2009.09.11 (Fri)
「8年という歳月」from911/USAレポート
『from 911/USAレポート』第426回
「8年という歳月」
■ 冷泉彰彦 :作家(米国ニュージャージー州在住)
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■ 『from 911/USAレポート』第426回
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「8年という歳月」
今年の9月11日は金曜日になりました。「あの日」からはや8年の歳月が流れたと思うと、時の流れの速さを感じます。就任直後は支持の低迷にあえいでいたブッシュ前大統領ですが、「あの日」を契機に「戦時の大統領」として指導権を確立し、「反テロ戦争」へとのめり込んでいきました。その路線はしかし、アメリカの有権者に否定される中でオバマ大統領が大統領選に勝利し政権交替が起きています。
アメリカだけでなく、日本でも就任四ヶ月後の小泉首相(当時)は早速NY入りし、市庁舎で会見をしていますが、その際には「テロへの怒り」を強調し、その姿勢はやがてアフガン、イラク戦争への支持とつながっていきました。ですが、テロへの怒りを動機の一つとしたアメリカのイスラム圏での軍事行動に日本の世論は終始距離を置いていたことに気づかないまま、米国への追随を行いながら反米保守的なセンチメントも抱え込んだ自民党政権はひたすら右寄りのイデオロギー色を濃くしていきました。こちらの路線が有権者に否定されたのも今回の選挙結果につながったと言えるでしょう。
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911の8周年を前にしたアメリカは、オバマ大統領の提案している健康保険改革の問題で、それこそ昔を振り返る余裕などない有様でした。8周年のそれこそ二日前、9月9日(水)にはオバマ大統領は、この問題で両院議員総会で演説を行うというギャンブルに打って出ています。大統領の議会演説というのは、通常は予算教書の一般演説(ステート・オブ・ユニオン・アドレス)に限られ、それ以外には三権分立の立場から、大統領が議会での論戦に直接参加するのはタブーとされているのです。にもかかわらず、両院議員総会が行われて合衆国大統領が演説を行うというのは特別の場合に限られるのです。
それこそ、2001年の911の直後、9月20日にブッシュ大統領(当時)は両院議員総会での演説を行っています。内容としては、テロリストとその背後にある反米感情に対して激しい非難を浴びせていましたがが、後半はニューヨーク市のジュリアーニ市長(当時)の努力をたたえるなど、ソフトタッチの演説になり、結果的に人々の心を落ち着かせる効果があった、当時のレポートで私はそう書き残しています。ただ、後から考えれば、WTC被災地でのブッシュの姿に「USA、USA・・・」というコールが湧き起こった「事件」と併せて、この日の演説が「戦時」という気分の演出をエスカレートさせていき、それがアフガンとイラクでの戦争につながっていったということは否定できません。
あれから8年、戦時の異様なムードは消えて、左右対立の熱気の中「国民皆保険制度の是非」などという純粋に国内的な、しかも福祉政策の問題が政治的熱狂を生んでいるというのは感慨が深いものがあります。さて、政治的ギャンブルと言われた、この演説ですが、事前には中身は極秘とされていました。その内容ですが、次の三点に集約されるように思います。(1)反対の多い「パブリック・オプション」という公営保険の創設に関しては妥協せず、但し現行制度の加入者へ不利益変更をしない点や、財源について明確化、(2)不法移民への公的保険付与は「一切しない」、(3)その一方で、共和党を中心とする反対派には「今こそ実行の時だ」と厳しい視線を投げかけています。
とにかく、一旦はグラグラしていた穏健派の取り込みにフォーカスしたという戦略は見事でした。「絶対反対」という共和党右派は徹底して切り捨てる一方で、穏健派を徹底して抱え込むという戦略に絞った、それが成功要因のように思います。例えば「不法移民は除外」という項目に関しては、議場はザワザワしましたし、ペロシ議長は慌てて演説原稿に目を落としていましたから、民主党内への根回しもしていなかったようで、奇襲戦法での反対派封じとでも言えるでしょう。世界的な常識からすれば、
大陸内の経済格差の中で大量の不法移民を抱える現状では「生きる権利」のかかった深刻な問題ですが、反対派を切り崩すには仕方がなかったのだと思います。
