2007.09.21 (Fri)
光市母子殺人事件:本村洋氏の気持ちはわからぬではないが・・・
「万死に値、命で償いを」=遺族が陳述、うつむく被告-光市母子殺害・広島高裁(時事通信)
1999年4月に起きた山口県光市の母子殺害事件で、殺人などの罪に問われ、最高裁が一、二審の無期懲役判決を破棄した当時18歳の少年だった被告(26)の差し戻し控訴審第10回公判は20日午後も、広島高裁(楢崎康英裁判長)で続き、会社員本村洋さん(31)ら遺族が法廷で意見陳述した。
本村さんは5年9カ月ぶりにこの裁判で証言に立ち、差し戻し前の二審で陳述した内容を振り返りながら、「君の犯した罪は万死に値する。命をもって罪を償わなければならない」と強い口調で被告に語り掛けた。
殺意や乱暴目的を否認している点にも触れ、「君が心の底から真実を話しているように思えない。だから、謝罪の言葉を述べようとも信じられない」と傍聴してきた感想を明かした。
被告はジャケット姿でうつむいて耳を傾け、陳述後に深く一礼したが、本村さんは被告と終始目を合わせなかった。
被告の手紙にも目を通そうとせず、被告がどれだけ反省しているかわかるはずもないと思う。本村氏や殺された弥生さんの母親の態度は被告人に対してあまりにも過激だと思うが、自分の家族が殺されたことのない私がその態度を批判するつもりはない。自分の愛した妻や娘が殺され、屍姦されたのだから被告に対する憎しみは私などには計り知れないものがあるのだろう。
しかし、これまでの事件の経緯を読んだ私の感想からすると、この被告は精神障がい者だと思う。この被告の精神鑑定をした野田正彰関西学院大学教授)と、加藤幸雄氏(日本福祉大学教授)氏によると、被告の精神年齢はかなり低く、5.6歳程度だと言う。
野田氏は被告が精神病ではないと否定しているが、「ドラえもんが何とかしてくれると思い、遺体を押し入れに入れた」とか、「精子で生き返らすため死姦した」などの数多くの奇怪な発言から考えても、私にしてみれば、精神年齢がこれだけ低いというのは精神異常者ではないかと思うのである。この被告の精神年齢がこれだけ低いのも、1歳くらいの時に頭部を強打したのが原因で発生した脳器質的脆弱性の可能性もあるとのことだ。日常茶飯事に父親から暴行を受けていたとのことなので、きっと父親から暴力を受けたときの傷だろう。
この被告を死刑にするのが妥当であるという意見が大多数を占める世論の中で、もしこの少年が精神異常者の場合は死刑になることはないという理由からか、野田氏らの被告の育った環境などを考慮しての精神鑑定を真っ向から否定する人々もいる。
短気で暴力的な態度や暴言で有名な宮崎哲弥がその一人だ。見る人を不快にさせるその容貌でよくテレビに出られるよなというのが私の感想だが、彼の言っていることも馬鹿丸出しで精神科医でもないのに野田氏の精神鑑定になんくせをつけている。もちろん、野田氏も反論しているが、この二人の論争については、『mouseの落書きボード』の「野田・宮崎論争について思うこと」がよくまとめられていて読みやすい。
メディアでも、最近はこの被告の家庭環境などがとりあげられるようになり、これまで私達が知らなかった部分を読んで、被告に対する感情も変わる人も出てくるのではないかと思う。
父親に日常的に暴力をふるわれる母親をかばううちに、母親との間にとても密接な関係が生まれ、二人は近親相姦的やりとりをしていたという記事が『週刊ポスト』にあった。
<独占スクープ>
精神鑑定医があえて明かした360分問答
光市母子殺害少年
「父の暴行、求められた母子相姦」
遺族感情は? 死刑とは? 弁護士とは? 偏向報道とは?
――この問題提起をあなたはどう考える
父親の暴力に怯える母親と少年Aは、いつしか被害者同士の共生関係を築き、近親相姦的なやりとりを繰り返すようになっていた。そして、その母親の自殺を目撃した体験が、本村弥生さんと夕夏ちゃんを殺めた際にフラッシュバックして――。少年Aの精神鑑定の内容は余りにも衝撃的だ。なぜ今、あえてこの鑑定内容を公開するのか、その理由を含めて、精神科医・野田正彰氏がすべてを明かした。
日本でもそうかもしれないが、北米でも幼児虐待などが社会の大きな問題となっている。幼児を虐待する人の約85%が自分も小さいときに虐待を受けた被害者だという。これは私の推論だが、この光市母子殺人事件でも、被告が弥生さんや夕夏ちゃんの殺人にいたったのも、父親が自分と母親にしてきたことをそのまま弥生さんや夕夏ちゃんにやってしまったのではないだろうか。それとも、父親が再婚した継母や生まれてきた赤ん坊への憎しみを抑え切れず、それを弥生さんや夕夏ちゃんにぶつけてしまったのか。子供の頃から父親に常に虐待を受けてきた被告が父親を恨むばかりに父親を困らせようとしてやった可能性もある。
こういった被告の精神鑑定結果や家庭の事情などの背景を考慮すると、やはり、被告を死刑にするべきではないと思うし、この事件に関して、もしどうしても死刑にしなければならない人がいるとすれば、それは、被告の母親を自殺に追いやったり、被告をここまで追い詰めた被告の父親ではないかと思うのである。
文中で触れなかった参考記事:
『Sankeiweb』【コラム・断 野田正彰】宮崎哲弥氏に反論する
『A Tree at ease』「宮崎哲弥さん--無内容なキレ芸人?」
『元検弁護士のつぶやき』「今枝仁弁護士のコメントの転載(さらに追加あり)」
追記:
『現役雑誌記者によるブログ日記!by オフイス・マツナガ』の「呼吸の違いが、新鮮だということ」という記事の中で紹介されました。
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警備会社と契約しておけば防げた事件だった。
弥生さんに護身術を叩きこんでおけば防げた事件だった。
