2006.05.06 (Sat)
右翼化する小泉政権の憂鬱
海外では、日本人も中国人も韓国人もみんな同じアジア人なのだ。特に日本人だからということで、他の中国人や韓国人よりも優遇されることはめったにない。みんな同等に扱われる。むしろ日本人であることよりも、いかに英語ができるかということの方が大切なのだ。英語ができて、コミュニケーションが現地の人とうまくいけば、友達もたくさんできるし、楽しい経験もできる。又、中国人だから、韓国人だからと差別することは、交友範囲を狭め、現地人にもウザったがられ、いつも日本人としか行動できなくなり、結局、英語を学ぶこともなく日本に帰国することになるのだ。
こんな私にとっても、海外では日中韓が同等であるというカルチャーショックはかなり大きく、自分の心の中に受け入れて、それを認めるまでにはけっこう時間がかかってしまった。これから海外で勉強しようとしている若者たちは、海外に行く前に、日本人としての自尊心を保ち、近隣諸国への偏見を捨てることによって、より楽しい海外生活を送れることと思う。それには、日本の歴史について書かれている本やブログなどをなるべくたくさん読んで、真実を見極めることだ。何が偽りで何が真実なのか自分の目や耳で見極めて欲しい。
少し前には韓流ドラマが流行り、韓国人俳優が日本でもてはやされるようになり、韓国への差別がなくなったかのように見えたのも、トコノマ(笑)、最近の日本では、政権が右翼化しており、中国や韓国への差別化が一層激しく進んでいるようだ。先日、盧武鉉大統領が来日して特別談話したときだって、日本のメディアやネットは韓国に対する誹謗、中傷で満ち溢れていた。このことは、『世に倦む日日』も「盧武鉉談話の正論 − 韓国は日本の右翼に妥協してはならない」や「盧武鉉大統領の正論とその前提 − 日韓基本法としての村山談話」の中などで指摘している。
現在、右翼掲示板等に書き散らかされているネット右翼の韓国に対する侮辱と悪罵の言語群は、まさに眩暈と嘔吐を催すほどの常軌を逸したものであり、偏狭で蒙昧で醜悪なファナティシズムの常態化であり、日本人であることを羞恥してしまうような程度と内容のものである。「嫌韓」という言葉は状況を正しく表現していない。嫌韓ではなく、蔑韓であり、嘲韓である。露骨で暴力的な差別感情の唾棄であり、民族に対する偏執的な嗜虐衝動の横溢である。ネットが始まった95年頃はこのような厭わしい病的な思想状況はなかった。97年頃から右翼掲示板の隆盛とともにこのような傾向が勢いを増し、年を追うほどに酷くなり、それが多数化し、やがて政権がその性格に変わり、テレビと新聞までその右翼的性格が常態になった。右傾化を批判する人間は、左翼のレッテルを貼られてマスコミの世界から放逐された。政権と右翼に追従し、左翼批判の恫喝を年中吐いて、国民の常識を右へ右へと暴力的に扇動する人間しかその世界で生きられない。
政権が右翼に牛耳られ、外交が中韓と激しく敵対する右翼的方向にシフトされたために、この五年間の間に日韓関係と日中関係はボロボロの状態になった。その責任は全面的に日本の側にある。ところが日本のマスコミは政権を批判しようとせず、韓国と中国を批判し始め、小泉政権を擁護する論調を機軸に据えるようになった。いま政権を批判する報道番組は筑紫哲也の「ニュース23」だけだろう。右翼ファシズムだ。一年前と較べても、その傾向はより顕著で、ネットの中も狂暴で激越な嫌韓一色だが、盧武鉉大統領の対日批判の正論を支持する声は殆ど見られない。ブログは筑紫哲也と同じく異端的で例外的な存在になった。日本のマスコミは、隣国の元首が日本国民に呼びかけるメッセージに真面目に耳を傾けようとせず、一方的にそれを「国内向けの人気取り」だと歪曲し、「選挙目当ての点数稼ぎ」だと誹謗して不当に矮小化するばかりだ。日本の政権と国民の政治意識が日を追う毎に右傾化の度を深め、戦前へと逆戻りしている状況は誰が見ても明らかな社会的事実である。
日本の恥と言われている小泉総理大臣からして、靖国神社参拝を再開して日本のナショナリズムを煽り、害務大臣の麻生と一緒になって、中国や韓国の反日感情を悪化させるような発言を続けている。日本のリーダーさえもがこのありさまだから、これが一般の国民に反映してしまうのも無理はないだろう。
少し前に、山口二郎氏の「右派論壇の不毛」を読んでどうして日本人が、特に右翼が、中国や韓国を卑下するのか納得のいく説明があったので、ここに紹介しよう。
各種イベントの余興に大声コンテストというのがある。日ごろ内にひめている感情や欲望を大声で叫ぶという他愛ない遊びである。むき出しの本音という誘惑に身を任せ、過激な言説を競うという点で、今の右派論壇は、まさに大声コンテストの趣である。
心理学者の速水敏彦氏は近著『他人を見下す若者たち』(講談社現代新書)で、仮想的有能感という概念を使って若者の心の変容を説明している。若者を中心として、厳しい競争に曝される現代の日本人は、自己を肯定するために、すぐに他人を軽視したり否定したりする。そして、そのことによって根拠のない有能感を持つ傾向があると速水氏は主張する。また、ITメディアの影響を強く受けた人ほど仮想的有能感を持ちやすく、「2チャンネル」をよく見る人において仮想的有能感が強いという研究もある。私はこの本を読んで、なぜネット空間に下品な右翼的言説がはびこるのかについての説明を得たような気がする。
広範囲の個人の心理に起こった変化は、当然世論にも波及するであろう。日本は国全体として、激しい競争に曝されながら、またバブル崩壊以後の停滞の時期をくぐり、隣国中国の経済的勃興を目の当たりにして、自己肯定感を欲している。過去への反省や主体的努力によって自己評価を引き上げるのではなく、甘い自己認識、世界認識の下で、手っ取り早く他国を見下して、それによって仮想的有能感を得ようとしているのが右派論壇である。政治的意味空間を豊かにするためには、現実感覚に支えられた論理性のある言説が不可欠である。そのような条件を備えた保守言説の復活を祈るばかりである。(論座5月号)
