2009.07.21 (Tue)
衆院解散:自民党崩壊カウントダウン (あと40日)

このところ、涼しくいいお天気が続いているカナダ東部。葡萄の実もだいぶ大きくなった。
業務連絡:
夏みかんさまから、下記のコメントをいただいたのですが、阿修羅に行くと、「すみません。ファイルがみつかりません。」と表示されてしまいます。もう一度、ファイルを確認していただけますか。
その後、新たなリンクをいただきました。みなさまもどうぞ、ご参加ください。
はじめまして
突然ではございますが、
7月22日(新月・皆既日食)
8月6日(満月)
その後の(新月・満月)に
植草一秀さんの実刑判決、収監に異議あり!!
抗議、その他 ブログで同日一斉発信をしたいと思います。
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植草一秀さんを守りたい!「みんなでブログ・デモ行進」のお知らせ。
ブログで同日一斉に発信!
http://www.asyura2.com/09/senkyo67/msg/624.html
--------------------
自由参加です。
よろしくお願いいたします。
面白そうな企画ですね。詳細がわかり次第、ぜひ、参加させていただきます。物理的な問題があってデモには参加できないけれども、ブログで発信はできますので。
やったぁ!ついに衆院解散した。やっぱりや~めたなんて、ブレないでね、太郎さん(笑)。
さてさて、このブログで、衆院解散を訴えて足掛け3年になる。今日、長年夢にまでみた衆院解散が実現する。解散の閣議書に署名することを拒んでいた与謝野も辞任騒ぎなどを経て、今朝の閣議に参加し、反麻生派の閣僚たちも全員が閣議所に署名し、解散が閣議決定された。
それでも、両院議員懇談会は非公開だから、なんとなく歯切れの悪い解散となるなと思っていたら、閣議は非公開だったけど、両院議員懇談会は突如、麻生の気変わりで公開することになったそうだ。
本当に最後の最後までブレまくり大王の麻生だったというオチが笑える(爆)。
これで、いよいよ40日後の総選挙をめざしての本格的な闘いが始まった。民主党には緊張感がみなぎっている(毎日)そうだが、まあ、いまから緊張しすぎても疲れてしまうので、リラックスしていきましょう。
【More・・・】
「衆院解散記念日」なので、記事をできるだけたくさん集めてみたよ。参考記事:
自民:両院議員懇公開で開催 退陣要求は出ず
(毎日 7月21日 11時12分)
自民党は21日午前、衆院解散を前に、党本部で両院議員懇談会を開いた。麻生太郎首相は冒頭、地方選挙の敗北などによる党内の混乱を謝罪したうえで、「景気回復が確かなものになるまで、総理・総裁の職務を投げ出すわけにはいかない」と述べ、自らが先頭に立って次期衆院選に臨む決意を表明した。出席議員からは首相の退陣要求など表立った批判はなく、予定の1時間を待たずに終了した。
議員懇は21日午前11時半過ぎに開始。自民党は当初、会合を非公開とする方針だったが、首相が閣議後の閣僚懇談会で「自分もいろいろ熟慮に熟慮を重ねてきた。正面から話をし、みなさんの意見をしっかり聞きたい。公開で結構だ」と公開を決め、細田博之幹事長に指示した。
議員懇で首相は「私の発言や『ぶれた』と言われる言葉が国民に政治への不安や不信を与え、自民党の支持率低下につながったと深く反省している」と陳謝。東京都議選など地方選の連敗についても「残念ながら所期の目的を果たせず、多大のご迷惑をかけた」と反省の弁を述べた。細田氏は「麻生首相を先頭にこれからも頑張っていかなければならない」と呼びかけた。
これに対し、「なぜ堂々と両院議員総会を開かないのか」(原田令嗣衆院議員)との指摘は出たものの、首相への直接の退陣要求はなく、石原伸晃幹事長代理が約30分で質疑を打ち切った。首相批判を強めていた中川秀直、加藤紘一、武部勤の3元幹事長は発言しなかった。
首相は最後に「私の願いは一つ、立候補予定者に(衆院選後に)全員帰ってきてもらうことだ。そのためにわれわれは一致結束して戦う以外にない」と締めくくった。会合後、菅義偉選対副委員長は党本部で記者団に「敵は民主党で、自民が団結して戦う意思統一ができた。ようやく戦う態勢ができた」と評価した。
