2006.09.01 (Fri)
Thessalonikeちゃん、笑わせないでね♪
正直言って、SobaさんのAbEndリンクの方法を書いた以前の記事はよく覚えてないが、おとといの時点でその記事を読んでみたら、BlogPeopleから削除以来が来るのがおかしいほど普通の記事だったので、表現を変えてくれたのかと思ったのだ。でも、全く変えていなかったの?もし変えてなかったんだったら、ごめんね、Sobaさん。私の勘違いでした。
『世に倦む日日』の妄想に満ちた記事には笑ってしまったのだが、Sobaさんがむきになるのもわかるくらい、かなり悪意に満ちた記事だ。『世に倦む日日』はとても洞察力のするどい記事が多くて、以前は毎日のように読ませてもらっていたが、自分でも「今度こそはマスコミに並ぶ質の高い言論機関をネット上に構築する覚悟と決意でいた」と言っている通り、あまりにもマスコミの記事を意識しすぎているせいか、面白みに欠けたブログに成り下がってしまった。
かと言って、かなりの独断と偏見に満ちた部分は残っているので、なんとも読んでいてすっきりしない気分になることが多くなり、最近ではあまりアクセスしていない。私と同じような意見が多いせいか、どうかはわからないけど、以前は毎日1万以上のアクセス数があったのにもかかわらず、最近では5000前後のアクセスに落ち込んでいる。今回の「ネット市民社会と正常な言論環境 - 一般ブロガーへの誹謗中傷」という記事もアクセスを挽回するために用意周到に仕組まれて書かれた記事という気がしてならない。
まず、その記事の中で、Thessalonike氏は
とおおげさなことを言っているが、私はこの記事を書くためにThessalonike氏がブログピープルにSobaさんの記事の削除依頼をしたのではないかと見ている。ブログピープルが削除依頼するのはほとんどが誰かからのリクエストがあるときで、それ以外は担当者が突然削除依頼をしてくるとは思えない。いったい誰が、それもSobaさんだけの記事を削除依頼したのだろうか?ブログピープルを運営する事業者はファンコミュニケーションズだが、今回の記事削除の一件は、単に担当者が思いつきでtbp主宰者に勧告したものとは考えにくい。社内法務で事前に検討した上での処置だろうし、訴訟になった場合を想定して弁護士と対応を協議した上での通告と思われる。
又、Thessalonike氏は、
とあるが、Sobaさんによると表現は変えていないとおっしゃっているし、私が表現を変えたのは、誹謗中傷の事実を認めたわけではなくて、本来の趣旨「安倍晋三氏に関する記事」ということだったのが、批判記事のみを期待しているかのごとくの表現になってしまったからである。安倍NDのトラックバックの記事を全文読んでいるが、その中で安倍晋三を誹謗・中傷している記事など全く見当たらない。どれも、事実にもとづいた批判である。今回はtbp主宰者が削除を受け入れ、当該ブロガーが記事の表現を書き換えて落着したようだが、表現を修正したということは、事業者側が指摘した「誹謗中傷」の事実を認めたことになる。
私はSTKには参加しておらず、どんなイザコザがあったのかよくわからないのだが、Thessalonike氏も誹謗中傷記事を書かれるのには、原因があったのであり、それは何だったのかをはっきりとさせない限り、いつまでも解決できないのではないだろうか?日本の歴史問題が肝心なとこ
ろを覆い隠しているために、何も知らない者にとっては何が本当かがわからない状態と似ている。もうそろそろ正直に全てを話して、もっと大人になったらどうか?
『反戦な家づくり』の「批判と誹謗中傷 安倍Endをめぐって」のように考える方が多いのも理解できる。マスコミの記事の質が高いとは思えないし、それを追従することがいろいろな誤解を招く結果となっていることは言うまでもないだろう。『世に倦む日日』は個人のブログであり、政治家と癒着しているマスコミとは違うのだから、政治家の圧力に影響されることなく、自分の意見もっとどうどうと述べたらどうだろうか?
