2010.08.24 (Tue)
推定無罪を政治倫理の問題にすりかえる岡田外相

写真:『Rolland 's Public Gallery』より
植草さんが、ブログの対米隷属悪徳8人衆を糾弾する原口総務相正論というエントリーに、これまでの経緯を詳しく書かれているが、
ところが、今度は、岡田外相が、原口総務相の反論に対し、これまた、反論とはとても呼べないような床屋談義のようなコメントをだした。
「推定無罪は法律の問題。政治倫理の問題としてどうなのかと言った。次元の違う話で、普通の人なら分かること」と述べたのだ。
この原口総務相を普通の人ではないように扱い、馬鹿にしたようなトンチンカンなコメントを読んで、これでも本当に東大法学部出身大臣なのかと首をかしげてしまった人は多いと思う。推定無罪の意味が全くわかっていないのである。小沢氏の秘書が逮捕された政治資金問題は、まだ審議が続いており、まだ、判決が出ていない。
民主主義の下では、推定無罪と言って、国際人権規約B規約14条2項等により、有罪判決が確定するまでは何人も犯罪者として取り扱われない権利を有することを意味するのに、岡田外相は、まるで、小沢一郎を犯罪人のように扱っているのだ。原口氏に向かっても異常な人であるかのような扱いである。全くもって人権侵害である。推定無罪を次元が違うと言って政治倫理の問題にすりかえ、人権侵害発言を平気で行う岡田外相は、一国の大臣として、又、1人の人間として、あまりにも未熟である。
もちろん、岡田外相は、東大法学部出身なのだから、全てを知りながら、わざと知らないふりをしてこういった小沢バッシングを行っているのだ。小沢がいては、目の上のタンコブであり、従米派の岡田の思うとおりに米国と交渉がいかない。だから、小沢を閣外、できれば党外に追い込むために、これまでは、自民党議員が同じことをやってもなんら問題にならなかったような小さな記帳ミスを、政治倫理(政治とカネ)の問題として大問題のように扱っているのだ。その上、推定無罪は無視。
mixiのニュースにコメントされていた意見の中で、私とは違った角度から解説、反論されている。とても参考になると思われるそのご意見を紹介させていただきたい。
Mixiの『kazu(Guevarista)さんの日記』より
法律を知らずに政治倫理を語るオバカ外相
売国CIA新聞ヨミウリの記事ゆえ信憑性が疑わしいが、民主代表選への小沢出馬を批判した岡田外相の「論理」を批判した原口総務相を岡田氏が反批判したと言う。
以下ヨミウリの記事引用
>審査中の小沢一郎前幹事長が出馬することの是非について「推定無罪は法律の問題だ。政治倫理の問題でどうなのか、次元の違う話だ」と述べ、望ましくないとの考えを改めて強調した。
訪問先のバンコクで記者団に語った。小沢氏の出馬を巡っては、原口総務相が「推定無罪の原則が民主主義の鉄則だ」と、問題にならないとの考えを示している。・・・以上引用終わり
その辺りの三文記者やネトウヨ程度なら兎も角、東大卒の元官僚がこんな程度のことを言うとは信じ難いのだが、一応は解説と反論を。
小沢問題は政治資金規正法違反の虚偽記載「容疑」である、「推定無罪」は「容疑」段階であるから当然のことなのだが、この小沢問題は「容疑」そのものに問題があるのだ。
その前提に立つ前の話としても検察に「秘書が」検挙・起訴されたから法ではなくて政治倫理の問題だと語るなら、政治倫理の決定権は一行政機関たる検察にゆだねることになるのか?だとしたらそれは立法府の議員として同時に行政府の長たる内閣の一員として自殺行為である。
この虚偽記載事件は西松建設事件に顕著であるがあまりに公平性を欠き、また容疑そのものが根拠薄弱である、検察特捜が前例や実態を無視し新解釈によって容疑を規定しているのであり、既に西松建設事件などは公判が維持できなくなっているのは常識である。
何より憲法で定められた罪形法定主義に基づかない政治資金規正法の虚偽記載では検察の自由裁量で犯罪容疑となることが問題なのであり、法律の不備として問題化されなければならないのだ。
法で容疑を規定できない、しかも政治資金規正法の虚偽記載で「法律の問題ではなく政治倫理の問題だ」と言うのなら、その政治倫理の問題とは「法以外の」何なのかを指し示さなければならないであろう。
