2011.10.29 (Sat)
日本の命運を握る福島第一原発4号機
最近では、日本では福島第一原発事故はすでに過去の出来事で、放射能汚染は収まっているかのような印象を国民に与えようとメディアは必死で福島第一原発の状況を隠している。
しかし、今ではネットを通して、海外からの情報が簡単に手に入るため、事故が収まっているかの状況は、単なる幻想にすぎないということを原発事故のニュースに敏感な国民はわかっている。
日本の将来や日本人の健康を真剣に心配する海外在住の日本人を通してそういった情報は伝わってくることが多い。ニューヨーク在住の元外交官の松村昭雄氏のブログ『失われたリンクを探す』には、松村氏が国連勤務時代に知り合った著名な科学者や物理学者などからの情報をもとに書かれたとても貴重な記事が多いが、それらを翻訳してくださった『カレイドスコープ』の次の二つの記事は、秀逸だった。
カナダの物理学者:「今すぐに4号機プールの補強工事を!
前回の記事で紹介した国連のアドバイザリ・スタッフを務めていた松村昭雄氏ですが、さまざまな著名な学者の4号機建屋と使用済み燃料プールについての分析を、自身のブログで紹介しています。
その最新記事で、「四号機の格納容器の外にある1535本の燃料棒が地面に落ちれば、東京と横浜は閉鎖される」と、多くの科学者が強調して警告していることを報告しています。
その一人、カナダの権威ある学者、ゴードン・エドワーズ博士の記事を紹介しています。
(下の記事。この記事は、極力、意訳せず原文に忠実に翻訳してあります)
4号機の使用済み燃料プールと日本の運命
4号機建屋の倒壊、4号機の使用済み燃料プールが不安定な状態にあることをブログで警告し続けている人がいます。
国連や、国連の関係機関に長年、勤務していた松村昭雄さん。
松村さんのブログ
今現在は、地球の未来」を語り合う「グローバル・フォーラム」開催のため、文字通り世界中を飛び回っている忙しい身。
松村さんは、世界中の著名な学者と共に、4号機建屋の脆弱性を訴えています。
「日本の未来は、4号機建屋によって明暗が分かれる」と。
そのブログから、松村さんの記事をひとつ。
ゴードン・エドワーズ博士については、「プルトニウムが含まれた福島原発3号機爆発で危険なメルトダウンが始まった」という記事でも紹介したが、いちはやくメルトダウンの可能性を指摘していた物理学者だ。
カナダでは、数々の講演をして、原発による環境汚染の危険性を訴えている。原発の燃料となるウランを採掘するときに生じる危険性や、ウランの原料となる発ガン危険性の高いトリウムの運搬で河川などを汚染するべきではないことなどを主張し、原発を熟知する反原発派として知られている。
松村氏の英語で書かれたブログの”The Fourth Reactor and the Destiny of Japan”というエントリーに、かのアーニー・ガンダーセン氏からのコメントを発見し驚いた。
Arnie Gundersen says:
October 1, 2011 at 3:32 pm (UTC -4)
Reply
Hello Akio,
I too am concerned about Unit 4′s long term structural integrity.
This week, TEPCO also confirmed hydrogen is building up in the U1 (maybe 2&3) containments too.
The situation is not stabilized.
Fires or explosions might occur.
If there is any way for me to help, please let me know.
