2011.03.08 (Tue)
石田壱成さんが原発ストライキの体験談を披露
普通、アメブロの芸能人ブログというのは、内容のない短い文章にスペースばかり多くて、脳みそが腐っちゃいそうになるのでめったに読まないのだけれども、石田壱成さんが子供の頃に経験した原発ストライキの体験談を読んで、我ながら感動してしまったので、このブログの読者のみなさまにもぜひ、読んでいただきたく、ここに紹介したい。
ブログでは、自分の体験をありのまま飾らずに語ることの大切さを改めて思い知らされた気分。かなり長い文章なのに、最後まで飽きさせずにいっきに読ませるところなど、石田壱成さんには、かなりの文才があるのではないかと思う。
私たちが知らぬ間に壮絶な市民VS政府の戦いがこれまでにも数えきれないほど行われていたことを知り、目が覚める思いをした。
今だからみんなで考えたいこと。
いま一度、世界中がWebでリアルタイムでつながった今、改めて原子力発電所について書いてみようと思う。
ご興味のある方は一つの読みものとして目を通して頂けたらとても有難く思う。
あくまで、いち体験談として。
で、構わない。
推進派の方は勿論、反対する方は無論、特にどちらでもない、という方には是非に。
勿論興味あれば、で構わない。
さて少し前の話しになるが、先月山口県庁前で若者たちによる上関原子力発電所建設反対を訴えるハンガーストライキがあった。
その直後、約300~400名ほどの作業員が深夜、闇討ちをかけるかのように上関原発建設予定現場に集結した。
無論、新原子力発電所の建設工事着工の為に、だ。
上関原発建設が決定されてから、過去おおよそ30年もの間、建設に反対して来た祝島の島民の方々をはじめ全国から建設をやめて欲しいと集まった反対派の身体を張っての抵抗。
そうして現地の方々が、その身体を投げうって自然を、自分たちの島を、海を、そこに住まういきもの達すべてを守って下さったおかげで、工事は今現在、ストップしている。
だが、いつ再開されてもおかしくない状況だ。そうして、過去からずっと同じ状況が続いている。今も。この瞬間も。
当夜、全世界中に上関の真夜中の奇襲攻撃のニュースは主にTwitterなどを経由して、インターネット上を飛び交った。
日付けでいうと、2/21の確か午前2時前後だったと思う。
まさに、ひと眠りしようとしていた矢先のことだった。
とにかく僕にとっては大事件だった。ベッドから飛び起きてパソコンを立ち上げた。
次々と送られてくる転送メールやTwitterなどを経由しながら、こちらも夜を徹して現地からの動画配信などで状況を見守りつつ、作業員への説得や建設中止を中国電力に現地で訴えてくれている島の住民の方々と現地に集合してくれている反対派の方々へ、心からのエールを送り、ただただ祈った。
争いにならない様にと。
衝突が起こらず、作業員が説得に応じてくれて、着工作業を停止してもらえる様にと。
何も綺麗ごとなどでこんな事を書いているのではない。
僕は体験したことがある。
その衝突を。
そういう時に起こりうる実は誰も望まない衝突を。
たしか自分が11歳ぐらいの頃だった、二歳のとき両親が離婚したあと、母子家庭で当時は母と母の恋人と山のなかで三人で暮らしていた。
旧ソ連(現在のウクライナ)のチェルノブイリ原発が大爆発を起こしたわりとすぐ後、だったと記憶している。
(後略)
これを読んで、これまでの石田壱成さんの印象がかなり変わってしまった。この貴重な経験をいつまでも忘れずに命の尊さをできるだけ多くの人たちに語り継いでいって欲しい。石田壱成さんのこれからのご活躍を期待したい。

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