一方、中川氏は記者団に「首相のあいさつは、今までになく比較的よかった。潔く支持する」と表明。加藤氏も「かなりの犠牲が出るかもしれない戦いに行くわけだから、(首相のあいさつで)不安が解消できたかどうか分からない」と述べるにとどめた。衆院選前の党内の「麻生降ろし」はこれで完全に収束した。
首相と細田氏、保利耕輔政調会長ら党幹部は20日夜、党本部で会談し、「議員懇での発言をみたうえで、公認問題に毅然(きぜん)とした態度を取るべきだ」との見解で一致した。公認権をたてに「反麻生」の動きを事前にけん制する構えをみせたことも、議員懇が波乱なく終わる一因になった。【近藤大介】
◇両院議員懇談会の発言要旨
21日午前、自民党が開いた両院議員懇談会の発言要旨は次の通り。
<麻生太郎首相>
本日衆院を解散し、総選挙に臨むにあたって決意と覚悟を申し述べる。まずおわびを申し上げる。私の発言や、ぶれたと言われる言葉が国民の方々に政治への不安、不信を与え、結果として自民党の支持率の低下につながった。深く反省をしている。都議選をはじめ主要選挙において支援者の方々にお力添えをいただきながら所期の目的を果たせなかった。多大のご迷惑を掛けた。
私は政局より政策、解散よりは景気対策、そう確信してこの半年ほどの間に4度の予算編成を行った。まだ道半ばであります。まだまだ解決しなければならない問題が残っている。経済対策一本でこれまでやってきた私としては景気回復がたしかなものになるまでは総裁の職を投げ出すわけにはいかない。
雇用、医療、年金、子育て。(国民は)多くの不安に囲まれている。子供に夢を若者に希望を、高齢者には安心を。雇用に不安のない社会、老後に安心できる社会を実現する。行き過ぎた市場原理主義からは決別する。
<原田令嗣衆院議員>
ただいまの麻生首相の発言はまことに心強い。しかし、ではなぜ堂々と両院議員総会を開かないのか。納得できない。開かれた自民党。自由な議論をすべきであります。断固として民主党に勝たないといけない。そのためには開かれた自民党として、開かれた議論をやっていかないといけない。
<西川京子衆院議員>
十分に開かれている。今回この議員懇談会は麻生総理の決断で公開にしてくれと、これは麻生総理の覚悟、決断だ。公開の場できっちりこれだけの議論が行われている。
先ほど、麻生首相が大事な自民党と民主党の違いを言った。安全保障の問題が一番大事だ。あの全英オープンに最年少で出場した石川遼君に「今一番印象に残っていることは何ですか」と聞いたら、「北朝鮮のミサイル発射です」と言った。17歳の少年でさえ、国家意識を持っている。安全保障の問題で日本の国を守るということを党内一致してやっている政党はどちらか。一致団結して戦わないでどうするのか。ナンセンスだ。
<高市早苗衆院議員>
政治を国家経営と考えると麻生首相は日本国株式会社の経営には成功している。しかし、自民党株式会社となると、しばらく経営に手を抜かれていた感があるのではないか。次の選挙、すべての自民党候補者が自民党候補であることを堂々と打ちだして、未来へのビジョンを打ちだしていく姿勢でみんなで戦いたい。
今はライバル社が粗悪品を弁舌たくみに消費者に売りつけてまわっている。私たちは今売っている商品はかなり品質はいいが、ちょっと時代遅れ、これから夏の商戦に向けてそれなりにみなさんに喜んでもらえる商品を持って回りたい。自民党経営者として、有権者に示せるマニフェストをできるだけ早く、良いものを打ち出してほしい。
<古賀誠選対委員長>
主要選挙について、選対委員長としても足らざるところをお許しいただきたい。戦後史の中で自民党だから平和を確立できた。民主党が平和を約束するということを言えるか。
<麻生首相の総括>
自民党の結束が乱れたままである状態は残念だが、断固避けなければならぬと選挙のために強く思っていた。異論は当然あるだろうが、開かれた形でここに一致結束ができあがった。私の願いは一つ。ここにいる衆院選候補予定者は全員帰ってもらうことだ。我々は一致結束して戦う以外にない。
衆院解散を決定、全閣僚が閣議書に署名
(東京 21日 ロイター)
麻生太郎首相は21日午前の定例閣議で衆院解散の方針を表明し、解散を閣議決定した。複数の閣僚によると、解散の閣議書に全閣僚が署名した。
午後1時からの衆院本会議において、河野洋平衆院議長が解散詔書を読み上げ、衆院は解散する。政府はその後の臨時閣議で「8月18日公示・8月30日投開票」の衆院選日程を決定。午後6時から麻生首相が記者会見し、衆院選に臨む決意を表明する。
