2011.03.28 (Mon)
東京電力の悪質なデータ改ざんの歴史
中日新聞も24日に東電のデータ改ざんについて書いていたが、東電からの圧力がかかったのか、すでに削除されている。キャッシュに残っていた記事を紹介しよう。
東電の発信能力に懸念 相次ぐデータ修正や発表遅れ
中日新聞 2011年3月24日 02時18分(キャッシュより)
尚、過去の東電によるデータ改ざんは、下記の報告書が詳しい。
2002.9.16特別報告
東京電力点検データ改ざん問題と原子力政策の破綻
【More・・・】
「放射能1千万倍」は誤り 東電、違う物質と取り違え朝日 2011年3月28日0時42分
東京電力は27日、福島第一原発2号機のタービン建屋内のたまり水から通常の炉内の1千万倍の放射能を検出したと発表後、夜になり「違う物質と間違えた」と会見、さらにその訂正を28日未明に再訂正した。26日にもタービン建屋で計測した場所や数値を大幅に訂正した。情報を共有できず、高い放射線の場所で関連会社員が被曝(ひばく)する事故も起きた。情報伝達の不備が、混乱に拍車をかけている。
2号機のたまり水を調べた際、減り方が極めて早いヨウ素134という物質について採取時点の放射能を逆算すると、1ccあたり29億ベクレルとなった。通常の1千万倍にあたる。これほど大量に検出されれば、炉内で核分裂反応が起きている可能性すらある。原子力安全委員会は再評価するよう東電に求めた。
東電が再度測ると、ヨウ素134なら急速に減るはずの放射能が、さほど減っていなかった。東電は27日夜、「減り方がもっと遅いコバルト56と間違えた可能性がある」と発表。しかし、28日未明の会見で「コバルト56ではなくセシウム134だった」と再び訂正した。午前の会見で「検出した」と発表していた別の2種類の物質も、実際には出ていなかったという。
武藤栄副社長は「(分析した)内容を吟味する過程で十分でないところがあった」と話した。
東電の広報担当者は、「測定結果が不確実な可能性があっても、公表しなければ、後から『隠していた』と批判を浴びる」と悩む。経済産業省原子力安全・保安院も、同じ理由で公表を優先したとしている。
東電の発信能力に懸念 相次ぐデータ修正や発表遅れ
中日新聞 2011年3月24日 02時18分(キャッシュより)
福島第1原発の事故で、東京電力や経済産業省原子力安全・保安院の記者会見で、情報公開の遅れやデータの修正が目立つ。国際原子力機関(IAEA)の天野之弥事務局長が「報告が不十分で対応が限られてしまう」と苦言を呈するなど、情報発信のあり方が懸念されている。
23日、東京都千代田区の東電本店での記者会見。東電は、第1原発敷地内での放射線測定で、2回と説明してきた中性子線の検出回数を13回に訂正した。中性子線の検出は、核燃料が外部に漏れた可能性を示す。
広報担当者は「検出限界のぎりぎりの数値で、リスクがあるとは言えない程度」と釈明する。だが、東電側は誤りに気づいたのは15日。訂正までに1週間以上かかった。
経済産業省の西山英彦大臣官房審議官は23日午前の会見で、2号機のタービン建屋内で毎時約500ミリシーベルトの極めて高い放射線量が計測されたと公表した。これまでに公表された敷地内の最高値は毎時400ミリシーベルト。
計測された日を「今日だと思う」と答えたが、約30分後に「数日前」と訂正。「連絡にかかわる人間が多いので、(東電からの報告日時は)すぐには分からない。私は今朝聞いた」と弁明した。
東電は20日夜、2号機の原子炉内の圧力を下げるため、放射性物質を含む水蒸気を外部に直接放出する「ドライベント」を16~17日に試みたが、失敗したと発表した。
ドライベントでは、水蒸気を水に通して放射性物質を減らす「ウエットベント」の100倍の放射性物質が外部に放出されるとされる。報道陣は、ドライベントは環境への影響が大きいため公表を求めてきており、4日以上たっての発表に、驚きの声が上がった。
東電側は翌日朝、試みた日を15日未明に修正。情報の遅れだけでなく、信頼性にも疑いが生じている。
