2006.04.21 (Fri)
あまり触れたくなかった話題、南京大虐殺について
お名前:埼玉県民代表H さま
訪問日と時間:2006/04/20(木) 14:06~14:46
ホスト:softbank219214096079.bbtec.net
2006/04/20(木) 14:06 日本は日本独特の文化を鎖国制度廃止により大量に失いました。狼を大神と信仰し大切にしていたのを、外国犬の輸入による狂犬病が人に感染し、信仰の対象から捕獲の対象になったことで絶滅してしまいました(たまに目撃者が現れるらしい)そして、動物の皮をはぎ、肉を食べ、骨を出汁にしました。そのせいで多くの動物(特にトキ、ニホンアシカ)が絶滅しました。坂本龍馬マジで氏ね!畜生!馬鹿たれ!!くそったれ!
思想の面でも外国の影響を受けました。捕食文化だ。捕食文化がいけないんだ!江戸時代の日本人が一番人間らしかった!自分で飼った鶏の肉や、卵、牛くらいしか食わなかった!
三味線も大量になんか作らなかったぞ!金のために乱暴に狩猟なんかしなかった!そうだ!鉄砲なんか渡って来なかったらよかったんだ!そのせいで楽に殺せるようになっちゃったじゃないか!黄色人種は刹那的なんだから!後先考えないから!!時代の流れなんて止まってしまえ!江戸時代のまま止まれ!人は想像するから困る!サルのままでいればよかったものを!みてろ。いまに神が天誅を下す!ああ神よ!古より日本におられた神よ!この国を救いたまえ!救いたまえ!救いたまえ!!
南京大虐殺はなかった。そんなことも知らずよくのけのけと書けるものだな。そこそこ有名だと思っていたがな。だから無知は怖いよ。日本人は洗脳されていた。馬鹿なリーダーによって。今の中国・韓国・北朝鮮みたいにな。人類の最終形態はこれ以上自然にかかわらないことだ。いずれは宇宙にでも行けたら上等だな。そもそも人口が多すぎるんだ。淫乱な豚どもが。人は本能に縛られてはいけない。もう地球は人が住と他の生物に迷惑をかける。完全草食主義にでもならんとな!!
追伸・俳句字余りしてるぞ。下手だな。外人はハーフ生むな。
追追伸・参考までに。
http://www.janjan.jp/living/0512/0512106206/1.php?PHPSESSID=25
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/nanking.html
http://www.jca.apc.org/~altmedka/honda-lie.html
http://www.janjan.jp/government/0503/0503124559/1.php
http://www.senyu-ren.jp/SEN-YU/00102.HTM
2006/04/20(木) 14:46 音楽好きの人に悪い人はいないというが、猫好きにいい人は少ないそうだ。外人よう。お前思考停止してるな。
午後2時6分から46分の間40分間に合計で5回ご訪問いただき、上記のようなメッセージを残してくださった。おかげで、久しぶりにいい腹筋の運動になっちゃったよ!100%日本人の私を外人と呼ぶところもおかしいけど、いちいち、このブログに書いてある、俳句や猫の写真や音楽についても言及しているところがかなりおちゃめである。あと、「ぬけぬけと言う」のこと今は「のけのけと」って言うのが流行ってるの?(笑)なんか、憎めないんだよね、こんな埼玉県民代表H さまのようなネット右翼だと。
南京大虐殺論争(ウィキペディア)を読めばわかるとおり、南京大虐殺にはいろいろな説がある。この事件は日本では幻だったとか、全てウソだったとか否定説がネットで広まっているみたいだけど、外国でそんなこと言ったら笑われるだけだ。もっとも日本国内に一生暮らしているんだったら、南京事件がなかったと信じていても困ることはないのかもね。日本の平和がこのまま続けば・・・。
この日本政府が必死で隠そうとしている南京大虐殺を初めとした日本軍の野蛮な戦争犯罪のおかげで、近隣諸国との関係は悪化しているし、お金はどこの国よりもたくさん払っているのに、国連の常連理事国にもなれないでいるのは知っているよね。
カナダでは建国記念日にはみんなカナダの国旗を振って、カナダの国歌を歌って、お祭りしながらお祝いするんだけど、日本ではどうして、国旗や国歌をどうどうと使えないの?私は子供の時からそれがとても不思議だった。子供心に何か隠されているようで、何かこの国を思いっきり愛したいという気持ちが湧いてこなかった。最近話題になっている愛国心とか郷土を愛する態度とかって、その国の強さだけじゃなくて、弱さも全て知った上で初めて生まれるものなんじゃないかな?過去に何かやましいことがあってもそれを正直に認めて、2度と同じ過ちを犯さないようにすることはできないの?そんなやましさをいつまでも隠しているような国で生まれて育っても、祖国を愛する心は芽生えないのではないだろうか。その過ちを認めないうちは、国民にも愛されるような国にはならないし、近隣諸国からだってとてもじゃないけど、愛してもらえないだろう。もちろん、私のように海外に住んでいたら、日本の祖国はとても愛しいのだが・・・・。
日本政府は南京事件をそのうち中国は忘れると思っているかもしれないけど、中国では写真や文書も取ってあるし、ビデオまで本物じゃないけど、限りなく本物に近いものを作って、それを孫の代までずっと見せ続けている。それを見た人から聞いたんだけど、その内容といったら、かなり残酷だそうだ。例えば、人体実験の様子とか、一般市民の首を切ったり、赤ちゃんを大きなパンを作るウスの中に放り込んで挽いてパンとして焼いたり・・・・。中国ではこうやって日本軍が南京で何をしたか代々伝わっていくようになっている。だから、みんな首相がA級戦犯の眠る靖国神社に参拝に行くことにだってあれだけ反対しているんだ。
日本人だったら、誰だって、こんな南京大虐殺を初めとした日本軍による戦争犯罪なんて信じたくない。心の底から否定したい。でも事実は事実なんだ。いくらネット右翼がよってたかってネットで南京大虐殺はなかったことにしても、歴史を変えることはできないのだ。日本政府はいいかげん首相の靖国神社参拝について考え直し、どうして、中国があれだけ反対しているのか、国民に説明するときが来たのではないだろうか。
参考記事:
南京大虐殺(ウィキペディア)
南京大虐殺論争(ウィキペディア)
南京事件の真実
南京事件資料集
『世に倦む日日』から
盧武鉉大統領の正論とその前提 - 日韓基本法としての村山談話
東京裁判・南京事件
『マサガタの我が儘放談』から
南京大虐殺の史跡を訪ねて
ハイナンNET
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1981年に、自民党が、歴史教科書攻撃キャンペーンをしました。
攻撃の標的は、南京大虐殺、従軍慰安婦、沖縄戦自決でした。
これを背景にして、
1982年に、日本政府・文部省は、歴史教科書に<記述の修正>の圧力を掛けました。
(と、いうことでした。)
平沼赳夫氏、田母神俊雄氏、中曽根康弘氏、櫻井よしこ氏、石原慎太郎氏など。
結局、昭和天皇の死後の名誉なんでしょうねえ、彼らが問題にしているのは。
次の憲法で、天皇を元首にするか、象徴のままでおくかで、元首にしたい人たちの条件闘争のようなもんですね。
それが東史郎裁判で、制服組主流派の黒幕である氏による謀略裁判であった、ということです。
2006年と2001年の出来事です。
見事に勝訴しています。
日本政府が認めることなど永久に出来ないでしょう。
これは制服組にとっては何物にも替えがたい屈辱であるようだ。
真実が判れば、嘘の構造も分かる。
仕方のないことではある。
(これは定義の仕方でどうにでもなるので永久に結論は出ない。)
南京陥落時の「敵の遺棄死体は八、九萬」の捕虜の殺害は、「畑俊六日誌」では「作戦」であり、本多勝一氏採取の栗原証言では「処分」である。
ここいらは森松俊夫氏監修、阿羅健一氏作成の、「全貌(昭和60年3月号)」の栗原証言でも「作戦」と書かれていることとも関連する。
問題は、この捕虜殺害の事実を歴史として残すのか、潰すのかである。
潰されて困るのは、戦後の日本人である。
「子々孫々に恥を残さず」などと言われて、日本陸軍の生き残りと右翼の合体勢力にいい様に軍事史を捏造されて、世界に恥をさらし続けるというのは国民主権国家の主権者としては情けない。
11月5日、中国・南京大学で教授・学生約400人にスピーチした内容。
「南京大学でのショート・スピーチ」
(教授、学生 約400人)
2005年11月5日
笹川 陽平
(かくて、日本では、南京の捕虜虐殺は潰され、何も知らない中国人は真実を知らないまま共産党の抑圧の下で過すのである。)
南京陥落時の「敵の遺棄死体は八、九萬」が捕虜の殺害であることは南京戦に従軍した日本兵なら誰でも知っていたことです。
それを父(栗原利一)の証言が出るまで、中国共産党などが全く知らなかったなんて、父も私も全く知りませんでした。
”七月二十二日付の記事は数日して中国の中、下級幹部用内部新聞「参考消息」に載り、元警察官の証言はその日のうちに、新華社が詳しく伝えた。”
「森松俊夫氏の正体」でグーグル検索すればわかります。
日本軍国主義の復活は許せない、なんて何を中国政府は時代錯誤なことを言っているのか、と普通の日本人なら考えるところなのですが。
この人が制服組主流派のバックボーンなのですから、隣国としても心配でしょう。
旧軍人のパージを解いて自衛隊を創らせたのが一因です。
マッカーサーの失策ですね。
板倉由明氏が共著者である「間違いだらけの新聞報道、南京大虐殺事件・万人坑問題」の推薦文は衆議院議員時代の石原慎太郎氏がオビで書いている。
しばらく前の「笑っていいとも」のテレフォンショッキングで石原慎太郎氏が田母神俊雄氏を紹介していた。
とても分かり易いつながりだ。
菅直人を替えられないのではなくて、8月15日に堂々と靖国参拝をするような人を首相に出来ないだけです。
え、日本て民主主義国家じゃなかったの、って、それは幻想です。
昭和15年2月27日 陸軍士官学校卒業
昭和15年5月 陸軍歩兵少尉
歩兵第74聯隊附
昭和18年12月 陸軍士官学校生徒隊附(第7中隊区隊長)
陸上自衛隊富士学校戦術教官
陸上自衛隊戦車学校戦術教官
陸上自衛隊幹部学校戦史教官
防衛研修所戦史室戦史編纂官
本の実物を見た方はわかるかもしれないが、辞書のように厚い、かなりの「力作」だ。内容はともかく、氏の文才を感じる、豊かな表現力が目を引く。ただ、裁判沙汰になった氏の「作品」には、史実的にだけでなく、「物理的にも」不可能だろう、といった残虐シーンが含まれており、作者自身の創作と思われる個所が目に付く。筆が踊ってしまったのかもしれないが、裁判では、その部分も、きっちり争点として扱われていた。今日では、史実と整合性をみない、ということが明らかになっており、左派も引用をためらう一冊となっている。私はすっかり絶版になったものと思っていたが、こうしていまだ健在なのには驚かされる。これは言わば、「文芸作品」であり、史実を元に綴った体験談と思ってはいけない。色々な意味で中国人をも誤解へ巻き込んだ「怪作」と言えよう。
(解放すると言われてはぬか喜びさせられ、逃げようとすれば小銃で頭をぶち抜かれ、河に浮かべたたった二艘の小舟で対岸に送ってやるからなどと騙され、)生きながらえて捕虜となり、無様に虐殺された蒋介石軍兵士のように「生きて(米軍からの)辱めを受けないように、」というありがたい訓令により、かくて玉砕戦に突入していくのである。
氏は南京事件の実態を十分知っていたのだろう。
昭和16年1月に発令された「戦陣訓」が島崎藤村が係わって作成されたこと知られたことです。国を挙げての対米戦争準備だったということです。
私は、単純に「陸軍悪人論」に組する者ではありませんが、この中の「生きて虜囚の辱めを受くるなかれ。」が後の対米戦争で、日本兵の投降を困難にし、犠牲者を増やしたこともよく知られた事実です。
どうも、この文面は南京での中国兵捕虜殺害を念頭に置いて作成されたもののようでもある。
それが旧陸軍関係者の現在に至る抵抗運動につながっているようだ。つなげて考えると理解できる。
さすがの揚子江も真っ赤になった、というのが貴重な証言であることは、牛込警察からアルバムから破り盗られた写真と同じものを探してくれと頼まれて、いろいろ聞いて回った時に、どなたも所持されていなかったので、確かにいまどきこんな話ができるのも珍しいのだろうと気づいた次第です。
南京大虐殺は指鬘外道の行いであった。日本は秋山兄弟が嘆いたとおり外道に穽ちたのであり、指鬘は釈尊の教化によってのみ証果を得ることができたのである。
Wikipediaアングリマーラ
>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A9
扶桑の島「和の国日本」は中国侵略征服の野望を剥き出しにする米軍へ「地位協定」で隷従してはならない。
日本軍が大勝利して投降して来た10万未満の捕虜のうち、9万人を殺害した、ということになります。
この事実を戦後になって陸士35期の服部卓四郎氏、44期の瀬島龍三氏、53期の森松俊夫氏などが必死になって潰してきた、ということです。
南京陥落当時から、捕虜の殺害は9万人超なのです。
これを戦後になって「自衛発砲」などという歴史の捏造を国家機関である防衛省戦史部が行なっているのです。
南京陥落当初から、捕虜となった蒋介石軍兵士などの大規模な殺害は推測される出来事だったのです。
65連隊の2万の捕虜殺害では魚雷営の7千人が予備的、試験的殺害で、殺害方法も荒っぽいものです。
(父は1日目の2千人斬首に加わっています。)
幕府山の捕虜13,500人を大湾子で殺害したものが本格的なもので、より計画性の高いものです。
以前から父の書いた7万余人と実際の捕虜の合計の10万人の差が気になっていました。
これは、父は本格的な捕虜の殺害についてだけ記したと考えれば辻褄があいます。
非戦闘時の捕虜は3万人が予備的、試験的に殺害され、7万人が本格的に殺害されたと考えられます。
いろいろな点から、当時の日本陸軍が軍の組織として行なった捕虜の殺害であることは明らかなのですが、以上のように捕虜の殺害が予備的、試験的なものと本格的なものに二分されることからも、計画性の高い捕虜殺害であったことが判ります。
13500人は以前から指摘しているとおり、幕府山の捕虜を大湾子で殺害したときの数です。
7万余人は大湾子と同じような状況で大量の捕虜を一時で殺害したときの数で、当時の新聞に公表された10万人の数との差の3万人はそれ以前に、または別勘定で殺害された捕虜の数になります。
(ここいらは小野健二氏の論文で「魚雷営」の7千人の殺害は試験的なものであった、との指摘に拠ります。)
非戦闘時に10万人、戦闘時に20万人、合わせて30万人がもっとも合理的な犠牲者数です。
「栗原利一の息子」でさえ、30万人説なので中国共産党も頑張って、堂々と主張し続けるように。
(日中両国の歴史認識は仲裁人のいない喧嘩のようなものです。永遠に続くでしょう。)
この方は父より1歳年下の読売新聞の従軍記者です。
基本的に全く嘘や誇張の無い記述だと思います。
前半の支那事変での従軍体験の話は連隊本部や大隊本部の位置関係や設営状況などが分かり、とても参考になりました。
南京大虐殺については以下のような記述です。
私はこれ以外に父から聞かされた中国兵捕虜の斬首行為に適合する記述を知りません。
南京大虐殺
”上海支局に着いたその夜、二人の連絡員が南京から帰って来た。現地採用の武田と畦崎だった。側車をつけたオートバイを飛ばせてきたので...
