2012.02.01 (Wed)
川内村住民「国・東電信じられない」と「帰村宣言」で
確かに下の地図を見ても、川内村は、福島第一原発から半径20キロ圏内にあるにもかかわらず、放射線量はその周辺地域に比べて低いようだ。

図:『阿武隈(原発30km圏内生活)裏日記』より
しかし、今年は大雪で除染も思うように進んでいない上、除染で取り除かれた汚染土壌が、青いビニールシートに入れられたまま小学校のすぐ近くの土地に山積みとなっている。雪のために借り置き場への道路の整備が進まないためだそうだが、おそらく、その周辺の放射線量はかなり高いだろう。
そもそも除染効果には限界がある上、このように放射能汚染された土壌を学校のすぐ近くに放置しておいたら何のための除染だったのかと思ってしまう。
いくら、放射線量が比較的低いと言っても、やはり、福島第一原発から半径20キロ圏内の場所に人々が安心して暮らせるとは思えない。風向きによって、一時的に、放射線量が上がる場合があるだろうし、又、次に震度4以上の大きな地震が来て、福島第一原発の4号機などが倒壊したら、又避難を余儀なくされる。福島の人たちは政府や東電の収束宣言など全く信じていないのだ。
川内村への企業誘致も薦められているそうだが、雇用されるのは50人程度。3.11前は3000人以上いた村民もいまでは、その7%の約210人しか残っていないとされている。そのうち、主婦と子供やお年寄りを除けば、労働力は50人程度となる。そうなると、現在川内村に残っている人が雇用されても、現在避難している93%の人は、帰還しても職が無い状態となる。これでは、帰村する動機を高めることにはならないだろう。
さらに、川内村からの避難者には、原発事故による避難者には、精神的損害に対する原子力損害賠償金として東京電力から1人当たり月10万円が支払われているが、避難先から村に戻れば受け取れなくなるという。この辺も村に帰れない大きな原因となっている。
除染もろくにされず、職もなく、賠償金も支払われないとしたら、川内村に帰るよりも、新しい土地に慣れ、そこで新しい職を探したほうがいいと誰もが思うだろう。もちろん、みんな故郷に帰りたいという気持ちは強いだろうが、健康を害してまでも戻りたいとは思わないし、村の女性が言っていたように、たとえ村がなくなってしまっても、原発の恐ろしさを後世に伝える記録としてなら意味があると考えるに違いない。
事故後初、福島・川内村が「帰村宣言」
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参考記事:福島・川内村 帰村宣言 避難者ら思い複雑
asahi.com 2012年02月01日
■暮らせぬ ■安全面確かではない
東京電力福島第一原発事故で全村避難を決めた福島県川内村が31日、役場ごと避難した県内自治体では初めて時期を明示して「帰村宣言」した。村によると少なくとも7人の住民が今も道内で暮らしている。役場や学校が再び村で動き出すのは4月1日。村再生に向けた呼びかけを、被災者たちはどう受け止めたのか。
■福島・川内村 道内避難者ら
「私は帰らない。暮らしていけないから」。調理師の安國節子さん(70)が、故郷の深川市に移り住んで10カ月が過ぎた。市内の農家に生まれ、23歳で結婚してから道内や関東で暮らした。老後は「田舎で気ままに過ごしたい」と11年前、退職金や貯金で小さな家を川内村に買った。その「ついのすみか」を、原発事故で追われた。
今回の帰村宣言を「あまりにも早い」と受け止める。除染するといっても、汚染土の一時保管は放射能の場所を移すだけではないのか。生活するにも、村には医療も職場も整っていないのでは。そんな不安が頭から離れない。
「企業を誘致して働く場をつくるとする村長は、このままでは避難先の便利さに慣れて村民が帰ってこなくなり、村はなくなると危機感を持っているようだ。それは生身の人間のことを考えない村の言い分」と安國さんはいう。
チェルノブイリ原発事故では住民が強制移住となり、多くの村が廃村となった。「川内村に戻りたい。しかし、たとえ村がなくなってしまっても、原発の恐ろしさを後世に伝える記録としてなら意味があると思う」。安國さんは、そう考えている。
村の自宅の周囲には、フキ、ウド、コゴミなどの山菜を植えてきた。年を重ね、思うように買い物に出歩けないようになったらと、準備したものだ。「ようやく収穫できるようになってきたのに」。悔しさが募る。
村から娘が住む道内に避難した女性(73)は、帰村宣言に戸惑いながらも「すぐに帰るつもりはない」。老後は田舎で暮らそうと、2000年に関東から川内村に移った。村の自然の美しさを今も思い出す。「いつ帰ってくるの?」。村の友人から、そんな連絡も入る。
