2009.10.22 (Thu)
南田洋子さんの死に関する長門裕之氏のインタビューについて
長門裕之氏は、南田洋子さんが危篤状態であったにもかかわらず、川中美幸が座長をつとめる東京・明治座公演に出演していたという。いくら口先で妻を心から愛していたと言っても、これまで長年連れ添ってきた妻の最後も看取らずに、実際に妻の死を確認する前にインタビューで妻の死や認知症について淡々と語る長門裕之氏の涙が嘘っぽく映ったという人が多いのも納得できる。
デヴィ夫人の『デヴィの独り言 独断と偏見』 南田洋子さんの悲しい死というエントリーによると、長門裕之の父が認知症で寝たきりになったときは、南田洋子さんが長年介護してきたという。デヴィ夫人も書かれているように、南田洋子さんは一人で孤独に病魔と闘っていたという印象が残る。
南田さんのあまりにも悲しい結末に心の底から寒気がした。最愛の妻が危篤になっても仕事も休めないような男にはただあきれるばかりだ。恐らく、長門氏はインタビューで語っている通り、「死」というものを極端に恐れるあまり、死に行く妻から距離を置いていたのかもしれない。妻のことよりも自分のことが大切だったのだろう。それにしても、公演なんていくらでもできる。代役だって見つけることができたであろう。しかし、妻の最後に立ち会うことは一生に一度しかできないのだ。人に迷惑をかけても、最愛の妻の最後くらい看取るべきだったと心からそう思う。
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【南田洋子さん死去】川中美幸「今となっては大切な思い出」
(ORICON STYLE - 10月21日 20:53)
女優の南田洋子さんの訃報に際し、夫の長門裕之と現在、東京・明治座で開催中の座長公演(~29日)で共演している歌手・川中美幸が21日、関係者を通じてコメントを発表した。以下は全文。
亡くなった南田洋子さんの写真付きプロフ
長門裕之さんとは、2004年大阪・新歌舞伎座『おもろい女』という芝居で共演させて頂いたのがきっかけで親しくさせて頂いております。
奥様の南田洋子さんは、その前から何度か私の舞台を見に来て下さいまして、共演を長門さんに推薦して下さったと御聴きしております。
それがご縁で、南田さんから御着物を頂戴した事など、今となっては大切な思い出となってしまいました。
そんな中で今日の舞台を通じ、気丈な長門さんの役者魂というものを改めて感じさせられました。
謹んで、心より御冥福をお祈り致します。
川中美幸
この川中美幸のコメントにも何とも寒々しいものを感じる。そして、この長門氏のすぐ左でインタビューしている女性記者が長門氏が話す度に何度も頷きながら同情している様子もどことなく白々しい。
いずれにせよ、認知症患者に関心が高まったのはいいことかもしれない。最近では、認知症患者が親族などの認知症患者の介護をしている件数が軒並み増えているという。
高齢者の人口が増加している日本では、介護問題は民主党も真剣に取り組まなければ問題だと思う。
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私とツレは南田さんを老醜というより可愛らしいお婆ちゃんという感じで捉えました。長門さんの愛人騒動も、「おしどり夫婦は仮面だった」という告白も、南田さんが全てを受けとめて長門さんを愛したと思いました。
その経過を客観的に見たら「自分勝手なことをやって、最後は莫大な借金を抱え、南田さんをも商売の道具にした」ということにもなるのでしょう。しかし、失敗という結果から、チャレンジ心を批判するのはおかしな感じがします。私もいくつかのチャレンジをして幸いなことに成功し、経済的にも非常に余裕のある暮らしをしていますが、失敗という結果だってあり得たわけです。
TVでときに正気に返ったときの南田さんの笑顔と長門さんへの辛辣な言葉(でも愛を感じられた)を思い出します。
「商売の道具にしている」面もきっとありながら、現実から逃避して仕事に没頭したくなる気持ちもわかります。
今は私も連れ合いも年齢よりずっと若く見られて元気溌剌と思われていますが、老いていきながらも二人(+こどもたち)の生きた証を日々残していきたいと思いました。20代、30代のときよりも私たちは心が通うようになっています。
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古い記事に書き込み失礼します。
先日長門さんが肺炎のためなくなりました。
洋子さんが亡くなって一年半後のことです。
「贖罪の機会」だといって看病を生きがいにしていた長門さんは妻の死後ぬけがらのようだったという事です。
この記事についてひとつだけ意見をいわせていただけるなら、洋子さんを置いて舞台に立つというのは日本の芸能界で江戸の時代から大事にされている美学、「役者魂」というものです。
本人が洋子さんのそばに居たいと思っても役者の道を選んだ以上周りから許して貰えない状況だったと思います。
もし仕事を降りたいと言ったら、その場は許して貰えるでしょうが。その後の仕事は与えて貰えないでしょう、その場の全員が家族の死に目に会いにいけないことを納得した上で仕事しているからです。
不思議な事ですが日本の女性は(私を含め)仕事を優先させる男の方がかっこいいと思う傾向があります、それが男性の美学ならそれを耐えて支えるのが日本女性の美学というわけです。
大事なのは洋子さんもまた役者さんだということ、きっと理解してくれていたと思います。
最後が看取れない結婚した時からお互い納得していたと言う事です。
その分普段から綿密にコミュニケーションをとっていたと思いますよ。
だから安心してください。