオが「マイク&マッドドック」という番組の枠内で解説の特番を組んでいた中で「ジョー・トーリという人間の品格を示したワンマンショー」と絶賛したように、極めて好意的に受け止められています。では、その「品格ある(クラッシー)」とまで言われたのはどうしてなのでしょう。それはトーリ監督が、スタインブレーナー一家に対して激しい怨念を抱きながらそれを一切口に出さず、淡々とした語りに徹したからでした。
冒頭、トーリ監督は「まず最初に12年間このような経験をするチャンスを与えてくれた、ミスター・ジョージ・スタインブレーナーに感謝の念を申し上げたい」と言っているのです。その約3分間の短いスピーチの後は延々と各記者の質問に答え、その質疑応答は一時間10分に及びました。その中でNYのクセのあるスポーツ記者たちは、手を変え品を変えてオーナー批判を引き出そうとするのですが、トーリ監督のガードは堅く、ハッキリした「恨み節」は一切なし、ただ「私としては勝利への動機付けというのは当然のことであって、インセンティブという発想は屈辱だった」という部分などから、心の中を推し量るしかない、そんな不思議なやりとりが続いたのです。
一カ所だけトーリ監督が言葉に詰まったのは「2009年に新球場がオープンする際に、セレモニーに呼ばれたらいらっしゃいますか?」という質問が出たときでした。どんなに厳しい「突っ込み」にも微笑みを絶やすことなく淡々と答えていたトーリ監督は、表情をこわばらせ「申し訳ないが、その質問に答えるだけの心の準備はできていないので」と言葉を濁したのです。場内は一瞬静まりかえり「1年契約の提示というのは、新球場での指揮を執ることは保証しないという意味で、だからトーリ監督は自分のプライドがズタズタにされたと感じて球団を去る決意をしたのだろう」そして「だが、それはきっと無念なんだろうな」という「空気」に包まれたのです。
この日の会見で注目すべき瞬間は、この二カ所ぐらいで、後は「他球団で指揮をとる意志があるのか?」という質問には「ええ、お話があれば」とハッキリ答えていたこと、この会見の少し前、インディアンズに敗退した際の会見で「ヤンキースの12年間は、まるで一瞬だった」と過去形で語っていたこと、そうした発言を総合する中で「降板やむなし、ドジャース移籍もやむなし」という「空気」が確立していったの
です。そこから僅か二週間で、LAという白地も鮮やかなドジャーブルーの帽子に背番号6というジョー・トーリ氏の姿が登場したのですが、そのショックはそれほどでもなかった、それはこの「空気」のせいであり、またその「空気」を醸成していったのは他でもないトーリ監督の「腹芸」でした。
明らかにオーナー一族と激しくやりあったにも関わらず、そうした確執は一切語らず、言葉にならない行間にホンネをそっと隠しながら「品格」ある語りに徹した、これは正に「腹芸」の真骨頂です。それゆえにヤンキースのファンは、そしてNYの街は「ジョー・トーリ」という巨大な存在が去ってゆく、しかもLAという大陸の反対側に位置し、歴史的なライバル関係にあるドジャースの監督に就任するというショックを受け止めることができたのでした。
この「腹芸」に比べると今回の「大連立構想と小沢辞任撤回騒動」における、福田康夫首相と小沢一郎民主党党首の繰り広げた「腹芸」は何ともお粗末に見えてなりません。お粗末というのは、何といっても小沢氏のほうで、私の見るところ福田首相の繰り広げた老獪なコミュニケーションのテクニックの前に、右へ左へと大きく振り回されて「ヘロヘロ」になっている、そんな印象があります。
今回の騒動に関しては「ナベツネ」氏や中曽根元首相が暗躍したとか、与謝野前官房長官が囲碁の対戦の際に何かを囁いたとか、色々なことが言われていますが、どうやら全てを主導していたのは福田首相本人のようです。今回の政治ショーにおける福田首相の意図は2つあると思います。それは(1)会期延長を円滑に行う、(2)民主党に公明党への「手を突っ込ませない」、という単純な二点だと思います。
