足利事件と飯塚事件:菅家利和さんのインタビューを読んで
――逆に、怒っているのは、誰に対して怒っていますか?
「やっぱり、自分としては、当時の刑事、検事。この2人ですよ。それから、裁判官。この3つですね。ものすごく怒ってますね」
――謝ってほしいとおっしゃいましたね?
「ああ、その通りですよ。今もその気持ちは変わってません。今でも来てもらって、謝ってもらいたいですよ。もし、今でもね、当時の刑事が、当時の気持ちと同じでいたら、ぶん殴りますよ。殴りたい気持ちです。今、本当に。それだけ怒ってますよ、今。絶対許さない。謝りにくるまで。冗談じゃない。そのためにね、自分の親父ですよ。ショックを受けてね、亡くなったんですよ。だから、亡くなったのは誰のせいだと言いたいんですよ。刑事でしょ。だから、絶対許さないですよ。今でも。絶対許さない。(涙)そうですよ、両親ですよ。悔しながら死んでいったんです(涙)」
足利事件については、とらちゃんが、詳細な情報を集めてくださっている。
『晴天とら日和』
「冤罪」:一概に可視化すれば直ちに冤罪が減るという感じがありません。by麻生太郎。
無実の罪で17年間半も刑務所に服役させられ、そのせいで、ご両親の死に目にも会えなかった菅家さんだが、最初のDNA鑑定の結果に疑問を抱いた佐藤博史弁護士の機転とねばり強さの結果、最新の技術で再度DNA鑑定をすることになり、菅家さんのDNAが、殺害された女児の衣服についていた犯人のDNAと一致しないことがわかり、無実が証明された。
足利事件発生から約2年後の1992年、 今度は、福岡県飯塚市 で小学1年の少女が二人殺される事件が起きたそうだが、その容疑者とされた久間三千年(くまみちとし)さんは、導入されたばかりのDNA鑑定で、真犯人のものと思われる血液のDNA型と久間さんの型が一致したとして逮捕され、一貫して容疑を否認し続けたにもかかわらず、死刑確定後たった2年で死刑が執行されてしまった。
足利事件そっくりの事件で、冤罪を訴えた人が死刑により
菅家さん逮捕から約3年後の1993年、1年間刑事に尾行されていた久間三千年(くまみちとし)さん(当時54歳)が、「科警研が行ったMCT118法DNA鑑定により、真犯人のものと思われる血液のDNA型と久間さんの型が一致した」として逮捕された。
彼は一貫して容疑を否認し続けたが、2006年9月、最高裁で上告が棄却され、死刑判決が確定してしまった。そして無実を叫びながら、昨年2008年10月、なんと、処刑されてしまった。再審準備中だったという。
足利事件のDNA再鑑定が報道された直後に、同様に古いDNA鑑定で有罪が確定した久間三千年死刑囚の死刑執行を命じた森法務大臣。当時別のDNA再鑑定では別人との結果 が出ていたのだ。本人は一貫して無罪を訴えていたにも関わらず、再審も再鑑定もされな いまま、死刑確定後たった2年で執行した。
もう少し詳しい事件の概要、被疑者、裁判などをウィキペディアから。
飯塚事件(ウィキペディア)
事件の概要
1992年2月20日、福岡県飯塚市の小学校1年生だった女児2人(当時7歳)が登校中に行方不明になった。その後、同県甘木市(現在の朝倉市)の雑木林で殺害され遺棄されているのが発見された。死因は窒息死だった。
被疑者
この事件では犯人を特定するために必要な遺留品が乏しかった。しかし捜査に当たっていた福岡県警察は被疑者として事件当時52歳のKをマークしていた。これは遺体遺棄現場付近で目撃された紺色のワンボックスカーを所有していたためである。だが身柄を拘束するまでの物証は得られることはなかった。
しかし、事件から2年半が経過した1994年9月、DNA鑑定で遺体周辺の血痕とKのDNAの型が一致したなどとして、死体遺棄容疑で逮捕した。警察によればワンボックスカーに残されていた血痕が被害者のものと一緒であったことから、被害者が被疑者のワンボックスカーに乗っていたのは間違いないというものであった。また被害女児の衣服にKの所有車のシートのものと同じ繊維が付着していたことも明らかになった。
その後、検察は被疑者全面否認のまま殺人と略取誘拐ならびに死体遺棄で起訴した。
裁判
捜査段階で被告人から犯行の自白が得られなかったばかりか、指紋といった物的証拠が一切なかった。しかし、検察側が公判維持の最大の拠り所としていたのは、逮捕のきっかけとなったDNA鑑定であった。DNAによる個人識別方法は1980年代に捜査方法として導入されはじめたものであり、日本でも1990年代前後に入ってから導入された。このDNAによる個人識別すなわち犯人特定方法は指紋と同じく精度の高いものであるとされたが、裁判ではDNA鑑定の精度が最大の争点となった。
2000年代後半の現在ではDNA鑑定の精度は約4兆8000億人に一人の確率で判別できるとの説がある[1]が、これはDNAの複雑な配列の読み取りがコンピューターによって超高速で行われることが可能であるためである。しかし、起訴当時に警察庁科学警察研究所が使用していた「MCT118型検査法」は人の目による恣意的な要因が排除できない識別法[1]であり、染色体のうち16個の塩基配列が繰り返される回数で個人差を特定する方法であった。そのため、一般的な型で16人に一人、特殊な型で3万5000人に一人しか判別[1]できず、平均すると、およそ1000人に1.2人の確率[2]しかなかった。