「寒いの、なんのって-」。
頬がこわばって口がきけないほどだった。二人とも南京陥落(昭和12年12月13日)後はじめての帰還だった。ちょうど一ヶ月目である。...
捕虜も全部で10万人くらいいるらしい。最初に入城した部隊が、「この捕虜をどうするか」と軍司令部に聞いたら、「適当に処分しろ」という話だった。...
そこで、揚子江岸の下関へ、捕虜を連れていって首を切った。最初の列の処刑が終わると、次の列を前進させて、死体を前に投げ込ませて、それから前と同じように一列にならべて処刑した。こうして朝から晩まで、つぎつぎに首をはねたが、一日に二千人しか斬れなかったという。...
二日目には手が疲れてきたので、機関銃をかつぎ出した。河岸に向って一列に並ばせて、ドドドドッと、重機関銃の引き金を引いた。捕虜たちはいっせいに河に向って逃げ出したが、岸までたどりついたものは一人もいなかったという。...
揚子江には中国兵の死体がいっぱい浮き、河の水は真っ赤で正視できぬ惨状だった、という。...”
私が小学三年生の時に、父が話した身振りは以下のようなものでした。
父は坐ったままで刀を(実際の刀は持たずに)思いっきり上から振り下ろす動作を数回繰返した後で「さすがの揚子江も真っ赤になった。」といって高笑いしていました。
父は首を斬ることをもっぱら担当していたのだと思います。
父は当時26歳で剣道三段でした。
「岸までたどりついたものは一人もいなかった」ので65連隊の一方の処分(=虐殺)現場の死体の山となったのです。
その当時は「虐殺」は中国兵が日本兵に対して行なうものでした。
同じような記載は小野賢二氏などのまとめた「南京大虐殺を記録して皇軍兵士たち」にもあります。
「東史郎日記」は当時の戦争の実態を知るには欠かせない貴重な記録です。
そういったこともあって東氏は森松俊夫氏や板倉由明氏から訴訟の標的にされたのだと思います。
「我々が到着した時は、虐殺された死体があっただけである。...
...遂に数十人の敵は、伍長の頭に青龍刀を叩き付けた。
伍長は血をふいて無念のうちにたおれた。...
惨殺された三十七人の死体は、全く目を覆わしむる鬼畜の行為の限りが尽くされていた。
或る者は目をえぐられ、鼻を切り取られ、
或る者は生殖器を切断され、頭を砕かれ、足をもぎ取られ、腕を離されて、皆一様に衣類のすべてをはぎとられて素っ裸になっていた。
(親父のスケッチブックの破壊工作といい、どうも防衛研究所戦史部を中心とした日本の歴史修正主義の根は深いもののようです。)
11月末の人口でも50万人です。
それに南京防衛軍の15万が加わり、南京で12月上旬の日本軍の攻撃にさらされた中国人、中国兵の総数は65万人に達します。
私の父(栗原利一)は戦闘終了後、非戦闘時の捕虜の殺害が7万余人と書き残しています。
南京は日本軍の包囲網にさらされ、揚子江での渡河でしか脱出の不可能な地勢です。
揚子江渡河中、南京城外での戦闘中の犠牲者数を含めると、中国側の主張するように30万人の犠牲者はまったく無理のない、合理的な数字なのです。
否定派のよく口にする20万人という数は最後まで行き場の無い、逃げ場所のない貧民の数なのです。
小平市の警察学校と小平団地を合わせたほどの広さ(かっての警察学校の全体の広さ)の10万坪の安全区の人口が20万人なのです。
南京での殺戮は殆どが大規模な捕虜の殺害も含めて城外で行なわれています。
南京城内にとどめ置かれた欧米人の証言や資料ではその内容を明らかにすることは出来ません。
「ジョン・ラーベの日記」では南京城外での殺戮の模様は一切分かりません。
私は南京に関係して死刑となった5名の方は無罪であると主張しています。
謝罪も賠償も必要ないとも主張しています。
(アイリス・チャン氏も含めて大虐殺肯定派が虐殺の証拠としてあげるのが父のスケッチブックであり、証言であるのでとりあえず肯定派に属しています。)
これは中国共産党の行過ぎた反日政策を軌道修正するためのものです。
もともと、南京戦は戦前の日本軍と蒋介石軍との戦いです。
南京大虐殺により漁夫の利を得たのは毛沢東の共産党軍なのです。
南京の真実なんて現在の中国共産党には映画化は無理なことです。
南京城外ではそこら中で大規模な捕虜の殺害があったのですから。
そんな映画を今の中国人が見たら大暴動が勃発してしまうでしょう。
「さすがの揚子江も真っ赤」になった65連隊の下関(シャーカン)での2千人斬首なんてとても映画に出来ないでしょう。
「南京の真実」は私が予想したとおりに中国共産党と日本の保守勢力の手打ちにより(南京大学での笹川氏の講演)ただ学問的記録にとどまることとなるのです。
日本側から言わせれば、蒋介石軍の捕虜の殺害と戦闘時の出来事なのですから。
私は、戦前の天皇主権国家の否定のために南京の歴史を残そうとしているだけです。
彼からは、私の文章能力に問題があるということで、投稿は禁じられてしまいました。
どうも私の持っている情報は彼らからすると日本の自衛隊にとっては致命的ともいえる情報のようなのです。
実際のところ私が保持している資料は個人的書簡などのネットでは公開できない資料が多いので彼らにはメールやCD-Rでお送りしてあります。
(とても彼の掲示板では気の毒で公開できませんでした。自衛隊の生みの親である旧日本軍による組織的な捕虜の殺害が中核的な出来事なのですから。彼らは永久に認めることは出来ないでしょう。)
ここの管理人さんも私の話からご理解いただけたと思いますが、南京大虐殺には世界的に誤解があります。
私は偶々、栗原利一という人の息子であったために直接、話を聞くことが出来き、知ることができたのですが。
日本で南京は話題にすると通常は否定派から名誉毀損などで訴えられてしまいます。
また、右翼や戦友会からの抗議が殺到します。
(南京は中国共産党と日本軍の生き残りの暗闘のような部分があります。)
私の書き込みについても「ご遺族の方が生きてらっしゃる」からとかイチャモンがつきます。
ただ、私の場合はあまりにも手持ちの証拠がありすぎて誰も私を訴えることが出来ないと思います。
今は母親の介護中なので、介護が終わったら単独で(有料で)講演会でもして回るつもりでいます。
とくに中国系の人は、南京大虐殺とは何であったのか、なぜ殆どの日本人は知らないのか、なぜ今の日本人は平和的で、南京では鬼畜のようだったのか、これらは知りたい話だと思います。
いずれにしろ、いまとなっては「南京の真実」すなわち、日本陸軍の軍の組織としての大規模な捕虜の殺害は日本政府などが公式に認めることはないでしょう。
両角業作元中将や福田篤泰防衛庁長官(南京陥落時の外務省官吏で南京大使館館員)が大嘘つきになってしまうし、それほど多くの日本人が大嘘を書いたことになりますから。
彼らが軍事史を改竄するのは当然のことでしょう。
森松俊夫氏は田母神氏の先生に当る人です。
私の父(栗原利一)は剣道範士で小平市の剣友会会長などを勤めていました。
田母神氏と同じ福島県の出身で65連隊の伍長でした。
65連隊には南京の下関で2千人の中国人捕虜を斬首したという中国側の証言があります。
私も父から直接「さすがの揚子江も真っ赤になった」話を聞いています。
アジアには人権が無かった、日本兵にとっては中国人など豚程度のものだったのです。
私が2006年に父(栗原利一)のスケッチブックとアルバムを新宿区箪笥町の某社みにCD-R化を依頼したことろ、一部破壊されて返却されて来ました。
(牛込署からは被害額が僅少であるため告訴状の受け取りは事実上拒否されています。)
その状況が、今年になって読んだ「東史郎裁判」と「加害と赦し、東史郎裁判と南京大虐殺」の中の東氏が経験した事件と酷似しているのです。
この本を読んで分かったのですが、この裁判は森松俊夫氏と故板倉由明氏の計画した裁判でした。
(家には板倉氏からの書簡が多数あります。)
某社は後から聞いて分かったのですが防衛研究所戦史部を大手顧客とする会社でした。
私の経験した事件の首謀者は、私が二度にわたって直接電話して嘘をつかれた森松俊夫氏である可能性がとても大きいのです。
森松氏は終戦時陸軍少佐でその後、戦史部、偕行社に入られてます。
軍事史の大家として著名な方です(これもグーグルの検索で分かったことです。)。
東史郎裁判では証拠となるべき東氏の日記の一部が、東氏が請われて貸し出した「京都の平和のための戦争展」で破り取られ、最高裁でも東氏のほうが嘘を言っていると事実認定され、敗訴しています。
なかなか面白い話だと思いますが、メディアではとても公には出来ないでしょう。
日本の社会がこういった社会でもあるといったところでしょうか。
この事実は公にはされていません。
ただし、捕虜の数が殺害された捕虜の数の最大なので、捕虜の数以上の殺害は戦闘時の殺害です。
1945年(昭和20年)、蒋介石が戦勝国に加わり、後の東京裁判でこのことが問題とされました。
日本側の責任ある地位の人の証言は一切ありませんでした。
1961年(昭和36年)、福田篤泰氏などが中心となり、捕虜の殺害は自衛発砲であったという体裁の「郷土部隊戦記」を各地で発行します。
1984年(昭和59年)、父(栗原利一)が捕虜の殺害は処分であったとの証言を行い、スケッチブックの一部が公になりました。
1991年(平成3年)、小野賢二氏の努力により父の所属した65連隊の2万人の捕虜殺害の状況が判明しました。
2009年(平成21年)、栗原利一の息子(私)により65連隊の下関での捕虜の殺害状況が明らかにされました。
この間に、2001年の東史郎裁判と2003年からの百人斬り裁判があります。
日本のメディアに出ている情報は殆どが捏造派の情報なので、一般の人には理解できないと思います。
結構知られているようなのですが、防衛研究所戦史部が南京を否定するのは、GHQのGSとG2の占領政策の違いから来ていました。
この戦史部OBで終戦時少佐のM.T氏が2006年に親父(栗原利一)のスケッチブックの破壊工作を行なって失敗しています。
(この方は、偕行社にいた時に東裁判を計画された方でもあります。)
以下は「加害と赦し、南京大虐殺と東史郎裁判」の中の吉田裕氏の論文の抜粋です。
防衛研修所戦史室の源流
...この資料整理部の前身は史実調査部、さらには史実部であるが、一貫してその中心的地位にあったのは、元陸軍大佐の服部卓四郎だった。
服部は、タカ派で有名なGHQ参謀第二部(G2)部長の、C.A.ウィロビー少将の援助の下に、
周辺に旧日本軍の幕僚将校を集めて「服部グループ」を結成する。
占領中から、秘かに再軍備計画の研究にあたっていたのは、このグループである。
一方、「服部グループ」は、史料整理部を中心にして、「大東亜戦史」の編纂にも、大きな力を注いだ。
この点について、二代目の戦史室長をつとめた島貫武治は、次のように書いている。
史料整理部の陣容は俊秀をもって当てられ、服部卓四郎、...各大佐、...各中佐、...少佐等で、
わが国においても政府による正統の大東亜戦争史を編さんすべきであるとの願望を抱き、 史料の収集整理に努めるとともに、昭和二十八年には大東亜戦争全史四巻を世に発表した。
...著者は服部卓四郎となっているが、「実際は各戦域の作戦参謀級の幕僚が、分担執筆し、
稲葉正夫(四二期、終戦時陸軍省軍務局軍事課員、中佐)がまとめたもの」であり、服部周辺の旧幕僚将校による合作だった。
そして、「後にこの整理部から多くの人が、貴重な史料とともに戦史室に転用され」、戦史室の中心を、これらの旧幕僚将校が占めるようになったのである。
...戦史室編纂の「戦史叢書」が、旧軍の立場を代弁する弁明史観的性格を色濃く持たざるを得なかった...