それをせずに被害にあってからルールを捻じ曲げた彼のやり方には賛同できない。
光市母子殺害事件で被害者を気取っている本村の正体
結局、役所の縄張り拡大・厳罰化世論誘導を目論む検察・法務省の広告塔になってるだけだろ
560 :名無番長:2012/01/27(金) 21:19:45.43 O
>>554
本村は羽振りがかなりいいみたいだよ
天国のラブレターの本や映画や、公演などでもかなり儲けてる訳だしね
現在は仕事を辞めて、以前いた山口県から隣の福岡県に住み、車はBMWとビートルの二台を所有してる
昔に比べ、TVに出る時の今の服装が羽振りの良さを物語ってる(笑)
617 :名無番長:2012/02/01(水) 02:02:24.87 0
>>560
しかし、この光死母子殺害の被害者本村はどうしようもないな。
俺もちらりとこいつが当時は新型のルイヴィトンバッグを持ってるのを見たよ。テレビで。
しかもBMWを乗り回してるのか。女はべらせて。
けれどテレビカメラが回るとシクシクと泣き出し、能書きをたれる。
とんでもない詐欺師だな。
637 :名無番長:2012/02/01(水) 20:48:48.09 0
>>617
本村は確かソープに通っていた事もばれて週刊誌にのったな。
俺は本村をあまり信用していない。そもそもそんなに奥さん愛している人が
裁判も終わってないのに再婚しないし。
本の中では上司に影響によって裁判で戦いながら仕事を続けられたとか書いてあったが
その仕事すらも世話になった上司を裏切って辞めているし。
↑あながち間違ってないんじゃないですかこういう情報
マスコミがいっせいに取り上げ過剰なまでに報道する時
必ずといって良いほど裏があり、見えない力がはたらいてると
思います。
犯罪(人間)を神秘性の元におくと死刑の論に傾く
そう思います。
幼少期に虐待を受けていても立派な大人になる人もいますが
それは極論的に例えればアインシュタインやフェルマーが周りに同じレベルの思考を求めるのと同じです。例外なのです。
例外の強さを求めるのは、それは酷というものです
生命現象として考えれば例外があるのは当然で
社会施策や裁判に置いては例外よりも中庸を重視すべきだと私は思います
本当の愛を・・・
その人がいなければ自分が存在する価値がないのではないかと考えられる人に出会ったらあなたもそのときに気づくでしょう。
映画、書籍共に目を通して下さい。
私は本当に筆舌に尽くしがたい虐待を受けてきましたが、
有名国立大学を出て大企業に就職し、
友人にも恵まれ前向きにがんばっています。
途中には本当につらいカウンセリングや、
フラッシュバックに耐えられないあまりの自殺願望もありましたが、
乗り越えた自分をほめたいと思う。
正常の感覚であれば、虐待を受けたとしても、
他の人に対して同じことをしてはいけないと、きちんと自制できるのです。
そうでないということは、やはりその人自身に問題がある。
つまり、虐待は言い訳に使うものではないということです。
狂人の振りをして責任能力が無い様に見せようとしているだけなのかも知れません。
奇怪な発言があったから精神年齢は幼いのだろう、という推測までは賛成ですが、精神年齢が幼いから減刑すべきだ、という結論には反対です。精神年齢は罪の軽重に関係有りません。
>精神科医でもないのに野田氏の精神鑑定になんくせをつけている
専門家で無い人間が専門家に意見する事がおかしいという理屈は一理有りますが、この理屈からすると裁判官でも法律の専門家でも無いあなたが判決になんくせをつけるのはおかしくありませんか。
>家庭の事情などの背景を考慮すると
家庭に問題が有った事は確かでしょうが、家庭内暴力と母親の自殺と父親の再婚とが、被告人の減刑を必須とする程の影響であったとは思えません。減刑とはそんな理由で下されてしまうものなのでしょうか。
その気持ちもわからずして、知った様なことを言わないで欲しい。
子供を0.5人という時点で、人として失格だ。
そんな人間が人を教える立場になんかいて欲しくない。
自分の欲望だけで、人を殺せば命をもって償うしかないと思う。
『命は尊いもの』などということは、5・6歳で判ること。
18歳の少年だということが何の意味がある。
反省するなどというのは当たり前のこと。
それと罪を償うことは別のこと。
なぜ被害者を中心に裁判を進めてはいけないのか。
被害者の報復感情を法のもとに、被害者の納得いく結果を
出すことがなぜいけない。
あなたは基本的に人を見下しているんだと思う。そして自分は優れている
と勘違いしている。
もう一度、3歳から人生をやり直した方がいい。
そして、まっとうな人間に育って欲しい。
あなたのもとで学んでいる学生達がかわいそうだ。
学生達のために一刻も早く去った方がいい。
はじめまして。
上記を読んで、加害者の元少年がなぜこのような事件を起こしてしまったのか、分かる気がしました。
筆者が公安に拘束され、何がしかの疑いがかかったというのは事実であり、
また、疑いのかかる行動を好んで選び取ったのも筆者ご自身です。その行動の背後にどのような理由があったのかは私には分かりません。
ですが、その経験をなさった時点でご自身の行動のどこが社会との間にずれを生じさせ、個人の拘束という国家権力を発動させるにいたったのかを理解し、ご自身の身中にある悪を是正をされるべきでした。これを反省といいます。
筆者からすれば、知能ゲーム、ですが、検察官からすれば、公務(仕事)、です。
お身内に立派な方がいらっしゃるようですが、あなたが立派ではない。
あなた個人が信用され釈放にいたったわけでは無いのです。お身内の方の社会的職業的地位が信用されたのです。つまりは、筆者は社会に拘束されまた、社会に守られたのです。この帰属する日本社会からの恩恵を受けて、なお、自分は特権利得者だ、とするのはあまりに悪ずれに感じられます。