衆院選は小泉純一郎首相(当時)が郵政民営化の是非を問うために解散した2005年9月以来、約4年ぶり。 (ロイターニュース 伊藤純夫)
解散の朝、緊張の首相=閣議、張りつめた雰囲気-官邸
(時事通信 2009/07/21-10:38)
衆院解散が決定された午前8時の閣議。麻生太郎首相はいつもと変わらぬ様子で官邸に入ったが、直前はかなり緊張した様子で閣議決定を待った。
続々と官邸に集まる閣僚に交じり約10分前に官邸入りした首相は、濃紺のスーツに鮮やかな青いネクタイ姿で、ゆっくりとした足取り。記者団から「総理、いよいよ解散ですね」「おはようございます」と声を掛けられると、軽く手を挙げて「おはよう」と応じ、リラックスした様子だった。
しかし閣議前には一転。首相は官邸4階の控え室で冒頭撮影に応じたが、与謝野馨財務相の横に座ると、軽く拳を握ってみけんにしわを寄せた。部屋に入る際、待機する閣僚に「おはようございます」とあいさつするのみで、私語が慎まれるほど張りつめた雰囲気に包まれていた。
終了後、解散の閣議書に全閣僚が署名したと伝わったのは、最初に出てきた舛添要一厚労相の口から。吹っ切れたように笑顔も見られる閣僚もいたが、与謝野財務相は記者団の問い掛けにも無言、無表情のまま官邸を後にした。
解散詔書に全閣僚が署名、選挙では愚直に政策訴えへ=与謝野財務相
(ロイター - 07月21日 11:04)
7月21日、与謝野馨財務・金融担当相は、解散詔書には自らも含め全閣僚が署名したことを明らかにした。写真は6月、都内での会見で(2009年 ロイター/Issei Kato)
[東京 21日 ロイター] 与謝野馨財務・金融担当相は21日、衆院解散を決めた閣議後の会見で、解散詔書には自らも含め全閣僚が署名したことを明らかにした。
公開で開会されることになった自民党両院議員懇談会については形式的なプロセスにせず何かをつかみとる重要な場として欲しいと指摘。麻生内閣について「政策的には内政・外交ともに失政はない」と評価した。
与謝野財務相によると、閣議では、麻生太郎首相が衆院解散断行とあわせて、麻生内閣として4回にわたる経済対策を実施するなど経済・金融問題や国際的な問題について責任を果たしてきたことに言及、選挙では安心社会をどう実現していくかが大きな争点になるとの決意表明があった。
麻生内閣を総括し与謝野財務相は「政策的には、外交・内政ともに失政はない。ただ、政治はいろいろなものをさばかなければならない。そのときにいろいろ言われてしまった」とし、「これはむしろ本人の問題ではなく、周りが十分補佐出来ていなかったのでないか。麻生さんは立派な人間だ」と述べ、麻生首相を評価した。
自らが担当した経済対策についても米国から日本が有効需要の面で国際的責任を果たしていると評価されたことなどを挙げ「麻生政権の経済対策は、現段階で判断すれば成功」と胸を張った。
一方、衆院解散で成立していない法案は全て廃案になる。このなかには、株式を市場から直接買い取る機構創設のための議員立法も含まれるが、与謝野財務相は「壮大な構想でよかった」としながらも、「あれは日経平均が7000円のころの話だ」と述べ廃案による問題はないとの認識を示した。
衆院解散で事実上の選挙戦に入るが、選挙戦に向けては「われわれこそが国を背負ってたつという気概をもって清々粛々と静かに努力をしていく。それが今自民党に求められている」と強調。訴える政策について「勝者が勝って敗者が負けるようなとげとげしい社会から、もう少しやさしさのある穏やかな社会に作り変えていくことが現段階の自民党の責任ではないか」と述べた。
自らの選挙戦について「厳しい」としながらも、奇策があるわけではなく「愚直に粛々と丹念に整然と政策を訴えていくことに尽きる」と語った。
そのうえで、午前11時半から開催される自民党両院議員懇談会について「極めて大事なプロセス。プロセスを形式的に通りすぎるというのでなく、何かをつかみとる謙虚な姿勢で臨んでもらいたい」と述べた。 (ロイターニュース 吉川 裕子)
<自民>両院議員懇談会公開に 麻生首相、衆院選へ決意表明
(毎日新聞 - 07月21日 11:22)