反対派に対しては容赦のない言葉を大統領は浴びせましたが、これに対しては共和党のジョー・ウィルソンという下院議員が「嘘つき」という「ヤジ」を飛ばして物議を醸しました。日本や英国(こちらは、お行儀の良いリズムと秩序がありますが)とは違って、アメリカの議会では議場でのヤジは御法度、まして両院合同議会での大統領演説へのヤジなどというのは前代未聞なのです。ウィルソン議員は直ちに謝罪に追い込まれましたが、民主党からは本会議場での公式謝罪を求める懲罰動議が出るなど、騒ぎが続くのを見たオバマ大統領は「ヤジへの謝罪を受け入れる」ことを表明しました。ですが、ウィルソン議員と、その選挙区の対立候補の双方には政治献金が殺到するなど、イヤな対立構図は続いています。
そんな中、翌日の新聞は、保守的な「ウォールストリート・ジャーナル」までが大統領の演説に対して一定の評価をしていました。CNNの調査によれば、この演説を聞いて「改革案の支持に回った」人は多いそうで、とりあえず大統領の演説は、終わってみればギャンブルでも何でもなく、政治的に効果があったと位置づけられるようです。
9月11日の金曜日、NYの街は911の8周年を静かに迎えました。といっても、静かというのは正確ではなく、沿岸に停滞した低気圧のために季節外れの冷たい横なぐりの雨が吹き付ける厳しい天候になったのです。乾燥した空気とクリスタル・ブルーの「あの日」の空とは180度違う、重苦しい空の下での「911」でした。
ニューヨークの式典に関して言えば、ここ数年は全国からの注目は薄く市主催の「地方行事」というムードが続いています。例えば、NBCのニューヨーク系列局WNBCは午前6時からずっと「911の8周年」を特集しており、メインの女性キャスターは黒い服で通していました。ですが、全国版の大型ニュースの『トゥディ』ではキャスターの服装は全く通常通りで、しかもニュースのトップは「大統領演説へのヤジ騒動」、その次が「イエール大医学生失踪事件」が続き、「911の8周年」は三番目の扱いだったのです。8時半からの追悼式典の模様は本当に小さな扱いでした。
それでも、NYの系列局は三大ネットにFOXなども加えた6局が慰霊祭をぶっ通しで中継していました。冒頭、ブルームバーク市長は「それではニューヨーカーの皆さん、黙祷を」とハッキリ言っていたぐらいで、慰霊祭は正に地方行事という趣です。では、中身が薄かったのかというと、そんなことはありませんでした。そのブルームバーク市長のスピーチはやはり胸を打つものでした。引退した最高裁判事、サンディ・オコーナー女史の言葉を引用しての「何事をかが為されるときには、それは決して人一人の業ではなく、人々の織りなすタピストリがあればこそ(筆者抄訳)」という部分は、オバマ大統領の発案で、この911の記念日を「追悼と奉仕の記念日」とするという主旨に重ね合わせたものでしたが、見事でした。
今年の国歌は、ブルックリンの少女合唱団でしたが、嵐の吹き付ける中に澄み切った歌声の国歌というのは独特の印象がありました。漠然とではありますが、ブッシュ=チェイニーの「一国主義による反テロ戦争」にあった政治化された報復衝動が、政権交替によって消え去った、そのことで「911の追悼ということが国家レベルの政治や軍事から、一つの街のそれぞれの家族の悲劇」へと取り返すことができた、そんな自由の感覚でしょうか、それが澄んだ歌声に重なっているように思えました。
吹き付ける風雨の中、遺族や友人の列はやはり途絶えることはなく、ここ数年設置が慣例となっている献花のための池には、どんどん花束が集まっていったのです。そして今年も犠牲者全員の氏名が読み上げられました。配偶者やパートナー、親、子供、友人、海外の遺族などこれまで毎年この読み上げ役の人は変わってきたのですが、今年は「911直後にボランティアとして活動した人」が入れ替わり立ち替わり読み上げを担当したのです。
これも、大統領の言う「この日を追悼と奉仕の日に」という主旨を受けてのものですが、ある意味では「911」という事件に意識的に関わりを持った人々だけに、遺族とはまた別に追悼の想いは深い印象でした。この間に四回、鐘の音とともに黙祷の時間がありました。一機目の突入、二機目の突入、南棟の崩壊、北棟の崩壊のそれぞれの時刻に黙祷を行うのです。恒例となっているものですが、8年を経て尚、この四回の黙祷という慣行を守っていることで、それぞれの瞬間に多くの命が失われたとい
うことが、改めて実感させられるのです。
今回はオバマ大統領はNYには来ませんでした。代わりにバイデン副大統領が参加し、詩の朗読を含む短いスピーチをしただけでした。思えば、ブルームバーグ市長は過去7年間、ブッシュ前大統領とチェイニー副大統領の慰霊祭参加を断り続けています。にもかかわらず、バイデン副大統領はあっさり参加が許されたというのは、やはり市長とこの町が共和党政権に距離を置いていたということだと思います。ただ、バイデン副大統領は緊張しすぎたせいか、立ち居振る舞いは落ち着かず、スピーチも政治家風の雄壮な喋り方で、ちょっと「外した」感じでした。それはともかく、荒天の中ではありましたが、しっとりと悲しみを新たにする、そんな式だったように思います。夕方からはこれも恒例となった「光の塔」が点灯されるそうです。