「だけど、安全面も確かではない。不安もあるし、今日の帰村宣言は、気持ち的に納得していない」。夫(72)と話し合うつもりだが、きっと自分と同じ気持ちだと思っている。
道内には、川内村以外からも福島県から数多くの人たちが避難してきた。川内村と同じ双葉郡にある自治体から札幌市に避難して来た主婦も、福島の自宅に戻れる日を待ち望んでいる。気になるのは子どものことだ。「除染されたと言っても、子どもの体のことを考えると心配」
原発事故後、マスクを2枚重ねてつけたり、帽子をかぶったりと神経をとがらせた。「福島に帰っても、本当に町が機能するのだろうか」。地元に対する不安はぬぐい去れない。
(本田雅和、上山浩也)
川内村「帰村宣言」 村民「国・東電信じられない」
河北新報社 2012年02月01日水曜日
福島第1原発事故で役場機能を移転した福島県内の9町村で初めて、川内村が「帰村宣言」を出した。緊急時避難準備区域の指定が昨年9月末に解除され、大半の村民が帰れる状況になったが、現在住んでいるのは村人口の7%。地域崩壊を警戒する村は早期帰還を呼び掛けるものの、賠償問題や放射線への不安、産業復興などを乗り越えなければならない。
川内村では電気、ガス、水道、ごみ処理などのインフラは復旧済み。村中心部の空間放射線量は毎時0.1マイクロシーベルトで、福島市や郡山市の数分の1程度と低く、他市町村より帰還への環境は整っている。
しかし、村民の帰還は進まない。村人口約3000人のうち現在、村内に住むのは約200人。昨年9月の時点では約220人で、緊急時避難準備区域の指定が解除され、帰還が促されたにもかかわらず、減少した。
帰還に踏み切れない大きな原因として村民が指摘するのは、皮肉にも、避難者の生活を守るための原子力損害賠償の存在。
原発事故による避難者には、精神的損害に対する賠償として東京電力から1人当たり月10万円が支払われているが、避難先から村に戻れば受け取れなくなるからだ。
「村民の約7割が郡山市に避難している。お金をもらって都会で暮らせるうちは、田舎の村には戻ってこない」と村民の一人は賠償制度の在り方を疑問視する。
村内の線量は比較的低いが、放射線への恐怖感は全村避難を経験した村民に刻み込まれた。村中心部から第1原発への距離は20キロちょっと。村東部は今も警戒区域だ。
事故対策が後手後手になった国や東電への不信感は強い。「国の事故収束宣言は誰も信じていない。(建屋が壊れ)むき出しの3号機や4号機が大きな余震で崩れたらまた避難だ」と別の村民は話す。
村はコメの作付け制限を今年も継続する方針を示し、「コメを作れないのでは帰っても仕方がない」と農家には落胆が広がっている。
「景気がいいのは除染ビジネスだけ。村民が戻ってこないので商店は大変だ。村の産業構造がいびつになりかねない」と村商工会は危機感を強める。
福島・川内、村長が帰村宣言…役場など4月再開
(2012年2月1日03時03分 読売新聞)
東京電力福島第一原発事故で役場や住民のほとんどが避難した福島県川内村の遠藤雄幸村長は31日、「帰村宣言」を行った。
村役場や学校、診療所などを4月から村内で再開させ、除染を進めることで住民の帰還を促そうというもので、遠藤村長は「2、3年かけて戻ってもらえれば」と見通しを語った。同事故で役場機能を移した9町村の中で、元の場所に役場が戻るのは川内村が初めて。
村は今月から、帰還についての村民の意向調査や村民との座談会を行う。帰還世帯には線量計を配る。3月24、25日に役場の引っ越しを行い、4月から再開する。現在、役場機能があり、仮設住宅などで多くの村民が暮らす同県郡山市には4月以降も窓口機能を残す。
村は現在、警戒区域と旧緊急時避難準備区域に分かれている。当初は今年度内に警戒区域以外の除染を進め、村内の被曝線量を年間1ミリ・シーベルト以内として帰村宣言をする計画だった。しかし、除染は大雪などの影響で遅れ、3月までに除染できるのは公共施設や子供のいる住宅などに限られる見通し。村内の被曝線量は住宅地の多くの場所で毎時1マイクロ・シーベルト未満に下がっているというが、この日の宣言では「戻れる人は戻る。心配な人はもう少し様子を見てから戻る」との考え方が示された。
福島 川内村長が「帰村宣言」
NHK 1月31日 17時34分
東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響で、住民の9割以上が村の外に避難している福島県川内村の遠藤村長は、ことし4月に役場や学校を元の場所で再開するとしたスケジュールを公表し、住民に村に戻るよう呼びかける『帰村宣言』を行いました。原発事故で役場ごと避難している福島県内の9つの自治体で、役場を元の場所に戻すのは川内村が初めてです。
