2011.03.14 (Mon)
2011オンタリオ州日本語スピーチコンテスト
昨日は、トロント大学で行われた『オンタリオ州日本語スピーチコンテスト』Ontario Japanese Speech Contest (OJSC)に生徒が参加したため、一日中外出していたので、ブログを更新できなかった。スピーチコンテストは、日本で起こった巨大な津波や地震の被害者の方々に黙祷してから、重々しい雰囲気の中で始まった。
私の生徒は名前の順で、初級部門の一番最初だったので、多少緊張してしまった。そのため、練習のときには決して見せなかった言葉のいい間違えもあったが、最後まで、すばらしいスピーチをした。発音やイントネーションでまずいところもあったけれども、自分の生徒ながら、かなりうまくいったと思った。ただ、他の初級部門の生徒も、これで本当に初級?とびっくりするような生徒もいたので、受賞は無理かもしれないと思っていた。
結果は、残念ながら、期待していたものとは違ったが、生徒にとってはとても勉強になったと思う。同時にかなりがっかりもしていた。自尊心の高い生徒だっただけに、あれだけ時間をかけて準備して、練習して、一日をスピーチコンテスト参加に費やして、それでも何の賞も取れなかったからだ。でも、大切なのは、賞を取れたか取れなかったかではなくて、スピーチコンテストに参加するその過程で多くのことを学べたことだ。
私の生徒は名前の順で、初級部門の一番最初だったので、多少緊張してしまった。そのため、練習のときには決して見せなかった言葉のいい間違えもあったが、最後まで、すばらしいスピーチをした。発音やイントネーションでまずいところもあったけれども、自分の生徒ながら、かなりうまくいったと思った。ただ、他の初級部門の生徒も、これで本当に初級?とびっくりするような生徒もいたので、受賞は無理かもしれないと思っていた。
結果は、残念ながら、期待していたものとは違ったが、生徒にとってはとても勉強になったと思う。同時にかなりがっかりもしていた。自尊心の高い生徒だっただけに、あれだけ時間をかけて準備して、練習して、一日をスピーチコンテスト参加に費やして、それでも何の賞も取れなかったからだ。でも、大切なのは、賞を取れたか取れなかったかではなくて、スピーチコンテストに参加するその過程で多くのことを学べたことだ。
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2011.02.13 (Sun)
『トイレの神様』と日本の迷信
去年の年末から今年の年始にかけて日本に帰っていたときに、流行っていて、なんだかとても好きになってしまったのが、植村花菜さんが作詞作曲して、ギターを弾きながら歌うこの『トイレの神様』という曲。ちょっと長い歌詞だけど、感動的で、植村花菜さんの落ち着きがあって透明感のある歌声もすばらしく、何度聞いてもシミジミしてしまうこの曲を日本語のクラスで紹介してみた。
最初は、「なんだよ『トイレの神様』なんて、食事中に聞いたら食事がまずくなりそうな変わったタイトルだな。トイレに神様なんているはずないじゃん。」と思ったんだけど、私の生徒たちも案の定、最初は変なタイトルを見て笑っていた。
ちょうど、日本の家について勉強しているところで、形容詞や「~に◎◎がいます。あります。」という構文を勉強したので、この歌の「トイレにはそれはそれはキレイな女神様(めがみさま)がいるんやで。」というサビの部分がとても役に立った。細かいことを言えば、トイレの後の助詞「には」は「に」とは違うけれども、その違いも説明もすることができた。
この歌詞の場合、「には」はその前に来る「トイレ」という場所を他の部屋と比較して強調していることになる。家の中にはいろいろな部屋があるけれども、その中で特に「トイレ」という場所には、女神様がいるというように。これが、「トイレに神様がいる」という文章だったら、ただ単に「トイレ」の中に神様がいるという事実だけを述べているのであり、他の部屋、例えば、寝室や浴室にもいるかもしれないという可能性が含まれている。つまり、「トイレ」を女神様が存在する特別な場所として見た場合、やはり、「トイレ」の後には、「には」が来るべきなのだ。
「トイレをきれいにすると、ベッピンさんになれる。」というのは、きっと日本の迷信(英語では、Superstition)の一つで、迷信は世界でもそれぞれ違う言い伝えがあるように、日本でも地方によってさまざまなものがあるのだろう。これは、大阪弁で歌われているので、きっと大阪や関西地方の迷信ではないだろうか。東京ではあまり聞かないので。こういうことは、浪速生まれの浪速育ちのとらちゃんに聞いたほうがいいね。とらちゃん、どうなの?