まさか規範は検察だなどとは言わないと思うが。
法を知る者として常識だと思うがそんなことも解らぬ大臣だとは思えないし、思いたくないのだが。
■岡田外相、原口総務相の「推定無罪」発言に反論
(読売新聞 - 08月23日 23:18)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1318212&media_id=20
岡田外相の場合は、全てを知りながらわざとこんな馬鹿なことを言っているのだろう。なぜなら、推定無罪を認めてしまうと、小沢氏の代表選の出馬を牽制する理由がなくなってしまう。岡田外相を初めとした対米隷属悪徳8人衆にとって、「政治とカネ」の問題を訴え続けること以外に、小沢氏を失脚させる方法はないのである。
ついでに、産経が「首相をコロコロ変えるのはよくない」という菅内閣の閣僚の意見への反論を発表していたので紹介したい。
(産経 2010.8.23 08:27)
一石四鳥(岡田、野田、菅、レンホー)のとても胸のすっきりする論説である。
【More・・・】
早期解散に否定的=「しっかり腰据えて政治を」-岡田外相(時事通信 2010/08/23-23:45)
【バンコク時事】岡田克也外相は23日、バンコク市内で記者団に対し、菅直人首相が衆参同日選に言及したことに関連し、「しっかり腰を据えて政治をすることが大事だ」と述べ、早期の衆院解散・総選挙に否定的な考えを示した。
岡田氏は「民主党は衆院で圧倒的多数を持っている。しかも、経済が厳しく、社会保障も少子高齢化の現状に合わせて全体の制度を変えていかなければいけない時期だ」と語った。
一方、岡田氏は、「政治とカネ」の問題を抱える小沢一郎前幹事長の党代表選立候補に自身が疑問を呈し、原口一博総務相が「推定無罪が民主主義の鉄則」と反論したことに言及。「推定無罪は法律の問題。政治倫理の問題としてどうなのかと言った。次元の違う話で、普通の人なら分かること」と述べた。
推定無罪(ウィキペディア)
推定無罪(すいていむざい)は「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」という、近代法の基本原則である。狭義では刑事裁判における立証責任の所在を示す原則であり、「検察官が被告人の有罪を証明しない限り、被告人に無罪判決が下される(=被告人は自らの無実を証明する責任を負担しない)」ということを意味する(刑事訴訟法336条等)。広義では、有罪判決が確定するまでは何人も犯罪者として取り扱われない(権利を有する)ことを意味する(国際人権規約B規約14条2項等、「仮定無罪の原則」という別用語が用いられることもある)。無罪の推定という表現が本来の趣旨に忠実であり(presumption of innocence)、刑事訴訟法学ではこちらの表現が使われるが、近時、マスコミその他により、推定無罪と呼ばれるようになった。
【一筆多論】五嶋清 首相支持理由にあきれた
(産経 2010.8.23 08:27)
民主党の参院選大敗の一因を作った菅直人首相を続投させるのかどうか。民主党議員や党員らは9月に実施される党代表選で重大な判断を迫られている。党内は徐々に続投支持派と反対派に色分けされつつあるが、これまでの議論を聞いてみると、どうやら菅首相は反対派だけでなく、支持派からも大した評価を得ていないようにみえる。
菅首相を支持する理由として、よく聞こえてくるのが、「一国の首相をころころ代えるのはよくない」という声だ。
たとえば、岡田克也外相は7月29日のTBS番組収録で、「まだ1カ月の政権を代えることがどういう意味を持つか考えた方がいい」「(首相が短期間で代われば)日本の存在感が小さくなりかねない」と述べた。また、野田佳彦財務相も同30日の記者会見で、「トップがころころ代わることは不安定につながる」と発言している。
これらは一般論としては正しい。たしかに、主要国首脳会議(サミット)など近年の首脳外交の場では、日本の首相が毎年交代するために他国から軽んじられがちだという指摘がある。首相交代に伴う政治的空白や新旧首相間での政策の継続性という点でも、短期間での首相交代には問題があるだろう。