(皮肉なことに親父が65連隊だったものですから、服部氏が最後の連隊長を務めた65連隊の2万人の捕虜殺害が一番明確に事実が解明されています。)
1.栗原利一は魚雷営の1日目の中国人の2千人の斬首について、息子に話していた。
2.大湾子の捕虜殺害は1万3千5百人である(スケッチブックより)。
3.65連隊は全体で2万人の捕虜を殺害した(小野賢二氏の聞き取りより)。
(当時の新聞なども同じ数字を捕獲捕虜として挙げている。)
4.魚雷営の捕虜殺害は65連隊である(小野賢二氏の聞き取りなどにより)。
(魚雷営の2日目、3日目は5千人が殺害されている。)
結果として65連隊の2万人の捕獲捕虜の殺害について全て明白になる。
栗原利一は全体で7万余人と記述している(スケッチブックより)。
これは当時公表された捕獲捕虜や遺棄死体数とほぼ一致する。
つまり、日本陸軍は南京陥落時に全体として7万余人の捕虜を確信的に殺害したのである。
(中国側の30万人は死体の数なので矛盾しない。)
それを潰したい勢力(防衛省、自衛隊、日本の保守層)と残したい勢力(創価学会)が日本にある限り、永遠に続く問題です。
天皇主権国家では捕虜の「処分」として軍の極秘事項であったことが、敗戦により軍の正式書類が焼かれ、証拠が隠滅され、東京裁判以降は捕虜の「虐殺」として断罪されました。
北朝鮮の起こした朝鮮戦争により、自衛隊ができ、旧軍関係者が防衛庁に復帰したことから軍事史の捏造が行なわれ始めました。
捏造をしているのが国民主権国家の国家機関である、というところが喜劇的、悲劇的で何とも奇妙な国です。
私自身は日本が国際紛争に巻き込まれることに否定的な見解は持ちあわせていません。
世界中見渡しても特別日本だけが安全な国であるとも思えません。
ただ亡くなった父は自分自身の経験からか戦争は大変嫌っていたようです。
捏造勢力、いわば日本の保守勢力はここの掲示板の皆さんはご存知なのでしょうけど日本を「憲法9条を変えずに武力行使のできる国に」することが、南京の捏造の目的なのですね。
我が家に不審電話が20年以上にわたってかけられて来ていたことは以前お話しした通りです。
相手が誰であるかは父が名前を言うので分かる時もあります。
最後にかけて来ていた相手は森松俊夫氏あたりなのでしょうか。
相手が、私がインターネットで書き込みをしていることに苦情を言って来たようで、父が「子供には子供の考えがありますから。」と言って少しの間、相手の苦情を聞いていたのですが、最後に多少怒気を含んで「貴方は南京に何の関係があるんだ。」と応対をしていたことがあります。
話の内容や経緯からすると田中正明氏、板倉由明氏、阿羅健一氏、秦郁彦氏、平林貞治氏なども我が家には電話をかけてきていた様なのですが、全て同じように、私には無言電話でした。
暫く前にこのことを人から聞かれて、考えてみたのですが、これって彼らはみな共謀していたっていうことですよね。
それから彼らの共謀の目的を考えていたのですが、阿羅健一氏や秦郁彦氏が同じ産経新聞で、史実派からすると荒唐無稽な話をしているのは、よく耳にする「憲法9条に手をつけずに武力行使の出きる国に」することが目的なのですね。
これもここの掲示板の皆さんはご存知なのでしょうけど。
防衛省防衛研究所戦史部です。
前身は防衛庁防衛研究所戦史室と言ったのですが、彼らが編纂した戦史が「戦史叢書」です。
戦前の旧陸軍将校たちの集まりである偕行社が編纂したのが「南京戦史」です。
両書とも南京の歴史捏造本です。
戦史室では自衛隊が出来たときに旧将校たちが巣食って歴史を捏造しまくったようです。
彼らはまた、日本南京学会、南京の真実を検証する会、しいては新しい歴史教科書を作る会や英霊に応える会につながっています。
国費を使って歴史の捏造です。
頭の中が「天皇主権国家」から「国民主権国家」に切り替えられないでいるようです。
1.まず、南京大虐殺はあった。しかも当時の日本軍指導者の相当数が係らなければ出来ないような規模であった。
2.南京事件に関係して死刑となったものは松井石根氏、谷寿夫氏、野田毅氏、向井敏明氏。
どうもこの人達は大虐殺の真犯人ではないように思います。
この人達は真犯人のスケープゴートにされたような印象です。
そして真犯人は大虐殺を「共同で計画し、指示し、かつ戦後隠蔽工作をした」当時の日本陸軍の高級将校たちだったのだと思います。
ここで南京大虐殺関係の本を読み始めました。
「南京大虐殺の研究」をほぼ読み終わったところです。
結論から言うと蒋介石の軍事的失敗から日本軍は10万人以上の捕虜を得て、それをことごとく虐殺した、という結論のようなのですが。
もし、日本軍も同様の軍事的失敗をしていたら蒋介石軍が日本軍捕虜を解放したでしょうか、それはありえないでしょう。
なぜ、捏造派の方たちがこの程度の話をムキになって否定するのか判りません。
多分、日本人というのはそのくらいナイーブ(うぶ)な国民なんでしょう。
(1)65連隊と13連隊で全く命令系統が違うのに殺害方法が同じある。
(2)両現場とも伍長と上等兵は計画の詳細を知らなかった。
ということ反射として将校はしっていた、ことになります。
ということは、計画的な虐殺であった、ということです。
(3)両現場とも重機関銃がほぼ無制限に使用されており高位の責任者の許可がなければ実行できなかった虐殺です。
(4)父もK氏も指揮された者ですから全体の動きは知りません。
と言うことで「南京大虐殺は南京攻略戦に参加した日本軍指導者の計画による捕虜の虐殺であった。」といえるのです。
いまのところ非常に大雑把で申し訳ありません。
簡単です。
証言の重み付けが出来ないからです。
捏造派はそこをついてくるわけですから。
私が知っている真実を述べた証言者は父(栗原利一)とK氏です。
この二人は伍長と上等兵であり、どちらも虐殺の計画者側ではありません。
1.まず、栗原証言ですが、これは私(息子)より詳しい人はいません。
なんせ、松尾一郎氏から「目の中に入れても痛くない」と表現された息子なのですから。
それゆえ、私が言っていることが栗原証言の真実なのです。
この栗原証言はプラチナです。
虐殺を計画した側ではありませんので真実を述べている蓋然性が高いのです。
私が知っている限り最高に高いと思います。
2.次にK氏の証言ですが、これも父の証言につられて真実を述べてしまったのです。
その証拠はK氏から父宛に届いた任意の葉書です。
彼は自分が永年隠して来た真実を、やっと話す機会を得たのです。
このK氏の証言は金ていどの価値があります。
3.残りの証言は殆ど真実を述べたものは少ないと思います。
とくに将校側には虐殺を計画した側ですから全体を真実で述べた人はいません。
65連隊では誰もいません。
(父宛の元将校の手紙があったと思います。)
ただ、泥のような虐殺計画、虐殺指示者側の証言にもところどころ真実が残されています。
それが真実であるかどうかはプラチナである栗原証言やK氏の証言と符号するかどうかで判断すればいいのです。
K氏は第6師団第13連隊、父は第13師団第103旅団第65連隊です。
指揮系統が全く違い、違う現場の話なのだと思います。
では、父の話は別の師団の話なのに、なぜK氏が思い違いをしたか。
それは、K氏が思い違いを起こすほど、それほど状況が似ていたのだと思います。
つまり「事前に(捕虜から見えない場所に)銃機関銃を配置し、下方の開けた場所に捕虜を誘導し、乱射して(第一段階として)射殺した。」という状況があまりに似ていたため同じ現場の話だと思い違いしたのだと思います。
では、なぜ師団が別なのに捕虜の殺害(=処分)方法に強い共通性が見られるのか。
結論から言えば、師団をまたがって捕虜の処分(=殺害)方法が打ち合わせられた、ということだと思います。
つまり、南京攻略戦に参加した軍指導部及び軍指揮官は捕虜の処分について事前に打ち合わせを行い、違法性を認識しつつ捕虜の処分(=殺害)を行ったということだと思います。
私は軍の指揮系統や組織については未だ詳しくありませんが、南京攻略戦に参加した旧将校は共通の認識の下でこれらの処分(=殺害)を行ったのだと思います。
K氏の「血柱」や父の「人柱」の表現で分かるようにそれらは一つ一つの現場をとっても大虐殺という名称がふさわしいものだったのだと思います。
不審に思いながらも山上に重機関銃を据えつけると、ふもとのくぼ地に日本兵が連行してきた数え切れないほどの中国兵捕虜の姿。
そこに、突然、「撃て」の命令。
機関銃が一斉に乱射された。
「距離は7-8百メートル。
アリぐらいにしか見えない中国兵がクモの子を散らすような騒ぎになり、まるで地獄を見ているようでした。
血柱がシューッと上がるのも、はっきりと分かりました。」
機関銃は約50メートルの間隔で並び「30丁はあった」という。
乱射は1-2時間続き、Kさんらはそのまま蕪湖に出発。
「なぜ捕虜を殺したのか、遺体をどう処理したのか、他のどの隊が虐殺に加わったのか、私たち兵隊は何も聞かされてなかった。」