私は加害者の事がどうにかして理解したい思いでしたが、こちらに訪れて理解できないままで良いと思いました。
私の祖母は更生保護婦人会におりました。
さまざまな意見をブログ上で語るのは結構。しかし、”愛情”から語ることができなければ、あなたに敬意は払えないし、戯言としか心に響かない。この事件を語るには、人のことは言えませんが、修行が必要なのかも知れませんよ。
少なくとも、”相手”の立場を認めるくらいの精神性を身に付けた上で、大見得切りましょうよ。ちょっと、あなた情けないです、人として。
ただ、大変失礼かもしれませんが、以下、瀬尾佳美さんがWeb上で発言した事実から、どのように瀬尾佳美さん自身が、事実と感情と想像をごっちゃにしているのか確認し、反面教師として考えていきたいと思います。
> 私は死刑廃止論者ではない。麻原なんかさっさと首絞めたらいいと思っている。だが、光市の事件に関しては死刑は重すぎるように思えてならない。犯人が少年だからだ。
> 国が死刑という形で犯す殺人には、熟慮が必要だと思うのである。最低でも永山基準くらいをラインにしてほしいものだ。永山事件の死者は4人。対してこの事件は1.5人だ(まったくの個人的意見だが赤ん坊はちょっとしたことですぐ死んでしまうので傷害致死の可能性は捨てきれないと思っている)。
> 20日の本村洋氏の意見陳述も、「死ね」という以外のメッセージは何もなく、同情はするが共感はしない。
> 差し戻した最高裁の判事の妻は、おそらく専業主婦で、TVばっかり見ていたため洗脳され、夫の仕事にも影響したのだろう
たとえば、この方は、赤ちゃんだから0.5人分として評価するといっています。
リスク評価における統計的評価手法を誤って表現しているのでしょうが、はっきりいって0.5人を殺すというような事象は現実には存在しません。殺したか殺していないか、さらに殺した場合、刑法的には意図的か過失か、があるだけです。離散的な事象をどうあつかうかについては、物理学でならったはずではないのでしょうか。
(さらに言えば、人間の命を、少数以下を含めた数字で扱うこと自体が正しいことなのかどうかを考えるべきでしょう。4人殺したかどうかを少年でも死刑にする、しないという議論ははたしてまともな議論でしょうか?今回は被告の精神がどれだけ未熟だったか、ある程度成熟していたとすればどの程度の悪意があったのか、を検討すべきで、焦点がぼやけないようにそれ以外の議論を持ち込むべきではないのではないでしょうか?)
人間の命は赤ちゃんだからといって関係ありません。人を殺したのか、殺してないかのどちらかでしかない話でしょう。赤ん坊はちょっとしたことですぐ死んでしまうかもしれないので、だからこそ、みんな大切にするんだと思います。
それから、最高裁の判事の妻は、おそらく専業主婦、と書かれていますが、これはちゃんとした調べに基づく証明された事実や推論される事実でもありません。もはや、妄想の領域です。最高裁判事になられるくらいですから、そのあたりの倫理観は当然持って叱るべきでしょう。この件に関して、最高裁判事として、名誉毀損で訴えればよろしかろうと思ってしまうくらいです。
それから本村さんは(憎しみに煮えくり返っているはずのなか)相当言葉を選んで発言されていましたよ。もちろん、怒りや憎しみが全く垣間見えなかったわけでもありませんが、それは遺族の立場からしかたないことです。さらに、もし、仮に直接的に「犯人に死んでほしい」、と発言されたとしても理解できます。そして、決して批判するようなことにはならないと思います。自分の恋人や子供、両親などを殺されれば、やはり相手も殺したくなるのが人間だと思います。
問題は、そのような被害者の気持ちと、犯人に対して適切な刑罰や社会への償い、更生の機会をどのように考えるかであると思います。遺族を感情的と批判しながら、著者自身が感情に流されていると思います。
あくまで感情を切り離して、精神的に未熟な少年・少女による犯罪をどのように考えるかについて、議論を展開されればよろしいと思います。少年・少女に死刑を科すべきではないというのは著者の考えであって、客観的事実でも、広く受け入れられている常識でもありません。ただし、社会としてこれからも深く考えていくべきものであります。
具体的事件を例に出してブログで自身の主張を展開されたことは、世の中の注目を集める目的が少なからずあったのでしょう。
ですがその論調は、被害者の感情を逆なでし、また、それに同情する人々をもあざけるようなもので、結局は自身が感情に流されているからと受け取れます。
本当に少年を死刑にしてよいのかどうか、さらに死刑にできるとするなら、その基準はどうあるべきかについて、もっと過去の事件を例に議論を展開されればよろいいと思います。
以上から、瀬尾佳美さんは事実と感情と想像をごっちゃにされていると結論づけされていただきます。
あとは皆さんが判断すればよろしかろうと思います。
それからリスク理論入門ですが、学者らしいタイトルをつけたかったのでしょうが、内容は学者のレベルではありません。タイトルに見合っていないということです。安全と便利のバランスは、リスク削減のコストは誰が負担すべきなのか、このあたりはリスク管理の専門家の間では常識のレベルであり、理論と呼べるようなたぐいのものではないと思います。
よって、この本のタイトルとしては、「ニュースにみるリスク管理の考え方」、くらいがちょうどよいレベルの本と思いました。
死刑判決が出て、初めて反省できる機会が彼に訪れた。
偏見の垂れ流し。しかも下品な。
死刑がどうこうの話ではなく加害者被害者双方に対する
刑を下したあとの社会的フォローのなさのほうがよっぽど考えるべき事。
罰を与えて、それで全てが終わったように関心も薄れる。
何も学ばない。そして新しい犯罪。それの繰り返し。
