2012.01.25 (Wed)
施政方針演説でシロアリ退治どころか肥えさせることを約束したメタボどじょう
米『ウォール・ストリート・ジャーナル』に日本は輸出大国としてはすでに終わってしまったという衝撃的な記事が載っていたが、ユニクロのように、時代の流れに沿って、新しい展開を進めていく企業は生き残れるに違いない。
しかし、そのような企業でも、増税となると、国内での売り上げが伸び悩み、閉店が相次ぎ、そのうち、海外店のみを維持するということになる可能性もある。
今日は、オバマ米大統領がこれまでの成果とこれからの政策を述べる一般教書演説を行って、富裕層の税負担拡大を求めたほか、金融機関への批判を強めた。一方のメタボどじょうも、国会で、第百八十回施政方針演説をしたが、オバマとは正反対に弱いものいじめの政治をこれから続けることを宣言した。
私はこれまで、これほど白々しい演説を聴いたことがない。とにかく、わざとあいまいな言葉を使って国民のための政策を実行していくようなことを言っているが、その行間を読むとまさに言っていることと正反対の意味が読み取れるのだ。
たとえば、福島弁まで駆使して、まるで福島の復興を願っているかのごとくの口ぶりだったが、実際は、除染利権で、原子力村や官僚、政治家に利権をむさぼらせるだけで終わるのだ。福島の人たちは、被曝が怖くて福島なんかに戻りたいと思っている人はほとんどいないだろう。
82%以上もの日本国民が被曝を恐れて原発反対を訴えているにもかかわらず、原発をやめるという宣言は一切なし。そのかわり、「化石燃料が高騰する中で、足元の電力需給のひっ迫を回避しながら、温室効果ガスの排出を削減し、中長期的に原子力への依存度を最大限に低減させる、という極めて複雑な方程式を解いていかなければなりません。」など、あやふやな表現で国民にわかりやすく説明することを避けている。
中長期的、依存度を最大限に低減させるなど、国民を騙すような言葉を使わないで、「短期的だけど、一応できる限り、原子力に頼ろうという気持ちをなくしたいけど、無理だろうね。」とはっきりと言えばいいのだ。メタボどじょうは、「これからもしっかり原子力発電を維持するどじょ~。ブヒ!」と暗に伝えているのだ。
独立行政法人改革で、法人数をまずは四割弱減らすなどしても、復興庁やら原子力の安全規制を司る組織を新設すれば、独立行政法人からの天下りや渡りに職を与えるだけだろう。
マニフェストでは、国家公務員と地方公務員の給与を2割削減することになっていたが、国家公務員だけの給与をたったの8%削減するつもりだって?その法案もまだ先送りされているだけで決まっていないようなのだ。それでいて、増税はしっかりとするつもりのようだ。
もしここで、増税したら、国内の流通は滞り、日本の経済は破綻してしまう。天下りの廃絶をしないばかりか、不必要な庁を増やしてコレまで以上に税金を食いつくし、国家公務員と地方公務員の給与もほとんど削減せず。それなのに、国民の負担となる増税だけはしっかりやろうっていうんだから、シロアリを退治するどころか、ますます肥えさせるだけだ。このままじゃ、まず日本の再生はないだろう。
政治から日本を変えていかねばならない。
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日本の輸出大国時代の終わりウォール・ストリート・ジャーナル 2012年 1月 24日 21:30 JST
【東京】世界で最大規模の輸出国家のひとつが勢いを失っている。
数十年にわたり、日本は製造業の力と輸出に主眼を置いた貿易政策によって、世界中の市場に自動車や家電、セミコンダクターなどの雨を降らせてきた。
だが、その時代も終わった。
日本政府は25日、1980年以来初めてとなる貿易赤字(通年ベース)を発表すると予想されている。仮に円高が続き、世界経済も弱いままであれば、日本は向こう数年間、貿易赤字を抱えることになるとエコノミストらは警告している。
この驚くべき変化は、工場を破損させ、サプライチェーンを寸断し、この国の原子力発電所の多くを待機状態にした、昨年3月の地震と津波によって一部もたらされた。しかし、輸出大国日本が年金生活者の国へとゆっくり変化していくなかで、企業の競争力低下のような、長年にわたり水面下で進行してきた傾向を、地震はただ速めただけのようだ。
生産部門を海外へ移す日本企業は増え続けている。森精機製作所の森雅彦社長は「転換期ですね」と言う。同社は今年、1948年の創業以来、海外初となる工場を米カリフォルニア州デイビスに開く。5年以内に同社が製造する機械の40%程度を海外で生産したい意向だ。
かつて日本は世界中の国を自分たちの勢いに従わせていたが、今、この島国は自身のコントロールが及ばない強い国際圧力によって大きく影響を受けている。中国やブラジルといった新興国の急激な成長が、カメラや携帯電話、また自動車などの製造に必要な石油・ガスからレアアースなど輸入品すべての価格を吊り上げてきた。森氏によると、レアアースの価格高騰が森精機で必要なモーターに使われている磁石のコストを2倍にしたという。
日本の国内製造業の沈滞は貿易統計に反映されている。2011年1月から11月までの貿易赤字は2兆3000億円となった。2010年は通年で6兆6000億円の黒字だった。アナリストらは11月までの赤字を相殺するほど大きな黒字が12月の統計に計上されるのは不可能だとしている。
「大きなトレンドとしてこのままでは貿易赤字になっていく傾向にあることを否定はしない」と、枝野幸男経産相はウォール・ストリート・ジャーナルとのインタビューで述べた。
日銀出身でクレディ・スイス証券のチーフ・エコノミストを務める白川浩道氏は、日本が昨年同様、今年も貿易赤字を記録すると予想している。同氏によると、円が対ドルで歴史的な高値水準を維持し、エネルギー価格が高く、外需が比較的弱い限り、黒字に戻る可能性はほとんどないという。
こうしたなか、日銀は24日、2011年度の実質国内総生産(GDP)伸び率の予想を従来の前年度比プラス0.3%からマイナス0.4%に下方修正した。日銀は、海外経済の減速や円高が引き続き景気の重しになっているとしている。
これは日本にとって不吉な展開だ。仮に貿易赤字が続けば、日本は安定した債権国から純債務国に転じる可能性がある。日本は、経済規模に対する比率で比べると、すでにイタリアよりも大きな債務負担を抱えており、将来、債務問題が一段と深刻化しかねない。円は現在、天空をつくような高水準にあるが、日本が貿易赤字を続ければ、やがて円も下落する。弱い円は日本の製造業を下支えするものの、輸入への依存度を高めつつある経済に打撃を与えることになる。