まず(1)について言えば、これからの国会運営で「民主党にイニシアティブは渡さない」一方で「民主党の顔も潰さない」という微妙なバランスを「福田ペース」で進めよう、そのためには「会期延長」「予算」「給油」の三つの中で「3分の2再可決」は一回しか使えないだろう、そんな計算があるのではないでしょうか。そして恐らくは福田首相の計算としては、民主党が腰砕けになる中で「会期延長」を通し、「予算」は民主党と何とか合意を探る、その中で民主党が乗るなら消費税率アップもやり通す、その代わり「テロ新法」は「3分の2」をやっても通す、そんな見取り図を持っているのではないかと思います。
実はこちらの方が本筋、私にはそう見えます。大連立とか中選挙区制というのは壮大な「腹芸」であって、それを使って民主党を揺さぶりながら、公明党に猜疑心を抱かせないようにして政局の主導権を握ろう、どうやらそういうことなのではないでしょうか。どうして民主党に対する揺さぶりになるのかといえば、政権参加をちらつかせてしまえば、相手は「政権のチャンスから逃げれば無責任」、乗る姿勢を見せれば有権者からは「談合で政権批判を取り下げた」と言われ、どちらに転んでも勢いを失うからです。また、何故、消費税の議論を含む予算審議では強硬に行かないかというと、政権として強行突破に行くと選挙で負けるからであり、では安保問題ではどうして最終的に強硬に行く選択があるのかというと、豪腕を発揮できれば党内基盤が固まって長期政権への道筋が見えてくるからに他なりません。
それにしても、内閣総理大臣が自らこうした「腹芸」を駆使して「寝技」を連発しているという構図は、戦後政治では例を見ないのではないでしょうか。戦前でも、そこまでやっていたのは原敬ぐらいで、憲政史上希に見る事態なのではないかと思います。これは福田首相を決してほめているのではなく、私としては半分呆れて見るしかないというのがホンネです。
ではトーリ監督にしても、福田首相にしてもどうして「腹芸」に走ったのでしょう。その理由は明快です。トーリ監督はオーナー批判を「言葉」にはしたくなかったのです。自分からスタインブレーナー父子への反感を口にしてしまうと、一瞬にして品格を失ってしまい、周囲からの視線は冷たいものになるからです。それを口に出さずにいるから、あの気難しいNYの世論も受け入れたし、むしろ「品格ある会見」という賛辞まで出たのです。
福田首相の場合も同様です。消費税率アップであるとか、給油問題について徹底的に世論とコミュニケーションする、あるいは民主党と論戦で対決するということは、できるだけ回避したかったのです。何故ならば、前回参院選のマニフェストを見れば、民主党に勝利を与えた民意は今でも有効であり、それは自民党の現在の政策とは逆であることには変わらないからです。「憲政の常道」に照らして言えば、ここで衆議院
を解散するのが筋ですが、その場合は下野するリスクを冒すことになってしまいます。そうではない道、つまり「腹芸」を使って民主党のモメンタムを骨抜きにしながら、自公政権の枠組みで懸案を通す、そのためには「寝技」しかないと判断したのでしょう。
トーリ監督と福田首相、「言いにくい」ことの明言を避けながら必要なコミュニケーションを続ける、そんな腹芸が横行するのにはどんな背景があるのでしょう。それは、複雑化する社会の中で、錯綜する利害関係やメンツを調整しながら「落としどころ」に持ってゆく、そのためには「全てを明らかに語ってしまうと傷つく人間が出る」ということなのだと思います。事実関係の明言を回避しても、勿論そのウラで進行しているコンフリクトが消えたわけではありません。ですが、最低限それを口にしないことで対立する相手の顔を立てて物事を進める、そうするしかないということなのだと思います。
では、それで本当に良いのでしょうか。私はそうした腹芸というのは逃避であり、成熟社会の脆弱さを示しているのだと思います。トーリ監督も、一見するとプライドを守り通したのであり、仮に2008年にワールドシリーズなり、交流戦(恐らく興行面からも、この対決は組まれるでしょう)でヤンキースへの復讐を遂げれば、一種の人間ドラマということになるとは思います。ですが、オーナー一家の専横や、品のないジャーナリズムが線の細い選手や監督を潰し続ける悪弊は、それでは永久に直らないでしょう。ドジャース移籍というショッキングな結論をお腹で考えていたのならば、せめてオーナーに対して言葉で一矢報いることがあっても良かったのではと思います。今のやりかたは、やはり密室であり、陰湿さを否定することはできません。
