2012.03.11 (Sun)
東日本大震災と福島第一原発事故から1年を迎えて
そんなわけで、震災から1年を迎える今日を記念して、とても印象的だった動画を3つ紹介したいと思う。
最初は、原発作業員の動画。最近は、「Fukushima50」の人々について、誰も語らなくなったが、彼らがいたからこそ、大惨事中の大惨事を免れたのではないか。そして、大きな被害をくいとめるために、今も過酷な労働条件の下で働く作業員の方々には心から感謝したい。
福島原発の作業員、今も続く危険な任務
BBCがすばらしいドキュメンタリーを作ってくれた。福島の子供たちが何を考え、どのように生きているのか、そして将来は何を目指すのか。又、津波で子供を亡くされた親御さんの苦悩なども伝えるとても感動的な動画。
BBCドキュメンタリー「津波の子供たち」"Japan's children of the tsunami " 3.11
最後の動画は、とても美しい『Pray for Love』プロジェクトの東日本大震災復興応援ソング。
東日本大震災復興応援 『Pray for Love』プロジェクト【HD】
【More・・・】
『Pray for Love』プロジェクト"は東日本大震災復興応援のために立ち上げられた企画です。
音楽 Asu
映像監督 深瀬雄介
カメラマン 田宮長昭
BMI inc. 高杉敬二
映像について】
この映像は、大震災の概ね一ヶ月後の2011年4月に宮城県各所にて撮影されたものです。
3月11日の東日本大震災を目の当たりにし、何か行動したいという一念で支援物資や義援金を集めていた矢先に、偶然インターネットでAsuの楽曲「Pray for Love」と出会い、そのメッセージに強い共感を覚えました。
そしてこの曲をできるだけたくさんの人に届けたいという想いが生まれました。
彼とは周知の仲であった僕は連絡を取り、曲を映像化したいと申し出ました。
Asuの「撮影よりも現地に同行して物資などを届けたい」という気持ちを尊重して、主たる目的はボランティア活動、映像の撮影はその合間に行う事とし、趣旨に共感してくれたカメラマンと共に、僕とAsuは宮城県に入りました。
Asuの所属事務所の大先輩である故・本田美奈子.の意思を受け継ぎ設立された特定非営利活動法人リブ・フォー・ライフ美奈子基金を通し、仙台放送の方々に窓口になって頂き、被災地に支援物資を届けました。
また、実家が震災で被災してしまった宮城県出身のAsuのマネージャーが道案内を務めてくれました。
この映像のテーマは「現実を直視すること」であり、悲惨な「現実」も希望を感じる「現実」も余さず表現するよう努めました。
東京と宮城を何度か行き来しながら、強い生命力を表現できる「現実」を求めて、少しずつ撮影していきました。
Asuは全ての撮影の現場に同行し、立ち会いました。
その間に、蕾だった石巻市の日和が丘公園の桜は三分咲きになりました。
仙台市の若林区では、瓦礫の中一本だけ満開に咲く桜の木と出会いました。
名取市の閖上地区では、全て流されてしまった荒れ野に数輪だけ咲いている水仙の花を夜明けの光の中で見つけることができました。
そこには確かな現実としての「強い生命力」がありました。
この映像を音楽と共に公開することに批判的な意見もあるかもしれません。
しかし「Pray for Love」という曲のメッセージを伝えるための表現方法として最適と判断し、制作させて頂きました。ご理解頂けると幸いです。
映像監督 深瀬雄介
【楽曲について】
3月11日の東日本大震災。
震災直後は悲しいニュースばかりが流れ、あの日を境に時間(とき)が進むことを忘れてしまったかの様な、世界がその色を失ってしまったかの様な、そんな気持ちでいました。
地震発生から4ヶ月になります。
「今、自分に出来ること」を一人ひとりが見つけながら、各自節電節水を心掛け、ボランティア活動をしたり、義援金を寄付したりするさなか、今世の中が本当に求めているのは「音楽」ではないかもしれません。
こんなにも苦しい状況の中、音楽には寒さを凌ぐことも出来なければ、お腹を満たすことも出来ません。
だけど、こんな時だからこそ、悲しみに耐えている人々や希望を失って挫けそうになっている人の心の止まり木になれると信じています。
震災を通じて僕自身、沢山の人に勇気をもらい「生き続ける強さ」を教えられました。
「苦しい時こそ、僕たちはもっと生きなければいけない」と。
わずかな力にしかならないかもしれませんが、この曲を聴いてくれる誰かの心を少しでも励まし、ひとつでも多くの笑顔を取り戻せるように、皆さんにこの歌を送りたいと思います。
Asu(BMI inc.)