第二次大戦後の数十年間、日本は輸出主導の成長路線を維持し、この国のリーダーたちが「日本の奇跡」と呼ぶ驚くべき富の創造を達成した。1981年には日本車が米国市場を席巻し、米国政府は日本の自動車メーカーに対し、「自発的に」輸出を制限するよう圧力をかけ始めた。その直後、米国は日本が世界市場で半導体をダンピング(不当廉売)していると非難した。
日本の輸出攻勢を抑え込むための国際な取り組みの一環として、米国と欧州主要国および日本は1985年にプラザ合意を結んだ。これは、合意がなされたニューヨーク市内のプラザホテルから名づけられたものだが、主要通貨に対する円の価値を高め、世界市場で日本製品の価格競争力を抑えようとするものだった。この合意を受けて、1985年に1ドル239円だった円は、88年には1ドル128円にまで上昇した。
しかし、巨大な日本の貿易黒字を縮小させるという期待された効果を得ることはできなかった。日本の金融当局が経済への影響を軽減しようと、安い資金を市場にあふれさせたためだ。結果、資産バブルが日本経済と金融市場に大きなひずみを生じさせ、その崩壊が20年に及ぶスタグネーションの土台を作った。米国は中国の人民元に対して同様の圧力をかけているが、中国側は、プラザ合意のトラウマが、米国の圧力に応じることを躊躇させる大きな理由であると指摘している。
ここ数年、日本の製造業は中国や韓国といったライバルたちに後れをとっている。これらの国の製品は、日本製品と同様の品質だが、より低コストで作られている。デロイト・トウシュ・トーマツと米国競争力委員会によって2010年に実施された、世界の製造企業トップらを対象にした調査では、向こう数年間、日本は高齢化と国内生産のコスト高により、製造業の競争力において、引き続き新興国や米国の後塵を拝することになると予想されている。
海外での競争激化は、トヨタ自動車やソニーといった日本の巨大メーカーが海外で生産する商品の価格に下げ圧力をかける一方、円高が利益の補てんをさらに困難にしている。
日本の原子力発電を事実上ストップさせることになった福島第1原子力発電所の事故も、エネルギーコストを押し上げている。
福島原発を運営する東京電力は先週、大口契約の法人を対象に平均17%、電気料金を引き上げると発表した。世論が停止中の原発の再稼働に反対するなか、高コストの石油への依存度が高まっていることを理由に挙げている。電気料金の値上げは1980年以来のことだ。
ほかの電力会社も原発再稼働は難しいとみている。日本政府は、1年前には日本の電力供給の約30%をまかなっていた原子力発電所が、電力需要の多い夏にすべて停止すると警告し、強制的な供給管理か計画停電の実施を示唆している。製造業者はこれに備えて、準備をしている最中だ。たとえば森精機は西日本の工場で節電対策を準備中だ。
災害は、長年の間に起ってきた日本経済の変化を速めただけにすぎないと指摘する向きもある。「これは成熟化の過程」だと日本貿易振興機構の石毛博行理事長は述べた。石毛理事長は1951年に輸出を振興するために同機構は設立されたが、やがて日本への投資を奨励し、また海外への移管を希望する中小企業のカウンセリング業務を担うように変化していったという。
日本は依然として、自動車から内視鏡まで世界市場の大きなシェアを握る安定した企業を持つ豊かな国だ。日本の輸出を縮小させている要因のいくつかは一時的なものである。たとえば欧米経済の低迷による需要減や、ドルやユーロに対する歴史的な円高などだ。円が弱くなれば、日本の製造業にとって有利に働くだろう。
また、財務省によると、外貨準備と米国債のような対外投資を合わせると、日本は251兆円の対外純資産を持つ。これは世界最大規模だ。
「トレンドとして貿易収支が赤字になるのは確実。でも、経常収支が黒字を保っていれば問題ない。経済が成熟してくるにつれてそうなるのは(貿易赤字になるのは)当然」と、元財務省官僚の榊原英資氏は述べた。経常収支はその国の貯蓄と投資の差を表し、財・サービスの取引や投資収益などの収支を示す。経常収支が赤字であれば、国内の投資が外資によって賄われているということだ。
人口が高齢化し、長期にわたる景気の低迷が、好景気のときに倹約家の日本人が貯めてきた多額の現金を減らしつつあるなかで、日本の貿易収支に構造的な弱体化が起こってきた。これは将来、日本が遅かれ早かれ、約1000兆円の債務返済に問題を抱えることになるとの不安をかきたてる。
森精機では、いくつかの不可抗力が輸出を押し下げ、輸入を増やしているという。トヨタ本社近くに工場を構える同社は、自動車から航空機まであらゆる製品の製造に必要な旋盤やフライス盤などを作っている。同社は日本製の部品を使い、依然として製品の98%を日本で生産している。
昨年の地震と津波で東北地方の工場が被災したため、いくつかの部品が手に入りにくくなり、国内の供給に頼っていたビジネスが裏目に出てしまった。
さらに悪いことには、森精機は約15億ドルある売り上げの65%を海外で得ているが、円高で大きな打撃を受けた。
森社長は、1ドル80円を超える円高なら(現在のレートは約77円)、米国向け製品は米国で製造したほうが安上がりだという。昨年、森社長はカリフォルニア州に工場を建てることを決めた。最終的には、製品の約20%を米国で、ほかの20%を欧州で製造したいという。
東京大田区は個人経営の工場で有名だが、ダイヤ精機の諏訪貴子社長も海外に工場を建てることを検討しているという。従業員約30人の同社は、自動車メーカーが使用する精密計器を製作している。諏訪社長によると、日本の大手自動車メーカーは今、工場を海外へ移管しており、新しい工場に備えるための精密計器の注文が増えているという。
だが、この注文が一巡すれば、需要がなくなるのではないかと諏訪社長は心配している。同社長は現在、大田区の中小企業がタイに設けた工業団地へ、同社の製造過程の一部を移管するメリットを検討している。タイであれば、費用対効果の高くない低利益の自動車部品やツールを大量生産できるという。
加えて、今後も円高が進み、国内生産環境が一段と悪化すれば、このような工場は海外での前哨基地としての役割を果たすことができると、諏訪社長はいう。
「もしかしたら円高にすごく振れて、それがずっと長引くかもしれない。デフレと円高にずっと苦しむ可能性がある。そういう場合には日本だけでやっていくのは不可能」だと、諏訪社長は述べた。
記者: PHRED DVORAK And TAKASHI NAKAMICHI
End of Era for Japan's Exports
WSJ 2012年 1月 24日 21:30 JST
TOKYO―One of the world's greatest export engines is running out of steam.