Arnie
アーニー・ガンダーセンからのコメント:
2011年10月1日 3時32分(UTC-4)
こんにちは、昭雄。
私も4号機の構造的な整合性について懸念を抱いています。
状況は安定していません。
火災や爆発が起こる可能性があります。
私にできることがあったら、知らせてください。
アーニー
松村氏について、ほとんど知らなかったが、「力強くしかし消えゆく、世界中の広島・長崎の生存者からのメッセージ:新しい価値観をもたらす被爆者生存者グループへのノーベル平和賞授与」と題された論文には強く共感した。次のページで紹介させていただきたい。
【More・・・】
『CHESSOB会のページ』中央大学学員会英語学会支部より*最新の松村さんのブログは、武田さんが彼と連動しながら翻訳しました。彼は今、世界各地で核兵器廃絶と平和運動をしている人々(日本人のみならず外国人も含む)にグループ・ノーベル賞を授与させようという新しい信念に基づいて動き始めました。新しい大きな動きです。OB,現役の学生も是非読んで下さい。
力強くしかし消えゆく、世界中の広島・長崎の生存者からのメッセージ
新しい価値観をもたらす被爆者生存者グループへのノーベル平和賞授与
松村 昭雄
2011年1月3日付、松村昭雄氏ブログ(http://www.akiomatsumura.blogspot.com/ )より
広島・長崎へ投下された原爆の被爆生存者は、日本だけでなく多くの国々を象徴しますが、彼らは、暴力と平和の溝を埋めるための大変貴重な記憶を持ち続けています。唯一の証人でそして戦争行為として使われた核兵器からの生存者としての話は将来の核戦争に対して最も強力な抑止力となります。彼らにはそのメッセージをこの先へと持ち続けるための時間は多くはありません。爆弾投下は数十年前のことなのです。生存者のグループ、そして彼らのメッセージは消えてゆく運命にあります。ノーベル平和賞の歴史には、その平和賞は平和に貢献した機関と個人に授与され、その他のグループはその受賞の対象から除かれています。ノーベル平和委員会はその方針を見直し、世界中の広島・長崎での被爆生存者へノーベル平和賞を授与することにより、核兵器による残虐行為に対する新たな注目を喚起すべきであります。
核の安全性に対する重大な問題
賭け事ではありませんが、みなさん方は過去70年間、核からの安全保障が国際間の安全保障と同義語であった、と言われることを信じていたのではないでしょうか。今日、他の差し迫った問題が最重要課題のトップを占めていますが、核安全保障は引き続きその一つとして位置付けられています。アメリカ議会はロシアと交渉の結果、核保有量削減のための新戦略兵器削減条約を可決したところです。 国際社会は、イランや北朝鮮を含む数カ国の核開発計画や実験の進行に憂慮しています。そして、特にパキスタンにおけるテロリスト間の核拡散の脅威は、米国や他の政府を恐怖に陥れています。世界の多くの武力衝突は、南アジアや中近東における核の不安定性に対する認識に直接関係しております。核拡散あるいは核攻撃からの脅威を減らすために多くの保障措置が取られていますが、そのような重要な問題は、いろいろな観点から再考すべき価値があります。
日本人として、1945年8月6日と9日に広島と長崎に投下された2発の原子爆弾は、私の人生に特別な役割を果たしてきました。私は、被爆生存者の証言などや原爆に反対する政治活動のドキュメンタリー映像を見、そして生存者や政治家、宗教家と話をするなど、多くの時間をかけてその恐怖の惨状を調査してきました。
複雑な問題の調和
このような評価の分かれる世界の出来事には様々な面があり、そして全体像を得るためには、全てを見ることができなければなりません。私は国連や他の機関での30年間の活動を通じて、中国、朝鮮半島、フィリピンそしてオランダ領インドネシアでは、日本軍の侵略によって苦しめられた側の人たちからの視点を知ることができました。
同様に重要なことは、原爆投下は悲惨なことであった半面、戦争の終結を早め数十万人もの命を救ったと信じるアメリカ人の見解があったことです。
1945年、アメリカが日本人に対して原爆を使用したことは、確かに恐ろしいことでした。炸裂と同時に数十万人もの人が即死し、さらに多くの人が何年もにわたり放射能のために死んでゆきました。都市は廃墟と化しました。しかし、その記憶は、生存者そして犠牲者と加害者双方に多大な負担をもたらすものでした。人びとは、どのようにしてそのような廃墟から国や生活を建て直すのでしょうか。