自民党は21日午前、衆院解散を前に、麻生太郎首相が出席して党本部で両院議員懇談会を開く。懇談会は当初、非公開とする方針だったが、首相が同日、閣議後の閣僚懇談会で公開する考えを明らかにし、細田博之幹事長に指示した。首相は議員懇で次期衆院選に臨む決意を表明する。
首相は閣僚懇で、「議員懇は議員だけのものではなく、国民注視のものだ」との意見が出たのを受け、「自分もいろいろ熟慮に熟慮を重ねてきた。正面から話をし、みなさんの意見をしっかり聞きたい。公開で結構だ」と述べた。細田氏はその後の党役員連絡会で首相の方針を報告し、了承された。
議員懇は21日午前11時半から約1時間開かれる。東京都議選など地方選に連敗したことへの批判が噴出するとみられ、首相が衆院選に向け、自身のもとで党内が結束するよう説得できるかどうかが焦点になる。
これに先立ち、総裁選前倒しも視野に議決権のある両院議員総会の開催を求めてきた中川秀直、加藤紘一両元幹事長らのグループは党本部で会合を開き、議員懇への対応を協議した。
一方、首相と細田氏や保利耕輔政調会長ら党幹部は20日夜、党本部で会談し、「議員懇での発言をみたうえで、公認問題に毅然(きぜん)とした態度を取るべきだ」との見解で一致。公認権をたてに党内の「反麻生」勢力を封じ込める構えをみせている。
議員懇を前に、細田氏は21日午前の記者会見で「今の段階でどういう意見が出るか予想していない。団結を強めるためのきっかけにしたい」と述べた。
また、菅義偉選対副委員長は21日午前、横浜市内で記者団に「いよいよ決戦が始まるという緊張した思いだ。議員懇で今までの党内の不満やウミを出し切り、相手は民主党なので、全員団結して戦いに臨んでいきたい」と強調した。【近藤大介】
内閣支持率低迷→衆院選で自民議席も減
(読売新聞 - 07月21日 10:35)
麻生首相は内閣支持率が10%台に低迷する中で、衆院解散に踏み切る。
過去の衆院選では、解散前後の内閣支持率と衆院選での自民党の勝敗に一定の相関関係があり、低支持率にあえいでいる時に行われた衆院選では、自民党が議席を減らす傾向がある。
読売新聞社が東京都議会選挙直後の今月13~14日に実施した緊急全国世論調査(電話方式)で、麻生内閣の支持率は18・6%にとどまった。
近年の衆院選時の内閣支持率は4~6割のケースが多い。解散権を握る首相としては、支持率が比較的高い時機を狙って解散に打って出るのが常道だからだ。
海部内閣時代の1990年衆院選では、解散直前の内閣支持率は41・9%で、自民党は275議席を獲得した。自社さ連立時代の96年衆院選では、当時の橋本内閣の支持率は45・6%で、自民党は過半数は獲得できなかったものの、議席は増やした。
自民党が大勝した05年衆院選では、解散時の小泉内閣の支持率は47・7%だったが、小泉首相が争点に据えた郵政民営化への関心の高まりに伴い、投開票日直後は62・0%まで上昇した。
一方、2000年衆院選では、森首相の「神の国」発言などの影響で投票日直前には18・6%と2割を切り、自民党は苦戦、民主党の躍進を許した。
93年衆院選は、政治改革関連法案の処理を巡る自民党内の対立で、野党が提出した内閣不信任決議案が可決。宮沢内閣の支持率は解散直後に10・4%に急落した。自民党は分裂選挙となったこともあって過半数割れし、結党以来初めて下野した。
与謝野財務相 辞任騒動
(ゲンダイネット - 07月20日 10:01)
与謝野馨財務相(70)が進退で揺れている。17日にも麻生首相に辞表を提出、大臣を辞めるとの情報が飛び交った。
与謝野大臣は進退を明言しなかったが、4人目の閣僚辞任となれば、内閣は解散前に空中分解だ。
「解散に出発する前に大事なプロセスを取るということで喜ばしい」
17日午前の記者会見、与謝野財務相は、両院議員総会に代わる両院議員懇談会の開催決定を評価した。ただ、解散関連の書類の署名については「懇談会の推移を拝見したい」「経済、財政、金融に責任を持っていることも考慮して考えたい」と含みを持たせた。
16日は「与謝野17日に辞表提出」との情報が流れ、永田町は騒然としたが、この日は進退の明言を避けた格好だ。
与謝野財務相は15日に石破農相と一緒に首相官邸を訪れ、首相に自発的な退陣を促した。
「与謝野さんは首相に、自ら判断してほしいと訴えたようです。本人は、だれよりも麻生首相に尽くしてきたという自負がある。酔いどれ中川財務相の辞任後は3つの大臣も兼務。安心社会実現会議の立ち上げにも力を割いてきたが、このままでは惨敗が避けられない。“最後の奉公”と思って、それとなく退陣を促したのです」(事情通)