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このとおり、宮内省と人事院がユダ金の日本出先機関の中枢です。地位協定破棄と同時に宮内省と人事院を日本国統治機構から完全削除しなければなりません。その達成こそが日本の独立不羈を回復する、明治維新前夜の高杉晋作と同じ「回天」の大業となります。
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20120312k0000m040084000c.html
~福島県郡山市の開成山野球場で開かれた
「原発いらない! 3・11福島県民大集会」には、
全国から約1万6000人が集結した。
10代を代表し、県立あさか開成高2年、鈴木美穂さん(17)は
「原発がなければ、被害に遭った人を助けに行けました。
人の命も守れないのに、
電力とか経済とかいっている場合ではないはずです」と訴えた。~
~東京、大阪、札幌、福岡でも大規模な集会やデモ行進があった。~
~東京都千代田区の日比谷公園周辺では、
原発に反対する「3・11東京大行進」に約1万人が集まった。
親子連れらが「子供を守ろう」などと書いたプラカードを掲げ、
東京電力本店や経済産業省の前を行進。墨田区の石井啓子さん(61)は
「原発推進の流れを作ってしまったのは私たち団塊の世代。
若い人たちのために再稼働はおかしいと言い続けたい」。~
~全国最多の14基の原発が立地する福井県の敦賀市では、
集会に約1200人が参加し、元原発労働者ら約15人が
「原発のない未来に向かって進めていこう」などと訴えた。
被爆地・広島市では、市民ら約2000人が
「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・フクシマ、ノーモア・ヒバクシャ」と
声を上げて歩いた。~
長野県栄村、県北部地震から12日で1年 仮設の生鮮食料品が復興の象徴に(1/2ページ~2/2ページ)
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120311/ngn12031117090004-n1.htm
長野・栄村「復興元年」目指す 大地震から1年
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819490E2EAE2EB9B8DE2EBE2E1E0E2E3E09EE1E3E2E2E2;av=ALL
>>http://www.rekishikaido.gr.jp/time-trip/kaido/kdsakai.htm
<38> 真木嘉裕
なにわ歴史ルート
聖帝・仁徳天皇 民のかまどは賑いにけり
仁徳天皇の四年、天皇が難波高津宮から遠くをご覧になられて
「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」
と仰せられ「向こう三年、税を免ず」と詔(みことのり)されました。それからというものは、天皇は衣を新調されず、宮垣が崩れ、茅葦屋根が破れても修理も遊ばされず、星の光が破れた隙間から見えるという有様にも堪え忍び給いました。
三年がたって、天皇が高台に出られて、炊煙が盛んに立つのをご覧になり、かたわらの皇后に申されました。
「朕はすでに富んだ。嬉ばしいことだ」
「変なことを仰言いますね。宮垣が崩れ、屋根が破れているのに、どうして富んだ、といえるのですか」
「よく聞けよ。政事は民を本としなければならない。その民が富んでいるのだから、朕も富んだことになるのだ」
天皇は、ニッコリされて、こう申されました。
そのころ、諸国より
「宮殿は破れているのに、民は富み、道にものを置き忘れても拾っていく者もありません。もしこの時に、税を献じ、宮殿を修理させていただかないと、かえって天罰を蒙ります」
との申し出が頻頻とあるようになりました。
それでも、天皇は引き続きさらに三年間、税を献ずることをお聞き届けになりませんでした。六年の歳月がすぎ、やっと税を課し、宮殿の修理をお許しになりました。その時の民の有様を「日本書紀」は次のように生き生きと伝えている。
「民、うながされずして材を運び簣(こ)を負い、日夜をいとわず力を尽くして争い宮殿を作る。いまだ幾ばくを経ずして宮殿ことごとく成りぬ。故に今に聖帝(ひじりのみかど)と称し奉る。みかど崩御ののちは、和泉国の百舌鳥野のみささぎに葬し奉る」
1991年12月掲載
「今上陛下は天皇の歴史始まって以来至高の聖賢で仁徳なる天皇であられる。」
私は辺鄙な人の行かないところを訪れるのが好きで、有名観光地を避けて離島や田舎の寂れた村落をよく訪れるのですが、あちこちと行った先で由緒は古いが今は氏子も減って寂れた神社にお参りすると、今上陛下ご夫妻が皇太子時代に行幸なされたご事跡に数多く出会うのです。大きな神社ばかりでなくこんな辺鄙なところまで行幸なさられておられたことに驚くとともに、皇太子であられた時から敗戦でうちひしがれた全国津々浦々の国民のもとへお運びになって民の困苦を思いやりくださりお慰めいただき明日への希望をともにするお励ましいただく限りない仁徳を一日もたゆまずお示しくださったことを知って胸が熱くなり感涙をとどめ得ぬこともしばしばでした。敗戦占領下の天皇人間宣言と象徴天皇化の天皇家歴史始まって以来の困難な時代に天皇家跡取りとして天皇にも勝る無上の仁徳で全国の「国見」をなされたことで、わたしは今上陛下を天皇家歴史始まって以来の至高の聖賢で仁徳な天皇と申し上げました。