迷信には、科学的根拠のあるものとないものがあって、この「トイレをきれいにすると、ベッピンさんになれる。」というのは、きっと全く科学的根拠はないだろうと思う。もっとも、トイレ掃除をすればするほどきれいになれるという統計をとった学者がいたら、おもしろそうだけど・・・・(笑)いるわけないよね。
日本の家の中で神様が宿っていると信じられている場所は、トイレ以外にもある。神棚だ。そして、仏様が宿るとされている仏壇だ。私の実家には神棚と仏壇の両方があって、神棚には、神饌(しんせん)と呼ばれるお酒とお米・お塩・お水をお供えし、仏壇には、毎日両親のどちらかが、お茶と炊き立てのごはんをお供えしている。
だけど、これも、海外で暮らす人からみたら、非常に変わった習慣というか、信仰というか、迷信のようなものだ。両親は、仏様が来てお茶とご飯を食べると信じているようだ。そして、仏様に毎日お供えし、お祈りすることによって、先祖に見守られているという安心感が生まれるそうだ。確かに私の両親はこれまで大きな病気一つしたことがなくて、いまだに元気なんだけど・・・・。神様や仏様のおかげなのだろうか。
日本の仏壇、神棚というのは、最近の若い家族は持っていない人がほとんどだと聞いているけれども、おそらくそのうち、消えてなくなる可能性はあるかもしれない。今の若いカップルにとっては、生活していくのがやっとだし、仏壇や神棚を買うお金があったら、パソコンやタブレットなど、コンピュータ関連の商品に使うだろう。
それにしても、日本の仏壇、神棚、そして、お正月の初詣もそうだけど、日本には明らかに目に見えない神様が存在すると信じられているのだろう。初詣をして、神様に願いごとをすると叶うとか、おみくじで凶がでたら、縁起がいいとか、そういった迷信を信じて江戸時代から続く初詣を今でも続けている日本人って本当にすごいと思う。
最初は、「なんだよ『トイレの神様』なんて、食事中に聞いたら食事がまずくなりそうな変わったタイトルだな。トイレに神様なんているはずないじゃん。」と思ったんだけど、私の生徒たちも案の定、最初は変なタイトルを見て笑っていた。
ちょうど、日本の家について勉強しているところで、形容詞や「~に◎◎がいます。あります。」という構文を勉強したので、この歌の「トイレにはそれはそれはキレイな女神様(めがみさま)がいるんやで。」というサビの部分がとても役に立った。細かいことを言えば、トイレの後の助詞「には」は「に」とは違うけれども、その違いも説明もすることができた。
この歌詞の場合、「には」はその前に来る「トイレ」という場所を他の部屋と比較して強調していることになる。家の中にはいろいろな部屋があるけれども、その中で特に「トイレ」という場所には、女神様がいるというように。これが、「トイレに神様がいる」という文章だったら、ただ単に「トイレ」の中に神様がいるという事実だけを述べているのであり、他の部屋、例えば、寝室や浴室にもいるかもしれないという可能性が含まれている。つまり、「トイレ」を女神様が存在する特別な場所として見た場合、やはり、「トイレ」の後には、「には」が来るべきなのだ。
「トイレをきれいにすると、ベッピンさんになれる。」というのは、きっと日本の迷信(英語では、Superstition)の一つで、迷信は世界でもそれぞれ違う言い伝えがあるように、日本でも地方によってさまざまなものがあるのだろう。これは、大阪弁で歌われているので、きっと大阪や関西地方の迷信ではないだろうか。東京ではあまり聞かないので。こういうことは、浪速生まれの浪速育ちのとらちゃんに聞いたほうがいいね。とらちゃん、どうなの?