そのオバマ大統領は、ニューヨークでの被災時刻にはホワイトハウスで黙祷に臨み、その後はペンタゴンでの慰霊祭に出席しています。このペンタゴンでの慰霊祭も、落ち着いたものでした。大統領が臨席しているのにニューヨークのローカルでは中継をこちらに切り替えることはなかった(一部がはめ込み画面で対応、ただし音声はなし)ですし、全国を対象としたCNNでも中継はしていません。ワシントンの政治専門チャンネルであるCSPANが辛うじて全国に中継していましたが、結果的にこの慰
霊祭も国防総省という連邦政府の行事でありながら、遺族を対象としたローカルな行事という印象です。
最初に統合参謀本部議長のマイク・ミューレン提督とゲイツ国防長官がスピーチをしていますが、内容は淡々としたものでした。ゲイツ長官は、英国で第一次世界大戦を指導したロイド・ジョージ首相の言葉を引用していました。言葉自体は愛国的で軍事色の感じられるものでしたが、遠い前世紀初頭のしかも英国の政治家のセリフを淡々と読む長官の姿勢には、戦時の殺気は全く感じられませんでした。
オバマ大統領のスピーチがこれに続きました。こちらも、確かにテロとの対決というような言葉は入っていましたが、あくまで遺族を慰め、被災の傷を癒すといったトーンに終始していました。スピーチの後は、犠牲者に対する花輪を献じていた大統領ですが、二人の兵士に両側からサポートされながら大きな花輪を献じたオバマの姿は、堂々としてはいましたが、良くも悪くも格式ばった立ち居振る舞いで、非常に冷静な式典という印象を与えています。
この献花をもって慰霊祭は終了したのですが、突然軍楽隊による極めて陽気なマーチでの「ゴッド・ブレス・アメリカ」が鳴り出したのには驚きました。雰囲気を暗くしない配慮なのかもしれませんが、あまりに陽気なマーチなので画面に映った遺族達は一瞬戸惑っていたようでしたが、軍隊の秩序への信頼感からかそれも自然に受け止めており、結果的に陽気なマーチがその場に溶け込んでいたように思われました。
私はこの光景を見、そして改めて「遺族と街の手に戻ってきたNYの慰霊祭」の中継映像に戻りながら、強く感じたのは「オバマも、そしてアメリカ人の過半数も、軍部も『反テロ戦争を止めたがっている』」ということです。日本の一部の報道や、自民党の政治家の発言などでは「アメリカは真剣に慰霊をしている」のだから「反テロ戦争は続いており」従って「日本の協力は必要だ」というロジック(レトリック?)の流れが当たり前になっているようです。ですが、違うのです。戦時気分が抜け、政権交替がされたからこそ、慰霊の儀式が政治や軍事から街と遺族の手に返ってきているのです。
これはNYでもペンタゴンでも同じです。政治色が抜けたから静かに犠牲者と向き合えるのであり、その背景には「反テロ戦争はもう止めたい」という心情が見て取れるのです。正にこの9月に入ってからも、アフガンの戦況は悪化の報道ばかりということも、そこにはあるのです。日本がアメリカの軍事行動と、どう協調するのかは、そうしたアメリカのこれからの動きを良く見て、真剣にお互いにそれぞれの国の世論と向き合う中で決定されるべきなのだと思います。
アメリカが、オバマが戦争を止めたがっているという状況下、まるで「これまではイヤイヤやっていましたが、日本では政権交替があったので堂々と止めます」というのは心の琴線には触れません。逆に「イヤですが続けます」というのも友人の取るべき姿勢ではないと思います。真剣に「反テロ戦争をどうするのか」を首脳同士が語り合い、そして特に日本の場合は、それを世論に誠実に説明するという手順が必要でしょう。
今、アメリカ東部時間の9月11日の午後7時を回ったところですが、主要なニュースサイトのトップは、もう911の話題ではなくなりました。明日からは、そして週明けからは本格的に健康保険改革の論戦が再開されることになります。
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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。ニュージャージー州在住。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大
学大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わった
か』『「関係の空気」「場の空気」』『民主党のアメリカ 共和党のアメリカ』など
がある。最新刊『アメリカモデルの終焉』(東洋経済新報社)
( http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4492532536/jmm05-22 )
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