忘れてはならないのが今上皇后陛下を必ずお連れになったことです。初の民間人妃殿下ゆえ宮内庁役人から陰湿ないじめを受け続けておられた妃殿下を皇太子であられた今上陛下は必ず国見にお連れになられたのです。それが美智子妃殿下を必ず守るという強いご愛情の御発露であられたことは明らかです。
お父君のように東宮殿下も雅子妃殿下を宮内庁役人の妨害をはねつけて国内外のご公務にすべてご同伴なさる、天皇家跡取りとしての威厳ある強いご愛情を我々民草にお示しくださればそれが何よりも慶ばしいことです。
「地位協定破棄が憲法と今上陛下をアメリカの拘束から解き放つ」
もちろん敗戦占領下の天皇人間宣言と象徴天皇化はGHQが天皇の権威を地に堕としめるために行った占領統治政策であることは言うまでもありません。そして宮内庁はそのGHQ命令を確実に果たすために作られたGHQの手先省庁です。以来戦後67年間現在に至るまでずっと天皇家はGHQの手足となった宮内省役人の監視を受け続けているのです。昭和時代は皇太子殿下の明らかなご聖賢ご仁徳のおかげでGHQの目論見は完全に失敗しましたが、宮内省による天皇家監視のほうは途切れることはありませんでした。これは地位協定治外法権による日本占領が戦後ずっと続いているのと軌を一にしています。
つまりアメリカは地位協定治外法権で天皇家を厳重に監視する一方で日本国平和憲法を死文化しています。
地位協定を破棄すれば宮内省は不要になり解体されるでしょう。
>>http://www.rekishikaido.gr.jp/time-trip/kaido/kdsakai.htm
<38> 真木嘉裕
なにわ歴史ルート
聖帝・仁徳天皇 民のかまどは賑いにけり
仁徳天皇の四年、天皇が難波高津宮から遠くをご覧になられて
「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」
と仰せられ「向こう三年、税を免ず」と詔(みことのり)されました。それからというものは、天皇は衣を新調されず、宮垣が崩れ、茅葦屋根が破れても修理も遊ばされず、星の光が破れた隙間から見えるという有様にも堪え忍び給いました。
三年がたって、天皇が高台に出られて、炊煙が盛んに立つのをご覧になり、かたわらの皇后に申されました。
「朕はすでに富んだ。嬉ばしいことだ」
「変なことを仰言いますね。宮垣が崩れ、屋根が破れているのに、どうして富んだ、といえるのですか」
「よく聞けよ。政事は民を本としなければならない。その民が富んでいるのだから、朕も富んだことになるのだ」
天皇は、ニッコリされて、こう申されました。
そのころ、諸国より
「宮殿は破れているのに、民は富み、道にものを置き忘れても拾っていく者もありません。もしこの時に、税を献じ、宮殿を修理させていただかないと、かえって天罰を蒙ります」
との申し出が頻頻とあるようになりました。
それでも、天皇は引き続きさらに三年間、税を献ずることをお聞き届けになりませんでした。六年の歳月がすぎ、やっと税を課し、宮殿の修理をお許しになりました。その時の民の有様を「日本書紀」は次のように生き生きと伝えている。
「民、うながされずして材を運び簣(こ)を負い、日夜をいとわず力を尽くして争いを作る。いまだ幾ばくを経ずして宮殿ことごとく成りぬ。故に今に聖帝(ひじりのみかど)と称し奉る。みかど崩御ののちは、和泉国の百舌鳥野のみささぎに葬し奉る」
1991年12月掲載
そして福一の冷却停止の報を聞き菅無免許犯罪政府の無能から24時間以内の爆発は避けられないと覚悟して周辺の親戚知人に緊急避難するよう伝えようとつながらぬ電話にかじりついていた。
菅内閣東電保安院霞ヶ関全省庁記者クラブマスゴミを、この未曾有の国難大災害に際して米軍が命じるままに国家の危機管理を放棄して国民に対して棄民テロを実行した共謀共同正犯として告発する。
天知る地知る我知る汝知る。
日本国憲法の主権者国民の名において日本国籍棄民テロリスト集団を断固として許さぬことを天地神明に誓う。
いろんな意味を込めて
祈る他にないと思います^^
決して、風化させてはいけないですよね^^
そして福一の冷却停止の報を聞き菅無免許犯罪政府の無能から24時間以内の爆発は避けられないと覚悟して周辺の親戚知人に緊急避難するよう伝えようとつながらぬ電話にかじりついていた。
菅内閣東電保安院霞ヶ関全省庁記者クラブマスゴミをこの未曾有の国難大災害に国家の危機管理を放棄して棄民テロを実行した共謀共同正犯として告発する。日本国憲法の主権者国民の名において棄民テロリスト集団を断固として許さぬことを天地神明に誓う。
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古舘伊知郎報道SPエンディングで覚悟のコメント「報道STの中で、それ(原発)を追及していきます。 もし圧力がかかって、番組が切られても、私はそれはそれで本望です。」
「やはり、強制になるということではないことが望ましいですね」
(平成16年10月28日の園遊会で、米長邦雄(当時東京都教育委員会委員)が「日本中の学校にですね、国旗を挙げて、国歌を斉唱させるというのが、私の仕事でございます」と言った際の今上天皇のお言葉)
>誰も通らない裏道さま「2012/03/13君が代斉唱を強制する不敬な人びと」から
>>http://fusenmei.cocolog-nifty.com/top/2012/03/post-04af.html