こうした状況について、山中伸介大阪大教授(核燃料工学)は「国と東電の情報が錯綜(さくそう)し、何があったのか分からないことがある」と指摘。危機管理コンサルタント田中辰巳氏は「(国も東電も)情報が体系化されておらず分かりにくい。隠すのではと疑心暗鬼になっているところに、情報が遅れると不信感につながる」と話す。
(中日新聞)
2002.9.16特別報告
東京電力点検データ改ざん問題と原子力政策の破綻
1 東京電力の点検データ改ざん事件
(1)東電の責任
・東電社内調査委員会によれば、自主点検データの改ざんは1986年の福島第一原発2号機の検査から始まり、現在まで続く。かかわった社員は約100人に上り、本社原子力管理部の幹部(取締役を含む)数名と3原子力発電所の現場担当者など社員30∼40名が組織的に行っていた。
・福島第一、第二、柏崎刈羽原発の課長級社員が、原発の自主点検で機器の傷やその兆候が見つかった際、現場担当者が独自に安全評価を行って安全に問題ないと判断した場合、国には「異常なし」と報告することをルール化し、実施していた。法令違反を意識しながら、維持基準を導入し、定期検査を計画通りの日程でこなすことを最大の目標にし、国には虚偽報告を行い、バレるのを防ぐため隠蔽工作も行っていた。
・各発電所長がトラブル隠しを直接指示したケースは確認されていないが、報告は受けていた。
・原子力安全・保安院によれば、自主点検報告書の虚偽記載は1987 ∼1995年に29 件、シュラウドのひび割れや兆候がありながら報告書に記載しなかったケースが計9件あり、福島第一(5件)、第二(3件)、柏崎刈羽(1件)のいずれもが行っていた。蒸気乾燥器のトラブルも3原発で虚偽記載。
法令違反の疑い6 (東電が多数のひび割れを確認しながら国に報告せずシュラウドを交換した福島第件一原発1・2・3・5号の4件、損傷の一部を隠してシュラウドを修理した福島第二3号の1件、ひび割れを隠し無届けで蒸気乾燥器を交換した福島第一1号の1件。6件中5件で機器が交換され損傷状態を確認できず東電が事実を意図的に隠ぺいした疑い有。ひび割れを確認していた場合)
▽福島第一原発1号 1995 、96年にシュラウドひび割れを発見、2000年に交換。発見から交換までの間、技術基準適合義務(電気事業法39条)違反。
▽福島第一原発1号 1989年に蒸気乾燥器に6本のひび割れ発見、3本を水中溶接で修理、記録を残さなかった。修理記録の保存義務違反。
(後略)

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過酷労働もう限界、両親は不明…原発の東電社員がメール
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「1F(福島第一原発)、2F(第二原発)に働く所員の大半は地元の住民で、
みんな被災者です。家を流された社員も大勢います。
私自身、地震発生以来、緊急時対策本部に缶詰めになっています。
個人的には、実家が(福島県)浪江町の海沿いにあるため、
津波で町全体が流されました」~
「実家の両親は津波に流され未(いま)だに行方がわかりません。
本当なら、すぐにでも飛んでいきたい。
でも、退避指示が出ている区域で立ち入ることすらできません。
自衛隊も捜索活動に行ってくれません。
こんな精神状態の中での過酷な労働。もう限界です」~
「被災者である前に、東電社員としてみんな職務を全うしようと頑張ってます。
特に2Fは、自分たちのプラントの安全性の確保の他に、
1F復旧のサポートも同時にやっていた状況で、
現場はまるで戦場のようでした。
社員みんな心身共に極限まできています。どうかご理解下さい」~
「今回の地震は天災です。でも、
原発による放射性物質の汚染は東電がこの地にあるせいです。
みんな故郷を離れ、いつ戻れるかどうかもわからない状況で、
不安を抱え怒りを誰にぶつけてよいのか分からない!それが今の現実です」
抜粋
現場の社員は限界みたいです。