For decades, Japan used the combination of manufacturing might and an export-oriented trade policy to shower markets around the world with its cars and consumer and semiconductors.
No longer.
The Japanese government is expected to announce Wednesday that the country recorded its first annual trade deficit since 1980. If the yen remains strong and global demand weak, economists warn that Japan could run trade deficits for years to come.
The startling change is partly a result of one-time factors like the disastrous earthquake and tsunami last March, which destroyed factories, crippled supply chains and idled many of the country's nuclear reactors. But the quake seems to have accelerated trends―like a decline in corporate competitiveness―that have been bubbling under the surface for years as the export superpower slowly transforms into a nation of pensioners.
More and more Japanese companies are moving production offshore. "This is a turning point for us,'' says Masahiko Mori, president of machine-tool maker Mori Seiki Co., which this year is opening its first factory overseas―in Davis, Calif.―since the company was founded in 1948. Within five years, Mr. Mori says he wants to make around 40% of Mori Seiki's machines outside of Japan, versus virtually none now.
Whereas Japan once forced the rest of the world to march to its drumbeat, now the island nation is being swept up by big global forces outside its control. The torrid growth of emerging economies like China and Brazil has pushed up the cost of what Japan pays for everything from oil and gas to the rare earths it imports for the manufacture of , mobile phones or cars. Mr. Mori says high rare-earth material prices have doubled the cost of magnets used in the motors his company needs.
Japan's domestic manufacturing malaise is being reflected in its trade numbers. For the first 11 months of 2011, it reported a trade deficit of \2.3 trillion ($30 billion), compared with a surplus of \6.6 trillion for all of 2010. Analysts say it is all but impossible for the country to report a big enough surplus in Wednesday's December report to overcome the deficit for the rest of the year.
"I don't deny that there is a trend that may lead to a long-term trade deficit, if we don't do anything,'' economy and trade minister Yukio Edano said in an interview with The Wall Street Journal last week.
Hiromichi Shirakawa, a former Bank of Japan official who heads economic research at Credit Suisse in Tokyo, expects Japan to log a trade deficit this year as well as last year. He says there is no chance of returning to surplus as long as the yen remains near historic highs against the dollar, energy prices high and global demand relatively weak.
Underscoring the country's struggle, the Bank of Japan said Tuesday that it expected the economy to contract by 0.4% for this fiscal year, revising a previous projection for a 0.3% gain. The central bank said slowing overseas economies and the appreciation of the yen continued to hamper growth.
It is an ominous development for Japan. If the trade deficits continue, Japan could change from a steady provider of capital to a net borrower. The country could eventually struggle to finance a debt burden that is already bigger than Italy's as a percentage of its economy. While the yen is sky-high now, it will eventually plunge if Japan keeps running trade deficits. A weak yen would help Japanese manufacturers but would take a toll on an economy increasingly dependent on imports.
In the decades after World War II, Japan practically invented export-led growth, propelling a remarkable creation of wealth touted as the "Japanese miracle'' by the country's leaders. Japanese cars proved so popular in America that in 1981, the U.S. government started pressuring Japan's auto makers to "voluntarily'' limit their exports. Shortly after, the U.S. accused Japan of dumping cheap semiconductors on world markets.
As part of a global effort to rein in Japan's export juggernaut, the U.S., the leading European economies and Japan signed the Plaza Accord in 1985―named after New York's Plaza Hotel, where the pact was set―to strengthen the yen against the world's major currencies, thus pushing up the cost of Japanese-made goods in world markets. The agreement had a dramatic effect on exchange rates: The yen soared from about \239 to the dollar in 1985 to \128 in 1988.
But the change didn't end up having the desired effect of shrinking Japan's mammoth trade surpluses, in part because Japanese authorities tried to mitigate the economic impact by flooding the economy with cheap money. The resulting asset bubble created major distortions in Japan's economy and financial markets, and its burst set the stage for two decades of stagnation. The widely perceived trauma from the Plaza Accord has been cited by Chinese officials as a major reason for their hesitance to respond to similar pressure from the U.S. now to appreciate the yuan.
Japanese manufacturers have in recent years been losing out to rivals from countries like China or South Korea, whose products are often just as good and whose costs are much lower. A 2010 survey of global manufacturing executives conducted by Deloitte Touche Tohmatsu and the U.S. Council on Competitiveness projected Japan would continue to slip behind developing countries but also the U.S. in manufacturing competitiveness during the next few years, as the population ages and the costs of making goods at home rises.
Intense competition abroad has been pushing down the prices that Japanese manufacturing heavyweights like Toyota Motor Co. or Sony Corp. can get for their wares overseas, while the strong yen has been making it harder to eke out profits.
The nuclear accident at Fukushima Daiichi, which has effectively halted the use of nuclear power in Japan for now, is also forcing up energy costs.
Plant operator Tokyo Electric Power Co. last week announced an average 17% hike in its base electric rates for corporate customers―its first since 1980―citing a higher dependence on expensive oil in the face of public resistance to restarting idled reactors.
Other Japanese utilities are also finding it tough to restart reactors. And the government is warning that all the country's nuclear power plants―which accounted for about 30% of Japan's energy a year ago―could be down during the high-demand summer season, threatening forced conservation or possibly even rolling blackouts. Manufacturers are bracing for a hit. Mr. Mori, for instance, is prepping for power-saving measures at his plants in western Japan.
Some say the disasters only sped up a much broader shift in Japan's economy over many years. "This is part of the process of becoming a mature economy,'' says Hiroyuki Ishige, a trade official during the 1980s, who now heads the Japan External Trade Organization. The organization itself started in 1951 as a body to promote Japanese exports, and has since switched to encouraging investment in Japan, as well as counseling small businesses that want to move overseas, he points out.
Japan is still a rich country with a stable of manufacturers that hold big shares of global markets from automobiles to endoscopes. Some of the factors driving the country's decline in exports are temporary, like lower overseas demand for products in the face of weakness in Europe and the U.S. Japan's yen is at historic highs versus the dollar and euro. A weakening of the country's currency would change the equation in Japanese manufacturers' favor.