私個人としてはThessalonike氏は自民党政権に対して大きな抵抗を抱えている一人だと信じている。同じ思考同士の者がほんのわずかな誤解によっていつまでも争っているのは、本当に残念なことだ。もう少し大人になって柔軟な姿勢で、相手を受け入れる寛容な心を持ってもいいのではないだろうか?他人を許すことによって自分の罪も許されるのだ。安倍政権打倒という一つの目標に向かってみんなで力を合わせれば、より大きな力が発揮できるのではないだろうか?
話は変わるが、ピリカラさんのブログが削除されてしまったというニュースを聞いてびっくりした。gooブログだったと記憶しているが、主催者側から圧力を受けたのだろうか?だとしたら、言論の自由を弾圧するとんでもないブログである。又、下のようなデマが出回っているのにも驚いた。
そう言えば、カナダde日本語ちゅうブログには、トラックバックピープルから削除依頼が来たらしい。ここは明らかに安倍はんをけっこう強く批判してはるサイトや。このブログのオーナーが提唱してはる「安倍ND」っていう運動が気に入らん勢力から圧力がかかったんかも知れんな。
肝心な主語や述語が抜けているので、何も知らない人がこれだけを読むとまるで、私のブログがBPから削除依頼されて削除されるようなことが書いてあるが、このブログはFC2であり、BPから削除依頼が来るわけない。記事の削除依頼はあってもブログの削除依頼はない。
明日はワインの知識のテストがあるので、これから勉強しなくてはならず、時間をかけていられなかったから、ざっとコメントとTBを読んで書いたので、後で読んで訂正する箇所も出てくるかもしれないが、これからも参院選に向けて安倍晋三を総理の座からひきずりおろし、自民党の政権交代をめざしてブログを続けるつもりだ。国家の権力に立ち向かっていくには、同じ考えの国民一人一人が一つになって闘っていかなければならない。仲たがいしている時間や労力があったら、そのぶん、それを権力側にぶつけていかないと、とても来年夏の参院選で政権交代を実現させることはできない。最近では新しいメンバーも安倍NDリストにTBして下さっているようで、ますます盛り上がっていくだろう。言論の自由を奪うような動きにはみんなで一丸となって闘っていこう!
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以下の引用文を見る限り、彼の問題となっている記事の続編、これは氏御自身の名誉のためにも書かれるべきではなかった。
(引用はじめ)
それが善意の批判か悪意の誹謗中傷かどうかを判断するのは、まずは誹謗中傷(批判)を受けた側であって、誹謗中傷(批判)を発した側ではない。今回の場合、最初にそれが誹謗中傷かどうかを判断するのは(受け手の)安倍晋三であり、そして最終的には第三者である裁判所が審決する。…(中略)… 誹謗中傷を正当な批判であるとして正当化する論法は、侵略戦争を防衛戦争だとして正当化する右翼の詭弁とよく似ている。それが侵略戦争であったかどうかは、まずは侵略を受けた側の中国の人々が判断する問題なのであって、戦争を仕掛けた日本の判断や定義が普遍的に妥当し通用するものではない。
(引用終わり)
確かにここには真理は含まれています。つまり被害というものは被害者がそれを感じ取り、被害を受けたと判断するものであって、加害者がそれを規定するものではない、ということです。しかしその被害の内容が問題だということがこの記事から抜け落ちているように思います。一方はある程度は、あるいはかなり真実をついている批判を(少し茶化した感じの批判を)受けた事がその「被害」、片方は40年近くも文化を圧殺されたり、あるいは十数年も国土を戦場とされたり、また一つの都市で何万人か何十万人かが虐殺されたしたことが「被害」です。一方は真実が明るみにでれば、「被害者」が反論出来なくなる「被害」、もう一方は「加害者」が反論出来なくなる「被害」ですね。
どうもテッサロニケ氏は仰るところの「誹謗中傷」が完全悪とするあまり、完全悪としての「戦争」をアナロジカルに引き合いに出し(ここまでは論理的には正しく見えます)、ついで不適切な例を挙げてしまったようですね。安倍晋三氏に見る日本の右傾化を憂いていたり、実際に日本の占領政策や戦争で自分や家族が犠牲になった中国人や韓国人がこの記事を見たら何と思うでしょうか。中国や韓国に友人が多いであろう氏にはこのような記事は書いて欲しくありませんでした。まあこんな意見は感情的に聞こえるかもしれませんね。