罰の与え方の問題ではないことに気付かない限りこの無意味な論争は
永久に続く。(まあ気付いてはいるけど答えが出ないってのが現実でしょうか。)
推測でものを言うなというが、あなたの方こそ加害者側に偏った(私にはそう見える)
推測に縛られている。
手紙の件も、死刑逃れのうそをつくという証拠を出せというなら、
うそをついてないという証拠を出せ。
それと、犯人の家庭環境について色々言ってますが、何らかの影響があったとすれば少年期の虐待による他者への思いやりの欠如。
これくらいでしょう。
母親との関係があったとしても、それは年上の女に対するエロイ感情を
植え付けられた。それだけの話。
男にとっては特に少年期のファースト・エロ・インパクトは想像以上に奥深いものです。
はい、推測ですが何か?少なくとも私は男で、男の性を基本に考えてますので、
あなたの推測よりは的を得てると思いますよ。
暴力的で、年上の女にエロイ欲情をたぎらせたガキの犯罪。
まあ言ってみりゃよくある話。(単純すぎる?でもあまり小難しく考えると
逆に本質を見失うのでね。)
確かに彼の生い立ちに同情はするが、同じ虐待を受けた経験者から言わせれば
それを言い訳にスンナ!って感じですね。それでも犯罪も犯さず真面目にやってる人はたくさんいる。
だからこそ結果の重大性に重きをおいた。それでいいと思います。
私は精神科医を信用してないわけではないが、あなたのように専門家の言ってる事をすぐ鵜呑みにするほど短絡的ではないのでね。
(ヒャー!こんなこと書いたらまたヒステリックにギャーギャー反論するんでしょうなあ。目に見えるようだ・・w)
それと、犯人を死刑にすべきでないというならどういう刑ならよかったのか、
どうやってこの男を立ち直らせるのか(国やカウンセラー任せじゃなく
具体例をあげなきゃダメ。)、
その責任は誰が取るのか、被害者側にはなんと言って説得するのか、
あわせて説明しないと、ただ重いだの軽いだの言ってても意味が無いと思います。
以上、私の偏見終り。w
あ それと、自分と意見が違うからというだけで垂れ流す有名人への馬鹿丸出しの中傷は、
みっともないから止めた方がいいですよ。
もっとも向こうはこんな無名の一般人のヒガミなど相手にしないでしょうが。
後は好きにギャーギャー言っちゃってください。
もう来ませんので見ることはないですが。
彼は判決後の手紙なら読むと言っていますよ。
減刑を目的としたであろう手紙は読みたくないと言っているのです。
死刑もやむをえないという人は被害者視点が多く
死刑は重すぎるという人は加害者視点が多いですね
本当に客観的な意見というのはほとんど出てこないと思います。
あなたも加害者視点ですがなぜですか?
加害者側の事情にはかなり詳しいのに被害者側の事情はさっぱり知らない。
| 確かに私には「刑務官」知り合いはおりません。
そうですね,裁判官も含めて,法務省の国家公務員に知り合いがいる人間の方が珍しいと思います.私は難関大学の出身で,それゆえ裁判官や検察官や弁護士にも「友人」がいます.若い頃は司法修習中の裁判官の卵と酒を飲んだこともあります.
| 「国家の殺人」と言うことに関しては私もシビアになりたいと思います。
| お気持ちは察しますが、だから死刑廃止と叫べますか??
| 犯罪遺族の前で叫べますか??
はい,私はこの問いにはイエスと答えます.なぜなら,犯罪は絶対になくならないし,被害者も遺族も絶対になくならないからです.ところが,人間の歴史の中で,その犯罪を「国家」は「殺人」=死刑という形で「処理してきた」ものの,nob さんが最後にお書きになられたように「犯罪被害者」は完全においてけぼりにされてしまっていたのです.
つまり,大切なのは「犯罪を犯した人間を再教育して社会へ戻す(殺してはいけない!)」ことと,「犯罪被害者へ社会が十分な償いを行い,犯罪者が頭を垂れて犯罪被害者へ赦しを乞う」ことができる社会を作ることなんです.私はクリスチャンですので,基本的に「性悪説」つまり人間はもともと罪を背負っているという考え方に立っています.反対に日本人の多くは柳田國男が追求したように「性善説」つまり人間には罪人はいない,罪人はこの世から消してしまえという目茶苦茶な論理に立っています.ところがこの後者の性善説では「犯罪被害者」を救うという論理はどこからも出ては来ません.恐らく,私と nob さんの考え方の違いはそこから発しているのではと思うのですけど,いかがでしょうか.
| 自慢するわけではございませんが私は厳密に言うと「前科あり」の人間です。
私も「前科」にはならずに釈放されてますが,何回か公安の刑事のお世話になりましたよ.留学の帰りには伊丹空港で手錠をかけられ,都島の拘置所で臭いメシも食いました.ただ,幸いなことに,祖父がもと警察官僚だったため,数日間公安の刑事や検察官を相手に知能ゲームと黙秘権を繰り返したあと,祖父の電話番号を渡したら,さすがに検察官は硬直(笑) その場で私は釈放となりました.祖父には何で帰国したんだと後で怒られましたけどね.そういう意味では nob さんと違って,国家の特権を利用して釈放となった訳ですから,こういうコネや知識がない人は簡単に冤罪へと持ち込まれるだろうなと考えたりもします.刑事や検察官は一生懸命に私を洗脳しようと努力されてましたけど,知能の差でこっちの勝ち(笑)
| ただ、私の文面にも言えることでございますが、この光市母子殺害事件と死刑廃止論を一緒に論ずるべきでは無いと私は考えます。
それが分かって頂ければ,私は nob さんと議論した価値があると思っています.nob さんと意見が一致して,私はとてもうれしいです.
| 死刑廃止だけを叫ばず、日本の刑罰のあり方全体を議論すべきです。
| 被告の人権も御座いますが、日本において被害者の権利があまりにも低いと思いませんか??