だが、これらの議論はあくまでも首相にふさわしい人物が首相だった場合という前提付きで成立する。仮に、首相としての適格性を欠いた人物が首相の地位にあるのなら、「ころころ」だろうが「短期間」だろうが、さっさと代えた方がいい。
菅首相が、首相としてふさわしいかどうかの議論はおくが、続投反対派は菅首相が一国の指導者としてふさわしくないと言っているのだから、逆に首相支持派はふさわしい理由をもっと列挙すべきではないか。少なくとも、「ころころ代えるのはよくない」というよりもましな理由を挙げるべきだ。ほかに支持理由が見当たらないのではないかと勘ぐりたくもなる。
蓮舫行政刷新担当相は18日、野田財務相支持グループの研修会であいさつし、「代表選があること自体は歓迎したいと思うが、もしここで仮にまた代表・首相が代わるとなると、個人的には(解散)総選挙が筋だと思っている」と述べた。その上で、「総選挙になった場合は10月末に予定されている特別会計の事業仕分けにも大きな影響が出る。その影響を最小限に抑えるためにも、菅首相を支持したい」と発言した。
事業仕分けに悪影響を及ぼさないための首相支持-。これほどスケールの小さい支持理由も珍しい。事業仕分けが優先で、首相の人選は二の次。まるで事業仕分けが円滑に進むなら、首相の続投などはどうなってもいいというふうにも聞こえる。
自民党政権下で首相がころころ代わった末、自民党は下野に追い込まれた。民主党はその二の舞いを恐れているのかもしれない。だが、心配はいらない。ころころ代えなくて済む首相を選べばいいだけの話だ。それとも、民主党にはそういう人材はいないということだろうか。(論説委員)
どうやら、菅政権下では、官房機密費が産経まで行き渡ってないようである(笑)。

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・頭が良いか悪いか
・善人か悪人か
という単純な指標を組み合わせ、
1.頭の良い悪人
2.頭の悪い悪人
3.頭の良い善人
4.頭の悪い善人
という(大変主観的な)分類を密かにしていました。これは戦略などという高尚な思考をしたのではなく、会社勤めをしていてまた社会生活をしていて職場や社会にいる人間をそのように分類してみると自分なりに理解しやすかったからです。ちなみに私は上記分類で一番たちが悪いのが「頭の良い悪人」だと思っています。なぜならば同じ悪人でも頭が悪いほど善悪の分別がつかない可能性が高い一方、頭の良い悪人は頭が良い分だけ物事の善悪を理解している筈で、善悪を理解していて悪事に手を染めるのだからその罪は頭の悪い悪人が同じ罪を犯す場合よりもはるかに重いと考えるからです。特に頭の良い悪人が自らの手を直接汚さず頭の悪い悪人を使って悪さをする場合は非常にたちが悪いと思っています。自分の身がいよいよ危なくなると頭の良い悪人は頭の悪い悪人をとかげの尻尾にして逃げます。
例えば警察官僚(頭の良い悪人が末端の公安警察官(頭の悪い悪人)を使って犯罪捏造や警察の組織犯罪隠蔽工作をする場合はそれにあたるかと思います。
それ故頭の良い悪人に対抗するには自分が頭の良い悪人以上に頭の良い善人である必要があると思っています。
この私の1から4の分類はヘンリー・オーツさんがポジショニングマップで分類したA層からD層と妙に重なるところがあるような気がしています。
岡田氏は一連の発言を見る限り多分「頭の良い悪人」に分類されると思います。しかし自らの発言について正しいか間違っているかは恐らく知っていると思いますが悪い事をしているとは思っていないよいうな気もします。
こういうことをする人の思考回路は「自分が個人的に得をする事は正しい事で損をする事は悪い事」というレベルの割り切りではないかと思います。すなわち「将来の総理の椅子を狙いやすくするには小沢さんは邪魔だから小沢さんを蹴落とすことは肯定される」といった風です。
残念ながら学生時代においても会社勤めをしていてもこういう思考回路をもったクズ人間は所謂エリートを気取る人間に結構多くいて、ライバルや敵をこれ見よがしに誉めたりそのような奴らと手を組んだり、或いは悪魔に魂を売ったりと結構凄まじい事をします。
しかしこのようなことをする輩は根本的には自分に自信がないのだと思います。
以上