2006.10.06 (Fri)
安倍が菅直人と国会予算委員会で対決し悲惨な結果に!
そして、あれだけ保守的な議員を集めて作った安倍内閣も、しまいには安倍個人の意見として、祖父の岸信介などのA級戦犯の戦争責任を認め、植民地支配と侵略を認めた村山談話や旧日本軍の強制を認めた従軍慰安婦問題に関する河野談話までをも継承するとはっきりと発言
故岸氏ら指導者に戦争責任 首相、歴史認識踏み込む
安倍晋三首相は5日午後の衆院予算委員会で、先の戦争をめぐり、祖父の岸信介元首相を含む指導者の責任を認めた。同時に(1)「植民地支配と侵略」を明記した1995年の村山富市首相談話(2)旧日本軍の強制を認めた従軍慰安婦問題に関する93年の河野洋平官房長官談話-の2つを、首相個人としても継承する考えを明言した。中韓両国首脳との会談を8、9の両日に控え、歴史認識で一歩踏み込んだ形だ。
安倍首相は、東条内閣の商工相だった岸元首相が太平洋戦争開戦の詔書に署名したことを問われ「開戦の結果、アジアの人たちに多くのつめ跡を残した。指導者には祖父を含め大きな責任があった。政治は結果責任だから当然、判断は間違っていた」と述べた。
首相は2日の衆院本会議で、A級戦犯として極東軍事裁判(東京裁判)で裁かれた国家指導者の責任を「具体的に断定することは適当でない」と言及を避けていた。
村山談話についても「私の内閣でも生きている。私も首相であり(継承するのは)当然だ」と答弁。侵略や植民地支配の記述も「閣議決定した談話であり、国として示した通りだ」と指摘し、河野談話も「私を含め、現在の政府として受け継いでいる」と述べた。
民主党の菅直人代表代行への答弁。
総理になる前は、あれだけ強気で保守的な発言を繰り返していた奴が、総理になったとたんにクルリンパと手のひらを返すように考えを変えちゃって、AbEndの仲間もビクリしてビックル一気飲みしちゃったことだろう。それだけでなく、保守派の方々も「安倍内閣は保守潰し内閣」と批判し始めた。

結局靖国参拝については、あれだけ菅氏がはっきりするように迫ったにもかかわらず、安倍は逃げの一手で最後まで今年の春に参拝したかしなかったか、又、これからも参拝するかしないかを語ることはせずに、言わない選択もあるとひらきなおっていた。もうこうやって写真の証拠もあるんだから、隠したって無駄だよ(笑)。それにしても、首相になる前は、「(小泉の)次の首相もその次の首相も靖国参拝を続けるべきだ。」と強気発言をしていたくせに、自分が首相になったとたんに何も語らなくなっちゃった。なんか、靖国参拝をするかしないかはとても大切なことなのに、それを国民に隠れてコソコソと参拝するっていうのは、とても卑怯な気がする。一国の総理がすることじゃないだろ。総理大臣が何を考えているのかクリスタルクリアで国民にわかり易い政治を行って欲しいものだ。参拝するかしないかを言うと、来年の参院選で参拝賛成派と反対派のどちらかの票しかとれないが、言わなければ両方の票をもらえるとでも思っているのだろうか?
このように不透明で、信用がおけない安倍内閣は右翼からも左翼からも、又、靖国賛成派からも反対派からも見放されるだろう。この予算委員会の質疑応答を見ていても、菅氏の方がよほど総理に適しているように見えた。そして、この質疑は裁判で菅弁護士が安倍被告人を裁いているようにも見え、笑えた。これからもズバズバと聞きにくい質問を鋭く繰り返す菅直人氏に期待したい。
2006.08.19 (Sat)
A級戦犯の岸信介が処刑を免れたのは何故か?