And Japan still has \251 trillion more in foreign reserves and investment assets―like U.S. Treasury bonds―than other countries hold in Japanese investments, according to the Ministry of Finance.That is a bigger capital surplus than any other country in the world.
"It's true that the trend is toward trade deficits, but as long as Japan keeps a current-account surplus, it doesn't matter,'' says Eisuke Sakakibara, a former finance official. The current account tracks the difference between what a nation saves and what it invests. It balances imports of goods and services, plus the return on investments abroad, versus exports. When the current account goes negative, it means domestic investments are being financed with foreigners' money.
The weakening in Japan's trade balance comes as an aging population and decades of next-to-zero growth erode the stockpiles of cash that thrifty Japanese socked away when its economy was booming. That, in turn, is stoking fears that Japan will sooner or later have trouble financing its roughly \1,000 trillion in public debt.
Mr. Mori's company, Mori Seiki, illustrates some of the forces at work driving down exports and boosting imports. Based near Toyota's headquarters in central Japan, Mori Seiki makes lathes, milling machines and other equipment used by manufacturers to produce everything from cars to airplanes. It still builds 98% of its machines in Japan, using parts supplied by Japanese companies.
That largely domestic sourcing worked against it last year, after the earthquake and tsunami wiped out factories in Japan's northeast, making some parts hard to get.
What's more, the machine-tool maker now earns around 65% of its roughly $1.5 billion in sales overseas, and it has been hit hard by the strengthening yen.
Mr. Mori says that when one U.S. dollar buys \80 or less―it now buys around \77―it is more profitable to make equipment destined for the U.S., in the U.S. Last year, he decided to build the factory in California; eventually, he hopes to produce around 20% of Mori Seiki's products in the U.S. and another 20% in Europe.
In Tokyo's Ota ward, famous for its mom-and-pop manufacturers, Takako Suwa says she is also thinking about building a branch of her company, Daiya Seiki Co., overseas. The 30-some person Daiya Seiki makes precision gauges that car makers use in building their automobiles. Ms. Suwa says she is now enjoying a rush of orders, as the big Japanese automakers move more production overseas and equip their new factories with her gauges.
When that is over, though, Ms. Suwa is worried demand will dry up. She is now weighing the merits of moving some production to a factory complex that a bunch of small firms from Ota ward have set up in Thailand. There, Daiya Seiki would be able to mass produce the kind of low-margin car parts and tools that wouldn't be cost-effective to make in Japan, Ms. Suwa says.
Plus, such a factory could serve as an outpost abroad, if the yen continued to strengthen, and conditions for manufacturing in Japan worsened, she says.