迷信には、科学的根拠のあるものとないものがあって、この「トイレをきれいにすると、ベッピンさんになれる。」というのは、きっと全く科学的根拠はないだろうと思う。もっとも、トイレ掃除をすればするほどきれいになれるという統計をとった学者がいたら、おもしろそうだけど・・・・(笑)いるわけないよね。
日本の家の中で神様が宿っていると信じられている場所は、トイレ以外にもある。神棚だ。そして、仏様が宿るとされている仏壇だ。私の実家には神棚と仏壇の両方があって、神棚には、神饌(しんせん)と呼ばれるお酒とお米・お塩・お水をお供えし、仏壇には、毎日両親のどちらかが、お茶と炊き立てのごはんをお供えしている。
だけど、これも、海外で暮らす人からみたら、非常に変わった習慣というか、信仰というか、迷信のようなものだ。両親は、仏様が来てお茶とご飯を食べると信じているようだ。そして、仏様に毎日お供えし、お祈りすることによって、先祖に見守られているという安心感が生まれるそうだ。確かに私の両親はこれまで大きな病気一つしたことがなくて、いまだに元気なんだけど・・・・。神様や仏様のおかげなのだろうか。
日本の仏壇、神棚というのは、最近の若い家族は持っていない人がほとんどだと聞いているけれども、おそらくそのうち、消えてなくなる可能性はあるかもしれない。今の若いカップルにとっては、生活していくのがやっとだし、仏壇や神棚を買うお金があったら、パソコンやタブレットなど、コンピュータ関連の商品に使うだろう。
それにしても、日本の仏壇、神棚、そして、お正月の初詣もそうだけど、日本には明らかに目に見えない神様が存在すると信じられているのだろう。初詣をして、神様に願いごとをすると叶うとか、おみくじで凶がでたら、縁起がいいとか、そういった迷信を信じて江戸時代から続く初詣を今でも続けている日本人って本当にすごいと思う。
Tags : トイレの神様 |
日本の迷信 |
Japanese |
Superstition |
英訳 |
翻訳 |
English |
Translation |
「に」と「には」の違い |
2010.04.15 (Thu)
最後の授業
忙しさが続く中、カナダでもやっと水仙の花やサクラが咲くようになった。
マグノリアのつぼみも大きくなり、あと2,3日で開花しそうだ。




今週は日本語の最後の授業だったので、授業は早めに切り上げてその後、生徒たちと日本食レストランへ行った。カナダには日本食レストランがたくさんあるけれども、なぜかほとんどが中国人や韓国人によって経営されている。かなり日本食に近いけれども、それでも、本物の日本食とは呼べないようなちょっとかわったものがでてくることがある。
今回は、日本人が経営している本当の日本食レストランに生徒たちを連れて行きたかったので、少し前にブログでも紹介した「Michinoku みちのく」に行くことにした。
試験前ということもあり、参加できたのは、クラスの約三分の一の生徒だった。参加した生徒は、日本を訪問したことがあったり、とても日本語の勉強に熱心な生徒たちで、日本の文化にも興味がある。それでも、ほとんどはお寿司は食べたことがあるけれども、てんぷらや抹茶アイスを食べたり、日本酒を飲んだりしたのは今回が初めてという生徒もいた。

日本酒を飲んでおいしいご馳走をたくさんいただいて、この通り、みんなとても喜んでいた。そして、シェフの岡部さんが特別にこの日のためにメニューを用意してくださったので、カナダでは普段めったに食べられないような日本食を安い値段で満喫できた。岡部さんには、本当に心から感謝したい。
そんなわけで、今学期最後の日本語の授業は終了して、来週、試験が終われば、もう少し落ち着いてブログも更新できるようになると思う。
マグノリアのつぼみも大きくなり、あと2,3日で開花しそうだ。




今週は日本語の最後の授業だったので、授業は早めに切り上げてその後、生徒たちと日本食レストランへ行った。カナダには日本食レストランがたくさんあるけれども、なぜかほとんどが中国人や韓国人によって経営されている。かなり日本食に近いけれども、それでも、本物の日本食とは呼べないようなちょっとかわったものがでてくることがある。
今回は、日本人が経営している本当の日本食レストランに生徒たちを連れて行きたかったので、少し前にブログでも紹介した「Michinoku みちのく」に行くことにした。
試験前ということもあり、参加できたのは、クラスの約三分の一の生徒だった。参加した生徒は、日本を訪問したことがあったり、とても日本語の勉強に熱心な生徒たちで、日本の文化にも興味がある。それでも、ほとんどはお寿司は食べたことがあるけれども、てんぷらや抹茶アイスを食べたり、日本酒を飲んだりしたのは今回が初めてという生徒もいた。

日本酒を飲んでおいしいご馳走をたくさんいただいて、この通り、みんなとても喜んでいた。そして、シェフの岡部さんが特別にこの日のためにメニューを用意してくださったので、カナダでは普段めったに食べられないような日本食を安い値段で満喫できた。岡部さんには、本当に心から感謝したい。
そんなわけで、今学期最後の日本語の授業は終了して、来週、試験が終われば、もう少し落ち着いてブログも更新できるようになると思う。
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