写真提供先:中国語のサイトから
「昭和天皇が嫌っていた松岡洋右と安倍晋三は親戚だった!そして岸信介がA級戦犯不起訴になった本当の理由。」と言う記事で安倍晋三の祖父であるA級戦犯容疑の岸信介が死刑を免れたのは、アメリカに731部隊のデータを売り渡したからではないかという推測を書いたのだが、それが阿修羅に投稿されたり、ネット上で結構話題になっているようだ。このブログのエントリーランキングでもトップページアクセスに次いでアクセス数は第2位となっている。ここに関連記事を書いたブログを同意派と反対派に分けて紹介し、反対派の疑問に答え、最後に参考資料を追加させていただく。
同意派:
『Good by! よらしむべし、知らしむべからず』
「御殿場の妖怪が満州国国務院実業部総務司長だった」
『タカマサのきまぐれ時評』
「増補版Wikipedia:安倍晋三2=富田メモに過剰に反応してみえる理由」
反対派:
『トラッシュボックス』
「岸信介が731部隊の実権を握っていた?」
『thethe』
「何度も死んでいるTBS」
『トラッシュボックス』
この記事へのコメントに、「つかぬ事を伺いますが「軍獣防疫廠(関東軍 軍馬防疫廠 ?)」と「満州国 国務院 実業部」との関係とはどのようなモノなのでしょうか? 」というものがあった。私も全く同じ疑問を持つが、これに対する返答はない。
手元の『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』で満洲国の国制について調べてみた。それほど詳しいことは載っていなかったが、建国当初、国務院には実業部のほか民政・外交・軍政・財政・交通・司法の計7部が置かれていたという。部はわが国の省に、司長は局長に相当するという。実業部には総務司のほか農鉱司、工商司が置かれていた。実業部の総務司の職務権限についてはわからないが、7部のうち軍政部以外には全て総務司が置かれている。となると、総務司というのは、各部内での総務的な仕事をする部署であると推測される。したがって、「人体実験や細菌兵器の開発」を許可するような部署ではなかったのではないだろうか(そもそも、「実業部」にどうしてそんな権限があると断じることができるのか不思議だ)。
私は、安倍氏を次期首相として強く支持しているわけではない。別に、見解の相違などを理由に、彼に反対する人がいてもいいと思う。しかし、安部憎さのあまりにデマをまき散らすようでは、いかんだろう。
岸が戦犯で731部隊の黒幕だから、孫の安部も首相にはふさわしくないという理屈も、それ自体あんまりだという気もするが。
まず、「軍獣防疫廠(関東軍 軍馬防疫廠 ?)」と「満州国 国務院 実業部」との関係だが、七三一部隊は4つの支部以外に、大連にあった南満州鉄道の研究所も傘下に収めて支部としており(「昭和天皇が嫌っていた松岡洋右と安倍晋三は親戚だった!そして岸信介がA級戦犯不起訴になった本当の理由。」を参照のこと)、満州国国務院の実業部で満州鉄道と深い関係のあった岸が731部隊の南満州鉄道の研究所となんらかの形で関与していたということは言えるのではないだろうか。この推理のヒントとなったのは、なんと言っても安倍晋三のTBS番組に対する異常な反応だったということも追加しておこう。731部隊の番組に少しだけ安倍の写真が映っただけで、「政治生命を脅かす行為」とまで憤慨したのはなぜか、考えてみて欲しい。
又、岸がどれだけ満州国の支配権を有していたかは、満州国の国政について書かれた下記の引用文を参考にして欲しい。
満州国(ウィキペディア)より
行政
康徳2年(1935年)に満州の独立宣言を発した東北行政委員会の委員長の張景恵が、国務総理大臣(首相)に就任した。しかし実際の政治運営は、満州帝国駐箚大日本帝国特命全権大使兼関東軍司令官の指導下に行われた。元首は首相や閣僚をはじめ官吏を任命し、官制を定める権限が与えられたが、関東軍が実質的に満州国高級官吏、特に日本人が主に就任する総務庁長や各部次長(次官)などは、高級官吏の任命や罷免を決定する権限をもっていたので、関東軍の同意がなければこれらを任免することができなかった。関東軍は満州国政府をして日本人を各行政官庁の長・次長に任命させてこの国の実権を握らせた。これを内面指導と呼んだ(二キ三スケの節を参照)。