"There is a possibility that the yen may rather strengthen further and its uptrend may continue, causing us more suffering,'' says Ms. Suwa. "If such risks materialized, it could become impossible for us to survive only through our Japanese operations.''
記者: PHRED DVORAK And TAKASHI NAKAMICHI
第百八十回国会における野田内閣総理大臣施政方針演説
平成24年1月24日
一 はじめに
第百八十回国会の開会に当たり、この国が抱える諸課題と野田内閣の基本方針について、謹んで申し上げます。
昨年九月、野田内閣は、目の前にある課題を一つ一つ解決していくことを使命として誕生いたしました。「日本再生元年」となるべき本年、私は、何よりも、国政の重要課題を先送りしてきた「決められない政治」から脱却することを目指します。
「与野党が信頼関係の上に立ってよく話し合い、結論を出し、国政を動かしていくことこそ、国民に対する政治の責任であると私は信じます。」
これは、四年前、当時の福田総理がこの演壇から与野党に訴えかけられた施政方針演説の一節です。
それ以降も、宿年の課題は残されたまま年々深刻さを増し、国の借金は膨らみ続けました。そして、東日本大震災によって、新たに解決を迫られる課題が重くのしかかっています。私たちは、この国難とも呼ぶべき危機に立ち向かいながら、長年にわたって先送りされてきた課題への対処を迫られています。「国民に対する政治の責任」を果たさなければなりません。
野田内閣がやらなければならないことは明らかです。大震災からの復旧・復興、原発事故との戦い、日本経済の再生です。この大きな課題の設定と国として進めるべき政策の方向性について、与野党に違いはありません。
社会保障と税の一体改革も、同様です。昨年末、自公政権時代の問題提起も踏まえながら、民主党内の政治家同士による熟議の末に、政府与党としての素案をまとめました。その上で、各党各会派との協議をお願いしています。少なくとも、持続可能な社会保障制度を再構築するという大きな方向性に隔たりはないのではないでしょうか。具体的な政策論で異論があるのであれば、大いに議論しようではありませんか。
我が国の政治過程において、今、俎(そ)上に上っている諸課題は、幸いにして、世界各地の民主主義国家で顕在化しているような、深刻なイデオロギーや利害の対立をはらむものではありません。先の国会で、各党各会派が当初の主張の違いを乗り越えて、三次補正予算と関連法の合意を達成できたことが一つの証左です。私たち政治家が本気で合意を目指し、動かそうとするならば、政治は前に進んでいくのです。
今、求められているのは、僅かな違いを喧(けん)伝するのではなく、国民の真の利益とこの国の未来を慮(おもんばか)る「大きな政治」です。重要な課題を先送りしない「決断する政治」です。
日本が直面する課題を真正面から議論し、議論を通じて具体的な処方箋を作り上げ、実行に移していこうではありませんか。全ての国民を代表する国会議員として、今こそ、「政局」ではなく、「大局」を見据えようではありませんか。
二 三つの優先課題への取組
大震災からの復旧・復興、原発事故との戦い、日本経済の再生。野田内閣は、この三つの優先課題に、改造後の布陣で引き続き全力を挙げて取り組むことをお誓いします。
(復興の槌音よ、鳴り響け)
あの大震災から、十か月余りが経ちました。今なお仮設住宅で不自由な暮らしを余儀なくされている方々に、少しでも「温もり」を感じていただきたい。大震災の災禍を乗り越え、一日も早く、被災地に復興の槌(つち)音を力強く響かせたい。そうした思いで、これまで国としても懸命に取り組んでまいりました。
先の国会で成立した三次補正予算と関連法によって、復興庁、復興交付金、復興特区制度など、復興を力強く進めていく道具立てが揃(そろ)いました。「復興」という名を戴(いただ)いた新しい役所は、被災者に寄り添い続け、必ずや被災地の復興を成し遂げるという、与野党が共に刻んだ誓いの証(あかし)です。復興庁を二月上旬に立ち上げ、ワンストップで現地の要望をきめ細かにくみ取り、全体の司令塔となって、復興事業をこれまで以上に加速化していきます。
被災者の方々が生活の再建を進める上で、最大の不安は、働く場の確保です。復興特区制度などを活用して、内外から新たな投資を呼び込むとともに、被災した企業の復旧を加速させ、被災地の産業復興と雇用確保を進めます。
ふるさとが復興する具体的な未来図を描くのは、他ならぬ住民の皆様自身です。地域のことは地域で決める、という地域主権の理念が、今ほど試されている時はありません。多様な主体が参加した住民自治に基づく、開かれた復興を全力で応援します。
大震災の発災から一年を迎える、来る三月十一日には、政府主催で追悼式を執り行います。犠牲者の御霊に対する最大の供養は、被災地が一日も早く復興を果たすことに他なりません。先人たちは、終戦の焼け野原から高度経済成長を実現し、石油ショックから世界最高の省エネ国家を築き上げました。大震災に直面した私たちにも、同じ挑戦が待っています。元に戻すのではなく、新しい日本を作り出すという挑戦です。これは、今を生きる日本人の歴史的な使命です。
がんばっぺ、福島。まげねど、宮城。がんばっぺし、岩手。そして、がんばろう、日本。大震災直後から全国に響くエールを、これからも、つないでいきましょう。東日本各地の被災地の苦難の日々に寄り添いながら、全ての日本人が力を合わせて、「復興を通じた日本再生」という歴史の一ページを共に作り上げていこうではありませんか。
今般の大震災が遺(のこ)した教訓を未来にいかしていくことも、私たちが果たさなければならない歴史的な使命の一つです。もう「想定外」という言葉を言い訳にすることは許されません。津波を含むあらゆる自然災害に強い持続可能な国づくり・地域づくりを実現するため、災害対策全般を見直し、抜本的に強化します。
(原発事故と戦い抜き、福島再生を果たす)
東京電力福島第一原発の事故との戦いは、決して終わっていません。昨年末の「ステップ2」完了は、廃炉に至るまで長く続く工程の一里塚に過ぎません。福島を再生し、美しきふるさとを取り戻す道のりは、これから本格的に始まるのです。
避難されている方々がふるさとにお戻りいただくには、安心して暮らせる生活環境の再建を急がなければなりません。病院や学校などの公共サービスの早期再開を図るとともに、とりわけ子どもや妊婦を放射線被害から守るため、生活空間の徹底した除染、住民の皆様の健康管理、食の安全への信頼回復に取り組むとともに、被災者の目線に立った公正で円滑な賠償に最善を尽くします。また、関係する市町村や住民の皆様の御意向を十分に把握し、警戒区域や避難指示区域の見直しにきめ細かく対応します。
私は、内閣総理大臣に就任後、これまで三度、福島を訪れました。山々の麗しき稜(りょう)線。生い茂る木々の間を流れる清らかな川と水の音。どの場所に行っても、どこか懐かしい郷愁を感じます。日本人誰もが、ふるさとの原型として思い浮かべるような美しい場所です。
福島の再生なくして、日本の再生はありません。福島が甦(よみがえ)らなければ、元気な日本も取り戻せないのです。私は、このことを何度でも繰り返し、全ての国民がこの思いを共有していただけることを願います。この願いを具体的な行動に移すため、国が地元と一体となって福島の再生を推進するための特別措置法案を今国会に提出します。
