2011.04.26 (Tue)
田中好子さん、葬儀で最後のメッセージ
ただ、私も若い頃に一度だけ乳癌の検査に行ったことがあるけれども、乳癌の検査に使われるマンモグラフィは、特殊なレントゲン撮影のため、乳房を圧迫するのでとても痛かった。また、今、原発事故で放射線の恐ろしさを日々思い知らされているところであり、レントゲンで浴びる放射線も気になったので、マンモグラフィ以外の検査はないのかファミリー・ドクターに聞いてみたら、超音波検査を勧められた。マンモグラフィほど正確に癌を探知できるわけではないけれども、超音波検査で癌が発見できることもあるというので、さっそくその日に予約を入れた。そして、今日がその超音波検査の日だった。
まず、診療台に仰向けになると、女性の検査官に冷たいジェル状のものをべったりと右胸に塗られ、超音波のスティックをゆっくりと動かしながら右胸全体を検査された。「スティックを強く押し付けるので、痛みを感じたら言ってね」と言われたが、痛みどころか、ちょっぴり気持ちよさを感じて戸惑ってしまった(笑)。そして、右が終わるとジェルをふき取って、今度は同じように左胸にもジェルを塗られた。時間を計ったわけではないけれども、片胸10分から15分、両胸で20~30分くらいで終わった。これなら、放射線の心配もないし、定期的にできそうだ。
乳癌は遺伝が多いと言われているので、ご家族に乳癌のいる方や出産していない40代、50代、60代の方は、この機会にぜひ乳癌検査をされることをお勧めしたい。あと、自覚症状のない大腸癌も50歳を過ぎた頃から急激に増える病気なので、最近検査をしていない方は、ぜひお勧めする。大腸がんの検査は、大腸の内視鏡検査が一番正確らしいが、便潜血検査でわかる場合もあるらしい。
スーちゃんの死が、こんなときだからこそ、私たちに定期健診の重要性を再発見させてくれたのかもしれない。
キャンディーズ 田中好子さん葬儀 病床からの最後のメッセージ
ランちゃん、ミキちゃん、スーちゃんのメッセージをもっとはっきり聴きたいという方は、このリンクをクリック。
スーちゃん、別れ告げる録音「天国で役立つことが務め」
2011年4月26日0時14分
元キャンディーズの「スーちゃん」、田中好子さんの葬儀が営まれた東京都港区の青山葬儀所で25日、田中さんの「幸せな、幸せな人生でした」「もっともっと女優を続けたかった」などという声が流れ、集まった約2100人のファンや関係者の涙を誘った。
3月29日に録音し、夫の小達一雄さんに託していたもの。最後にあいさつに立った一雄さんが、田中さんの女優としての「第2章」の始まりを告げると、田中さんの声が普段よりゆっくりした口調で響き、場内は驚きに包まれた。
死を覚悟していた田中さんは、東日本大震災の犠牲者を悼み、「私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でもその時は必ず天国で、被災された方のお役に立ちたいと思います。それが私の務めと思っています」と語った。
葬儀の始まった午前11時には晴れていた空が、別れの時が近づくにつれてにわかに曇り出し、激しい雨がさっと降った。田中さんの声が流れる頃にはまた青空に戻っていた。
出棺を告げるクラクションが鳴り終わった時、通夜と葬儀を通じて1曲も流れなかったキャンディーズの曲が突然、大音量でかかった。明るいテンポのデビュー曲「あなたに夢中」。熟年になった男性ファンらが彼女のイメージカラーである青色の紙テープを一斉に投げ、声を震わせながら「スーちゃん」と叫んで最後の見送りをした。(石飛徳樹、大室一也)
スーちゃんがキャンディーズのデビュー曲「あなたに夢中」と一緒に天国に旅立たれた葬儀出棺の様子。
キャンディーズ 田中好子さん葬儀出棺 2011年4月25日
録音とはいえ、スーちゃんの生の声が聞け、キャンディーズのヒット曲と共に出棺されたスーちゃんの葬儀は、一般的な葬儀とは違い、とてもユニークなものだった。
田中好子さんのご冥福をお祈り致します。今度はどんな姿で帰ってくるのかわからないけれども、早く帰ってきてね。
【More・・・】
ランさん、ミキさん大好きでした 田中好子さん録音全文
朝日 2011年4月25日19時55分
【田中好子さんのメッセージ全文】
こんにちは。田中好子です。