二キ三スケ
満州国を実質的に支配していた、5人の日本人実力者たちに対する蔑称。
東條英機(関東軍司令官)
星野直樹(国務院総務長官)
鮎川義介(満州重工業開発株式会社社長)
岸信介(総務庁次長)
松岡洋右(満鉄総裁)
このうち、鮎川義介・岸信介・松岡洋右を満州三角同盟ともいう。
これからも、731部隊で人体実験が行われていた時に、岸の親戚でもある満鉄の総裁(1935年8月2日-1939年3月24日)であった松岡や鮎川と共に満州国の実権を握っていたことがわかる。つまり、岸の単独行動でなければ、これらの人物と組んで人体実験のデータをアメリカに売り渡していた可能性は高い。岸がアメリカCIAなどの情報部と密接なつながりがあったことからしても岸がこの件に絡んでいた可能性は否定するのが難しいだろう。
トラッシュボックスさんは、
「しかし、安部憎さのあまりにデマをまき散らすようでは、いかんだろう。岸が戦犯で731部隊の黒幕だから、孫の安部も首相にはふさわしくないという理屈も、それ自体あんまりだという気もするが。」と言っているが、まずは、この「安部」という字が間違っていることを指摘させていただこう。そして、推測とデマの違いがわかってないと見えるが、これは、あくまでも歴史的資料を元に私が推測したことであると断ってあるし、全くのデマではないということがこの記事から読み取れたはずだ。推測というのは、本人がリサーチしたことを根拠に正しいと思って書いていることであり、結果的には間違っていたということもあるかもしれないが、デマというのは、初めから100%間違った噂を流すことだ。
岸のような売国奴によって、日本の歴史事実が歪曲され、現在にまで加害が及んでいるのであり、そんなアメリカの手先である売国奴のDNAを受け継ぐ安倍が総理になったら、再び日本はアメリカにシッポを握られ、悲惨な目にあうということも簡単に想像していただけることと思う。
例えば、多くの信者や一般市民を殺人の罪で問われているオウム真理教の麻原の孫が総理大臣になったとしても、トラッシュボックスさんは全く気にならないのだろうか?実力とは関係なく、祖父の七光りでここまでのし上がってきた安倍は、自分でもはっきりと岸信介のDNAを受け継いでいるということを言っており、祖父の影響が安倍の政治・政策に少なからず影響するのは必至であろう。
又、この私の推論を覆すために反論を書く場合、なぜ岸信介が死刑を逃れたのかという理由を明らかにするのが一番説得力のある反論になると思うので、次回はぜひ、その理由について書いた上で反論していただきたい。
『thethe』の場合は「731部隊と安倍晋三官房長官に関しては、満州国の官僚だった祖父・岸信介元首相を介して関連がある(731部隊は関東軍に所属、満州国は、関東軍の領土だった)のだが、点と線が繋がる以上は、「731部隊と安倍長官とは無関係」」ではないだろうと半分私の推論を支持しているが、岸が死刑を免れたのは、「彼が満州国の官僚で、満鉄の経営者も務めたということが、釈放の理由」だと主張している。岸を釈放したのは、当時満州でビジネスパートナーであった鉄道王ハリマン財閥のアヴェレル・ハリマン氏でしょうと推測しているが、今ひとつこの説を支えるこれといった証拠の提示がないため、これも又説得力に欠けるものとなっている。
最後に満州鉄道と岸信介のキーワードで見つけたジャーナリストの近藤昭二氏によって書かれたサイトを是非読んでこの件に関して、知識を積み重ねていただきたいと思う。
日本の国家意思による細菌戦の隠蔽
ここにも、やはり、岸信介が731部隊の研究データと引き換えに死刑をまぬがれたとは書いてないが、政府がアメリカ軍に対して研究データの提供を代償に戦争犯罪の訴追を免れる取引をし、一切を隠蔽したことは明らかであると結ばれている。
終戦時、責任追及が天皇に及ぶことを恐れて、国家をあげて、細菌戦や毒ガスの犯罪を隠蔽したことも事実である。
その証拠を湮滅し、終戦後にそれを追及するアメリカ軍に対して研究データの提供を代償に戦争犯罪の訴追を免れる取引をし、一切を隠蔽したこともまたアメリカに残る記録から明らかである。