ところが、麻生首相の周辺は、これに反発した。「土壇場で裏切った」「内閣を潰す極悪人」と与謝野を攻撃。中には、言葉にするのもはばかられるような悪口を言いふらす連中もいたという。麻生首相も周辺に「一番大事にしてきたんだけどなあ」と与謝野大臣を批判した。もはや修復は不可能となった。
「選対委員長の古賀さんも、解散日時について事前に麻生首相から連絡がなく、呆れて辞表を提出した。日本郵政の社長人事を受け入れられなかった鳩山さん、人事断行のアドバイスを生かされなかった安倍さん……。みんな首相のそばを離れていきます」(与党関係者)
なってはいけない人物が首相になると最後はぐちゃぐちゃだ。自民党は解散を機に解散である。
(日刊ゲンダイ2009年7月17日掲載)
衆院解散:私はこう名付ける 「デッドエンド」…識者
(毎日 7月21日 11時47分 更新:7月21日 13時16分)
「与党ぼけ」「がけっぷち」「バンザイ」。永田町でそんな呼び方も飛び交う今回の解散を、どう読み解くか。それぞれの分野で活躍する3人に名を付けてもらった。
◇デッドエンド 作家・高村薫さん
自民党も解散日程も国民感情も、すべてがデッドエンド(行き止まり)の解散だ。
自民党は、麻生政権が誕生してすぐ解散があるように言ったが、年を越し、春が来てもまだしなかった。決断を先送りし、解散せざるを得ないところまで引っ張った。待たされた国民も、気分的に行き場のない状態になっってしまった。
過去の選挙では、野党がどれだけ躍進しようが、自民党が下野しようが、自民党そのものは生き残ってきた。今回はそれも難しい。麻生首相が就任してすぐに解散していれば、たとえ負けたとしても内部崩壊まではしなかったと思う。今回の選挙で自民党は終わるかもしれない。いつもとは選挙の意味合いが違うと思う。
◇笛吹き男 独協大教授・森永卓郎さん
麻生さんはみんなを道連れに自民党を破滅させてしまうだろう。小泉チルドレンも壊滅かもしれない。ねずみ退治の笛吹き男が、子供たちを街から連れ去り消えてしまったグリム童話「ハーメルンの笛吹き男」のようだ。
救いの神になるはずだった麻生さんには秘策もなくて、結局は自分のことしか考えていなかった。一日でも長く首相をやっていたかったのだろう。小泉元首相は「自民党をぶっ壊す」と宣言して延命したが、麻生さんは黙って壊してしまった。
もっと早く解散していたら打撃は少なかったと思うが、もはや立ち直れないだろう。選挙後は大量に脱藩者が出る可能性があるし、今のような自民党は消えるかもしれない。歴史に残る解散になる。
(後略)
現憲法下初、107年ぶり=8月投票
(時事通信社 - 07月21日 07:01)
衆院は21日に解散され、衆院選は「8月18日公示、30日投開票」の日程で行われる。7月解散は史上初めて。8月投票も明治以来107年ぶりだ。解散から投票までの日数は、現行憲法下で最長となる40日間で、今回は「真夏のマラソン選挙」となった。
衆院選投票が8月に行われたのは、旧憲法下の1898(明治31)年と1902(明治35)年の2回のみ。8月8日解散で実施された前回2005年の郵政選挙の場合でも、投開票日は9月11日に設定された。8月投票を避けてきた背景には、厳しい暑さに加え、お盆や夏休み、原爆の日、終戦記念日などと重なることもあったようだ。
一方、憲法54条は、解散の日から40日以内に総選挙を行うと規定。今回はその上限いっぱいを使う初のケースとなり、「政治空白」は長引く。05年は解散から投票まで34日間だった。
自公にとっては、創価票などの固定票があるから、投票率が少なければ少ないほど、与党にとっては有利になる。だから、なるべく国民が投票に行くのがつらい残暑の厳しい8月末日に投票日を持ってきたのだろう。姑息な奴らだ。しかし、どんな姑息な手段を使っても、これまで苛め抜かれた国民の怒りを静めることはできない。皆の衆、普段から、家族、友人、親戚、近所の人などなるべく多くの人を誘って、投票率が最低60%以上になるよう、決戦に控えようではないか。地を這ってでも投票に行く覚悟で(笑)。
まあ、しかし、どんな汚い手を使っても、この夏は、自公政権にとってはあきらめの夏になりそうだね♪