(日本経済の再生に挑む)
被災地が確かな復興の道を歩むために、そして、我が国が長きにわたる停滞を乗り越えて、将来に繁栄を引き継いでいくために、日本経済の再生にも全力で取り組みます。分厚い中間層を復活させるためにも、中小企業を始めとする企業の競争力と雇用の創出を両立させ、日本経済全体が元気を取り戻さなければなりません。企業の国内投資や雇用創出の足かせとなってきた様々な障害を取り除き、産業と雇用の基盤を死守します。同時に、新たな付加価値を生み出す成長の種をまき、新産業の芽を育てていくための環境を整備していきます。
日本再生のための数多くのプロジェクトを盛り込んだ二十四年度予算は、経済再生の次なる一歩です。四次補正予算と併せ、早期の成立を図ります。また、歴史的な円高と長引くデフレを克服するため、金融政策を行う日本銀行との一層の連携強化を図り、切れ目ない経済財政運営を行ってまいります。
世界経済の先行きが不透明な中で、人口減少に転じた我が国が力強い経済成長を実現するのは、容易ならざる課題です。しかし、だからこそ、日本経済の潜在力を冷静に見極め、様々な主体による挑戦を促す明快なビジョンを描かなければなりません。このため、国家戦略会議において、「新成長戦略」の実行を加速するとともに、新たな成長に向けた具体的な工程表を伴う「日本再生戦略」を年央までに策定し、官民が一体となって着実に実行します。
日本に広がる幾多のフロンティアは、私たちの挑戦を待っています。「女性」は、これからの日本の潜在力の最たるものです。これは、減少する労働力人口を補うという発想にとどまるものではありません。社会のあらゆる場面に女性が参加し、その能力を発揮していただくことは、社会全体の多様性を高め、元気な日本を取り戻す重要な鍵です。日本再生の担い手たる女性が、社会の中で更に輝いてほしいのです。
「農業」「エネルギー・環境」「医療・介護」といった分野は、新たな需要を生み出し、二十一世紀の成長産業となる大きな可能性を秘めています。先に策定した食と農林漁業の再生に向けた「基本方針・行動計画」を政府全体の責任で着実に実行するとともに、これらの分野でのイノベーションを推進します。海洋国家たる我が国の存立基盤であり、資源の宝庫である「海洋」や、無限の可能性を持つ「宇宙」は、政府を挙げて取り組んでいく人類全体のフロンティアです。産官学の英知を結集して、挑戦を担う「人づくり」への投資を強化するとともに、こうした内外のフロンティアを「夢」から「現実」に変え、日本再生の原動力とするための方策を国家ビジョンとして示します。
アジア太平洋への玄関口として大きな潜在力を秘め、本土復帰から四十周年を迎える沖縄もフロンティアの一つです。その潜在力を存分に引き出すために、二十四年度予算において、使い道を限定しない自由度の高い一括交付金を用意します。また、地元の要望を踏まえ、二十四年度以降の沖縄振興に関する二法案を今国会に提出します。
経済再生のためには、エネルギー政策の再構築が欠かせません。そのためには、国民の安心・安全を確保することを大前提にしつつ、経済への影響、環境保護、安全保障などを複眼的に眺める視点が必要です。化石燃料が高騰する中で、足元の電力需給のひっ迫を回避しながら、温室効果ガスの排出を削減し、中長期的に原子力への依存度を最大限に低減させる、という極めて複雑な方程式を解いていかなければなりません。幅広く国民各層の御意見を伺いながら、国民が安心できる中長期的なエネルギー構成を目指して、ゼロベースでの見直し作業を進め、夏を目途に、新しい戦略と計画を取りまとめます。併せて、新たなエネルギー構成を支える電力システムの在り方や、今後の地球温暖化に関する国内対策を示します。
また、原発事故の原因を徹底的に究明し、その教訓を踏まえた新たな原子力安全行政を確立します。環境省の外局として原子力の安全規制を司る組織を新設するとともに、厳格な規制の仕組みを導入するための法案を今国会に提出し、失われた原子力安全行政に対する信頼回復とその機能強化を図ります。
三 政治・行政改革と社会保障・税一体改革の包括的な推進
(政治・行政改革を断行する決意)
まず隗(かい)より始めよ。これは、どのような政策課題に取り組むに当たっても、政治と行政を担う者が国民の皆様に示さなければならない「国家の矜(きょう)持」です。
先の国会で、政府全体の歳出削減と税外収入の確保のための具体策に結論を得ることは出来ませんでした。与野党の考え方の差は決して大きくはなかっただけに、残念でなりません。国家公務員給与の約八パーセントを引き下げる法案及び郵政改革関連法案について、今国会においてこそ、速やかに合意を得られるよう、野党の皆様に改めてお願いを申し上げます。
行政の無駄遣いの根絶は、不断に続けなければならない取組です。責任ある財政運営を行うために、過去二代の政権を通じて、私自身も懸命に努力をしてまいりました。しかしながら、「まだまだ無駄削減の努力が不足している」という国民の皆様のお叱りの声が聞こえます。行政改革に不退転の覚悟で臨みます。
皮切りとなるのは、独立行政法人改革です。大胆な統廃合と機能の最適化により、法人数をまずは四割弱減らすなどの改革を断行します。次に、特別会計改革です。社会資本整備事業特別会計の廃止や全体の勘定の数をおおむね半減させるなどの改革を進めます。これらの改革に関連する法案を今国会に提出し、成立に万全を期します。また、あらん限りの税外収入の確保に向け、国家公務員宿舎を今後五年間で二十五パーセント削減し、政府資産の売却を進めます。国民目線を徹底し、聖域なき行政刷新の取組を着実に進めるとともに、公務員制度改革を引き続き推進します。
行政サービスを効率化し、国の行政の無駄削減を進めるためにも有効な地域主権改革を着実に具体化していきます。二十四年度予算では、補助金の一括交付金の総額を増やし、使い勝手を格段に良くします。また、国の出先機関の原則廃止に向けて、具体的な制度設計を進め、必要な法案を今国会に提出いたします。さらに、地域社会を支える基盤である郵便局において三事業のサービスを一体で提供し、利用者の利便性を高める郵政改革の今国会での実現を図ります。
行政だけではありません。誰よりも、政治家自身が身を切り、範を示す姿勢が不可欠です。既に、違憲状態と最高裁判所から指摘されている一票の較差を是正するための措置に加えて、衆議院議員の定数を削減する法案を今国会に提出すべく民主党として準備しているところです。与野党で胸襟を開いて議論し、この国会で結論を得て実行できるよう、私もリーダーシップを発揮してまいります。
(社会保障・税一体改革の意義)
政治・行政改革とともに、今、国民のために、この国の将来のために、やり遂げなければならないもう一つの大きな課題があります。それが、社会保障と税の一体改革です。
団塊の世代が「支える側」から「支えられる側」に移りつつあります。多くの現役世代で一人の高齢者を支えていた「胴上げ型」の人口構成は、今や三人で一人を支える「騎馬戦型」となり、いずれ一人が一人を支える「肩車型」に確実に変化していきます。今のままでは、将来の世代は、その負担に耐えられません。もう改革を先送りする時間は残されていないのです。