1945年8月、広島や長崎にいて、その爆撃を生き延びた人たちはどうなったのでしょうか。確かに、そのような大量殺戮を生き抜いてきた人たちは、そのことが許しがたくそして恨んでもいました。当然のことながら、多くの人たちがそうでした。しかし、私はそれとは異なった話があることを確信するようになったのです。私は、広島出身で大学時代の友人である武田忠征君に新しい話を探して欲しいと依頼しました。それは、そのような暴力行為を平和の教訓へと変えることができる犠牲者がいるかどうか、ということでした。
新しい視点
2006年12月、私は広島の原爆犠牲者である吉田祐起さんに会うため、広島へ飛びました。彼の話は信じ難く、しかしその考え方は更にすごいものです。吉田さんの生存者としての義務は、彼の言葉を借りれば、自分の存念を分かち合ってもらい、そして核兵器が持つ強大な脅威を人びとに教え込むことです。彼の目指すところは、原爆や核兵器の使用によって1945年8月の悲劇を決して再びもたらさないことです。彼のメッセージは、他の生存者のメッセージとあいまって、この目的のためには掛け替えのないものです。
吉田さんは79歳になりますが、生後の小児麻痺から身体に障害を持っていましたが、広島上空で原爆が炸裂した時は奇跡的に死を免れました。彼の弟は2週間後に亡くなりましたが、長女のお姉さんは十数回もの手術を受け、九死に一生を得ました。そのお姉さんは、15年後、被爆後遺症が非常に心配される中、男児を出産しました(彼女の息子さんである山下一史さんは、ベルリンでかの著名なシンフォニー指揮者ハーバート・フォン・カラヤン氏に師事し、日本では最も人気のある指揮者の一人となっています)。
吉田さんと家族は日本人ですが、彼には意外な背景があります。吉田さんのお母さんはアメリカ人(日系二世で日・米の国籍を持つ:訳者註)でした。ハワイで生まれ、第二次世界大戦の前に広島へ移り住み、子供たちを儲けました。 2008年、吉田さんは日本人によって殺された人たちに報いるため、フィリピンのルソン島へ移住しました。
世界中の広島・長崎からの生存者
私の印象では、原爆の犠牲者は日本人であると常々思っておりました。 しかし、吉田さんのアメリカ人であるお母さんのことを聞いてから後、アメリカによる1945年8月の原爆投下は日本人だけでなく中国、朝鮮半島、アメリカ、フィリピン、オランダ、ブラジル、そして恐らく更に多くの市民に対してでもあったことを知ったのです。被爆生存者はこれら全ての国々にもいたのです。私はこの視点を完全に見過ごしていました。全ての国の生存者は、将来の核による悲劇を避けるために、今なお語り続けています。これら世界中人々の記憶は、苦難から平和への最善な架け橋なのです。
私は世界中にいる生存者のことを学ぶにつけ、もしかすると、他に考慮すべき被爆例があるのではなかろうかと考えました。このメッセージに含まれるべき他の核兵器被害の生存者がいた
のではなかろうか。1986年のチェルノブイリ事故や他の核エネルギー事故の犠牲者は、広島・長崎の犠牲者に、どう当てはまるのであろうか。ネバダ、太平洋諸島その他の核実験犠牲者はどうなのだろうか、などでした。
2007年にモスクワを訪問し、昔からの友人で元ソ連アカデミー副委員長であり、チェルノブイリ事故の汚染処理総括責人者でもあつたベリコフ博士が議長を勤める会議に出席しました。彼は1986年のチェルノブイリ災害の汚染処理を統括していました。
博士は、チェルノブイリ原発の溶解事故は人為的なミスが原因であることを大変明確に述べました。核エネルギー使用による事故は、悪意による2都市の破壊と比べ非常に異なるケースです。彼はこうも言いました。特に多くのネバダ州の先住民のように核実験による犠牲者はたくさんいましたが、彼らは戦争という行為によって殺されたのではありません。そのため、彼らの状況は日本での生存者と直接比べられる要因はなかったのです。
生存者のメッセージを具現化するノーベル平和賞
それほど多くの国で生存者すべてが非常な苦難の中にありながら、憎悪の態度を捨て、子供たちに対して平和な生活を与えるよう社会に訴えてきました。被爆生存者は老齢化が進んでいます。もし彼等が存在していなかったら、あるいは彼等がそのメッセージを私たちへ伝えるために、長生きしようと懸命な努力をしてくれなかったならば、私たちはその尊い教訓を学ぶことはできなかったでしょう。残念ながら生存者には、私たちとそのメッセージを分かち合うために残された時間は殆どありません。そのことを世界の人々に確実に知ってもらうためには、私たちは今こそ行動しなければなりません。
私たちは生存者の崇高な使命を理解し、そして彼らが憎しみを乗り越え核兵器非使用を基本とする平和 を創出しようとする努力に対して、どのようにすれば私たちの感謝の気持ちを表わすことができるのでしょうか。