福島県川内村は、原発事故の影響で村全体が立ち入りが禁止される警戒区域と原発の異常に備えて避難の準備を行う緊急時避難準備区域に指定され、およそ3000人の住民全員が村からの避難を余儀なくされました。緊急時避難準備区域の指定は去年9月に解除されましたが、村には人口のおよそ7%に当たる200人余りしか戻っていません。こうしたなか、川内村の遠藤雄幸村長は、福島県の佐藤知事を訪ね、住民が村に戻るための環境作りを始めるため、4月から役場や学校を元の場所で再開することを伝えました。そのうえで、遠藤村長は、「これからのほうが課題が多い。今後も、住民が元の生活に戻れるように援助してほしい」と除染作業やインフラの復旧などで支援を継続するよう求めました。これに対して、佐藤知事は、「帰村宣言については、避難している人みんなが良かったと思っていると思います」とねぎらい、引き続き支援することを約束しました。遠藤村長は、このあとの記者会見で、「『帰村宣言』をし、戻れる人は戻る、心配な人はもう少し様子を見てから戻るという方針を示したもので、スタートラインです。将来的には住民全員が戻れるように環境を整えたい」と述べました。原発事故の影響で役場ごと避難している福島県内の9つの自治体で、役場を元の場所に戻すのは川内村が初めてです。藤村官房長官は、午後の記者会見で、「去年9月末に緊急時避難準備区域が解除されたあと、川内村は、行政機能やインフラなど、生活環境の復旧に向けた取り組みや、学校などの除染を進めてきたと聞いている。帰村宣言は、住民のふるさと帰還に向けた重要な第一歩と認識しており、政府としても、住民の不安がないように、除染を進めるなどして、村の取り組みを積極的に支援していきたい」と述べました。
「帰村宣言」について、郡山市の仮設住宅に避難している川内村の住民に話を聞きました。74歳の男性は、「医療機関や店が再開すれば村に戻りたいと思いますが、今はまだ生活できる環境が整っていないので帰れません」と話していました。また、53歳の女性は、「失業給付で生活しているので、それが切れたら職に就こうと思います。ただ、村では働き口を探すのが難しいので、しばらくこちらに残ろうと考えています」と話していました。一方、別の54歳の女性は、「不安や心配も感じますが、村に戻りたい気持ちもあるので、自分の家に帰ろうと思います」と話していました。90歳の男性は、「先祖代々受け継いできた土地にやっぱり帰りたいので、村の方針に従って村に戻り、庭の手入れをしたり花を育てたりしたいです」と話していました。
川内村は、「帰村宣言」で、ことし4月から村内の保育所と小学校、中学校の合わせて3か所を元の場所で再開することを決めましたが、去年12月に、保護者を対象に村が行ったアンケートでは、17%しか元の学校に戻さないと回答しています。アンケートは、210人の児童・生徒の保護者を対象に行われ、これまでに回答があった169人のうち、4月から元の保育所や学校に通学させたいと回答したのは30人と全体の17%にとどまりました。その理由について、保護者の間からは除染が進んでいないことが挙げられています。村は、当初、村内の保育所と小学校、中学校の3か所の教育施設や医療施設、それに警戒区域を除くおよそ2800棟の住宅のほとんどについて、3月までに除染を終えたいとしていました。しかし、例年に比べて雪が多く降り、除染が大幅に遅れていて、除染自体が始まっているのは、保育所と小学校、中学校の3か所だけで、住宅や通学路の除染は始まっていません。このため、3月いっぱいで、保育所と小学校、中学校の3か所だけでも除染を終わらせ、放射線量が比較的高い地域で、子どもがいる家庭の住宅を優先的に除染する方針に転換することになりました。しかし、いつまでに住宅や通学路の除染が終わるのか見通しは立っていません。また、村内には、個人商店を含む95の事業所がありましたが、地元の商工会によりますと、再開しているのはおよそ3割にあたる35の事業所にとどまっているということです。再開しているのも、多くが個人商店や小規模の事業所で、村での雇用の場は確保できていない状況で、4月以降も再開する事業所が増えるかは不透明な状況です。このほか、原発事故以前は原発関連で働いていた住民が仕事を失いました。村では新たな雇用を生み出そうと、企業を誘致する取り組みを進めていますが、どの程度、受け皿になるのか見通しは立っていません。

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