2010.08.16 (Mon)
オカマ大臣の無知をさらけ出す暴言

オンタリオ湖に浮かぶヨット
昨日のエントリーで
確かに、昨日紹介した小沢氏への応援メッセージの中にも、「首相になれば検審会でたとえ「起訴相当」が出ても起訴されない特権がある」と指摘されており、岡田大臣の発言とは相反する意見がある。平野貞夫代表も、「憲法を遵守する立場では、本来三権は緊張関係にあるもので、特に司法権との関係でいえば、最高裁の最終判断が決定するまでの間は「推定無罪」となる」と書かれており、この通りであるならが、小沢氏が代表選に出馬するのは避けるべきとする岡田氏の発言は、無知を通りこして、恥さらしということになる。
又、これが、全てを承知した上での発言だとしたら、さらに悪質だ。小沢氏の政治家としての言動を規制し、小沢氏の政治生命を奪う意図が岡田発言の中には見え隠れする。まさに、多くの批判を受けた「小沢は、党のためにも自分のためにも、日本のためにも静かにしておけ」という菅直人総理の暴言と変わりはない。菅直人にしても、岡田克也にしても、このような発言を同じ党内の総理候補議員に向かって投げつけるとは、国政の要職につく者として不適格である。
しかし、このような発言をするとは、まさに官僚の犬である岡田らしいと言えよう。小沢一郎に関する「政治とカネ」の問題は、麻生政権が政権交代を避けるために、(恐らく官房機密費を検察やメディアにに裏で渡しながら?)小沢つぶしを目論んだものである。岡田氏の論理でいけば、例え、真実に反しても、検察の決定を盲信しろということになる。
例えば、霞ヶ関改革を進められると都合が悪いので、官僚がその可能性のある首相を阻止しようとすれば、検察審査会を通して、その政治家を起訴すれば、国民の意向を無視した、官僚にやさしい総理大臣を生み出すことができる。それが今の菅内閣である。つまり、この国は、国民主権からほど遠い、官僚主権政治が堂々と行われているということだ。官僚たちが国家の司法権を悪用して、政治家を支配しているのだ。
ちなみに、読者のダイオウさんから、検察審査会は出来レースであるということを証明する下記の貴重な情報をいただいている。
【More・・・】

検察審査会は出来レース
このサイトのファンです。
ご連絡する、失礼、ご容赦ください。
郷原信郎氏同様、検察審査会の「起訴相当」議決について...とんでもない議決、あぜんとしたの思いを同じくする老人です。
検察審査会に関与した、弁護士と九州と山口人脈について調べてみましたが、「ふるさと北九州市を考える会」なる団体があります。
この窓口、どうやら大手●●設計が仕切っている様子、建設産業関連業者を主流にマスメディア迄と、多彩です。
川筋物と言われた学校出身者もおり、麻生太郎と麻生利勝及びメディアがつながっても、不思議はないことです。
下記に概略のWEBサイトを乗せておきます。
1.設立・改名年月日
1988年11月06日「ふるさと北九州市を考える会」を設立。http://net.a.la9.jp/kk/index-old.htm
1997年01月01日「かんもん北九州ファンクラブ」に改名。http://www1.ttcn.ne.jp/mineyo/kanmon/
において、現在会報76号、 会員数1046名
「ふるさと北九州市を考える会」の会報、06号(2006年05月)に下記の者出席したと掲示されています。
2006年当時は、このような談合組織が、おお手をふってまかり通って(「当って」を訂正)いたのです、今も形を変え巧妙に活動していることでしょう。
麻生 利勝 八幡高校33卒 麻生法律事務所 辯護士
齋藤 旭彦 福丸高校34卒 衆議院議員麻生太郎 秘書
舛添 要一 舛添要一事務所 (北九州市出身)
告発した、「市民団体」の代表も九州人脈、この輩がそろって、検察審査会を、操作したものと、想定します。
この件に関しては、板垣さんのwebにも書き込みしましたので、反応をお確かめ下さい。
又、『ラ・ターシュに魅せられて』の気弱な地上げ屋さんも「クジ引きなんて大嘘だ! 検察審査会の審査員はこうして選ばれます! 東京第5検察審査会」というエントリーで、検察審査会の怪しさを披露して下さっている。
検察審査会の審査員の選任は、建前上はクジ引きということだが、実際は、最初の百人だけがクジ引きで選出され、最終選考は、検察事務局が独自の基準で行うそうだ。検察に洗脳されやすい、又はすでに検察と同じ考えの、検察に都合のいい人脈が選ばれる可能性が限りなく高いということだ。
こんなことは岡田大臣も百も承知に違いない。それを知った上で、今回のような発言をしたのは、官僚から、岡田大臣に官僚にとって天敵のような小沢一郎を代表にさせないよう指示があったのだろうか。官僚の犬、岡田大臣はそれを忠実に実行しようとしているのだ。沖縄普天間基地問題でも暴露されたが、日本国民そっちのけで米国や官僚のために働く男を信用しない方がいい。
関連ブログ記事:
植草一秀の『知られざる真実』小沢一郎氏周辺の刑事問題に関する五つの真実
過去ログより:
小沢氏に検察審査会が「不起訴不当」と議決
続きを読む http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-2141.html#more2141#ixzz0wkKnl2ar