タイム誌は2006年のパーソン・オブ・ザ・イヤーに「あなた」を選びました。個人それぞれが私たちの世界を創ることに貢献しているという考えは非常に強烈なものでした。世界中にいる広島・長崎の生存者による偉大な平和行動に敬意を表し、全ての人の心の核心へ力強い、しかし消え行くメッセージを早急に送るための方法はないものでしょうか。2006年のタイム社と同様に、もし、全ての原爆生存者がグループとしてノーベル平和賞を受賞することになれば、彼らのメッセージの反響は新しい局面に達してゆきます。 そしてノーベル平和委員会は、これまでの個人、機関だけではなく、崇高な人たちが受賞できる新しい先例を創ることになるのです。
ノーベル平和賞とその表彰状の複製が、日本、アメリカ、中国、朝鮮半島、フィリピン、オランダ、ブラジルやその他どこであっても生存者がいる国の知事、市長によって生存者個人へ贈られるならば、それは大変素晴らしいことだと思います。私はこのような機会が、非政治的方法による核兵器反対への前例ともなり、私たちが直面する暴力や深刻な核の脅威を減らすことに多大な貢献を可能にするものと確信しています。
広島市平和祈念公園にある慰霊碑の石室前面の碑文には「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれています。私たち世界の人々は、建設的な力強いたいまつを次世代の人たちへ引き継ぐ道徳的責務があります。それによって、彼らは私たちの犯した過ちだけではなく賢明さを引き受けるのです。原爆の生存者や犠牲者はこのたいまつを引き継ぐために多くを捧げてきました。原爆の生存者全ての人にノーベル平和賞を贈ることによって、ノーベル 平和委員会は、害悪を悔むのではなく平和の創造に献身した世代を讃たえ、そしてそれらの過ちを回避するための方向性を明確にすることになるのです。
訳: 武田 忠征

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やはりミニーさんもカレイドスコープに注目ですか
彼もミニーさん同様相当の英語の達人ですねうらやましい
さて、日本の、消滅したほうがいいマスゴミは、今日も今日とて
経産省前に座り込む福島の女たちを無視し伝えず
4号機の問題を無視し伝えず
原子力村の住人から頼まれたテロリストによって仕掛けられた、不自然に高線量の放射能スポットのことばっかり放送している
まさしく、日本のマスゴミはゴミであり、
ないほうがむしろまし
あと、
紹介していいものかはかりかねるが、
(紹介したもののいざこざの種になったら困るけど)
紹介しないで後で悔やむのいやだから紹介する。
http://iiwakeblog.blog.ocn.ne.jp/
たぶん若いと思うのだが
左よりのひとだ仲間に入れてやってくれ
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そんなに若くもないようでしたすいません
ところで、
この四号機は核兵器製造工場であった可能性がある。
早い話、実は日本は半分自前の核兵器を持っていたのではないか。
http://blogs.yahoo.co.jp/mos_ic_make/44822521.html
http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-336.html
以下抜粋
>イスラエル福島へStuxnet: デーヴィッド・アイク(David Icke)の情報 :
>http://icke.seesaa.net/article/232237184.html
>イスラエルの福島破壊を糾弾するジャーナリスト
>島津陽一(Yoichi Shimatsu)というジャパンタイムスの元編集者(香港を本拠とするジャーナリスト)によると、ディックチェイニーとブッシュの命令によって2007年にアメリカの核兵器の核弾頭から取り出した核物質を福島に運び込んだという。
>それには、イスラエルのオルメルト首相も共謀していたという。
>イスラエルはアメリカと日本の媒介をして、ヒューストンの港から核弾頭を輸送したが、自分の国には良いものを取り、日本には古いものを渡したという。
>これは、福島でさらなる再処理が必要であった。
>その核物質が津波のときに福島にあったが、イスラエルは日本がパレスチナの国家宣言を支持していたのを怒っていたので、福島原発にStuxnetコンピュータウイルスをばら撒いて、日本を苦しめた。
>ウイルスによってシャットダウンが妨げられ、2007年に持ち込まれた核弾頭から取り出されたウラニウムやプルトニウムを置いてあった施設に被害があった。
>島津が日本に核物質が運ばれたと言っている年の二年後に当たる2009年に、IAEAが日本に対して反核兵器政策を破棄しないようにという不明瞭な警告を出しているのは注意に値するだろう。
>チェイニー、ブッシュは、中国をけん制するために、日本やインドを核武装させようとしていた。