...の告発が報道され、これがきっかけでKさんは「二度と悲惨な戦争を起こさないために」と告白を決意。
「戦争だから、向って来る敵と戦うのは仕方ないが、無抵抗の捕虜に銃弾をあびせたあと味の悪さは終生ついてまわります」と話している。”
K氏の場合は父と違い、負傷して入院したとか、その間に資料をまとめた、とかの事情は見受けられません。
したがって父ほどには、鮮明な記憶はなかったのだと思います。
それで以下のような文面の葉書をよこされたのだと思います。
”...あの山に登 重機関銃で射撃致した一兵でございます。
又後日詳しいことはお知らせします。”
約7万人の捕虜を確保し、軍指導部の指揮の下、組織的に何箇所かで処分(=虐殺)した、
というのが第一段階で、
つぎに処分された捕虜には南京警察が二千人含まれていたことや、日本の憲兵が少なかったことから、
南京市内では日本兵による強姦、略奪、殺人が横行した、と言うのが次の段階の話だと思います。
勿論、二つの出来事の間には明確な時間的隔たりがあるわけではありません。
このうち、大量に中国人が殺害されたのは軍指導部の指揮による捕虜虐殺のほうだと思います。
なぜ、軍指導部が組織的に係ったことが推測されるかと言うと、第6師団第13連隊のK氏の証言からです。
以下は、昭和59年8月15日の毎日新聞に実名で報道された記事です。
”幕府山砲台占領後第二、三大隊は揚子江左岸に渡り前進したのである。南京市街西方に在る廠舎(軍隊の演習の時使用する)に捕虜兵を収容したのがここまで第一大隊兵全体で百五十人足らずであった。捕虜兵の数は一万三千五百人と言った。大変な数である。捕虜兵は毛布一枚持つのみ。先ずこの兵隊に食べさせなければならない。捕虜に聞くと鳥龍山砲台倉庫に米があることを聞き、馬で輜重隊が運んで来た。戦地の野戦釜で粥を炊いて明くる十三日昼に支那茶碗で一杯づつ与えることができた。わが軍隊にも食べ物がない。こうしたおびただしい人数の命を守るには用意ならない苦心をした。反面、参謀司令部にどう措置すべきか伺いたてながら作戦を練った。捕虜も大便は出さないが小便は出る。廠舎の回りの溝に毛布が落ちて留めた形になってそのところに小便がたまっている。捕虜兵はその小便に顔をつけて飲む者も居る。二日余で粥一杯。十四日夕一同揚子江の中央にある島に移すべく全員後ろ手のまま着剣した兵に守られ右岸の凹地に収容した。君達は向こうにある島に船で送られることを話し聞かせて。我が軍も捕虜とは言え、この兵に戦友たちが殺されたのだと言う憎しみを持っている、敵愾心がいっぱいである。先に到着した者と列の最後とでは三時間の持ち適(?)しさがあった。夕方薄暗さの中、先着した一角で捕虜が反抗して我が将校の軍刀を抜いて殺される事件が起きた(将校一、兵六)。こうなった場合の反抗に備えた機関銃が一斉に火を吹いた。闇の中捕虜が弾に当たらないようにしようと人の上、その人の上に登り高くなる。それが人柱が割れてくずれる。射殺中二度三度そんな光景が見られた。三方から間断なく撃ちまくって殺してしまったのである。次に第二段の措置としてそれに石油を撒いて火をつけた。服は綿服である。僕達も昨夕から食事なしで夜中三時までかかって処置した。次に引き続き柳の枝でかぎを作り揚子江に死体を全部流して証拠を無くしたのである。廠舎に着いて巻脚絆も軍靴も黒く油を塗った形だった。脚絆を取って××(?)したのであった。この時は独立機関銃隊が協力され活躍したのであった。”
昭和60年4月28日 連隊合同慰霊祭(祭典副委員長)
昭和61年9月13日 第12回歩65戦没者慰霊祭(祭典委員長、歩65残桜会会長)
平成2年8月31日 第14回歩65慰霊祭(祭典委員長、歩65残桜会会長)
父は昭和61年9月13日に名刺を頂いてます。名刺に日付が記載されています。
戦友会の会長になるような人が虐殺を認めるなんてことを考えること自体が馬鹿げていると思うのですが。
その理由が分かりました。
グースさんの掲示板で大神さんという方が、随分馬鹿げた質問で私を困らせました。
武器の山は本当は2階建ての家屋だったかもしれない、と言うのです。
ホロコーストのことを考えていて、その理由がわかりました。
アウシュビッツでは殆どの作業はユダヤ人自身で行なっていました。
ドイツ人は最後に薬品を天井のまどから投げてあるくか、そんな作業だけでした。
それに対して南京大虐殺は幕府山の件でも分かるように、まさに人格者、ヒューマニストだった両角業作氏、山田栴二氏、などなどが直接の責任者だったのです。
これはまさに軍隊の否定です。
それゆえ、これほどまでに気ちがいじみた否定が行なわれているのです。
「郷土部隊戦記1」を読めばよく理解できます。
顧問:畝本正己(元防衛大学教授)
編集委員:中垣秀夫(元防衛大学教授)
編集委員:杉乃尾宜生(元防衛大学教授)
編集委員:原剛(元防衛研究所研究官)
会員:森松俊夫(元防衛研究所研究官)
学会会員はつくる会関係及びその類の会の関係者が多いですね。
1.昭和36年から37年にかけて福島民友新聞社が「郷土部隊戦記」と言う本の元となる記事を連載しました。本そのものは昭和40年に刊行されるのですが序言を書いているのが防衛庁長官、福田篤泰氏、福島県知事、佐藤善一郎氏、元陸軍中将、両角業作氏(元通産事務次官、良彦氏のご尊父)。この本の中で長々と旧日本陸軍の幹部(両角業作氏、山田栴二氏、畑俊六氏など)が如何に人道的な人間であったか、と書き世に言われるような虐殺は一切なかった、という話を捏造しました。
2.昭和48年に鈴木明氏が「南京大虐殺の”まぼろし”」と言う本を書き、文藝春秋社が大宅壮一ノンフィクション賞を与えました。この本で鈴木氏は「郷土部隊戦記」の記事を引用したり、元将校で後の戦友会会長になる平林貞治氏の証言を追加して捏造記事を書きました。
3.昭和59年になり毎日新聞、福永平和氏と朝日ジャーナル、本多勝一氏が父(栗原利一)の証言を採取し手書きのスケッチ入りで掲載されました。この時に防衛研修所戦史室の森松俊夫氏と原剛氏もほぼ同時に証言や証拠を採取しています。
森松俊夫氏と原剛氏の書簡
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=3953;id=sikousakugo#3962
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=3953;id=sikousakugo#3963
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=3953;id=sikousakugo#3964
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=3953;id=sikousakugo#3965
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=3953;id=sikousakugo#3967
4.それ以降、捏造派(戦史室も含めて)は父の話だけは否定しなければならないので家に来たり、手紙のやりとりをしたりしています。父は手帳には全て書き残しているし、手紙は全て残してあるしと言うことでまるで捏造の証拠の山があるような状態になっています。戦史室が捏造派であることの証拠の手紙などもあります。
結論から言うと「南京大虐殺」と言うのは当時の陸軍20万以上が捕虜や市民、約7万人~10万人弱を数日間で虐殺したという空恐ろしい出来事でそれを日本の保守勢力、防衛庁(戦史室も含む)などがやっきになって潰しにかかっている、と言ったところです。
試行錯誤がこれまでリンクされていなかったので、今日政治カテゴリーのリンクに加えました。遅くなってしまってごめんなさい。
いつもコメントありがとうございます。南京虐殺に関しては最近中国との会議も開かれたというニュースは聞いたのですが、その結果がどうなったかというニュースはまだ入ってきていません。日本と中国の認識の差が少しでも縮まればいいですね。
核心さんも看病で大変でしょうが、講演をされるとのこと。ぜひ、お父様から聞いた真実を日本の国民に伝えてください。
今は親の介護で時間が無いのですが、一段落したら南京大虐殺とその矮小化についての講演会を開こうかなと考えています。要するに、親父の証言を得たあと肯定派は自分たちの味方だと勘違いし、捏造派はその証言を捏造によって否定しようとしたというだけの話なんですが。日本と中国の間に生じた南京大虐殺に対する認識の差を縮めたいだけなのですが。
いつもの掲示板の「板倉由明氏の捏造記事」のところです。
捏造作家と言うのはこのような捏造をされるのですね!
否定派の畠中秀夫氏のほうがまだ人間としてまともです。
板倉由明氏には「大嘘つき野郎」の称号を謹んで与えたいと思います。
いまごろは閻魔大王に舌を抜かれて血の池地獄でわめいていることでしょう!
