日本でのストレス
今日の午前中は日本の友達と電話で話すだけで終わってしまった(汗)。いろいろな人と日本語で自由に話せるって楽しいねぇ。それにしてもみんな主婦だから時間があり余っているのか、話が永遠に続いて終わらない(笑)。まあ、もちろん久しぶりに話したっていうのもあるんだけどね。
おりんさんの「アメリカと日本のストレスの違いとは?」を読んで私もせっかく日本にいることだし、私が感じたカナダと日本のストレスの違いでも書いてみようかと思う。 まずは、おりんさんが以前アメリカに住んでいて今は日本に住んでいるお友達と話した結果書かれていたアメリカと日本のストレスの違いを紹介。
日本での良いことに「みんな一緒」とあげられているが、これは、日本では格差社会が広がっているが、アメリカではもっと広がっているということだろうか。カナダではあまり格差を感じることはない。あと、カナダでおいしい料理というのは何だろう。あまりないなぁ(^^;)。これらを抜かせば、アメリカでのストレスや良いことはそのままカナダにも当てはまるような気がする。あと、ダイエット中の美爾依としては、日本は食べ物がおいしすぎて、このままでは限りなく太ってしまうかもしれないというストレスも新たに発見(汗)。食べ物はカナダのように適当に美味しくないほうが私のようなものにとっては健康にもいいのかもしれない。
そんな中でやはり、カナダと日本の一番大きな違いはカナダはとても自由で何でも好きなことができるのに対し、日本は常に人の目を気にして規則や倫理に縛られながら生きていかなくてはならないということだろう。例えば、日本では子供のいる女性は「母親」として生きなければならないという社会観念があるが、カナダでは子供がいても独りの「女」として自由奔放に生きることができる。そういった点、鳥かごの中の鳥と野生の鳥くらいの違いはあるかもしれない。
多分、これは儒教の教えが日本社会の生活の根本にいまだに残っているためであろう。これはいいことでもあるし、悪いことでもある。こうしなくてはいけないという日本の社会通念を守ることはすばらしいことであるが、逆にそこで生活する人々にストレスを生じそれが大きな犯罪の原因となることもある。例えば、『気ままに綴る老後生活』の「4月、私の記憶に残った、「おぞましい新聞の見出し」」が指摘している通り、最近の日本では、社会の治安を守る仕事に従事している法務局職員や警察官、自衛官による犯罪が増えている。これらの犯罪もこうあらねばならないという日本の社会概念のストレスの表れではないだろうか。
その上、日本社会では不必要に規則を厳しくして、国民の生活に不安を与えている。『真実のステートメント』の「クルクル・パーキング問題」でも触れていたが、今でも充分厳しいと思うのに、6月からは違法駐車の取り締まりがもっと厳しくなる。これらのことは毎日一生懸命に働いている国民に多大なストレスを生じることになり、よくない。国民の生活が経済的に苦しくなっているのに、さらにその上追い討ちをかけるように不必要に交通規則を厳しくして、罰金を徴収するというのは国民の生活を脅かすことになるのではないか。
あと、これは、私の個人的な感想だが、今回私が日本で感じた一番のストレスは年齢についてのストレスだ。日本ではなぜか若い人が一番偉そうに街中を歩いており、中年や老人は小さくなって歩いているような気がする。電車の中のお年寄りのためのシルバーシートというものがあること自体おかしいのだが(お年寄りが乗ってきたらどこに座っていようと席を譲るべきだから)、そこに若者がどうどうと座っている。お年寄りが目の前に立っていても眠ったふりをして席を譲ろうとしない。又、若いのに高価なブランドのバッグを持ち歩き、高そうなブランドの洋服を着ている。まあ、中には偉そうに街中を闊歩する中高年も見かけたが、ごくわずかだった。カナダでは逆だ。若者は見るからに安そうなバッグや洋服を着ており、年齢と共におじさんやおばさんは高価なものを身につけるようになってくるし、自信に満ち溢れ、偉そうに行動している(笑)。カナダの若者はそんな中高年者を敬い、とても親切に接している。