この記事がもう一つ真実を含んでいるとすれば、無用に(安倍氏のような激しやすく権力を持つーーこれも「誹謗中傷」?)論敵を刺激するなということでしょう。確かに権力批判には純粋な思いを胸に秘め、効果的に相手の本質に切り込み、しかも己れや見方の立場を極力守ることが必要で、「蛇のように賢く、鳩のように素直に」(マタイによる福音書10:16)という古えの知恵はまだ生きているでしょう。しかしすべき批判さえ封じられたままで(また自分で批判した「誹謗中傷」とされるのを恐れて?)いいのだろうかという問題は残ります。むしろ神経症的な批判を受け付けぬ態度は大いに批判に値するでしょう。こんなことは皆様には釈迦の耳に説法だったかもしれません。
また公平たらんとするために一つ言えるとすれば、推測をもとに批判するのはどうかということです。「アクセスを挽回するために用意周到に仕組まれて書かれた記事という気がしてならない」ということを書かれるのはどうでしょうか。状況判断ではあるでしょうが、いささか美爾依様らしからず疑惑の解釈学に憑かれた様が見えます。またコメントを寄せられた無名様も「自分より人気がずっと高いサイトへの嫉妬心も多分に感じられるますが…」と仰るのはどうもいただけません。これも推測ですね。それに「名指しでこきおろしていた」でしょうか。その記事の中でひょっとして見落としていたかもしれません。
この一連の流れを見ていてどうも残念で、これで権力と戦えるのか心配になってきます。以上、なるべく「誹謗中傷」にならぬよう出来る限り事実と論理に基づいて発言するよう心がけたつもりです。わざわざ問題とした記事を原文で掲げたのもそれがためです。
美爾依様の「他人を許すことによって自分の罪も許されるのだ。安倍政権打倒という一つの目標に向かってみんなで力を合わせれば、より大きな力が発揮できるのではないだろうか」というのは正論です。今後とも美爾依様や安倍NDの皆様、またテッサロニケ様が、共通の目標に向かって健筆を振るわれん事を期待してやみません。敬具
私もあるいっとき見てたことがありました。(20日ぐらいかな)
で、正体が見えた出来事があったのです。
ある超有名な『○。○の日記』の中のほんのささいな点を何十倍もの文字列にして膨らせて「俺は何でも知っているんだぞ・・」風ないつもの口調で徹底的にこき下ろしていた記事を読み、「こいつはいったい何様だっ!」の衝撃が走り、私の中から完全にパージされました。
個人の意見表明のサイトやブログを名指しでこき下ろすのは病的な感じがします。
権力を批判するのは「言論の自由」が憲法で保障されているのでもちろん許されているし、むしろ自分の意見を主張してどんどん批判すべきだとおもっています。
しかし、一個人が運営しているブログとかページの重箱の隅に見付けた誤りとかを、自分のページで徹底的にこき下ろすのだけはみっともないのでやめたほうがいいと思います。
もしまだ発病してないとしたらその精神の貧しさに哀れみさえ感じます。
もし見付けて、知らせたいと思ったらその管理人にメールで知らせるのがスマートというものです。自分より人気がずっと高いサイトへの嫉妬心も多分に感じられるますが、そんな暇があるのなら自分の運営するブログのコンテンツでも磨いたほうがどんなに前向きで有意義なことかしれないと、そのときに思いました。今年の3月の下旬のことでした。
というわけで、それ以後パージされているのでどうなっているのかわかりませんでしたが、今般のことではからずも開いてしまいましが、狂ってますね。ほとんど病気です。
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「防災の日」に安部晋三氏 総裁選立候補の正式表明 次期首相は安部氏に決定?
やめた理由は個人的なもので、決してgooさんのせいではありませんし、安倍さんとも関係ありません。
言葉足らずだったのと、このタイミングだったので、多くの方に不安を与えてしまったこと反省しています。
少し間をあけて出直しますので、その節はどうぞよろしくお願いします。