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?id=sikousakugo
なぜなら幕府山の捕虜虐殺に関してだけでも直接の当事者でそれを認めているのは父(栗原利一)だけなのだから。
ただ多くの否定派や矮小派の人たちが父の証言というものを捏造していることは確かで、その人には田中正明氏、鈴木明氏、平林貞冶氏、板倉由明氏、畠中秀夫氏、阿羅健一氏などが含まれていることも事実だ。
だからその人たちは私から見ればうそつきですと断言できる。
そしてそのうそつきの板倉由明氏が東史郎氏の裁判の原告団長であり、阿羅健一氏が本多勝一氏の100人斬り訴訟の原告団長でもある。
東史郎氏なんか気の毒に裁判に負けてしまったのだ。
中国人がなぜ靖国神社参拝を怒るか、中国人は父の証言が真実であることを知っているからだ。
日本人は父の証言を殆どの人が知らない。
蒋介石軍であろうと70年前であろうと無防備の後手に縛った人間を、牛や豚を殺すように殺して許されるわけではない。
日本人は国民主権国家の国民として、天皇主権国家で行なわれ、現在も隠し続けられているこの国家的犯罪を明確に知るべきだと思う。
http://t-t-japan.com/bbs2/data/sikousakugo/file/%83X%83P%83b%83%60%92%A0%8E%CA%90%5E.jpg
このように殺されたのです。
一斉射撃の命令が出たのはそれからまもないときだった。
半円形にかこんだ重機関銃・軽機関銃・小銃の列が、川岸の捕虜の大集団に対して一挙に集中銃火をあびせる。一斉射撃の轟音と、集団からわきおこる断末魔の叫びとで、長江の川岸は叫喚地獄・阿鼻地獄であった。田中(栗原)さん自身は小銃を撃ちつづけたが、いまなお忘れえない光景は、逃げ場を失った大群衆が最後のあがきを天に求めたためにできた巨大な〝人柱〟である。なぜあんな人柱ができたのか正確な理由はわからないが、おそらく水平撃ちの銃弾が三方から乱射されるのを、地下にはむろんかくれることができず、次々と倒れる人体を足場に、うしろ手にしばられていながらも必死で駆け上り、少しでも弾のこない高い所へと避けようとしたのではないか、と田中(栗原)さんは想像する。そんな〝人柱″が、ドドーツと立っては以朋れるのを三回くらいくりかえしたという。一斉射撃は一時間ほどつづいた。少なくとも立っている者は一人もいなくなった。
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=2863;id=sikousakugo#2873
このように殺されたのです。
一斉射撃の命令が出たのはそれからまもないときだった。
半円形にかこんだ重機関銃・軽機関銃・小銃の列が、川岸の捕虜の大集団に対して一挙に集中銃火をあびせる。一斉射撃の轟音と、集団からわきおこる断末魔の叫びとで、長江の川岸は叫喚地獄・阿鼻地獄であった。田中(栗原)さん自身は小銃を撃ちつづけたが、いまなお忘れえない光景は、逃げ場を失った大群衆が最後のあがきを天に求めたためにできた巨大な〝人柱〟である。なぜあんな人柱ができたのか正確な理由はわからないが、おそらく水平撃ちの銃弾が三方から乱射されるのを、地下にはむろんかくれることができず、次々と倒れる人体を足場に、うしろ手にしばられていながらも必死で駆け上り、少しでも弾のこない高い所へと避けようとしたのではないか、と田中(栗原)さんは想像する。そんな〝人柱″が、ドドーツと立っては以朋れるのを三回くらいくりかえしたという。一斉射撃は一時間ほどつづいた。少なくとも立っている者は一人もいなくなった。
とても北朝鮮を笑っていられる話ではありません。
聖戦童謡集 ニッポンバンザイ
佐々木すぐる作曲
高橋悦子 ニクイオニノベイエイ
ニクイオニノ ベイエイハ
ジブンラダケデ セカイジュウ
カッテニシヨウト ヤッコラサ
ニッポンメガケテ ワルダクミ
ソコデニホンガ ジャマニナル
ヒトリノコラズ ムリムリニ
コロシテシマエト ヤッコラサ
ニッポンメガケテ オシヨセタ
大政翼賛会推薦
聖戦文化奉公会選定
カチイクサ
山本芳樹作曲
望月節子
カッテクルゾト タイリクニ
シュッセイナサレタ ヘイタイサン
ヘイカノオンタメ クニノタメ
イノチササゲテ ゴホウコウ
(子供の体操つき)
隣組常会
常会の誓い
ささやかなこの集いながら
必ず皇国の礎として
大きな役目を果たします
この集いにおいて
互いに私を去って語り合い
唯ひとすぢに皇国に
つくす覚悟をかためます
この集いによって
皇国に生まれた喜びを新たにし
一丸となって大御心に
奉らんことを誓います
法的には戦後の日本は国民主権国家です。
戦前は天皇主権国家です。
日本人は日本人自身の手では国民主権国家には辿りつけなかったのです。
この程度の自覚を日本人は持つべきです。
俗に国民は主権を敗戦により「負けとった」とも言われます。
国民主権国家では国民一人一人が主権者なのです。
(現代の専制政治国家や君主制の国家を見ても専制政治体制や国王主権国家から民主的な国民主権国家に移るのが如何に難しいかが分かるかと思います。)
捏造派は防衛庁までは確実なのですが。
それから先は不明です。
ちょっといろいろありました。
私は父の満州事変従軍記念アルバム、支那事変従軍記念アルバムとスケッチ帳の3部をグーグルのスポンサー・サイトにもなっている会社にCD化を依頼しました。
資料を持ち込んで依頼したのが2月上旬です。
仕上がって資料が返却されたのが5月下旬です。
そうしたら支那事変従軍記念アルバムから部隊編成写真(両角連隊長、平林少尉、栗原伍長が1枚に納まった写真など)数枚とスケッチ帳に添付してあった当時の南京の彩色地図が無くなっているのです。
警察には被害届を出してありますが業者側で故意に抜き取られているのです。
(技術部長と営業と私で指差して確認した写真が無くなっていても責任追及できないんです。)
業界関係の友人に聞いたところ公安の仕業だということです。
もともと日本人は国民主権も自由も人権も自分たちで血を流して得たものではありませんからね。
まったく下らない国に成り果てたものです。
これは間違いですよ。
毎日新聞の福永平和氏も朝日ジャーナルの本多勝一氏もゼンボウの畠中秀夫氏も確認している栗原利一の戦闘記録(スケッチ帳)があります。
当事者が自筆で日付入りで書いた150ページの記録です。
これはCD化して希望される方にお配りしています。
いろいろな情報ありがとうございます。
防衛庁による戦争文献の隠滅や捏造がこれほどおおっぴらにされていたとは・・・・。日本の歴史を捏造することに繫がるこういった態度には、絶句してしまいました。
昭和12年の7月に生まれ、親父は9月には出征し、帰って来たのは昭和15年。
傷痍軍人の姿だったので親父には全くなつかず。
疎開先の福島で育てられたため戦争の悲惨なことを知らず。
学生時代にプレスリーやジェームスディーンを知り、夢中になり、ちょっとした経緯から恋人との仲をさかれ親父に精神病院に強制入院させられ、そのうち本当の精神分裂病になり。
うん悪くお袋の父親も既に死んでしまっていて、親父の弟もレイテ戦でなくなり、親父の長兄に対する虐待を止めることのできる人が誰もいなくて。
なんの希望もなく、恋人に捨てられ(結婚した恋人の家の近くまでは発病後も行ったことがあるみたいだった)少しばかしの小遣いをお袋からもらい、近くをウロウロ歩いて、時々警察につかまり保護されていた。
最後に精神病院で窓枠に紐をかけ、首をつって死んでしまった。
桐朋高校卒業、中央大学法学部法律学科卒業の栗原利弘のお話です。
親父(栗原利一)は数日間で軍として正式に無抵抗の大量の投降捕虜などを虐殺(処分と言ってますが)したといことです。
地域や時間を拡げればその数は増えていくのです。
この捏造の面白さは共謀共同正犯として防衛庁も絡んでいる点ですね。
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=2658;id=sikousakugo#atop
う~ん、確かに言われてみれば矛盾しているかもしれませんが、核心さんのお父様が言われている虐殺された人数も単に推測であって、実際に数えたわけではないことを忘れないで下さい。私も中国では30万人と言われているけれども、実際はそれよりは少ないのではないかと思っています。核心さんのお父様の言うことが真実というのは、この推測以外のことということです。推測人数が真実かどうかは私にはわかりませんので。
とても面白い動画のリンク、ありがとうございました。おっしゃるとおり、カヌーとさけはまさによくカナダを表わしていると思います(笑)。
・中国の30~40万人という数字は捏造
美爾依氏の主張
・南京大虐殺の犠牲者は30万人
・核心氏のお父様の発言こそが真実
どう見ても矛盾しています。
どうもありがとうございました。
コメントありがとうございました。
ネットでの公開について、事情お察しいたします。活動頑張って下さい。
美爾依さんへ。
ご紹介頂いたカナダについてのサイトをぽつぽつと読ませて頂いてます。
http://impress.tv/suidou/try.htm
↑こんなカンジの番組を見てしまったので、僕のカナダについての知識は、クマとサケにかたよってしまっていたようです。
>マイクロフィルム化して保存するだけに留まらず、ネットで広く発信して欲しいッス
実費でマイクロフィルム5千円、CD-R2千円で本人確認をした上でお渡ししています。
崩し字なので一般の人は読めないと思います。
ネット上に掲載できないのは個人名が多数記入されており、名誉毀損などの罪に問われる可能性もあるためです。
小平市、栗原利一で電話帳に載ってます。
>「中国側も根拠のない誇大な数字は出さないでほしいと思う」というのがあります。また、「両角部隊に関するかぎり、捕虜以外の一般人の無差別虐殺は全くしなかったし、また市内にはいらなかった」ともあります。
つまり、本田氏も栗原利一さんも、中国側の「誇大な数字」を否定し、また、南京城外での無差別虐殺を否定していることになりますよね("両角部隊に限って"と注釈はつきますが、そこそこ大きな規模の部隊だったでしょうから、南京城外のそこそこ広い範囲をカバーしていたのでわ?)。
その通りです。
また、私のコメントもお読みいただきたいのですが。
「幕府山の捕虜虐殺」というのが現場から付けられた名前です。
ただ、本多氏への証言では一般人を殺していないと父は言ってますが、死体に子供や女性のあったことは認めています。
もともと共産党軍を殺したわけではないので今の中国政府が言っている一般市民の虐殺とは相当違う話だと思います。
>田中正明氏や畠中氏の言説に関しては、核心さんは「捏造」であると判断されています。
本多勝一氏の著作は大量虐殺説を支持する有力な資料だと思うのですが、彼も一部捏造を行っていると核心さんは思っておられるのでしょうか?
今回、本多氏に会う機会がありますので幾つかの疑問点は確認する予定ではいます。
核心さんが提供された資料のあるページを拝見させて頂いております。
この中で気になった点があります。本多勝一『南京への旅』の中の栗原利一さんの証言です。
「中国側も根拠のない誇大な数字は出さないでほしいと思う」というのがあります。また、「両角部隊に関するかぎり、捕虜以外の一般人の無差別虐殺は全くしなかったし、また市内にはいらなかった」ともあります。
つまり、本田氏も栗原利一さんも、中国側の「誇大な数字」を否定し、また、南京城外での無差別虐殺を否定していることになりますよね("両角部隊に限って"と注釈はつきますが、そこそこ大きな規模の部隊だったでしょうから、南京城外のそこそこ広い範囲をカバーしていたのでわ?)。
田中正明氏や畠中氏の言説に関しては、核心さんは「捏造」であると判断されています。
本多勝一氏の著作は大量虐殺説を支持する有力な資料だと思うのですが、彼も一部捏造を行っていると核心さんは思っておられるのでしょうか?(たとえば後年の「カンボジア大虐殺否定論」みたいな)
補足情報。
4月30日付朝日新聞の記事に対して、ケント・カルダー氏が抗議したそうです。
(引用開始)
私は、特に現職や過去政府の経験がある外国人が国内問題に入るべきでないと強く思っているが、朝日新聞は私を、不適切に、私がそう思っている国内問題に非常に近づけてしまった(the Asahi Shimbun pulled me inappropriately very close to a domestic matter)。
既に朝日新聞にはインタビューの翻訳ミスについて抗議したところ。
(引用終了)
一般の方のブログなので、情報としての信頼度は各自判断してください。
仕事で虐殺ですから「罪の意識」なんて高尚なものは持ちえませんよ。
誰でも同じ状況なら、同じことをするでしょう。
日本人が十分納得出来ていないのが天皇主権→ポツダム宣言受諾→国民主権という流れです。
戦前は言ってみれば国王主権ですから国王の命令に従っただけです。
現在イラクで行なわれていることと南京大虐殺とはそれほどの違いはないと思います。
父の戦友に対する感情はアメリカ兵のベトナム戦争でのsoul mateに対する感情と全く同じものです。
ご丁寧に資料をいろいろと集めてきて下さってありがとうございました。とても参考になりました。
ところで、一番最後の北京五輪ボイコットのサイトですが、どんな団体が管理しているのでしょうね。普通はそのサイトが誰によって管理されているのか書いてあるのに、ここには全く書いてなくて、ただ、ボイコットするために署名をしようというだけでは、誰も恐くてできないでしょう。
一番上で紹介してくださったブログと私のブログは産経新聞と朝日新聞のように正反対の主張をしているようで笑ってしまいました。世の中には、全く反対のことを考える人っているものなんですね。でも、そういった意見を探索してみるのもなかなか面白いですね。同じ新聞社内でも大きな喧嘩になるほど違った意見もあるようですから、特に靖国神社参拝に関する考え方は本当に人それぞれでしょうね。
東京裁判のアンケートの件は、まあ小さな問題はあるとしても、だいたいいい線行っているのではないでしょうか。要するに日本の歴史の授業では、一番大切な部分が抜けてしまっているということでしょう。これは、本当にどうにかしなくてはなりません。
カナダの歴史は私も人から教えてもらったり、教えたりしたことがないので、全然詳しくないのですが、↓のサイトが絵や地図をふんだんに使って全体像がつかみやすくなっていると思います。
http://www.canadahistory.com/
カナダはラッキーなことに日本のように悲惨な戦争体験がありませんし(アメリカとの国境争い程度の小さなもの以外)、歴史も浅いですから、日本に比べて歴史を勉強するのはとても簡単だと思います。
KEIさんも興味があったら、是非勉強してみてください。
情報ありがとうございました。
お父様はきっと南京での虐殺の罪の意識に苛まれて、知らぬ間にご自分のご子息まで虐待して死なせてしまわれたのでしょう。とても戦争の恐ろしさが伝わる出来事で涙が出てきました。
こんな私的な事情までHPにお書き下さり、ありがとうございました。
誤解があるようですが、僕はどちらかといえば政治家の靖国参拝には反対です。
カルダーさん&モチヅキさんが靖国参拝に反対する主な理由は、「隣国と対話できない日本は、米国にとっても役に立たない」ですよね。
http://restororation.blog37.fc2.com/blog-entry-284.html
↑右寄りとか言われる産経新聞の記事なのでアレですが、「靖国問題」が政治ゲームのカードであることを示しています。益が無ければ、中国も靖国を問題としても持ち出さない、と。(ちなみに、左寄りと言われる朝日新聞は、ご存知のように「靖国参拝反対」の立場ですね)
もうヒトツの記事ですが、まず、この記事のデータは信頼性に問題を抱えています。
http://www.asahi.com/politics/update/0502/002.html
↑「全国の有権者3000人を対象に面接方式で実施した」とは書いてありますが、有効回答率みたいなものを示さず、いきなりパーセントだけが記事にされています。しかも「『その他・答えない』は省略」とのこと。
朝日も、昨年の別のアンケートでは、有効回答率なんかもきちんと発表してたのですが…。
まぁ、特段目新しい内容のアンケートでもないですし、ある意味当たり前の結果かなぁとか思ったりも。
http://plaza.rakuten.co.jp/machikoMizutani/diary/200510210001/
↑関係の無いヨタ話ですが、昨年はこんな事件もありましたね(汗)。
近現代の歴史については教えにくい部分も多いでしょうけど、諸外国ではどんな風に教えてるか知りたいとは常々思っています。朝鮮戦争とかフォークランド紛争とかパレスチナ問題とか過去の植民地支配とか(今も「フランス領ポリネシア」とかありますが^^;)。たとえばカナダにも先住民はいたはずですが、そのあたりはどんな風に学校で教えられてるんでしょう。
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/butaibetu/yamada/kurihara.html
↑美爾依さんがご希望のものとは違うかもしれませんが、核心さん提供による資料が掲載されているページです。
核心さんのお父様の証言は、僕も詳しく知りたいです。勝手な希望を言わせて頂ければ、マイクロフィルム化して保存するだけに留まらず、ネットで広く発信して欲しいッス。
>事実を認め、心から謝罪し、又その罪を償っていくことが
>最も大切なことだと思います。
同意見です。ただ、これもセコい指摘になっちゃいますが(^^;)、「金銭的物質的な償い」は、すでに両国間の合意により完了しているのは事実です。
http://www.rsf.org/article.php3?id_article=2285
あと、中国が一党独裁のファシズム国家(しかも第二次大戦後も周辺国と軍事衝突を繰り返している国)であることも忘れずにおきたいものです。
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/butaibetu/yamada/kurihara.html
スケッチはクリックすると拡大されます。
南京大虐殺に関して!肯定派の意見とは?