日本の政局も正にそうです。給油への賛否、消費税率のアップの賛否などを、誠実に世論と対話する、そのために対立軸を整理して選択肢ごとのメリット・デメリットを示すという作業、一見すると大変なこの作業を政治家とジャーナリズムは手間ひまをかけてもやり抜くべきです。腹芸に走る政治家と、それに振り回されて政策の決定プロセスを人間の心理ドラマに矮小化するジャーナリズムの組み合わせは、社会の意志決定能力を傷つけるだけだと思います。
アメリカの政治にも「腹芸」は横行しています。例えば、民主党の大統領候補選びがそうで、イラク問題にしても個別の政策に関しても、「ブッシュ政治」からどこまで離れて良いのか、個々の候補者は世論の「空気」を気にして政策を本当に具体化するのは先送りにしています避けています。もっと具体的な例では、テロ対策のためだとして行われている「イスラム過激派」への「拷問」がそうです。例えば「水責め」
ということが実際に行われているのか、などの問題に関しては政府は口を濁したままです。「国際法で禁じられているが、治安のためには必要だから、やっているともやっていないとも明言しない」という、これも非常にお粗末ではありますが「腹芸」の一種でしょう。
こうした「腹芸」というのは一種の共犯関係に似ています。「何もそこまで口にしなくても」という「明言を避ける空気」に相手が乗せられることで、しかも「本当は言葉でしっかり対象に向き合わなくては」と分かっていても、その「言語の外にある」心理ドラマに引きずられてしまう、そこに「腹芸」のメカニズムがあるのだと思います。まずは、ジャーナリズムがそれに乗せられないということが、社会を正常化する
第一歩だと思うのはそのためです。
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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。ニュージャージー州在住。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わったか』『メジャーリーグの愛され方』。訳書に『チャター』がある。最新刊『「関係の空気」「場の空気」』(講談社現代新書)
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小沢氏は国民に謝罪などしていません。民主党議員とマスコミに「ちょっと独断でやりすぎてごめん」と言っただけです。
それでも、小沢民主党を支持すべきであると考えますか?小沢氏は自民党の一員であると私は考えます。
政権交代が近づき、政界再編が近づいた今だからこそ、社民勢力の拡大を目指したいと思います。
だからこそ、僕は小沢さんには辞任して欲しかった。彼は明らかに改憲派であり、戦争容認主義です。ISAFへの参加や自衛隊海外派遣恒久法への意欲を公にしだしてから、やっぱりこの人は変わってないということに気づきました。
自民党には与党から消えて欲しい。でも、その後はどうなってもいいというわけではなくて、護憲的な社会主義的政策を持った政党に与党になってもらいたいと思います。
小沢さんは、自民党政治しか知らない人です。権力への欲望が強い。小沢民主が与党になってもあまり喜ばしいことではないでしょう。
敵の敵が味方であるとは限りません。
せめて党首が、長妻さんや菅さんに代わってくれればいいと思うのですが。
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フランスの「新規雇用契約」法制が国際労働機関(ILO)に否定される。
今、政治&国会がオモシロイ!・・・参院与野党バトル開始。審議日程で舌戦
小沢代表、選挙モードに突入。地道に地道に。・・・+青山繁晴がまたなんか喚いてるようですがこんな希代のハッタリ屋はスルーしましょう!
給油(キュウユ)は終わったかもしらんが空輸(クウユ)はまだやってんでしょ?
