2010.07.27 (Tue)
早乙女愛さんの本当の死因は?
多臓器不全(たぞうきふぜん、Multiple organ Failure)とは、生命維持に必要な複数の臓器の機能が障害された状態のこと。特定な病態を指すわけではなく、死に至る上で誰もが通る過程であるといえる。
一定以上の高齢者における死因としての多臓器不全は、事実上の老衰であると解されている。
具体的には肺、肝臓、腎臓、消化器系、循環器系、中枢神経系、内分泌器系のうち2つ以上の機能が短期間ないし同時に不全になったときをいう。
発生する一番大きな原因としては、組織への血流が低下し、低酸素状態になることが挙げられる。
とのこと。つまり、多臓器不全というのは、特定な病態ではなく、死に至る上で誰もが通る過程であるということだ。結局、何が原因で多臓器不全に陥ったのかは定かではない。51歳で老衰ということもなかろう。
次の動画は偶然みつけた早乙女愛さんが怪奇体験を語っているものなんだけど、なんでも舞台の仕事で名古屋を訪れたときのこと、宿泊した部屋に老婆の霊がいて、毎晩早乙女さんが寝るのをじゃましたので、早乙女さんは体がだるくて重くなるのを感じたそうだ。その老婆の霊が部屋に現れるようになったのは、その部屋に宿泊した客の財布がなくなったということで、その部屋の掃除を担当していたその老婆が疑われ、その部屋で自殺してしまったからだそうだ。まあこういった番組はやらせが多いと聞いているので、100%信じるのも馬鹿げているけれども、もしかしたら、早乙女さんはその後もこの老婆の霊にとりつかれて老衰状態になってしまったのではないかとふと思ってしまったのだ。恐らく、多臓器不全になった原因がそのうち判明するとは思うけど、もし、判明しない場合は、そう考えて間違いないだろう。
【More・・・】
人物・略歴(ウィキペディア)1958年(昭和33年)、鹿児島県肝属郡高山町(現・肝付町)生まれ。鹿児島県立高山高等学校卒業。
1974年(昭和49年)、漫画雑誌 『週刊少年マガジン』に連載されていた、梶原一騎原作の漫画 『愛と誠』が映画化されるにあたり、主演を務める俳優・西城秀樹の相手役が公募された[1]。友人と共に応募し、4万人の中から選出されたのが、当時女子高生だった瀬戸口 さとみ(本名)であった。
松竹と専属契約を結んだ瀬戸口は、同年、映画での役名と同じ「早乙女 愛」の芸名で映画デビューした。日本人離れした豊満な肉体で一躍脚光を浴び、1日に400通ものファンレターが殺到するほどの人気となった、その後も清純派女優として活躍を続けた。
1983年(昭和58年)、日活ロマンポルノ 『女猫』(監督・山城新伍)に主演。「風船のよう」と喩えられた胸を始めとする豊満な肢体を惜しげもなく披露し、『愛と誠』で一途な乙女役を演じた彼女の変貌はファンへ衝撃を与えた。またヌードも含めた写真集を2冊発売し、それらは現在ではプレミア価格で取引されている[要出典]。1985年頃からは、悪女役や主人公の敵役としての助演が多くなった。
1996年(平成8年)、出演していたテレビドラマシリーズ 『はるちゃん』(東海テレビ)を病気で途中降板し、それ以降の芸能活動は、映画等で数シーンのみの出演に留まっていた。実業家と結婚、そして出産していたこともあり、2000年には、映画 『新・仁義なき戦い』への出演を最後に芸能界を引退[2]、
2002年頃よりアメリカ合衆国に在住していた[2]。
2008年離婚し息子と二人で暮らす。[3]。
2010年(平成22年)7月、シアトルの病院で死亡したことが発表され、死因は多臓器不全とされた[2]。
セーラー服の清純派でデビューした早乙女愛さんだが、巨乳のせいかあれよあれよといううちに大胆なヌードを披露した写真集を出版したり、ポルノ映画に出演するようになってしまい、その後は結婚、出産して芸能界から姿を消してしまった。最初に結婚した相手も江原道氏という実業家だったということしかわからず、江原道氏に関してはネットを調べてもほとんど情報はない。その後、離婚して息子さんとシアトルに在住していたとか。
生前は何かと波乱万丈の人生だったような気がするけれども、天国では安らかにお眠りください。
心よりご冥福をお祈りします。
追記:
Twitterで知り合った3TStopicRDQさんから早乙女愛の妹さんの瀬戸口めぐみさんの記事を紹介していただきました。それにしても、お姉さんに顔のつくりが瓜二つだからすぐ妹さんというのはわかったけれども文中では早乙女愛の妹であることには一言も触れていない。

『新カリスマゲストの部屋』江原道 美容家 瀬戸口めぐみさん
プロフィール
10月15日、鹿児島生まれ。血液型はA型。
20代のころ、過酷な肌荒れに悩まされた経験から、中・東洋医学の思想に出会い、 以来、心と身体の調和のとれた美しさの重要性を実感し、学ぶようになる。
江原道~KohGenDoサロンで長年にわたり施術を担当。
誠実な対応でお客様から支持を得る。
ショップチャンネルデビューは2003年。
東洋医学の理念に基づいた商品開発、長年の施術経験から得た、 お客様のニーズに応えた商品開発は常に注目を集めている。
2009年からは、スキンケアシリーズ“オリエンタルプランツ”も展開中。
●好きな食べ物:お豆腐などの大豆食品、シーフード
●苦手な食べ物:お肉全般、長ネギ
●座右の銘:笑う門には福来る
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私の頭の中でも早乙女愛は永遠の18歳で、51歳で亡くなられたのは本当にショックでした。田舎町からでてきて、いきなり大人気女優になった早乙女愛さんに中学生だった私は嫉妬を感じたのを覚えています。なぜなら、その頃、今から思えば笑っちゃうのですが、西城秀樹が大好きだったからです(爆)。
私にとっては中学生時代のアイドルで、大好きな人でした。
その彼女がこの年齢で逝ってしまうなんて……ショックです!
1988年、私の恋した相手は早乙女さんの隣町内之浦の女性でした。彼女は昭和33年生まれ。早乙女さんと同じ年でした。
私が彼女に会うため羽田に行くと、偶然同じ飛行機に乗り合わせたのが早乙女さんご本人でした。サングラスを掛けていましたが、容姿や端正な顔立ちから、すぐに早乙女さんであることは分かりました。ファンの方から送られたのか、手には花束をお持ちでした。
その時早乙女さんは男性同伴だったので声は掛けませんでしたが、いま思えば、隣にいたその男性が旦那さんだったのですね。
写真を撮らせてもらえばよかった。残念……
謹んでご冥福をお祈りいたします。
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それにしても、早乙女愛=瀬戸口里美さんは、女優になったのがそもそも間違いだったのではと思う。でなければ、この歳で終わるはずがないもの。ご冥福お祈り申し上げます。