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>>http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/hutatabinihonwohaikyonisurunatohibakusya.html
再び日本を廃虚にするなと被爆者
福島原発災害めぐる広島市民の声
「平和利用」の欺瞞が破たん 2011年3月25日付
深刻さを増す福島第一原発災害は、放射能汚染を東北、関東地方一円に広げ、日本全国を壊滅的な事態に陥れる危機を予測させるものとなっている。65年前、アメリカによる原爆投下の苦しみを経験してきた被爆地・広島では、この原発災害に対する強い憤りが渦巻いている。広島で25万人、長崎で10万人を超える死者を出した被爆国としての経験を無視して進められてきた国の原発行政への怒りとともに、320万人の犠牲を出し、日本全土を廃虚にした戦争政治と原発事故への日米政府の対応を重ね、「ふたたび日本を核の廃虚にさせるな!」という底深い思いが噴き出している。
「原子力発電は、アメリカの原爆製造の過程からはじまったものだ。燃料は広島型原爆と同じウラニウム。これが人間にとってどれほど危険なものかは原爆を投げつけられた広島、長崎の市民が一番知っている。被爆国日本の65年は、なんだったのかと思わざるを得ない」。19歳のとき、爆心地から350㍍のビル内で被爆した男性被爆者(85歳)は、テレビから流れる福島原発の報道を見ながら怒りをにじませた。
「原爆の恐ろしさを思い知ったのは、爆発の威力もあるが、それ以上にその後の放射能被害だ。当時は、日本政府からは“新型兵器”というだけでなんの情報も流されず、生き残った市民は廃虚になった市内の後片付け、生存者の捜索、膨大な遺体の処理と遺族への遺骨の引き渡し作業をやり続けた。すると8月20日頃から、まったく無傷だった人たちが、急に脱毛、発熱し、血を吐いたり、紫の斑点が体中にあらわれ、苦しみもだえて死んでいった。私の職場でも直爆による死者よりもその後の二カ月間で死んでいった人の方が多かった。今回の原発事故で“ただちに影響はない”“体調に異常なし”と平然といっている政府の説明はあまりにも不見識、無責任だ」と憤る。
同氏も69歳で大腸ガンを患い、つづいて化膿性骨髄炎を併発しておよそ3年間、病床で生死の縁をさまよった。同じく10代、20代で被爆した人が同時期にガンになり、いま第2期のガン発病期を迎えているという。「放射性物質からまき散らされる中性子は、細胞内の染色体を破壊する。バラバラに切断された染色体が修復しようとするときに別の個体とくっついて異常な細胞が生まれる。若い人ほどガンの進行が早いように、細胞分裂が盛んな時期ほど影響を受けやすい。子どもや若い人たちは安全な場所に避難させるべきだ」と話した。
「広島と長崎は、いまでも被爆の苦しみが続いている。だが、戦後の日本政府はアメリカの顔色をうかがって被爆の真実を日本全国に伝えてこなかったし、 “原爆によって戦争が終わった”と正当化するアメリカのいいなりだ。その一方で“安全神話”で人人をだまして地震大国の日本全国にあれだけの原発をつくった。戦後の焼け跡の中から、血のにじむような努力をして復興してきた日本をふたたび破滅の道に突き落とそうとしている。絶対に許すことはできない」と語気を強めた。
原爆によって母と幼い弟を失った婦人被爆者(78歳)は、「福島原発の爆発を見たとき、きのこ雲を思い起こした。また第二、第三の被爆者が生まれると直感した。また若い人たちが私たちの苦しみを味わうのだと思うと悔しくてたまらない。国が主張してきた安全神話は崩れているにもかかわらず、官房長官もいまだに“安全だ”としかいわず、国民の側に立って政治をする人がいない。アメリカは日本中に米軍基地を置いて、莫大な思いやり予算をとっていながら、90㌔圏外に避難して眺めているだけ。なにもかも被爆当時とそっくりだ」と話した。