それは結局,日本国憲法が生かされていない,大日本帝国憲法の修正案に過ぎない,という現実にあると私は思います.ましてや,日本国憲法を改悪しようなど,論外な話ですよね.私たち国民はまず「権利」を主張するべきだと思いませんか? そもそも,大学入試の単語帳に「権利(を持つ)」enjoy a right 「権利(を行使する)」execute a right が載ってないことが異常なんです!
kaetzchenさんのお話にはとても感慨深いものがございました。
確かに私には「刑務官」知り合いはおりません。
死刑執行する刑務官の気持ちは私にはわからないでしょう。「国家の殺人」と言うことに関しては私も少しシビアに考えたいと思います。ただ、お気持ちは察しますが、だから死刑廃止と叫べますか??犯罪に遭われた遺族の前で叫べますか??
死刑執行する刑務官のストレスに関しては軽減の為に努力している国も御座います。(アメリカ等では薬物投与による「安楽死」の執行もあります)
>nob さんはご自分または家族が犯罪者扱いされた,しかも死刑囚扱いされたという仮定を考えたことが一度でもおありでしょうか.文面から見ると,どう考えてもそのような謙虚な気持ちは伝わってきません.
このくだりは私には理解できません。
なぜなら犯罪者家族の立場にはたっていますが被害者の立場にたった意見ではないからです。私も謙虚ではないかもしれませんがkaetzchenさんのこのくだりは謙虚とは理解できません。
自慢するわけではございませんが私は厳密に言うと「前科あり」の人間です。犯罪者がどう言う立場に立つか、被害者心情がどう言う物か肌で感じた人間です。
私の文面にも言えることでございますが、この光市母子殺害事件と死刑廃止論を一緒に論ずるべきでは無いと私は考えます。死刑廃止だけを叫ばず、日本の刑罰のあり方全体を議論すべきです。被告の人権も御座いますが、日本において被害者の権利があまりにも低いと思いませんか??
>のと様
>わからないから多様な見解を裁判で戦わせて裁判所の判断を仰ぐのが筋です。わからないから論ずるなというのは暴論です。
暴論かもしれませんが、では、頭部を強打したものが全て精神異常の可能性があると考えられますか??確かにこの件は裁判でどう判断されるかでしょう。
>”強姦する目的でMAさん抱きついたのではない。寂しくて。寂しくて。つい家の中に入れてもらったMさんに、優しくしてもらいたいという甘えの気持ちから、抱きついてしまった”
”抵抗されて、パニック状態に陥り、もうその後はもう無我夢中、何が何だかわからないまま結局、MAさんを姦淫してしまった”
と被告人は証言しています。
では何故最初からそう言う証言をしなかったのでしょう??
何故『作業服』を着ていたのでしょう??
この部分は被告の言葉をとてもまともには聞けませんし、被害者の立場にたったらまともに聞けません。
>死刑廃止で犯罪が増えたというデータはどこにあるのでしょうか?
国連の調査でも死刑制度の有無と犯罪数との因果関係は認められないと言っていますし、カナダでは死刑廃止後に凶悪犯罪の発生率が減っています。(死刑を廃止したから犯罪が減るわけではないでしょうけど、死刑制度の有無が凶悪犯罪の発生率に影響しないのは確かです)
では逆にお尋ねしますが、「死刑廃止で凶悪犯罪が減った」という根拠のデータはどこにあるのでしょう??
日本の犯罪率・犯罪認知件数は過去50年「増加」してます。他国に比べて抑制できていたと言われるのは凶悪犯罪も含まれますが刑法犯全般についてで、日本が犯罪抑止に成功しているとして海外から高く評価されていたのは死刑制度ではなく交番制度や「銃刀狩り」のことです。
http://www.jcps.or.jp/body/051_1402.html
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/1999/00182/contents/026.htm
http://ms-t.jp/Statistics/Data/Crimerate2.html#
しかも日本の犯罪率は「主要先進国に比べれば」相当に低いですがアジアの中ではそれほど低いというわけでもないようです。
また死刑廃止国の犯罪認知件数が減った時期が一時期あったようですが最近では増転しており、凶悪犯罪についてもとくに減ったということはなさそうです。減った根拠となる「データが無い」し、「減ってない・増えた」とするデータも無いので「どちらともいえない」が正解なのではないでしょうか。上記したように「死刑廃止だけを叫ばず、日本の刑罰のあり方全体を議論すべきです。」余談ですが北米・ヨーロッパの死刑廃止国は銃社会であり、凶悪犯への正当防衛も認められてる事をお忘れなく。
最後に私の私見ですが・・・
日本の刑罰が妥当かと言えば多分に疑問に思うこともあり、再び社会に戻った時に「再犯の危険があるのか無いのかをより重点的に審査する必要がある」と思います。性犯罪や猟奇的犯罪のように再犯率の異常に高い犯罪を犯した者は再び社会に戻らないようにすることこそが真の犯罪抑止という事ではないかということです。当然それには終身刑も含まれ、数の問題でも無ければ年齢の問題でも無いと考えます。刑罰における終身刑とはあくまで、この犯罪者を社会に戻した場合(戻す可能性を残した場合)何の罪もない新たな被害者(犠牲者)を予防することの方が重要だと思うからです。
*上記の終身刑は「死刑」と限ったものではありません。
現在の日本の刑罰のあり方全体を議論し、この「終身刑」が「死刑」が妥当なのか「死刑でない禁固刑」が妥当なのかを議論したらいいと思います。
ココでの私の投稿は最後にしたいと思います。
乱筆・乱文失礼致しました。
わからないから多様な見解を裁判で戦わせて裁判所の判断を仰ぐのが筋です。
わからないから論ずるなというのは暴論です。
>鑑定結果が正しいとすれば今回は被告人からすると「愛する母親」を絞め殺した事になるりませんか。
考え方が短絡的すぎます。
”強姦する目的でMAさん抱きついたのではない。寂しくて。寂しくて。つい家の中に入れてもらったMさんに、優しくしてもらいたいという甘えの気持ちから、抱きついてしまった”
”抵抗されて、パニック状態に陥り、もうその後はもう無我夢中、何が何だかわからないまま結局、MAさんを姦淫してしまった”
と被告人は証言しています。
>私も死刑廃止で犯罪が減れば大賛成です。
死刑廃止で犯罪が増えたというデータはどこにあるのでしょうか?