本日の『朝日新聞』の小沢代表インタヴュー記事は一読の価値があります。彼は御自身の政治判断は今でも正しいことだと言っております。これは
政権交代という公約を自分の判断ミスで反古にしかけたことをまだ正当化しようとしたことを意味します。今でも正しいと思っているとは、状況次第でまたぞろやり出すかもしれないということです。このことを美爾依様はどうお考えになりますか?
さて今朝の朝日の一面は本当に象徴的な紙面構成になっています。片や守屋氏の証言「宴席に額賀・久間氏」という見出し、片や自己の判断を正当化する小沢氏の言葉の引用。美爾依様が述べておられるように確かに福田政権はスキャンダルまみれで死の床にあるかもしれません。しかしまだ延命しているのは何故か、また国会現場の民主党を始め野党議員が頑張っているのにそれがこの一週間ほどそれ程インパクトがないように見えるのは何故か。それは私は小沢問題が尾を引き、国民の目くらましになっている、指導者の躓きで攻撃の勢いが弱まったためのように思います。確かに読売の渡辺氏や中曽根氏、森氏や福田首相自身を、談合政治の故をもって断罪するのは正当です。でもそんな謀議に乗ってしまった小沢氏の責任はどうなるのか。しかるに彼は未だに連立の判断は正しかったとする有様で、私はまたまた、怒りと深い失望を禁じ得ませんでした。彼は本当に自分のやったことを理解して謝罪したのか、これについて美爾依様は如何思われますか?
確かに彼は政治的天才かもしれません。しかしその天才は謀議・談合に乗ってしまい、自分の案を役員会で否定されるや、「選任した役員たちからの反対は自分への不信任に等しい」という驚くべき非民主的な言葉を吐きました。彼は民主主義がわかっていない古いタイプの政治家で、しかもその天才は緊張するとぷっつんしてしまう不安定さをも抱え込んでいます。確かに人の緊張の糸は切れることがあります。しかしともかくも総理を目指す人で、国民の代表でその意味では「ノブレス・オブリージュ」(高貴な地位には義務が伴う)を貫徹すべき立場にあり、やはり精神的強さを庶民は期待するでしょう。私もそうでした。
また批判するなら建設的な意見を述べよと言われますが、森田実氏などは既に述べているようです。つまり民主党は小沢氏に頼るのを止めて、新しい代表を選び直せ、自立せよと訴えることです。(本当に民主党がこれが出来て、小沢氏を止めさせたら見上げた根性です。大向こうをうならせるでしょう。)
「そんなのは無理」かもしれません。しかし少なくとも小沢氏から自立せよと民主党に喝を入れ続けることは出来ます。また注文を小沢氏にも、民主党議員たちにもどんどん付けることは出来るでしょう。もっと現実的方法や技術論を出せと言われるかもしれない。しかしここ一番のときは原理原則を繰り返し相手に言うことは必要です。つまり君たちの理想「政権交代で日本を変える」はどうなったのか、君たちの理想を自分たちの指導者が否定しているのをどう思うのか、また自分たちの理想を否定する人物に自分たちと国の未来を丸投げしてもよいのか、これは党の大方の意見を(そして党に期待して投票した国民のそれを)自ら葬り去ることではないか、「民主党」という党名が泣くではないか、と。
また美爾依様は本当に今の民主党に満足なのですか、小沢代表に満腔の信頼を捧げきれるのですか、彼らに注文はないのですか、と聞きたいです。やはり庶民一人一人が政治にどんどん注文をつけていかなければ日本の政治はおろか、民主党さえ変わらず、小沢氏におんぶにだっこの頼りない連中で終わってしまいます。美爾依様、是非この機会にあらためて、本当に民主党がどんな政党であって欲しいのか、小沢氏はリーダーとしてどうあって欲しいか、彼らに日本をどう変えて欲しいか考えて頂きたいのです。お願いしますよ、本当に… 長文駄文で、釈迦の耳に説法で失礼しました。(なお私の見る所、小沢氏はその都度誠実を尽くしておられるとは思います。だからこそ困ると言えます。)