http://debate.100man.info/keijiban/read.cgi?6&21&1
などの掲示板で核心さんの意見や、お父様の栗原利一さんの幕府山の捕虜虐殺についての証言など読ませていただきました。
お父様の証言はとても貴重なもので、多くの旧日本兵がウソの証言をしている中、このように正直に当時の体験を話すということは、とても勇気の要ったことだと思います。
もちろん、虐殺と言っても、全ては天皇の命令で日本軍がやったことであり、戦時下の異常な状況では、やむ終えないことだったと察します。
日中関係を改善するためには、実際にあったことを隠蔽したり否定するのではなく、事実を認め、心から謝罪し、又その罪を償っていくことが最も大切なことだと思います。
お父様が南京での体験を語った戦闘記録のCD-ROMは是非、手に入れたいと思っています。尚、お父様の毎日新聞の記事や本田氏のインタビュー
など、ネット上にございましたら、是非、教えていただけると嬉しいです。
宜しくお願いいたします。
私の言う矮小派に堕ちた人です。
矮小派の総元締め故板倉由明氏と親交のあった方です。
旧日本軍の将校クラブ偕行社と同じ矮小派です。
そんなやつらが将校だったから起きたことなのです。
こんな情報もあります。日本人の若者は東京裁判のことも知らず、ほとんどが、首相の靖国参拝の意味もわからずに賛成しているそうです。日本の歴史の授業では何を教えているのでしょうね。
東京裁判「知らぬ」7割、20代では9割 本社世論調査
2006年05月02日01時10分
戦後の占領下、米国などの連合国が日本のA級戦犯を裁いた極東国際軍事裁判(東京裁判)の開廷から60年たち、この裁判の内容を知らない人が70%にのぼることが、朝日新聞社の世論調査でわかった。20代では90%を占める。知らない層ほど、靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)に対する抵抗感は薄く、首相の靖国神社参拝についても反対が少なかった。一方、戦争の原因について日本人が自ら追及し、解明する努力がまだ不十分だと考える人は69%にのぼった。
東京裁判を知っているか
戦後、日本が国際社会に復帰するにあたって前提となった東京裁判の内容が、国民に継承されていないという事実は、60年を過ぎてなお戦争責任の空白が問われる現状を映し出しているともいえそうだ。
調査は4月15、16の両日、全国の有権者3000人を対象に面接方式で実施した。
東京裁判の内容について、「よく知っている」が4%、「ある程度知っている」が23%に対し、「裁判があったことは知っているが内容は知らない」53%、「裁判があったことも知らない」17%で、合わせて7割が「知らない」と答えた。
「知らない」は若年層ほど高く、「あったことも知らない」は、30代と40代で20%、20代では37%にのぼった。
「知っている」人に裁判の印象を聞くと、「問題はあったが、けじめをつけるために必要だった裁判」が48%と最も多く、「戦勝国が敗戦国を一方的に裁いた不当な裁判」34%、「戦争の責任者を裁いた正当な裁判」17%の順だった。
東京裁判で裁かれた東条英機元首相らA級戦犯が、一般の戦死者とともに靖国神社にまつられていることについて、「抵抗を感じる」は31%で、「感じない」は63%。
裁判の内容を「よく知っている」人では「感じる」が50%で、「感じない」46%を上回る一方、「裁判があったことも知らない」人では「感じる」が16%と少なく、「感じない」は75%にのぼる。「感じない」は若年層ほど高く、20代と30代では70%を超えた。
首相の靖国神社参拝については、賛成が50%、反対が31%だった。反対は、合祀に抵抗を「感じない」人で19%(賛成は62%)、「裁判があったことも知らない」人で21%(同52%)と少ない。
今日、こんな記事を見つけたので、是非、お読み下さい。
日本の歴史問題、米国専門家も懸念 アジア戦略と対立
2006年04月30日13時38分
日本の歴史問題への対応が、日本と中韓両国との関係だけでなく、日米関係にも悪影響を及ぼしかねないとの懸念が米国の日本専門家の間で広がっている。小泉首相が参拝を続けてきた靖国神社が示す歴史観は先の戦争を正当化するもので、日本の戦争責任を認めたうえで成り立つ戦後の国際体制の否定に通じると見ているためだ。日韓や日中の関係悪化は、東アジアの安定を望む米国の国益にそぐわないと考えていることもある。
ジョンズ・ホプキンズ大学ライシャワー東アジア研究所のケント・カルダー所長は「戦争を正当化することは、日本と戦った米国の歴史観と対立する。異なった歴史解釈のうえに安定した同盟は築けない」という。在京米大使館で大使の特別補佐官を務めたこともあるカルダー氏は「多くの米国人が靖国を知るようになると、日米関係の障害となりかねない」と恐れている。
ジョージ・ワシントン大学アジア研究所のマイク・モチヅキ所長も「米国のエリートは概して靖国神社の歴史観には否定的だ。歴史問題が原因で、日本に対する批判的な見方が強まっている」と指摘する。
日本は戦後、国際社会復帰にあたって講和条約で極東国際軍事裁判(東京裁判)を受諾した。靖国神社には、その東京裁判で裁かれた東条英機元首相らA級戦犯も合祀(ごうし)されている。米国の識者らが懸念するのは、首相の参拝が結果的に戦後日本の出発点に反することにならざるを得ない点だ。
ブッシュ大統領が首相の靖国参拝を批判することはなく、国防総省も日本の歴史問題を重視していない。だが外交を担う国務省内には、日米が協力して中国を国際社会のパートナーにしていこうという時に、日中首脳会談もままならない日本に対するいらだちがある。
国務省内の不満について、カルダー氏は「隣国と対話できない日本は、米国にとっても役に立たない。日米同盟が機能するのは、日本がアジアのなかで役割を果たしてこそだ」と解説する。
対米関係に携わってきた日本外務省幹部も「政権の外では日本の歴史問題に対するワシントンの雰囲気は厳しい。今は日米両首脳が蜜月関係にあるから騒がれないが、首相が代われば分からない」と話している。
近くB4判手書き150ページの戦闘記録を近くCD-Rにして公開する予定です。
うちの親父の証言は肯定派の根拠になっているものなのですが松井磐根の秘書だった田中正明が親父の証言を捏造して、それを根拠にしているのが否定派や矮小派です。
田中正明、板倉由明、平林、鈴木明などですね。
親父の証言が分水嶺のような役割を果たしています。
日本の保守派のつながりが一目で分かります。
南京大虐殺や朝鮮人虐殺は明治憲法が天皇主権であり、軍部大臣武官制や軍部大臣現役武官制のあったことを知らないと理解できないことです。
当時は虐殺は仕事だったから虐殺しただけで、遊びや犯罪で虐殺を行なったわけではありませんから。
僕自身は、南京大虐殺などが海外でどのように語られているかについて知りたいと思っているだけです。南京大虐殺について否定するつもりはありませんので、その点についてはご理解頂ければと思います。
>広島の原爆だってなかったことにできるじゃありませんか。
広島について言えば、戦時中だったとはいえ一応は平常通りの国民生活を送っていたわけなので、ほとんどの死者について住所・氏名・年齢などが明らかになっています。それこそ10万人単位で誤差のある南京とは違います。
それと、広島の原爆を無かったことには出来ない…少なくとも相当に困難だと思います。それは、事実だったかどうかはともかくとして、"広く世界に知られているから"です。
いえ、もちろん、事実だったのですけど(^^;)、「世の中に流通している事実」とは、ある意味において、そーゆー面もあると思うのですよ。【広く知られている情報=事実】、みたいな。だからこそ、戦時中の日本がそうだったように、プロパガンダがのさばる余地があるわけで。
ケチ臭いことを言うようですが、「30万人じゃない。20万人だった」という指摘は許されるべきだと思います。
あ、ちなみに僕は広島生まれの広島育ちの広島人です♪
>中国ではだいたいの人口や死亡数を把握できていましたから、
>はっきりとした数字を掲げているのです。
うーん…。では、美爾依さんは、ご自身が提示された「1千万人中国(中国側によれば、2千万人)」という、中国の言い分と海外の説との間に大きな開きがあることについては、どのようにお考えなのでしょうか? 「1千万人」という誤差は大き過ぎやしませんか(^^;)?
ジャーナリストの櫻井よしこさんによると、東京裁判開始当初は「日中戦争での被害者は320万人」と中国は主張していたそうです。それがいつの間にか570万人に増え、1000万人を超え、中華人民共和国に政権が移ると、2160万人に増えていっています。90年代には死傷者3500万人説が出てきて、今では死者3500万人という主張も出てきています。
南京大虐殺に関しては、1948年に東京裁判で犠牲者は「20万人以上」とされましたが、1946年に中国政府が行った南京裁判では「34万人」との調査結果が出ています。しかし、先にご紹介した「南京大屠殺同胞記念館」の石碑には「30万人」と刻まれています。
「諸説いろいろあるのは、日本国内だけ」とはおっしゃいますが、上に述べた「1千万人の誤差」といい、歴史の解釈は多種多様で、事実の確定が難しい部分もあると思います。
>常任理事国について間違った見識をお持ちのようですね。
Wikipediaの引用ありがとうございました。ただ、具体的にどの部分について間違っているのか教えて頂けるとありがたいのですが…(^^;)。もちろん、引用して頂いている戦勝国の定義についてか、中国についてだとは分かりますが。
ご指摘の通り、戦勝国とされる国は5カ国だけではありません。ただ、各国の力関係からいけば、この5カ国がなし崩し的に「戦勝国としての特別な地位」をゲットしていることは、なんら不思議ではないと思うのですが。いやらしいハナシですが、同じ戦勝国だからといって、アメリカとコスタリカが同じだけの利益を享受できたはずが無いですよね。日独の占領下にあったとはいえ、フランスや中国の影響力も軽視できなかったということでしょう。
Wikipediaにも書いてあるように、「○○という見方がある」「△△という指摘がある」というだけのことだと思います。
次に、「中華民国」から「中華人共和国」に常任理事国の地位が移動したという記述について。終戦当時、中国を支配していたのは「中華民国」でした。つまり、【中華民国=中国】です。しかし、中国国内の抗争で「中華民国政府」が敗北して台湾に移りました。その後、中国を支配したのが中国共産党の「中華人民共和国」。つまり、【中国=中華人民共和国】になったワケですよね。
支配グループが替わったというだけで、「中国」が常任理事国であり続けたという事実に変わりは無いだろうと思うのですが。
自慢じゃないですが勘違いは得意ワザなので(爆)、また情報等教えて頂ければ幸いです。
そういえば、「デスパレートな妻たち」というドラマは時々観てました。"テリー・ハッチャーかわいー♪"とか思ってしまったりしながら(笑)。
以下読んでいただければ幸いです。
>「ない」といってる人の『多く』は、南京事件は「ない」ではなく
とあるように『そんなところはない』とは書いてません。少数にはそんなことをあるでしょうが。
>東京裁判でA級戦犯は死刑になったのに、それを許されているとおっしゃるのですか?