これを読んで私もまさにネットウヨと呼ばれている人がいかに日本軍の卑劣行為を支持し、中国や韓国をけなすのか謎が解けたような気がした。右翼に感化されている人々は、日本人として自尊心を持つことと、甘い自己認識を持って歴史を美化して陶酔することは違うということにいいかげん気づいて欲しい。自尊心は自分の強い部分も弱い部分も真の自分であると認めて初めて生まれるもの。又、陶酔とはウソであるとわかっていても、都合のいい自己認識に酔いしれることだ。
又、『世に倦む日日』の「共謀罪と対テロ戦争 − 民主党修正案における「組織犯罪集団」」には、右翼化した小泉政権では、安倍晋三を中心に戦争に向けた法整備の一環として、共謀罪の成立を促進しており、日本は今、戦争がいつ始まってもおかしくない状態であると書かれている。たった今大津留公彦氏から入った情報によると、共謀罪は連休明けに強行採決される可能性がある段階ということだが、もし、共謀罪が戦争を再び蘇らせる法律となるならば、断固阻止しなくてはならない。これに加えて、アメリカのポチと化した日本を「戦争をする国」に変えようとしている九条改正にも反対するべきだ。まだ多くの国民はこの改憲が何を意味するのかわかっていないのではないだろうか。これらの改憲は、自分の国の武器や兵器を売るために、日本を戦争に参加できる国に変えようとするアメリカの陰謀なのだ。アメリカにNoと言えない腰抜け小泉は、「Yes!Yes!」とシッポを振りながら自分の国民が犠牲になることなんて全く気にせずに、ブッシュのポチに成り下がり、アメリカの言いなりだ。もう、いまさら小泉には何を言っても無駄だろう。でも、次期首相には、アメリカの要求にもはっきりと「No!」と言えて、日本国民のことを心から思いやれることのできる総理大臣を選びたい。
日本の歴史を美化しつつ、右翼小泉政権は中国や韓国、北朝鮮などとの外交問題を悪化させるだけではなく、国内で格差を広げ、国民を貧困状態に陥れ、その上、日本を再びあの恐怖の戦争に巻き込もうとしている。中国、韓国、北朝鮮に敵対心をむき出しの今の日本の世論を見ればありえないことではない。このような世論や改憲に流され、日本を戦争に巻き込むことだけは避けなくてはならない。
今日は長くなってしまったが、最後に『大津留公彦のブログ』で見つけた、憲法を作ったときに子ども向けに文部省が作った副読本、「あたらしい憲法のはなし」(日本国憲法・自民党改憲草案の分析と批判)の九条の部分が私がこの記事で言いたかったことをわかりやすくまとめてくれていたので大人も読みやすいように漢字に直して引用する。
六 戦争の放棄 第二章 戦争の放棄
みなさんの中には、今度の戦争に、お父さんや兄さんを送り出だされた人も多いでしょう。ご無事にお帰りになったでしょうか。それともとうとうお帰えりにならなかったでしょうか。また、空襲で、家やうちの人を、失(亡)くされた人も多いでしょう。今やっと戦争は終わりました。二度とこんな恐ろしい、悲しい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、恐ろしい、悲しいことが、たくさん起こっただけではありませんか。戦争は人間を滅ぼすことです。世の中のよいものを壊すことです。だから、今度の戦争をしかけた国には、大きな責任があると言わなければなりません。この前の世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争を起こしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。
そこで今度の憲法では、日本の国が、決して二度と戦争をしないように、二つのことを決めました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、一切持たないということです。これから先日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは、「捨ててしまう」ということです。しかしみなさんは、決して心細く思うことはありません。日本は正しいことを、他の国より先に行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
もう一つは、よその国と争いごとが起こったとき、決して戦争によって、相手を負かして、自分の言い分を通そうとしないということを決めたのです。おだやかに相談をして、決まりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、結局、自分の国を滅ぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手を脅すようなことは、一切しないことに決めたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国と仲良くして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、栄えてゆけるのです。
みなさん、あのおそろしい戦争が、二度と起こらないように、また戦争を二度と起こさないようにいたしましょう。
参考記事:
『世に倦む日日』より
「盧武鉉談話の正論 − 韓国は日本の右翼に妥協してはならない」
「盧武鉉大統領の正論とその前提 − 日韓基本法としての村山談話」
「共謀罪と対テロ戦争 − 民主党修正案における「組織犯罪集団」」
「憲法記念日の憲法報道 − 朝日新聞世論調査と「九条の会」サイト」
『YamaguchiJiro.com』「右派論壇の不毛」
『大津留公彦のブログ』「あたらしい憲法のはなし」から9条の部分
「あたらしい憲法のはなし」(日本国憲法・自民党改憲草案の分析と批判)

