「このまま君と あきらめの夏」が、「このまま自民党 あきらめの夏」と聞こえるところはさすがに桑田さんだなって思う(笑)。

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(永久選挙人名簿)
第19条 選挙人名簿は、永久に据え置くものとし、かつ、各選挙を通じて1の名簿とする。
《改正》平9法127
2 市町村の選挙管理委員会は、選挙人名簿の調製及び保管の任に当たるものとし、毎年3月、6月、9月及び12月(第22条第1項及び第23条第1項において「登録月」という。)並びに選挙を行う場合に、選挙人名簿の登録を行うものとする。
(中略)
(被登録資格等)
第21条 選挙人名簿の登録は、当該市町村の区域内に住所を有する年齢満20年以上の日本国民(第11条第1項若しくは第252条又は政治資金規正法(昭和23年法律第194号)第28条の規定により選挙権を有しない者を除く。)で、その者に係る登録市町村等(当該市町村及び消滅市町村(その区域の全部又は一部が廃置分合により当該市町村の区域の全部又は一部となつた市町村であつて、当該廃置分合により消滅した市町村をいう。次項において同じ。)をいう。以下この項において同じ。)の住民票が作成された日(他の市町村から登録市町村等の区域内に住所を移した者で住民基本台帳法(昭和42年法律第81号)第22条の規定により届出をしたものについては、当該届出をした日)から引き続き3箇月以上登録市町村等の住民基本台帳に記録されている者について行う。
《改正》平12法062
《改正》平14法149
2 前項の消滅市町村には、その区域の全部又は一部が廃置分合により当該消滅市町村の区域の全部又は一部となつた市町村であつて、当該廃置分合により消滅した市町村(この項の規定により当該消滅した市町村に含むものとされた市町村を含む。)を含むものとする。
《追加》平14法149
3 第2項の住民基本台帳に記録されている期間は、市町村の廃置分合又は境界変転のため中断されることがない。
《改正》平14法149
4 市町村の選挙管理委員会は、政令で定めるところにより、当該市町村の選挙人名簿に登録される資格を有する者を調査し、その者を選挙人名簿に登録するための整理をしておかなければならない。
(登録)
第22条 市町村の選挙管理委員会は、登録月の1日現在により、当該市町村の選挙人名簿に登録される資格を有する者を当該登録月の2日に選挙人名簿に登録しなければならない。ただし、市町村の選挙管理委員会は、登録月の1日から7日までの間に選挙の期日がある選挙を行う場合その他特別の事情がある場合には、政令で定めるところにより、登録の日を変更することができる。
【令】第11条 ・第12条 ・第22条
《改正》平9法127
2 市町村の選挙管理委員会は、選挙を行う場合においては、当該選挙に関する事務を管理する選挙管理委員会(衆議院比例代表選出議員又は参議院比例代表選出議員の選挙については、中央選挙管理会)が定めるところにより、当該市町村の選挙人名簿に登録される資格を有する者を選挙人名簿に登録しなければならない。
==============================
以上の要項から、考えると、例えば、東京都議選に選挙資格を有するには、その選挙区において、直前の登録月である6月1日の時点で、その土地に3ヶ月間住んでいなければならない、とうい事だと思います。そうすると、すくなくても、3月1日あるいは2日~6月1日まで、その土地に住んでいなければ、その土地では選挙員名簿に載らず、つまり、投票ができない、という事になると思います。その後、6月2日から別の場所に住所を移すとしても、ぎりぎり、9月1日の時点でしか、選挙員名簿に載る資格は与えられない事になります。今回の衆議院選挙は投開票が8月30日になりますから、これに投票するに当たっても、その直前の登録月である6月1日の時点で、3ヵ月間住んでいるものでなければ、やはり、投票権は得られないでしょう。
そう考えると、公明党が9月以降での投票を希望していたのが、十分に理解できますよね。まあ、引っ越しがうまく成立しなくても、その土地になるべくいて、身寄りが無いような老人票やお友達票を稼ぐに当たっては、少しでも、機関が離れていた方が良い、という風にそうかの方々が考えるのは、至極当然の事だと思います。