「被爆後、脱毛、喀血など原因不明の病気でみんな苦しんでいたが、医者も手の施しようもなく、藁にもすがる思いで市民はABCC(米原爆傷害調査委員会)へいった。だが、アメリカは丸裸にして体の隅隅まで調査してデータをとるが、一切の治療はせず、薬の一つも渡してくれない。完全なモルモットだった。原爆投下の翌日も調査のために超低空飛行で避難地の頭上を飛び交い、寝ている私からもニヤリと笑うパイロットの顔が見えた。アメリカという国は“まさか…”と思うことを平気でやる国だ。日本の原発はアメリカから日本に押しつけられたものだが、今回の事故は3発目の原爆を落とされたに等しい。放射能被害にさらされている被災地も大変だが、同情している場合ではない。全国各地に原発はあり、このままでは日本中が同じ目に遭うということだ」と切迫感を口にした。
また、「安全」をくり返す日本政府の対応は、敗戦が濃厚だったにもかかわらず日本中が廃虚になるまで「我が方の損害軽微なり」といい続けた大本営発表と重なること、満州で「敗戦」の情報を国民に知らせず、真っ先に軍や警察が逃げて、国民を置き去りにしたことも「65年前の昔の話ではなく、いま現在起きていることだ」と強調した。
「この原発災害で、戦後65年間、アメリカが日本になにをしてきたのかがはっきりした。インディアンを皆殺しにしたように、自国の利益のためなら他民族を滅ぼすまで利用し続ける。原爆を“昔の話”といって排除し、“原爆は終戦を早めた。いまは平和で民主主義だ”といっている間に、その“平和”が一瞬にして崩れている。広島、長崎が経験した真実を日本全国で共有し、この日本を立て直す時期に来ている」と語った。
被爆者たちが強調するのは、戦後の日本で被爆の真実を封印し、同時に「原子力の平和利用」という美名のもとに日本中に原発を建設してきた戦後政治の犯罪性だ。広島でも「原爆投下は日本の中国侵略に対する報いであり、被害をいうまえに日本の加害責任を反省せよ」という米国擁護の宣伝があたかも「進歩」的であるかのようにふりまかれ、深刻な経験をもつ被爆者の口を封じ込めてきた。
アメリカは、日本に原発を導入するうえで「被爆国日本の反原爆、反米世論を取り除く」ための「対日心理作戦」(1953年策定)に最も力を注ぎ、CIAを通じて読売新聞、日本テレビ社主の正力松太郎、中曽根康弘などを使って大規模なキャンペーンのとともに原発誘致をやらせてきた経緯がある。広島を中心に高まった原水爆禁止運動を二つに分裂させ、「革新」勢力を飼い慣らすことも含め、被爆地の世論を抑え込むことは、アメリカの戦後の核戦略、日本のエネルギー支配のための至上命題であった。
男性被爆者は、「マスコミの犯罪も大きい。戦争中は、大本営発表のプロパガンダをしていたが、戦後はその責任を丸投げしてGHQのいいなりだ。原発をつくる上でも、マスコミが果たした役割は大きい。このたびの事故で浮き彫りになったのは、被爆国日本はアメリカの核実験場にされ続けているという事実だ。この地震国に原発を54基も建てて“安全”であるわけがない。以前の国民保護計画も“核攻撃を受けたら、雨ガッパと濡れタオルで風上に避難せよ”というバカげた内容だったが、今回の原発事故に対する政府の対応も国民を守る意志を感じない。国が動かないのなら、全国民が力を合わせなければ、この危機を乗り越えられない」と話した。
婦人被爆者は、「地震という天災が原発という人災で被害が拡大しているのに、政府もアメリカも責任のがれ一辺倒だ。だが、被災地の人たちを見ると、明日をもわからないこの大惨事でも助け合い、協力して国を立て直す力を持っていると感じた。とくにコメどころの東北地方には、農耕民族としての日本人のルーツがある。戦争で焼け野原にされた日本各地も、“草木一本生えない”といわれた原爆の廃虚の中から復興してきた広島も、市民の助け合いと努力があったからここまで立ち直った。戦後はアメリカ式の個人主義で“自分さえよければ”という空気が強かったが、苦しいときこそ結束する日本人の精神力は変わらない。やられてもやられても立ちあがる日本人の強さをアメリカは恐れている。日本中で物価が高騰しはじめているが、米作りをはじめ食料の増産、避難してきた人を受け入れて全国が団結していけば、必ず立て直すことができる」と力を込めて語った。