過去の政権は、予算編成のたびに苦しみ、様々な工夫を凝らして何とかしのいできました。しかし、世界最速の超高齢化が進み、社会保障費の自然増だけで毎年一兆円規模となる状況にある中で、毎年繰り返してきた対症療法は、もう限界です。
もちろん、一体改革は、単に財源と給付のつじつまを合わせるために行うものではありません。「社会保障を持続可能で安心できるものにしてほしい」という国民の切なる願いを叶(かな)えるためのものです。
失業や病気などにより、一たび中間層から外れると、元に戻れなくなるとの不安が社会にじわじわと広がっています。このままでは、リスクを取ってフロンティアの開拓に挑戦する心も委縮しかねません。お年寄りが孤独死するような社会であってよいはずがありません。働く世代や子どもの貧困といった悲痛な叫びにも応えなければなりません。
政権交代後、「国民の生活が第一」という基本理念の下、人と人とが支え合い、支え合うことによって生きがいを感じられる社会づくりを目指してきました。全ての人が「居場所と出番」を持ち、温もりあふれる社会を実現するために、社会保障の機能強化が必要なのです。
我が国では、先進諸国と比べて、現役世代に対する支援が薄いと指摘されています。その最たる例が、子育て支援です。社会の中で女性の能力を最大限にいかすとともに、安心して子どもを産み、育てられる社会をつくるために、総合的な子ども・子育て新システムの構築を急がなければなりません。こうした点を含めて、「支える側」たる現役世代の安全網を強化し、子どもからお年寄りまで全ての国民をカバーする「全世代対応型」へと社会保障制度を転換することが焦眉の急なのです。
昨今、「今日よりも明日が良くなる」との思いを抱けない若者が増えていると言われます。日本社会が次世代にツケを回し続け、そのことに痛ようを感じなくなっていることに一因があるのではないでしょうか。将来世代の借金を増やし続けるばかりの社会で、若者が「今日より明日が良くなる」という確信を持つなど、無理な相談です。社会全体の「希望」を取り戻す第一歩を踏み出せるかどうかは、この一体改革の成否にかかっている、といっても過言ではありません。
このような背景や認識に基づいて、政府与党は、経済状況を好転させることを条件に、二〇一四年四月より八パーセントへ、二〇一五年十月より十パーセントへ段階的に消費税率を引き上げることを含む「素案」を取りまとめました。引上げ後の消費税収は、現行分の地方消費税を除く全額を社会保障の費用に充て、全て国民の皆様に還元します。「官」の肥大化には決して使いません。
これは、社会に、より多くの「温もり」を届けていくための改革です。消費税引き上げに当たって最も配慮が必要なのは低所得者の方々です。このため、社会保障の機能強化により低所得者対策を充実するとともに、国民一人ひとりが固有の番号を持つことになる社会保障・税番号制度を導入し、給付付き税額控除の導入を検討するなど、きめ細かな対策を講じます。また、所得税の最高税率を五パーセント引き上げ、税制面でも、格差是正と所得再分配機能の回復を図ります。
グローバルな金融市場の力が席巻する今、一たび「国家の信用」が失われると取り返しがつきません。欧州諸国の状況を見れば一目瞭然です。この一体改革は、金融市場の力に振り回されない強靭な財政構造を持つ観点からも、待ったなしなのです。
(改革の具体化に向けた協議の要請)
社会保障・税一体改革は、経済再生、政治・行政改革とも一体で、正に包括的に進めていかなければならない大きな改革です。今後、各党各会派との協議を進めた上で、大綱として取りまとめ、自公政権時代に成立した法律の定める本年度末の期限までに、関連法案を国会に提出します。
二十一世紀に入ってから、内閣総理大臣としてこの演壇に立たれた歴代の先輩方は、年初の施政方針演説の中で、持続可能な社会保障を実現するための改革の必要性を一貫して訴えてこられました。
「持続可能な社会保障制度を実現するには、給付に見合った負担が必要です。」
「経済状況を好転させることを前提として、遅滞なく、かつ段階的に消費税を含む税制抜本改革を行うため、二〇一一年度までに必要な法制上の措置を講じます。」
「これは、社会保障を安心なものにするためです。子や孫に、負担を先送りしないためであります。」
これらは、私の言葉ではありません。三年前、当時の麻生総理がこの議場でなされた施政方針演説の中の言葉です。私が目指すものも、同じです。今こそ立場を超えて、全ての国民のために、この国の未来のために、素案の協議に応じていただくことを願ってやみません。
国民の御理解と御協力を得るために、改革の意義や具体的な内容を分かりやすく伝えていく努力も欠かせません。私と関係閣僚が先頭に立って、国民の皆様への情報発信に全力を尽くします。また、社会保障の最前線で住民と接している自治体の関係者とも密接に協力してまいります。
四 アジア太平洋の世紀を拓く外交・安全保障政策
(アジア太平洋の世紀と日本の役割)
大西洋の世紀から、アジア太平洋の世紀へ。産業革命以来の世界の構図が変わり、世界の歴史の重心が大きく移りゆく時代を私たちは生きています。歴史の変動期には、常に、チャンスとリスクが交錯します。
アジア太平洋の世紀がもたらす「チャンス」。それは、言うまでもなく、世界の成長センターとして、これからの世界経済の発展を牽(けん)引していくのがこの地域であるということです。この地域の力強い成長を促し、膨大なインフラ需要や巨大な新・中間層の購買力を取り込んでいくことは、我が国自体に豊かさと活力をもたらします。日本の再生は、豊かで安定したアジア太平洋地域なくして、あり得ません。
アジア太平洋の世紀がはらむ「リスク」。それは、既存の秩序が変動する過程で地域の不安定さが増し、安全保障の先行きが不透明になっていることです。多くの国で指導者が交代期を迎える本年、我が国を取り巻く安全保障環境は予断を許しません。また、発展途上の金融市場、環境汚染や食料・エネルギーのひっ迫、日本を追いかける形で進む高齢化といったこの地域で散見される課題も、安定した成長を阻む要因です。こうした課題の解決に、日本の技術や知見に熱いまなざしが向けられています。課題解決先進国となるべき日本の貢献なくして、豊かで安定したアジア太平洋地域も、あり得ないのです。
我が国は、幸いにして、「アジア」にも、「太平洋」にも軸足を持っている海洋国家です。これからの歴史の重心に位置するという地政学的な恵みを最大限にいかし、アジア太平洋地域が安定と繁栄を享受できるように貢献していかなければなりません。これは、世界全体にとっての課題であり、かつ、我が国の国益を実現するための最大の戦略目標です。
私は、アジア太平洋地域の安定と繁栄を実現するため、日米同盟を基軸としつつ、幅広い国や地域が参加する枠組みも活用しながら、この地域の秩序とルールづくりに主体的な役割を果たしていくことが我が国の外交の基本であると考えます。
貿易・投資の自由化、エネルギー・環境制約の克服といった経済面での課題だけではなく、テロ対策や大量破壊兵器の拡散防止、海洋航行の自由の確保、平和維持や紛争予防といった安全保障面での課題、さらには、自由と民主主義、法の支配といった共通の「価値」の確認など、地域で対話を深めていくべきテーマには事欠きません。我が国は、多様性あふれるアジア太平洋地域において、共通の原則や具体的なルールを率先して提案し、志を同じくする国と手を携えながら、地域の安定と繁栄に向けて戦略的に対応していきます。