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検察審査員は裁判員の選び方と同じカラクリなのですね。
裁判員は「裁判所が不公平な裁判をするおそれがあると認めた人(裁判員法18条)」を不適格として排除しますからね。
誰にとって不公正なのか、何が不公正なのか。その理由を開示しないので、司法権力に都合の悪いことや司法官僚の利権を揺るがす「おそれ」のある裁判員が「不公正」だとレッテルを貼られて恣意的に排除されるのだろうと思っていました。
検察審査会法では「おそれ」による不適格者の排除は書かれていませんが、「くじは、地方裁判所の判事及び地方検察庁の検事各1人の立会いをもつてこれを行わなければならない(検察審査会法13条の2)」と書かれています。この立会いも司法官僚の身内だけですから、官僚による密室での作業ということでしょう。
検察と判事は判検人事交流がある「身内」で、検察は立件、逮捕、拘束、公訴という「揺り籠から墓場まで」を一括支配する日本最大の暴力装置を持った「正義の味方」ですから、密室での作業は村木裁判の冤罪調書と同じように事実を曲げてでも「公正さ」を作ってしまうクジ引きの「業師」なのかもしれませんね。
裁判所、検察、警察それぞれの権力機構が裏金問題を批判されている世の中で、権力機構の犯罪を監視するマスコミが機密費汚染で牙を抜かれたポチになっています。つまり、法を司る官僚とチェックするジャーナリズムが腐敗し、プレーヤーと審判が一体化して「特権」だけが暴走している状態なのですね。これは戦前に国民を弾圧した特高警察と戦意高揚を煽ったメディアが衣装を変えて再演しているように見えます。
自明のこと、常識だと思っていること、つまり無意識の根本思想として自分を呪縛しているドグマを一旦ひっくり返して総点検する時代になったのだと痛感しています。
私は古い人間なのかもしれませんが、日本人としての誇りと尊厳を大切にしています。古事記や日本書紀に書かれた神話を現実のこととして引き受け、生きて行くことが日本人だと思っています。ただし、日本の伝統は八百万神の寛容さと多元性なので、民族意識の違いや国籍の有無で排他的ナショナリズムに狂奔することは間違いだと思っています。戦前の軍部官僚の暴走は尊皇精神を偽装した天皇機関説の亜種だと総括していますので、本来の寛容な「国体の本義」から逸脱した官僚の狂騒だったと思っています。
どのような神話や宗教でも必ず文化と融合して土着します。誰しも土着した「物語」の船で航海しています。目に見えるさまざまな属性を自覚し、目に見えぬ何かに感謝しながら生活しています。現在、司法官僚たちが作る「正義の物語」は信頼と土着の限界に来ているのでしょう。
人間は誰しも片翼飛行でなんとか落ちないように飛んでいる鳥です。本来弱い生き物なので自分の限界を超える課題にぶつかると暴力で補う。国民を支配し辛くなって焦ると簡単に使える特権に甘えてしまう。特権を振り回しているうちにますますロジックもハートも分らなくなって、自分の暴力性に不感症となる。自己意識では暴力装置の安易な発動が正義だと本気で信じている。鈍感と勘違いのコラボレーションが組織を覆い、警告を発する少数の良心的な官僚はパージされる。
既に日本人は官僚が構築する物語には包摂されない臨界点に達して批判の目を官僚機構へ向けています。特に司法官僚とメディアの一体化には敵対意識が増幅しています。
私は今起きている支配構造のパラダイム転換を「天の感覚」で受け止めています。「神」に換言しても「自然の摂理」と置き換えてもよいのですが、土着した私には高天原の感覚なのです。菅直人首相が就任会見で語った「閉塞感」とは、金融マネーゲームという偶像を崇拝し相互扶助の精神を失くした日本人に嫌気が差したアマテラスが「天の岩屋戸」に隠れてしまって太陽が消えた常闇の世界を言うのだと思うのです。この閉塞の暗黒世界を回復させるために八百万の神々たちが踊り歌ってアマテラスを洞窟から呼び戻そうとするのですが、官僚支配とメディアの実態が「可視化」して来たネット世論は八百万神の「復活の祭祀」とオーバーラップするのです。高天原で起きた神話が反復しているように見えます。
そのような私が貴殿のブログにたまたま出会って読ませて頂いていることに不思議なご縁を感じています。
今後ともミニー様のご活躍をお祈り致します。
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