今日は3月29日。東日本大震災から2週間経ちました。被災された皆さまのことを思うと、心が破裂するように痛み、ただただ亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。
私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でもその時は、必ず天国で、被災された方のお役に立ちたいと思います。それが私の務めと思っています。
今日お集まりいただいている皆さまにお礼を伝えたくて、このテープを託します。キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間お世話になりました。幸せな、幸せな人生でした。心の底から感謝してます。
特に、ランさん、ミキさん、ありがとう。2人が大好きでした。
映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった。もっともっと女優を続けたかった。
お礼の言葉を、いつまでも、いつまでも皆さまに伝えたいのですが、息苦しくなってきました。
いつの日か、妹、夏目雅子のように、支えて下さった皆さまに、社会に、少しでも恩返しが出来るように復活したいと思ってます。カズさん、よろしくね。その日まで、さようなら。
田中好子 (ウィキペディア)
闘病と死後
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死去直後の記者会見において、結婚翌年の1992年(平成4年)に乳がんが見つかり、幾度か再発を繰り返したが、いずれも早期発見で治療を続けながら芸能活動を続けていたことなどが夫の小達一雄によって初めて公式に明らかにされた。闘病の事実は親族のみに伝えられ、盟友である伊藤蘭と藤村美樹ですら、伝えられたのは約3年前で、共演者には一切明かされていなかったという。
2010年(平成22年)10月に十二指腸潰瘍を患い、その治療のため絶食をしたことで体力・免疫力が低下、乳がんが再発。2011年(平成23年)2月にはがん細胞組織が急激に増殖するラッシュ状態となり、肺や肝臓にもがんが転移、懸命の治療も甲斐なく2011年(平成23年)4月21日午後7時4分頃、国際医療福祉大学三田病院にて逝去[1][3][5]。55歳没。長年の盟友だった伊藤蘭と藤村美樹は、田中が危篤状態になった際、「2人とも家族同然だから」という親族の計らいで病室に呼ばれ、田中が息を引き取るまで、7時間にもわたって田中の名前を呼び続けていたという[6]。
田中の逝去の報に、『家なき子』で共演した安達祐実[7]、長年のキャンディーズフリークとして知られている自由民主党政務調査会長の石破茂[8]などが追悼の辞を発表している。また、CMキャラクターを務めていた揖保乃糸は公式サイトのトップページにて田中への追悼と感謝のメッセージを表示した。
田中好子の通夜は4月24日、葬儀・告別式は25日に青山葬儀所でそれぞれ営まれた。棺と葬儀場の絨毯は田中のキャンディーズ時代のイメージカラーだった青で彩られた[9]。葬儀では藤村美樹が「私たちは永遠にキャンディーズだから」と語りかけ[10]、伊藤蘭は「もう一度だけでいいから、(キャンディーズの)3人で逢いたかった」と涙を堪えながら弔辞を読んだ[11]。葬儀の最後に田中好子本人のラストメッセージとなる肉声録音テープが流され、最後の別れを告げた[12]。戒名は春芳院妙純日好大姉[9]。
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Tags : 田中好子さん |
録音全文 |
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大腸癌 |
便潜血検査 |
低温停止は工程表の中での話し、できなければ「日本は終わり。」と発言、今現在も福島県では避難もせずにいる方が居るとのこと。
政府は真実を全て報道し、最悪の場合を想定し、その為に至急非難勧告を行うべき。人の命にかかわることは、早めの対処が必要です。
千葉県の行政書士小川洋子 「離婚の相談室」のブログ
http://xmgsw65666.blog34.fc2.com/blog-entry-514.html
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