私が思うには日本人は手中範囲の物欲を満たすことによって日頃感じているストレスを解消しているのではないかということだ。家の値段が高いだけあって、手に入れるのは困難なので、バッグや洋服にお金をかける余裕があるのだろう。逆にカナダではマイホームが簡単に手に入れやすい(例えば3000万円出せば大きな庭付きの一戸建て住宅が買えてしまう)ので、収入の大半は家のローンを払うのに費やされ、高価な小物や洋服を買う余裕がないのだと思う。
そして、さらに私が年齢的なストレスを感じたのは、日本では年齢に対する固定観念が強いことだ。何かというと年齢を気にし、20代は20代らしく行動しなければならず、30代は30代らしくつまり、年齢相応に行動しなければならないという固定観念がある。それに比べてカナダでは30代でも10代のように振舞ってもいいし、年齢に縛られずに自由に行動できるのだ。つまり肉体的にいくら歳をとっても、精神的に若くいられるのだ。日本でたまに見られるように若者が中高年者を差別することはなく、あまり若者と中高年者の差がない。つまり、もちろん、例外はあるだろうが、カナダでは若者は年長者をあまり差別せず、敬っているが、日本では若者が年長者を差別し、敬わないというイメージが私の中にはある。これは、年長者を敬うように教えている儒教と相反するものであるところが面白い。
今回日本に帰ってきて感じたストレスの中で、これが一番大きなストレスだろう。カナダにいるときは、20代の気分でルンルンだったのに、日本に帰ってきたとたん、実際の年齢に戻ってしぼんでしまったような気分。これは、かなり大きなストレスだ(笑)。もちろん、カナダでも文化の違いや言語の壁などのストレスはあるが、こういった年齢的なストレスに比べると小さなものであり、やはり、カナダは住みやすい国なのだというのを改めて感じてしまった。
おりんさんの「アメリカと日本のストレスの違いとは?」を読んで私もせっかく日本にいることだし、私が感じたカナダと日本のストレスの違いでも書いてみようかと思う。 まずは、おりんさんが以前アメリカに住んでいて今は日本に住んでいるお友達と話した結果書かれていたアメリカと日本のストレスの違いを紹介。
日本でのストレス
・上下関係の厳しさ
・世間の目が厳しすぎ
・通勤時間の長さ(車よりも電車)
アメリカでのストレス
・文化の違い
・人種差別にセンシティブ
・言葉の壁
日本での良いこと
・何でもそろう
・みんな一緒
・何でもヘルシー
アメリカでの良いこと
・広々とした光景
・なんだかまったり
・メキシコ料理がおいしい(コロラドで)
日本での良いことに「みんな一緒」とあげられているが、これは、日本では格差社会が広がっているが、アメリカではもっと広がっているということだろうか。カナダではあまり格差を感じることはない。あと、カナダでおいしい料理というのは何だろう。あまりないなぁ(^^;)。これらを抜かせば、アメリカでのストレスや良いことはそのままカナダにも当てはまるような気がする。あと、ダイエット中の美爾依としては、日本は食べ物がおいしすぎて、このままでは限りなく太ってしまうかもしれないというストレスも新たに発見(汗)。食べ物はカナダのように適当に美味しくないほうが私のようなものにとっては健康にもいいのかもしれない。
そんな中でやはり、カナダと日本の一番大きな違いはカナダはとても自由で何でも好きなことができるのに対し、日本は常に人の目を気にして規則や倫理に縛られながら生きていかなくてはならないということだろう。例えば、日本では子供のいる女性は「母親」として生きなければならないという社会観念があるが、カナダでは子供がいても独りの「女」として自由奔放に生きることができる。そういった点、鳥かごの中の鳥と野生の鳥くらいの違いはあるかもしれない。