国内はもちろん、許されてます。
後補足ですが、かってA級戦犯だった人すべて死刑になったわけでもありません。そもそも後付の理由で裁くことにそもそも問題がありますし。(そんな罪はなかったことには出来ませんでしたが)
>中国、韓国、北朝鮮以外にも問題視している国は多いですよ。
えっ?靖国参拝を国として問題視しているところが他にもあるのですか?勉強不足なのか知りませんでした。教えていただけると嬉しく思います。
>日本政府が隠そうとしてるというのも初耳です。
>いまだに靖国参拝を続けており、そこにどんな人が祀られているのか国民からかくしているじゃありませんか。
あの以下の部分を見て、日本が南京大虐殺を隠そうとしてる?と思ったのですが・・・・・
>この日本政府が必死で隠そうとしている南京大虐殺
後、祀られている方々を政府が隠してるんですか?靖国神社の宮司が隠すというならわかりますが、政府にその決定権があるというのでしょうか?
戦勝国だけがなっているわけでないというのは、そうですね。訂正します。
しかし、常任理事国になれないのは日本のせいより他の要因の方が圧倒的に大きいと思います。
>それは歴史が変わったのではなく、歴史の認識が変わったのです。
そういう言い方もあります。本当の歴史は一つなんですが、色々な見方がありますからね。新事実が発見されることや捏造なんてのもありますね。
>日本には韓国を愛している人や中国を愛している人、その他の国を愛している人がたくさんいると思いますが・・・。
失礼しました、これは『愛』という言葉の捉え方が私とは異なるようですね。
>多くの一般市民まで無残な方法で虐殺したという事実は大きな犯罪です。そんなA級戦犯たち
A級戦犯が手を出したわけでも、虐殺を指示したわけでもないと思います。
知らなかったのではないかという問題。
その結果、守ってなかったのではという問題。
そして軍が平気で兵装といて民衆の中に紛れて
ゲリラ攻撃という違法行為をやってくること。
その過程で間違って民間人を殺してしまうことは
それになりにあったでしょうし、その連鎖で民間人が
日本軍に攻撃してきて反撃されるといのはあったでしょう。
この場合、ない方がおかしいです。
今のイラクみたいな抵抗をイメージすればわかやすい。
もっとも中国軍側が一般人を鎖で繋いで
前線に立たせていたというような話もあるようですが。
(ちなみに当時、侵略戦争自体は合法です
だからこそ欧米各国が植民地を持っていた。)
ただほとんど戦闘による死者を虐殺と
誤解したのだと思います。(兵装といてる軍人も多々いる)
それと多少の虐殺は戦争において起こりえますが
中国の発表する数字は極めて信頼性が低いのです。
これは発展途上国の中でも郡を抜いてるのです。
相当に都合の良いように発表するんです。
これらは経済統計から見てても一目瞭然なんです。
(新興国では多少その傾向が強いですけど
中国は中でも際立ってるんです。数字の信頼性の欠如が。)
日本の戦争は自衛(その過程で開放と支配)と
侵略の二面があります。
要するに最初はパートナーが基本だったけど
欧米のように支配に変わっていったと。
(もっとも支配の仕方はかなり独特)
どちらか一方というのは頭の狭い考え方です。
まあ、結果的に日本が躍進してその後大敗したことは
結果的に世界の植民地各国の独立を数十年早めたとは思います。
(あくまで結果的にはですけど)
もちろん、レイプなんかはどんな戦争でも
当然のようにあるんですが、日本軍は様々な
事情により他国と比較して極めて少ないと思います。
ただ、システム上慰安婦などは
他国と比較して訴訟はしやすいと思われる。
(性処理のシステム面での問題で非常に効率的なシステムをとっていた)
まあ、中国自体は好きですけどね。私は。
仲良くやって生きたいとも思いますが
朝鮮に対してと違って法的にどうかはさておき
日本人として中国国民への謝罪の気持ちはあります。
しかし、言うべきことは言って国際間の歴史問題については
科学的・論理的見地から話を進めないといけません。
ただ日本と中国は文化的には
中国経由でかなり繋がってるんですけど
ある意味で真逆の面があって
日本は日常的に異常なほど謝罪言葉を使う国で
世界でno.1なのに対して
(英語ではオーストラリアがNo.1)
中国は最も謝罪をしない文化に属するです。
(謝罪すると完全敗北になっちゃうんです)
そういう意味で難しいなと思います。
あの歴史的事実を隠しては人類は何も
学習できない。
臭いものにフタをしては平和なんて程遠い。
歴史から目をそむけて欲しくはありません。
歴史から学ぶこと。姿勢を改めることって
沢山あるとおもいます。
全くその通りです。
『南京大虐殺は残念ながら事実』
面白い事にネトウヨって南京大虐殺は無かった
全く無かった。でっち上げだから始まるんですよね。
当時生きていたわけでも
ちゃんとした歴史書を読んだわけでもないくせに
ただ『無かった』と暴言を吐くのです。
本当に同感です。自分が歴史を見てきたわけでもないのに、「南京大虐殺」をよく否定できるものですよね。
>全てウソだったとか否定説がネットで広まっているみたい
そうですか?
>「ない」といってる人の多くは、南京事件は「ない」ではなく、
>中国が主張するようなことの多くの部分は「ない」といってると思うのですが。
本当にそうでしょうか。中には南京虐殺は幻だったというサイトもありますが・・・・。
>日本軍の野蛮な戦争犯罪
>その戦争犯罪(「平和に対する罪」など)ですが、いつ出来たかご存知ですか?
>日本が降伏した後の話ですよ。
>さらにその件については、すでに許されてもいます。
東京裁判でA級戦犯は死刑になったのに、それを許されているとおっしゃるのですか?
>それをいつまでも引きずっている国は、中国、韓国、北朝鮮くらいなものでしょう。
>靖国参拝を問題視しているのもその国くらいです。
中国、韓国、北朝鮮以外にも問題視している国は多いですよ。
>日本政府が隠そうとしてるというのも初耳です。
いまだに靖国参拝を続けており、そこにどんな人が祀られているのか国民からかくしているじゃありませんか。
>国連の常任理事国は沢山の金を出したところがなるというも初耳です。
>それだとアメリカ以外の常任理事国はなぜ日本より少ないのでしょうか?
>単純に戦勝国がその権利を未だに手放さないだけではないでしょうか?
私はお金を出したところが常任理事国になれるとは言っていませんよ。日本はお金をどの国よりもたくさん払っているのに、常任理事国にさえもなれないと言っているのです。又、常任理事国には単に戦勝国がなっているわけではありません。
>歴史を変えることはできないのだ。
>過去、随分変わってきた事例があるように思えますが。
それは歴史が変わったのではなく、歴史の認識が変わったのです。どんな事例があるのか言ってくだされば、もう少し、詳しく説明できたのですが・・・・。
>近隣諸国からだってとてもじゃないけど、愛してもらえないだろう
>普通他所の国に住んでる人が他国を愛することないと思います。
>せいぜい好きというくらいです。愛されるなんて異常だと思います
そうでしょうか。日本には韓国を愛している人や中国を愛している人、その他の国を愛している人がたくさんいると思いますが・・・。自分の国しか愛せないのは右翼だけでしょう。
>色々な説があると認める一方で、事実は事実なんだと決め付けておられるのはなぜですか?
それは、自分が信じたいのは事実だからです。いろいろな説があるというのは、誰もが承知していることでしょうが、自分が信じる説は真実だけです。
実際に戦争犯罪は大きな犯罪です。戦争事態、この世からなくすべきです。兵隊同士が戦うのはもちろん、戦争ですからしょうがなかったとしても、多くの一般市民まで無残な方法で虐殺したという事実は大きな犯罪です。そんなA級戦犯たちを祀ってある靖国参拝を首相が公式に行っているのは全く非常識もはなはだしいです。
ところで、10年以上も前から南京大虐殺について勉強されているミッキーさんにお聞きしますが、南京では何日間で何人が殺されたのでしょう?
ちなみに中国は、1949~1979年の間に拷問や刑罰で120万人のチベット人を虐殺しています。現在もチベットの人々はラジオを聞いたり、ダライ・ラマの写真を飾るだけで投獄され、場合によっては殺されてしまいます。
http://www.tibethouse.jp/human_rights/index.html
東トルキスタンを侵略した中国は、核実験で75万人を虐殺、50万人を政治犯として処刑、のべ850万人の胎児を中絶させたそうです。
http://www.geocities.jp/saveeastturk/
毛沢東は極端な政策で2000万人の餓死者を出し、同じく2000万人とも言われる自国民の虐殺を行っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%9B%E6%B2%A2%E6%9D%B1
中国によるこういった大虐殺は、日本ではあまり知られていないように思います(毛沢東は有名でしょうけど)。ミッキーさんは外国の方とも交流されているようですが、中国による「ジェノサイド」のことを話すと、国際社会では『失笑』されてしまいますか?
中国が、なぜ旧日本軍の行いを誇大宣伝する政策を取るのか、常に考えておくべきだと思います。
>事実を事実として後世に伝えることと、政策として歪めて伝えることとは大きく違うハズです。
どうして、それが事実じゃなくて、政策として歪めて伝えたこととわかるのですか?これを言ったら、広島の原爆だってなかったことにできるじゃありませんか。これは決して「プロパガンダ」じゃありませんよ。その当時は撮影技術がなかったので、後に限りなく本物に近いものを作っただけです。日本でも広島の原爆の映画を作りましたが、それだって事実を歪めて伝えることができるのではないでしょうか。日本人だから広島の原爆は信じるけれども、南京虐殺は信じられないと言ったら、笑われるだけですよ。
近隣諸国とは、もちろん、中国、韓国、北朝鮮を初めとした近隣諸国ですよ。日本軍が侵略した国々です。
海外の歴史の専門家によれば、第二次世界大戦の日本軍による中国侵略の際の被害者数は1千万人にも及ぶそうで、海外で言われている日本軍によるアジア侵略の際の被害者数は下記の通り。
1千万人中国(中国側によれば、2千万人)
2 百万人 ベトナム
4百万人 インドネシア
百万人フィリピン
百五十万人 インド
1万1,625人 ニュージーランド
2万3,365人オーストラリア
310万人 日本国内
その他、韓国、マレーシア、ビルマ、シンガポール、タイで殺された人数は不明。
>南京の「侵華日軍南京大屠殺同胞記念館」の正面には、
>"VICTIMS 300000"という碑文が設置されているそうです。
>当時の南京の人口や死者数などについては諸説あるのに、
>どうしてそんなハッキリとした数字を掲げているのでしょうね。
中国ではだいたいの人口や死亡数を把握できていましたから、はっきりとした数字を掲げているのです。諸説いろいろあるのは、日本国内だけです。
>現在の「常任理事国」の5カ国が、第二次大戦の戦勝国であるのはご存知ですよね?
>戦後60年たっても常任理事国の顔ぶれが変わっていない理由は、日本にだけあるのでしょうか?