まずは、アジア太平洋自由貿易圏、いわゆるFTAAP構想の実現を主導し、高いレベルでの経済連携を通じて自由な貿易投資のルールづくりを主導することが、こうした戦略的な対応の先駆けです。日韓・日豪交渉を推進し、日中韓やASEANを中心とした広域経済連携の早期交渉開始を目指すとともに、環太平洋パートナーシップ協定、いわゆるTPP協定への交渉参加に向けた関係国との協議を進めていきます。併せて、日EUの早期交渉開始を目指します。
(近隣諸国との二国間関係の強化)
こうした取組を進める上で、近隣諸国との二国間関係の強化を同時並行で進めることが我が国外交の基礎体力を高めます。既に、米中だけでなく、韓国、ロシア、インド、オーストラリアなど主要各国の首脳と個別に会談し、個人的な信頼関係を築きながら、二国間関係を進展させてまいりました。今後とも、北方領土問題など各国との懸案の解決を図りつつ、関係の強化に努めます。
特に、日米同盟は、我が国の外交・安全保障の基軸にとどまらず、アジア太平洋地域、そして世界の安定と繁栄のための公共財です。二十一世紀にふさわしい同盟関係に深化・発展させていかなければなりません。普天間飛行場の移設問題についても、日米合意を踏まえ、引き続き沖縄の皆様の声に真摯に耳を傾け、誠実に説明し理解を求めながら、沖縄の負担軽減を図るために全力で取り組みます。
また、アジア太平洋地域での安定と繁栄は、中国の建設的な役割なしには語れません。これまでに首脳間で、幾度となく日中両国の「戦略的互恵関係」を深めていく方針を確認してきました。これからは、その内容を更に充実させ、地域の安定した秩序づくりに協力を深めていく段階です。国交正常化四十周年の機を捉え、人的交流や観光促進を手始めに、様々なレベルでの対話や交流を通じて、互恵関係を深化させていきます。
今後の北朝鮮の動向については、昨年末の金正日国防委員会委員長の死去を受けた情勢変化を冷静に見極め、関係各国と緊密に連携しつつ、情報収集を強化し、不測の事態に備えて、引き続き万全の態勢で臨みます。拉致問題は、我が国の主権に関わる重大な問題であり、基本的人権の侵害という普遍的な問題です。被害者全員の一刻も早い帰国を実現するため、政府一丸となって取り組みます。日朝関係については、引き続き日朝平壌宣言に則って、核、ミサイルを含めた諸懸案を包括的に解決し、不幸な過去を清算して、国交正常化を図るべく努力していきます。
イランの核問題については、深刻な懸念を国際社会と共有します。平和的・外交的な解決に努力することを基本とし、原油市場や日本経済への影響なども総合的に勘案しつつ、各国と連携して適切に対応いたします。
また、消費者行政に万全を期すとともに、テロやサイバー攻撃、大規模自然災害、国内外の重大事件・事故など、国民の生命・身体・財産を脅かす緊急事態については、常に緊張感と万全の備えを持って危機管理対応を行います。
(人類のより良き未来のために)
我が国は、アジア太平洋地域の安定と繁栄を超えて、人類全体により良き未来をもたらすためにも積極的に貢献します。これは、国際社会への責任を果たすだけではなく、「この国に生まれて良かった」と思える「誇りある国」の礎となるものです。
先日、南スーダンでの国連平和維持活動に、自衛隊の施設部隊を送り出しました。国際社会と現地の期待に応え、アフリカの大地でインフラ整備に必死に汗を流す自衛隊員の姿は、必ずや、日本人の「誇り」の一部となるはずです。こうした海外での貢献活動に加えて、軍縮・不拡散、気候変動などの「人類の安全な未来」への貢献、ODAの戦略的活用を通じた「人類の豊かな未来」への貢献にも努めてまいります。
五 むすびに
私は、大好きな日本を守りたいのです。この美しいふるさとを未来に引き継いでいきたいのです。私は、真に日本のためになることを、どこまでも粘り強く訴え続けます。
今年は、日本の正念場です。試練を乗り越えた先に、必ずや「希望と誇りある日本」の光が見えるはずです。
この国は、今を生きる私たちだけのものではありません。未来に向かって永遠の時間を生きていく将来の世代もまた、私たちが守るべき「国民」です。この国を築き、守り、繁栄を導いてきた先人たちは、国の行く末に深く思いを寄せてきました。私たちは、長い長い「歴史のたすき」を継ぎ、次の世代へと渡していかなければなりません。
今、私たちが日本の将来のために、先送りできない課題があります。拍手喝采を受けることはないかもしれません。それでも、先に述べた大きな改革は、必ずやり遂げなければならないのです。
全ての国民を代表する国会議員の皆様。志を立てた初心に立ち返ろうではありませんか。困難な課題を先送りしようとする誘惑に負けてはなりません。次の選挙のことだけを考えるのではなく、次の世代のことを考え抜くのが「政治家」です。そして、この国難のただ中に、国家のかじ取りを任された私たちは、「政治改革家」たる使命を果たさなければなりません。
政治を変えましょう。苦難を乗り越えようとする国民に力を与え、この国の未来を切り拓くために、今こそ「大きな政治」を、「決断する政治」を、共に成し遂げようではありませんか。日本の将来は、私たち政治家の良心にかかっているのです。
国民新党を始めとする与党、各党各会派、そして国民の皆様の御理解と御協力をお願い申し上げ、私の施政方針演説といたします。

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もはや野糞臭彦と呼んでも差し支えないのではないでしょうか。
それすら上等すぎるのやも知れませんが。
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>その支援機構だが、名前のとおりの天下り法人で、虎ノ門の一等地に住所がある。
>理事長は飾りの学者。
>理事4人のうち、弁護士1名を除いて3名が天下り官僚であり、うち2名は渡りでこの支援機構に就職した霞ヶ関族だ。
> 野田健は68歳の東大法卒の元警察官僚。滋賀県警本部長、警察庁刑事局、警視総監を経て、(財)財団法人日本道路交通情報センター理事長に天下り、さらに(財)公共政策調査会理事長に渡り、内閣危機管理監に戻り、新設された支援機構に呼び戻されて二度目の渡りのご奉公となった。
>振角秀行は57歳、東大法卒の元大蔵官僚。内閣官房郵政民営化推進室長、財務省審議官を経て、財務総合政策研究所に天下り、今回の渡りで支援機構の理事となった。財務省とのパイプ役(経理)か。
> 嶋田隆については細かな経歴情報がないが、実はこの支援機構の中心人物であり、組織を仕切っているのはこの男だ。52歳の元経産官僚。検索をかけると飛び出すのが、「与謝野馨の腹心中の腹心」というプロフィール情報である。与謝野馨と常に行動を共にし、支援機構に送り込まれる前は、菅内閣に入った与謝野馨の秘書官を務めていた。何と、3度目の与謝野馨の秘書官。与謝野馨が入閣すると秘書官となり、外れると経産省に戻る、その繰り返しの官僚人生を歩んでいる。
>原発推進派の領袖である与謝野馨。その腹心が支援機構を差配する理事に収まっていた。今後、支援機構が東電に何をするか、この人事を見ただけで一目瞭然だ。
http://critic5.exblog.jp/17681849/
よにうむさんもたまにはいいしごとするね