多分、これは儒教の教えが日本社会の生活の根本にいまだに残っているためであろう。これはいいことでもあるし、悪いことでもある。こうしなくてはいけないという日本の社会通念を守ることはすばらしいことであるが、逆にそこで生活する人々にストレスを生じそれが大きな犯罪の原因となることもある。例えば、『気ままに綴る老後生活』の「4月、私の記憶に残った、「おぞましい新聞の見出し」」が指摘している通り、最近の日本では、社会の治安を守る仕事に従事している法務局職員や警察官、自衛官による犯罪が増えている。これらの犯罪もこうあらねばならないという日本の社会概念のストレスの表れではないだろうか。
その上、日本社会では不必要に規則を厳しくして、国民の生活に不安を与えている。『真実のステートメント』の「クルクル・パーキング問題」でも触れていたが、今でも充分厳しいと思うのに、6月からは違法駐車の取り締まりがもっと厳しくなる。これらのことは毎日一生懸命に働いている国民に多大なストレスを生じることになり、よくない。国民の生活が経済的に苦しくなっているのに、さらにその上追い討ちをかけるように不必要に交通規則を厳しくして、罰金を徴収するというのは国民の生活を脅かすことになるのではないか。
あと、これは、私の個人的な感想だが、今回私が日本で感じた一番のストレスは年齢についてのストレスだ。日本ではなぜか若い人が一番偉そうに街中を歩いており、中年や老人は小さくなって歩いているような気がする。電車の中のお年寄りのためのシルバーシートというものがあること自体おかしいのだが(お年寄りが乗ってきたらどこに座っていようと席を譲るべきだから)、そこに若者がどうどうと座っている。お年寄りが目の前に立っていても眠ったふりをして席を譲ろうとしない。又、若いのに高価なブランドのバッグを持ち歩き、高そうなブランドの洋服を着ている。まあ、中には偉そうに街中を闊歩する中高年も見かけたが、ごくわずかだった。カナダでは逆だ。若者は見るからに安そうなバッグや洋服を着ており、年齢と共におじさんやおばさんは高価なものを身につけるようになってくるし、自信に満ち溢れ、偉そうに行動している(笑)。カナダの若者はそんな中高年者を敬い、とても親切に接している。
私が思うには日本人は手中範囲の物欲を満たすことによって日頃感じているストレスを解消しているのではないかということだ。家の値段が高いだけあって、手に入れるのは困難なので、バッグや洋服にお金をかける余裕があるのだろう。逆にカナダではマイホームが簡単に手に入れやすい(例えば3000万円出せば大きな庭付きの一戸建て住宅が買えてしまう)ので、収入の大半は家のローンを払うのに費やされ、高価な小物や洋服を買う余裕がないのだと思う。
そして、さらに私が年齢的なストレスを感じたのは、日本では年齢に対する固定観念が強いことだ。何かというと年齢を気にし、20代は20代らしく行動しなければならず、30代は30代らしくつまり、年齢相応に行動しなければならないという固定観念がある。それに比べてカナダでは30代でも10代のように振舞ってもいいし、年齢に縛られずに自由に行動できるのだ。つまり肉体的にいくら歳をとっても、精神的に若くいられるのだ。日本でたまに見られるように若者が中高年者を差別することはなく、あまり若者と中高年者の差がない。つまり、もちろん、例外はあるだろうが、カナダでは若者は年長者をあまり差別せず、敬っているが、日本では若者が年長者を差別し、敬わないというイメージが私の中にはある。これは、年長者を敬うように教えている儒教と相反するものであるところが面白い。
今回日本に帰ってきて感じたストレスの中で、これが一番大きなストレスだろう。カナダにいるときは、20代の気分でルンルンだったのに、日本に帰ってきたとたん、実際の年齢に戻ってしぼんでしまったような気分。これは、かなり大きなストレスだ(笑)。もちろん、カナダでも文化の違いや言語の壁などのストレスはあるが、こういった年齢的なストレスに比べると小さなものであり、やはり、カナダは住みやすい国なのだというのを改めて感じてしまった。





