国連の調査でも死刑制度の有無と犯罪数との因果関係は認められないと言っていますし、
カナダでは死刑廃止後に凶悪犯罪の発生率が減っています。
(死刑を廃止したから犯罪が減るわけではないでしょうけど、死刑制度の有無が凶悪犯罪の発生率に影響しないのは確かです)
>禁固100年とか言う判決が無い日本での死刑以外の最高刑は無期懲役・・・15年もすれば出てこれる。
この制度も変えていかないと死刑だけを廃止しても意味が無いし、逆に犯罪を増幅・凶悪にしていく気がするのは私だけでしょうか。
制度を変えればいいと思います。
またそれまでの暫定措置として死刑執行の停止をするのもいいと思います。
確か韓国・台湾でも死刑執行は停止されてる状態だったと思いますし、世界中にそういう国はたくさんあります。
| 死刑にならないならどんな凶悪な犯罪も許されるのか・・・と言う事です。
というくだりには,私はどうしても納得が行きません.
前置きに色々ごたごた書かれていますけど,結局は死刑を正当化するための「装置」に過ぎません.
nob さんには「刑務官」のお知り合いがおられますか? 実は私にはいます.もちろん,既に定年を迎えられ,一人のクリスチャンとして熱心に死刑廃止運動をされています.
彼は国家公務員として採用された若い頃は,死刑は当然だと思っていたそうです.結婚し,子供が生まれて,もし子供が犯罪に巻き込まれたら……と思うと,余計に死刑はあって当然だという考え方に固執してしまったとのこと.
ところが,ある日,刑吏の実務を行えという辞令が出ました.彼はいよいよ死刑囚を死刑にできるという立場になったのです.その時です,死刑囚たちが素直に刑吏の言うことを聴いて,天国へ旅立っていった…….もちろん,こんなことは家族にも言えません.彼は一人でうつうつと悩み,同僚と大酒を飲む日々が続いたそうです.そして,気が付くと教会に足が向いていたのです.牧師は全てを悟り,国家による殺人はあなたの仕事であって,罪ではないと諭し,彼は大声を上げて泣いたそうです.
それ以来,彼は熱心なクリスチャンになり,家族も連れて来て,子供もキリスト教系の大学へ進学させました.ところが,ある日,上司に呼ばれ「君は耶蘇教に熱心なそうだね.日本では死刑は国家機密だ.自分の仕事のことを仲間に話すと,スパイ容疑をかけられるぞ」と脅されたのだそうです.その数ヶ月後,彼は刑吏の仕事から外され,定年まで事務職をしていたとのこと.
nob さんはご自分または家族が犯罪者扱いされた,しかも死刑囚扱いされたという仮定を考えたことが一度でもおありでしょうか.文面から見ると,どう考えてもそのような謙虚な気持ちは伝わってきません.私はもと刑吏の老人と出会えて,大変に幸せです.自分の中の「犯罪者」と向き合うことができたからです.そして「どんな凶悪な犯罪」とは何を意味するのか…….安倍氏が政権を投げ出したことも凶悪犯罪ではないでしょうか? つまり,私たちは安倍氏から国会議員としての職務を剥奪するべきです.これこそ,私たちが行うべき「死刑」なのではないでしょうか?
九州は福岡県在住のnobと申します。
blog拝見致しました。
稚拙では御座いますが、私なりの意見を述べさせて頂きます。
まず、「野田正彰氏」の「精神異常」に関するくだりですが・・・
藤井誠二のブログ
http://ameblo.jp/fujii-seiji/entry-10041255241.html(以下、引用)
司法精神鑑定について、こんな正論がある。
「精神鑑定とは、厳密に言えば、犯行時に精神病であったか否かを診断し、裁判官や検察官に心神喪失者か心神耗弱者か否かの判断の資料を提供するものである。決して「『動機や動機形成の過程』を解明したり、『心理状態などを調べる』ものではない」「『なぜこんな凶悪な事件が起こったのか』、低俗な物語作りに加わってはならない。精神鑑定はあくまでも、専門の精神科医によって、被告が犯行時に精神病であったか否かを判断するものでなければならない。それ以上でも、それ以下でもあってもならない」
精神科医の野田正彰(『世界』二〇〇〇年七月号)。
ところが、この文で精神鑑定の濫用、鑑定医の越権を厳しく戒めた野田が、光市母子殺害事件の弁護側精神鑑定では、自らその規戒を平然と破っているようにみえる。 野田鑑定にある「(被害者に)抱きついたときの被告人の意識は、被害者に義母を見て、その先に(被告人の自殺した)母親を見ている」という分析は、果たして「精神病か否かの診断」に当たるのだろうか。「(被告人の脳裡に)子どもを作ることのできる精子なら、女性を生き返らせることができるという、マンガで読んだ思考が浮かんできた。そこで、被告人は、ペニスを入れようとした」という被害者死姦の説明は「低俗な物語作り」への加担ではないのか。
と言う意見もあり、精神鑑定自体に私は疑問を持っている一人です。実際は精神科医にもよりけりで、朝青龍問題がとり立たされた時も精神科医が入れ替わり立ち代りで色々な診断を出した訳です。
現に、筑波大学名誉教授医学博士 小田晋教授は2007/9/16 放送のたかじんのそこまで言って委員会で野田鑑定を痛烈に批判しました。(残念ながらソース御座いません)
また
>1歳くらいの時に頭部を強打したのが原因で発生した脳器質的脆弱性の可能性もあるとのことだ。
との事ですが、その事が今回の凄惨な事件を生んだかどうかの事実関係は取れてないのではないでしょうか。実際、私も幼い頃バットで強打された事もありますし、頭を強打したことは数知れずあります。脳内シナプスの異常もあるかと思いますが、因果関係が分からない故に論ずるべきでは無いかと考えます。
>精神鑑定結果や家庭の事情などの背景を考慮すると、やはり、被告を死刑にするべきではないと思う
家庭の事情を考慮すると・・・とありますが、過程の何の事情を考慮するのでしょう。
被告人が虐待を受けていた事ですか?