楽しみな反面、自民がどういう手にでるかちょっと怖い気もしますね。今まで以上に自民にとっては不利な状況だけに、なりふりかまってられないのではないでしょうか。
政権交代が実現し、これまでの不正が明らかになるといいですね
かなり悪質な選挙法違反ですね。どうりで、公明党から出馬した都議会議員全員が当選するわけですね。でも、きっとこんなことだろうと思っていました。
都議選:その地域で1月4日から4月4日の3ヶ月間の住居が必要
衆院選:その地域2月17日から5月17日の3ヶ月間の住居が必要
しかし、特例で「転出したときはすぐには抹消せず、転出したことを表示しておいて、転出日から4カ月を経過したときに抹消する」ということなのですね。
つまり、都議選に投票するときに、昨年11月16日から2月16日に世田谷区に住んでいても住民票は4ヶ月間抹消されていないので、世田谷の公明党議員に投票できたということですね。
そして、衆院選のために2月17日に北区に移転登録してあれば、今度は太田代表に投票できるということ。ちょっとややこしいけど、こういった抜け道があったということをお知らせくださってありがとうございました。
既にご覧になられているかもしれませんが、以下に爺の「縁側日記」 からの転載いたします。このテーマは多数で議論する必要があるものと思われます。
愈々衆議院が解散され、8月30日に投票が行われ、国民の厳粛な裁断が下る事になる。国民の選挙権は告示日8月18日を基準として確定します。
国民が住民登録された市町村に、告示日から三ヶ月前の基準日である5月17日の三ヶ月前、2月17日から居住していれば、選挙人名簿に登録され今回の衆議院選挙に投票権が与えられるのです。
次に7月12日に行われた都議選に選挙権を得るためには、7月5日が告示日だから、4月4日が基準日になり、1月4日から4月4日まで住民登録をし居住すれば、其の選挙区で投票する事が出来るのです。
つまり、双方の選挙権を得るには、1月4日から2月17日の間、45日間が重複居住になり、不可能と言う結論に達しました。処が、公職選挙法には特例と言う大きな抜け穴が用意されていたのです。
選挙管理委員会に特例について問い合わせたところ「転出したときはすぐには抹消せず、転出したことを表示しておいて、転出日から4カ月を経過したときに抹消します。」とありました。
この特例を利用すると、昨年11月16日から2月16日まで某選挙区に居住し、2月17日に足立区又は北区に移転住民登録すれば、特例で某選挙区に基準日に選挙人名簿が残り、選挙権の行使か可能です。
但し、東京都間の住所移動で一回限り適用されるとの事です。そして、今回の衆議院議員選挙の投票権が、足立区又は北区にて存在する事になり、8月30日には太田代表に投票する事が出来るのです。
若し、今回の選挙が8月8日であれば、告示日は7月27日、選挙権の基準日は4月26日になり1月26日から三ヶ月間の住民登録を継続しなければ為りません。特例の適用は難しくなります。
この手品を成功させる為には、解散を一週間遅らせ、7月21日にし、告示日を8月18日にしなければならなかったのです。見事な手品の種明かしです。
公明党担当者は、選挙権を得るのには、基準日の三ヶ月前に同じ居住地に三ヶ月以上住民登録をしていなければ、選挙人名簿は登録する事は不可能だと説明しています。欺瞞に満ちた説明です。
公明党に大きな貸しを造り選挙協力を求める為に、この事実を、自民党幹部はもとより麻生も承知上で打った、国民を騙す大芝居なのです。
創価学会と公明党、そして自民党が組んで、法律の闇を利用したペテンと云うべき詐欺行為を、マスコミや大多数の国民は、この悪辣な事実を知っているのでしょうか!。 熱海の爺
以上。
メキシコのKEN
しかし、自民党は執拗に民主党への攻撃をつづいているようで、
政権政党として恥ずかしくないのでしょうか。
また、自民党支持者が多いニコニコ動画などの動画サイトでも
民主党批判が・・・。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090721-00000003-jct-soci
こんなことをしても逆効果になるだけなのに。