検察側が法廷に証拠として提出したは2種の検査では、いずれも被告人と一致したとの鑑定結果であった。しかし、逮捕前に検察が第三者機関による鑑定として帝京大学で行われた鑑定では、検察側鑑定と同様に被告人と毛髪と被害者に付着していた犯人と思われる血痕が比較分析されたが、被告人のDNAとは一致しないという結果が出た。当時、科警研とは別に飯塚事件の鑑定を行った石山夫(いくお)、帝京大名誉教授(法医学)は「ミトコンドリアDNA」という方法で鑑定したが、被疑者の型は検出されなかった。さらに、科警研は鑑定に使った試料を使い切ってしまっており、再検証もできなかったため、科警研のデータを見た石山名誉教授は、「こんな鑑定は私の教室では通用しない」と法廷で証言した。また、裁判では被告人のワンボックスカーから検出されたとされる被害者の血痕の鑑定について、2人以上の混合血だったとして鑑定結果は疑問として証拠としての信用性を否定した。
しかし、車に血がついている理由については弁護側の説明はなく、被害児童の通っていた潤野小学校職員が証人として行なった証人尋問で、その職員が「子供たちに警戒されていた」と被疑者に都合が悪い証言を行なった際に、被疑者は大声でその職員を恫喝した。
しかし、裁判所は被害者に付着していた犯人とおもわれる血痕の鑑定に対して、検察側は信頼できるとして証拠として採用した。一方の弁護側が矛盾していると主張した帝京大学における鑑定については「科捜研の鑑定で試料を使い切った可能性がある」と退け、たとえ被告人の型が出なかったとしても矛盾しないとした。また、被害者に付着していた繊維はワンボックスカーの座席シートの可能性が高いとして証拠能力があると認定した。
そのため、一審の福岡地方裁判所は1999年9月29日、控訴審の福岡高等裁判所は2001年10月10日に検察側の求刑通りに被告人に死刑判決を出した。その理由として犯行を否認し反省の色もなく残虐非道な犯行であり、被害者遺族の厳罰感情が著しいためであるとした。
被告人は最高裁判所に上告した。最高裁で行われた弁護側弁論では、当時のDNA鑑定の精度が未熟だったと主張[1]し証拠能力がないとしたが、2006年9月8日に第二小法廷(滝井繁男裁判長)は証拠能力があると認め、そのほかの状況証拠とあわせて上告を棄却し死刑が確定した。なお裁判では動機は「性的欲望を遂げようとした」 としているが、被害者は首を絞められ、顔を殴打した跡があったが性的暴行を受けていなかった。また裁判でも犯行場所も殺害状況も動機も真相が明らかにならなかったが、これは被告人が終始犯行を否認した為であるが、これについて捜査関係者は「彼は家族を守るために否認を貫いた」との見解を示している。それによれば犯行を認めれば自分の家族が崩壊するが、冤罪を主張したまま死ねば救われるというものであったという[3]。
関連動画:
(2/2) 飯塚事件 森法務大臣はなぜ急いで死刑執行したのか説明せよ
足利事件と飯塚事件については、5月17日(日)に関西のテレビ局「毎日放送」(TBS系列)で放映された「ドキュメント 映像’09」の1時間特集番組でも紹介された。
上記の動画にもあるが、死刑執行を承認する立場である森法務大臣は、足利事件の古いDNAの結果がなにやら怪しそうだということを知り、その上、科警研では真犯人のDNAと久間三千年さんのDNAが一致したという結果が出ていたが、もう一ヶ所の帝京大学のDNA鑑定では、別人という結果が出ていたということはもちろん知っていたはずだ。その上、久間三千年さんも、一貫して無罪を訴えていたにもかかわらず、再審も再鑑定もされな いまま、死刑確定後たった2年で死刑が執行されてしまったのはなぜなのだろうか。国民が法務省不信にならないためにも、森法務大臣の説得力のある説明が求められる。
飯塚事件 死刑執行とその後 (ウィキペディア)
死刑囚となったKは冤罪を主張し、弁護団は再審のための準備をしていた。しかし死刑判決確定から2年2ヶ月弱の2008年10月28日に福岡拘置所でKの死刑が執行された。70歳だった。なお、死刑執行命令を出したのは麻生太郎内閣の森英介法務大臣が決裁したが、執行時死刑判決順位は100人中61番目で、再審を準備中であったとはいえ、先に死刑が確定している死刑囚で再審請求をしていない者も数多くいたにも関わらず、異例に速い死刑執行であった。しかし死刑執行が早くなった理由については、法務当局によって行刑密行主義が取られている為明らかになることはない。
菅家さんのインタビューを読んでもわかるだろうと思うけど、菅家さんはとてもおとなしい性格で、人とコミュニケーションをとるのが苦手で、自分の主張を通すことがなかった。そんな性格も災いして、無実の罪で長年服役することになってしまった。又、彼は検事や検察は国民を守ってくれるものと固く信じていたことも、取調べで検事に逆らえず、罪を認めてしまったことの原因だったようだ。
もし、菅家さんが、普段から、自分の主張を訴えることができていたら、もっと早く無実が証明されたに違いない。それでも、菅家さんを信じて疑わなかった主婦の支援者や佐藤博史弁護士がいたからこそ、こうして、無実を証明することができたのだと思う。
菅家さんには、これまで不幸だった分、余生を幸せに暮らしていただけたらと思う。
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