幼児を虐待する・・・なら話は理解出来ます。
鑑定結果が正しいとすれば今回は被告人からすると「愛する母親」を絞め殺した事になるりませんか。
>この被告を死刑にするのが妥当であるという意見が大多数を占める世論
に関しては確かに頷ける部分も御座います。
この件で一番酷いのはネットでしょう。
特に2Chでは事実が歪曲され面白おかしく書き加えられているのも事実です。
しかし、現時点での事実とは最高裁が認めた事が事実であってこれが真実かどうか・・・と言うのが論点になってるように感じます。
これだけメディアが取り上げ、全国民が注目している裁判は無いでしょう。
どちらの判決が出ても法曹界を揺るがす判決になることは間違いないでしょう。
死刑判決⇒永山事件からの死刑適用引下げ
死刑回避⇒最高裁までもが認定した事実関係が崩れる(後出しじゃんけん理論)
纏めますと・・・
①野田正彰氏の精神鑑定を信用できるのか。
②最高裁までもが認定した事実関係が崩されるのか。
と言うことが判決の最大のPointだと思います。
私も死刑廃止で犯罪が減れば大賛成です。
ただ、死刑にならないならどんな凶悪な犯罪も許されるのか・・・と言う事です。
禁固100年とか言う判決が無い日本での死刑以外の最高刑は無期懲役・・・15年もすれば出てこれる。
この制度も変えていかないと死刑だけを廃止しても意味が無いし、逆に犯罪を増幅・凶悪にしていく気がするのは私だけでしょうか。
やはり、光市母子殺人事件は日本中の注目をあびているということでしょうか。一方的な虚偽報道や被告に死刑を叫ぶ世論に否定的な意見を述べているブログの数も増え、世論も変わっていることを確認でき、一安心といったところですが、被害者寄りの報道に洗脳されて、まだまだ被告に対して感情的な拒否反応を抱いている人が多いのが残念です。
匿名さん、
>息子に相姦関係をせまる母親もサイテーだと思います。
確かにそれも言えますね。
深沢明人さん、
>父親が被害者2人を殺したんですか?
風が吹けば桶屋が儲かる式に因果関係を無理矢理つないでいけば、ではその父親をそう育てたのは誰だったのか? さらにその人物をそう育てたのは誰だったのか……と、さかのぼっていくとキリがないですよね。
最終的には、国が悪い、社会が悪いということになってしまうのではないですか。
しかしそれでは、本人の責任というものは存在しないということになってしまいませんか?
その通りです。犯罪を犯した人の責任はその人一人だけの責任ではなく、その人に影響を与えた周りの人や社会の責任でもあります。ですから、個人の責任だけを問う「死刑制度」には反対なのです。
>美爾依さんはさんざん安倍晋三に誹謗中傷を加えてきましたが、安倍がそのような人間になったのも、安倍本人の責任ではない、周囲の人間がそうさせたにすぎないということになるのではないですか?
安倍晋三に関しては、誹謗中傷してきた覚えは全くありません。すべては事実を述べてきたまでです。これまでブログに書いてきたことが単なる誹謗中傷だったら、安倍晋三はこんな辞め方をすると思いますか?今回の辞任はもちろん安倍本人の責任が大きいと思いますが、もし、安倍が岸信介の孫ではなければ、これだけのバッシングは受けなかったでしょう。
>鑑定人の判断にはおそらくそれなりの根拠があるのでしょうし、それを検討もせずに否定するつもりはありませんが、ふだん報道に接している一般人の感覚としてはそのように思います。
ふだん偏った報道に接していると言い直したほうがいいかもしれませんね。一般人が専門知識のある精神鑑定人の判断を否定するには、それなりの根拠を示していただかないと単なるたわごとにしか聞こえませんよ。知人に出した手紙の内容のどの部分で「精神年齢が5、6歳程度とは到底言えない」と思われるのですか?