# しかし,中国地方の大雨はひどかった.山口ばかり報道されてるけど,被害者が出てない広島とか島根とか愛媛もすごかったんだぞ.(^_^;)マスコミって一点豪華主義だからなぁ
先ほど麻生が会見でこの選挙を「安心社会実現選挙」と自信満々に言い放ったのを見てビックル一気飲みして身体の穴と言う穴からみんな吹き出てひっくり返っちゃいました。
自らが不安で恐怖の世界、若者も老人も将来の展望が描けない社会を作っておいて責任のせの字も感じられない自民党に情けなくなりましたよ。
さて、泣いても笑ってもあと40日です。政権交代実現のその日まで甚だ微力ですがお供させてくださいね。
まあ、とりあえず、無事、衆議院解散となりました。これ自体は、めでたい事です。変なしがらみのない方で、理念のある方に、考えて投票するようにしたいと思います。
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山口2区・3区は民主党に軍配がいいねと君が言ったから8月31日は総選挙へ行こう
衆議院解散! + 自民党の茶番 両院議員懇談会突然の打ち切り。(各々方、いよいよですぞ!)
殿!風が嵐となりつつあります!そりゃ、タイフーンだな 鳩山由紀夫
http://www.houko.com/00/01/S25/100.HTM#s4
公職選挙法
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(表示及び訂正等)
第27条 市町村の選挙管理委員会は、選挙人名簿に登録されている者が第11条第1項若しくは第252条若しくは政治資金規正法第28条の規定により選挙権を有しなくなつたこと又は当該市町村の区域内に住所を有しなくなつたことを知つた場合には、直ちに選挙人名簿にその旨の表示をしなければならない。
2 市町村の選挙管理委員会は、選挙人名簿に登録されている者の記載内容(第19条第3項の規定により磁気ディスクをもつて調製する選挙人名簿にあつては、記録内容)に変更があつたこと又は誤りがあることを知つた場合には、直ちにその記載(同項の規定により磁気ディスクをもつて調製する選挙人名簿にあつては、記録)の修正又は訂正をしなければならない。
(登録の抹消)
第28条 市町村の選挙管理委員会は、当該市町村の選挙人名簿に登録されている者について次の場合に該当するに至つたときは、これらの者を直ちに選挙人名簿から抹消しなければならない。この場合において、第3号の場合に該当するときは、その旨を告示しなければならない。
1.死亡したこと又は日本の国籍を失つたことを知つたとき。
2.前条第1項の表示をされた者が当該市町村の区域内に住所を有しなくなつた日後4箇月を経過するに至つたとき。
3.登録の際に登録されるべきでなかつたことを知つたとき。
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ここで、「当該市町村の区域内に住所を有しなくなつた日後4箇月を経過するに至つたとき」という言葉が問題になってきます。例えば、東京都議選について考えてみると、前年の12月1日以降、3月1日まで、東京都内に住んでいれば、その時点で、選挙人名簿には記載されます。問題は、この効力がどこまで残るかです。例えば、3月1日の時点で、別の場所に『お引っ越し』を仮に行ったと考えます。次に選挙人名簿に登録されている方を調べるのが、6月1日になるのですが、この時点では、まだ、「当該市町村の区域内に住所を有しなくなつた日後」3ヵ月間しか経っていませんので、この時点では、選挙人名簿にまだ名前が載っているはずです。問題は、7月1日、つまり、『お引っ越し』の後、4ヵ月経過した時点で、選挙人名簿の登録がどうなるか、という事です。もしも、この時点で、、名簿における登録が抹消されてしまうのなら、都議選の選挙はできません。でも、6月1日の時点で、『お引っ越し』先の選挙人名簿には、登録がなされる事になります。
しかしながら、選挙人名簿の登録および抹消が、6月1日の時点でしか判断されない、となれば、話は違ってきます。その方は、東京都議会選挙にも投票できていながら、『お引っ越し先』においても、衆議院選挙に投票する事が可能になってしまいます。つまり、名簿の抹消が、随時行われるのか、または、登録月の1日の情報によってしか行われないのか、それによって、結果は全く異なってきてしまいます。この事について、どなたか、お分かりになる方がいらっしゃれば、嬉しく思います。