常任理事国について間違った見識をお持ちのようですね。
以下ウィキペディから引用しておきますので、もう一度よく読んで見てください。
1945年の国際連合設立時には、アメリカ合衆国・イギリス・フランス・ソビエト連邦・中華民国の5ヶ国であったが、1971年の中国の国連代表権問題で中華民国が排除されて中華人民共和国が中国の国連代表権を得た事により常任理事国の地位の移動が発生し、1991年のソビエト連邦解体にともなって同国が持っていた国連代表権がロシアへ引き継がれる事になった。
第二次大戦の戦勝国は連合国共同宣言に参加した国々であり、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、インド、ベルギー、オランダ、ノルウェー、ポーランド、コスタリカ、キューバ、チェコスロバキア、ドミニカ共和国など常任理事国以外の多数の国が含まれていることから、常任理事国即ち第二次世界大戦の戦勝国であるという認識は正しくないという見方がある。また、常任理事国のうちアメリカ合衆国・イギリス・ソビエト連邦が実質的な戦勝国であり、法的には戦勝国であっても、米英によってドイツの占領状態から解放されたフランスや日本軍を駆逐できなかった中華民国が、ドイツや日本に直接攻撃を加えて勝利したというわけではないと指摘されているのも事実である。
あれこそ本来の戦争の現実の姿なのです。
あの歴史的事実を隠しては人類は何も
学習できない。
臭いものにフタをしては平和なんて程遠い。
つい10年前のルワンダの悲劇も
恐ろしい蛮行がくりひろげられ
100日間で100万人も惨殺されました。
歴史から目をそむけて欲しくはありません。
そして今のイラクのように報道事態に規制がかかり
侵略者側の都合のよい情報のみしか与えられない現代でこそ
歴史から学ぶこと。姿勢を改めることって
沢山あるとおもいます。
南京大虐殺の資料や書物を見てきましたが
『南京大虐殺は残念ながら事実』
面白い事にネトウヨって南京大虐殺は無かった
全く無かった。でっち上げだから始まるんですよね。
当時生きていたわけでも
ちゃんとした歴史書を読んだわけでもないくせに
ただ『無かった』と暴言を吐くのです。
そういうやつに限って
日本のアジア侵略や植民地支配は
朝鮮人がお願いするから”統治”してやったと主張。
改名なども自ら望んでやったのだと
(しかも石原都知事までが実際に公の場で発言してしまう失笑ぶり)
挙句、太平洋戦争はアメリカの思惑通り
日本はアメリカの都合のよいシナリオに
まんまと はめられた=ハルノートである
なんて事を平然と言ってしまうのです。
この”妄想”ぶりは日本の一部の人達には
『愛国心』として非常に歓迎されていますが
一歩国際社会に出ると『失笑』されます。
私は南京大虐殺が旧日本軍における
特別な蛮行だとは思っていません。
た
気になったのでコメントします。
>全てウソだったとか否定説がネットで広まっているみたい
そうですか?
「ない」といってる人の多くは、南京事件は「ない」ではなく、中国が主張するようなことの多くの部分は「ない」といってると思うのですが。
>日本軍の野蛮な戦争犯罪
その戦争犯罪(「平和に対する罪」など)ですが、いつ出来たかご存知ですか?日本が降伏した後の話ですよ。
さらにその件については、すでに許されてもいます。
それをいつまでも引きずっている国は、中国、韓国、北朝鮮くらいなものでしょう。靖国参拝を問題視しているのもその国くらいです。
日本政府が隠そうとしてるというのも初耳です。
国連の常任理事国は沢山の金を出したところがなるというも初耳です。それだとアメリカ以外の常任理事国はなぜ日本より少ないのでしょうか?単純に戦勝国がその権利を未だに手放さないだけではないでしょうか?
A級戦犯だけで他は問題ないというのも変な話ですし。そもそもその括りになる理由がよくわかりません。
>歴史を変えることはできないのだ。
過去、随分変わってきた事例があるように思えますが。
>近隣諸国からだってとてもじゃないけど、愛してもらえないだろう
普通他所の国に住んでる人が他国を愛することないと思います。せいぜい好きというくらいです。愛されるなんて異常だと思います
色々な説があると認める一方で、事実は事実なんだと決め付けておられるのはなぜですか?
大切なのは、過去をできるだけ正確に知ることだと思います。
虐殺があったのだから日本は悪いは短絡的です。
当時の常識や価値観などを考慮せず、今の尺度で計ると大きな勘違いをしてしまう可能性もあります。
戦争犯罪(「平和に対する罪」など)というのも戦後できた価値基準です。
気になった点がいくつかありましたので…。
>ビデオまで本物じゃないけど、限りなく本物に近いものを
>作って、それを孫の代までずっと見せ続けている。それを
>見た人から聞いたんだけど、その内容といったら、かなり
>残酷だそうだ。例えば、人体実験の様子とか、一般市民
>の首を切ったり、赤ちゃんを大きなパンを作るウスの中に
>放り込んで挽いてパンとして焼いたり・・・・。中国ではこう
>やって日本軍が南京で何をしたか代々伝わっていくように
>なっている。
こういうの↑は、一般的に「プロパガンダ」と言うんじゃないでしょうか(^^;)?
少なくとも南京で戦闘があったことは確かでしょうし、百人か千人か三十万人かは知りませんが、犠牲者も出たでしょう。でも、事実を事実として後世に伝えることと、政策として歪めて伝えることとは大きく違うハズです。
南京の「侵華日軍南京大屠殺同胞記念館」の正面には、"VICTIMS 300000"という碑文が設置されているそうです。当時の南京の人口や死者数などについては諸説あるのに、どうしてそんなハッキリとした数字を掲げているのでしょうね。
>近隣諸国との関係は悪化しているし
美爾依のおっしゃる「近隣諸国」って、どこの国のことでしょう?
靖国参拝問題に関していえば、公式に反対しているのは中国・韓国・北朝鮮だけです。
世界の軍関係者の靖国神社参拝
http://photo.jijisama.org/YasukuniG.html
世界の要人らの靖国神社参拝
http://photo.jijisama.org/YasukuniY.html
>お金はどこの国よりもたくさん払っているのに、国連の常
>連理事国にもなれないでいるのは知っているよね。
現在の「常任理事国」の5カ国が、第二次大戦の戦勝国であるのはご存知ですよね?
戦後60年たっても常任理事国の顔ぶれが変わっていない理由は、日本にだけあるのでしょうか?
この事件は目撃者はもうほとんど亡くなってしまっていないし、記録にもいろいろと食い違いが多いので、さまざまな説が飛び交っているようです。私も一応、何かを聞かれたときに、こう答えようという模範解答のようなものは用意してあります。
面白いのは、国内の意見と海外の意見がかなり違うことです。私ももっと勉強しなくちゃ。
今はネットでもかなり正確な情報 が手に入るようになりました。私はもちろん、ネット情報だけではなく、カナダで出版された英語の文献や歴史学教授からの話や、中国人からの話なども聞いて南京事件に関する自分なりの意見を持っています。
>あの当時南京には連合国側の情報部、ジャーナリストが集まっておりましたが、
>誰も自分で確認してないのです。「南京の真実」で有名なジョン・ラーベ氏は
>ドイツ人ですが彼も当時ずっと南京にいましたが、彼の著書では
>日本人の悪行がこれでもかと言うぐらい載ってます。
>がその中の殺人、レイプ等の記述もほとんどが伝聞で聞いたもので、
>自分の目で確認したものはありません。
ラーべ氏は実際に人民が目の前で虐殺されるのを見なかったかもしれませんが、虐殺された後の山のような死体は見ました。それだけじゃ、証拠になりませんか?又、関連文献により、大量に殺戮が繰り広げられたのは確かであり、その事実は変えられません。文献を追加しておきましたので、ろべかるさんが時間のあるときにでもぜひお読みになってください。
>ウィキペディアや他のネット情報等だけで判断されてるとしたら、
>それは知識とは呼べず、単なる一つの情報に過ぎません。
知識とは情報の積み重ねであり、単に自分の好きでブログに書くことは、もちろん、情報を伝達するだけでもOKなわけです。私はお金をもらってこのブログを読んでもらっているのではないので、授業でやっているように私の知識を伝達する必要はないのです。なぜ、ここで知識と情報を比べられなくちゃならないのかわかりません。教えていただけませんか?
ウィキペディアでも歴代の総理があれだけ謝罪しているのですから、何もなかってことはまずないと思います。もし、何もなかったら、一国の総理がわざわざ謝罪なんてしませんものね。
あと、東京裁判でも南京事件があったという証拠も残っていますし、「全くなかった」というのは、でたらめ以外の何者でもありません。
それだけネットの世界では虚構がまかり通ってしまうということですね。ちょっと恐ろしいです。
FC2でもランキング上位のご様子なによりです。
がんばって下さい。
私は、以前から、ここは「リンク」を貼っておりますので、ご了承下さい。
目下、取り込んでおりますので、今日は、この辺で。
では、また。
題は「南京の釣り」。
南京に赴任した下田某がとある休日、釣りをしに郊外の池に出かけていったが、幾度糸をおろしてもすぐに切れて、釣りにならない。
どうしたものかと思案投げ首でいたところ、中国人部下にこういわれた。
「ここは市民を殺した陸軍が死体を大量に投げ込んだ池。だから肉は腐っても骨は残って、それで糸がひっかかって切れるのでしょう」
それを聞いた下田某は二度と南京で釣りをしなくなった、という本人による随想。
戦後下田某は最高裁に入り「裁判所は国家の体制の安寧に資する」とか、ずいぶんでたらめを言った人だが、若い日にこうした経験をして、自ら筆を執ったということはあるのだろう、
という話はすべて大学時代の史学教授から聴いた話です。
昨日のクラスで学生と「Colombus Day」について話した所で、過去の虐殺や戦争犯罪をどのように学ぶべきか考えていた所でした。
過去は忘れてはいけないですね。何があったか、どうして自分の国が批判されているのか理解しないといけないなと思いました。
海外にいると自分の国を擁護しなきゃいけない時もでてきますよね。きちんと説明できるように私も頑張って勉強します。
確かに1千人でも10万人でも一般人を殺せば虐殺です。
日本人の右翼、保守の人でも虐殺がなかったと考える人は
ほとんどいません。ただどれほどの虐殺だったかを証明できる
確かな資料は一つもないのです。未だに一つも確かなものが
ないのです。あの当時南京には連合国側の情報部、ジャーナリストが集まっておりましたが、誰も自分で確認してないのです。「南京の真実」で有名なジョン・ラーベ氏はドイツ人ですが彼も当時ずっと南京にいましたが、彼の著書では日本人の
悪行がこれでもかと言うぐらい載ってます。がその中の殺人、
レイプ等の記述もほとんどが伝聞で聞いたもので、自分の目で確認したものはありません。
美爾依様がどの資料を元に判断されてるかわかりませんが
ウィキペディアや他のネット情報等だけで判断されてるとしたら、それは知識とは呼べず、単なる一つの情報に過ぎません。
それって結局単なる言い逃れでしかないやん?って思っちゃう。殺害された人数が違うかもしれなくても、殺された人たちがいることには変わりなくって。
色々な見解があるのに、「なかった」って頭ごなしに決め付けるのは短絡的ですよね。
でも、不思議なことに「なかった」って言ってる人達って、戦争を知らない世代の人達ばっかりなんですよね。
もちろん私も知らない世代だけど、知ってる世代や当時南京にいた人達は「確かに残虐なことがあった」って言う。変なのって思っちゃいます。
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日中戦争の歴史認識(4) - 南京大虐殺の犠牲者の数について
スケッチ帳0042に慰安所が記載されています。
部隊本部、大隊本部に隣接されています。
あの当時は慰安所なんて、当然の施設だったのです。
スケッチ帳0007の「12月31日」の最後の行に「奉天では慰安所に1回も行かなかった。」とも書かれています。
満州事変当時から、慰安所は当然の施設としてあったのです。
南京の捕虜処分の公式書類である「捕虜取扱い報告書」が焼却されたことからすると、慰安所や自決命令に関する書類も焼却されている可能性が大です。
それらの事実を知った上で森松俊夫氏等は軍事史を捏造しているのです。