>あと、被告の手紙が何だというのですか。
死刑を回避できるとなれば、心にもないことをいくらでも述べ立てる者はいることでしょう。そんなものに何の意味があるでしょうか。
被告が手紙の中で、死刑を回避するために心にもないことを述べているという証拠でもあるのでしょうか。偏った推測を述べるだけでは、全く議論になりませんよ。その証拠を教えてください。
>本村さんは、裁判を傍聴し続け、被告人の反応を見続けてきています。それで十分ではないでしょう
か。
たった何時間という裁判での被告人の反応だけで被告人の心の中が全てがわかるというのですか?とても理解に苦しみます。
私は特にこの被告人を庇おうという気はありませんが、真実を知りたいだけです。これまでの報道ではあまりにも被告人に不利な内容ばかりが目立っていたので、公平に真実を伝えるべきだと訴えているのです。
friday_tomatoさん、
おっしゃられるとおりです。これまでの報道は集団ヒステリーを起こして被告人をリンチに導くようなものだったと思います。
匿名さん、
>最近強調される遺族の立場、遺族の人権とは被告に対して報復殺人を行うことではないと思います。
本当ですね。遺族の方の被告に対する憎しみは納得できますが、それを煽るようなマスコミのあり方はかなり問題だと思います。
>世界の主流が死刑廃止へと向う中、死刑大国化する日本。懸念を感じえません。
社会の中でも日本では何か失敗をするとその人だけを責める風潮がありますね。そういったことから無くしていかないと死刑廃止は難しいでしょう。
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http://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/K2007091800611.html
元少年「争うなら死刑と言われた」 光市母子殺害事件
2007年9月18日(火)23:38
山口県光市で99年に起きた母子殺害事件で、殺人、強姦(ごうかん)致死などの罪に問われた元少年(26)の差し戻し控訴審第8回公判が18日、広島高裁で開かれ、弁護側の被告人質問があった。元少年は、殺意や強姦目的を認めた供述調書に捜査段階で同意したことについて、検察官から「レイプ目的でないと言い張るなら死刑の公算が大きくなる」と言われたためと述べた。弁護人からも「検察の主張をのむことで情状面で無期懲役が維持される」と言われ、一、二審で争わなかったと語った。
元少年は弁護人が代わった最高裁から明確に殺意や強姦目的を否認している。この日は差し戻し審での4回目の被告人質問で、弁護側が供述の変遷について尋ねた。
元少年は、被告人質問で「(検察官に)生きて償いなさいと言われたのがうれしく、違和感があったが(調書に)サインした」「(一審の弁護人からは)一度サインしたら変えるのは難しいと言われた」とも語った。また、面会にきた父親に「死ね」と言われたことなどから、自分の主張が出来なかったとした。
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時事通信は同じ19日の記事でも以下のように本村氏有利の記事を書き連ねていますから,ネット上の意図的な情報操作には気をつけた方がよいと思いますよ.
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http://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-19X178.html
「罪の重さ、受け止めたい」=光市母子殺害で元少年-広島高裁
2007年9月19日(水)18:58
1999年4月に起きた山口県光市の母子殺害事件で、殺人などの罪に問われ、最高裁が1、2審の無期懲役判決を破棄した当時18歳少年の被告(26)の差し戻し控訴審第9回公判が19日、広島高裁(楢崎康英裁判長)で開かれ、午後も情状面の被告人質問が続いた。被告は「罪の重さを受け止める努力をしたい」と涙声で話した。
弁護側から更生の意思を問われ、被告は「いずれは(反省を)言葉にできるようになりたい。罪の重さを受け止められるよう、努力していきたいと思う」と答えた。
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この事件におけるマスコミ等の報道を見ていると、マスコミ等が遺族の報復心をあおり、報復だ、殺せの大合唱になっており全体主義的な危険を感じます。
「被告が反省しているとは思えない」被告が遺族に出した反省の手紙さえ読まずに何でそんなことが言えるのでしょうか。めちゃくちゃです。
また、最近強調される遺族の立場、遺族の人権とは被告に対して報復殺人を行うことではないと思います。
世界の主流が死刑廃止へと向う中、死刑大国化する日本。懸念を感じえません。
事実を冷静に、客観的に把握しなければなりません。
集団ヒステリーによるリンチを避けるためにも、
法律は作られているのですから。
父親が被害者2人を殺したんですか?
風が吹けば桶屋が儲かる式に因果関係を無理矢理つないでいけば、ではその父親をそう育てたのは誰だったのか? さらにその人物をそう育てたのは誰だったのか……と、さかのぼっていくとキリがないですよね。
最終的には、国が悪い、社会が悪いということになってしまうのではないですか。
しかしそれでは、本人の責任というものは存在しないということになってしまいませんか?
もしそうなら、美爾依さんはさんざん安倍晋三に誹謗中傷を加えてきましたが、安倍がそのような人間になったのも、安倍本人の責任ではない、周囲の人間がそうさせたにすぎないということになるのではないですか?
人間にはそれぞれ人格というものがあります。
同じ条件下に置かれた人間が、全員同じ行動をとるわけではありません。人間はロボットではありません。
この被告人の犯した罪の責任は、何はさておきまずは被告人本人にあると考えるべきです。
ついでに言うと、報道されている法廷での被告人の発言や、知人に出した手紙の内容などから察するに、精神年齢が5、6歳程度とは到底言えないと思います。鑑定人の判断にはおそらくそれなりの根拠があるのでしょうし、それを検討もせずに否定するつもりはありませんが、ふだん報道に接している一般人の感覚としてはそのように思います。
あと、被告の手紙が何だというのですか。
死刑を回避できるとなれば、心にもないことをいくらでも述べ立てる者はいることでしょう。そんなものに何の意味があるでしょうか。
本村さんは、裁判を傍聴し続け、被告人の反応を見続けてきています。それで十分ではないでしょうか。
ブログのアクセス解析を見直してみたら、数日前から「カナダde日本語」の光市母子殺人事件についての記事経由のアクセスが増えていて、累計で350件以上に達していたので、ブログの記事を一部書き換えました。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-454.html
「某有名ブログ」は例によって5桁アクセスを記録していましたが、元少年の死刑に疑問を投げかける意見も、ようやく少しずつ出てくるようになったと思います。
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光市母子殺人事件の裁判について(5) ~読者のコメントから~
犯人には一社会人として犯行に及ばぬという自由な選択肢があったにもかかわらず犯行に及んで母子を殺害したのであるから行為の結果に刑事責任をとるのは当然である。
冤罪の可能性がない強姦及び複数殺害犯に法を粛々と適用して、死刑相当はゆるがないであろう。すでに社会人である以上少年法の更生可能性への期待は棄却される。社会人には社会を守る義務と責任が生じているのである。
マスゴミの報道と警察検察の捜査が最初から少年事件の予断に満ちた極度に偏向した違法なものであったためにここまで社会が混乱させられたものである。実に日本の心証裁判の司法レベルの信じられないほどの低能さ愚劣さを露呈している。
司法の総入れ替えなど、解体的改革が急務である。