本来ならば、政府はポツダム宣言を受諾した時に、宣言が望んだように「日本国民のうちに民主的傾向が復活され強化されるように」、非人道的な犯罪行為を国民と国際社会の前に明らかにする義務があった。それにもかかわらず、現在に至るまで事実を認めようとはせず、隠蔽をし続けているために、被害者ばかりでなく当の部隊関係者まで救済されず、さらに、歴史事実が歪曲することで後代にまで加害が及ぼうという事態にいたっているのである。
このように日米政府によって隠蔽された事件であるが故に、日本語や英語の資料だけでその証拠を見つけるのは至難の業だが、中国やロシアなどの資料の中にきっと事実が隠されているような気がする。どなたか、ロシア語や中国語が出来る方で、岸と731部隊関係の資料を見つけられた方はご一報いただけると大変嬉しい。
追記:
ひさなべさんからもコメント欄に私の考えに反するコメントをいただいたので、ここにそれにお答えしたい。
>岸と731部隊あるかもしれないつながりを、岸を支持する孫息子を非難する材料として使うべきでないとおもいます。
まず、TBSの番組への異常な安倍の反応によって、もしかしたらという気持ちが起こって書いたものであり、731部隊と岸の繫がりを証明できるものがないため、あくまでもこれは私の推論であるということを断っておきたい。
安倍が岸の孫であるを政治家として宣伝文句にしているんだから、それを責められてもおかしくないのではないでしょうか?詳しくはkojitakenさんのコメントと「DNA政治主義者・安倍晋三の危うい知性」をご参考に。
>犯罪者の子どもというレッテル貼られても、社会にがんばっている人にとっては、すごく厳しい言葉に聞こえるのです。孫は殺人者の祖父として尊敬しているのではなく、政治家の祖父として尊敬している。父は脱税などでの罪を抱えているが、父として経営者として尊敬はしている。それで社会対して貢献していきたいと考えている孫子どもはいっぱいいると思うのです。「殺人者の孫は総理になるべきじゃない。」、、総理を目指していなくても、犯罪者の子ども、孫とレッテル張られている人にとっては、非常にショックな言葉ではないのでしょうか?
私は、一般市民に犯罪者の子供というレッテルを貼った覚えはないし、安倍を社会でがんばっている一般の犯罪者の子供に置き換えることはこの議論の要点からかなりずれることになる。
以前同じようなコメントをいただいたときにYannisさんがお答え下さったコメントをここに引用させていただきたい。
この御意見は、遺伝や儒教などの知識を出して、一見常識的な装いをこらしていますが、事実を見落としておられると思います。
つまりいくら安倍晋三氏が戦後生まれでも、やはり育った環境がその人のパーソナリティや、政治家であればその政見、政策を作るのに影響するのは大いに可能性があります。さらに長じてからは祖父や親戚などの政策や思想に影響を受けることもあり得ます。それらを考慮せず、美爾依さんの記事を一面からのみ批判するのはフェアではありませんし、人間の人格形成、政治家としての形成について当然するべき考察を欠いています。
安倍氏の言動を見れば、彼が祖父の故岸信介氏の対米従属政策を別の形で実行する(アメリカ的新自由主義の導入)、及び岸氏がある意味で戦後でも代表していたであろう戦前、戦中の体制を靖国参拝で容認していることなどです。これらは安倍氏が祖父の思想、政策の後継者をもって任じていることを行動、言論で示していると考えます。
いずれの場合も反論する場合は、同じことを繰り返すのは時間の無駄なので、前に書いた記事やコメントをよく読んでからにしていただきたい。
2006.08.14 (Mon)
首相の靖国参拝 その3
それでは、昨日書いたとおり、日本の官僚3馬鹿トリオの一人、麻生太郎の靖国問題に対する私見について書いてみようと思う。麻生の私見である「靖国に弥栄(いやさか)あれ」(麻生太郎オフィシャル・ウェブサイトより)の批判の後、高橋哲哉氏の『靖国問題』の解決法を引用したい。最後にこんな議論はどこ吹く風、「安倍晋三「次の総理も、そしてその次の総理も、当然 お参りをしていただきたい」」のYouTube動画を紹介。
この私見で、麻生太郎がとてもうまく自分の意見を表現しようとしているのが伝わってきて、好感が持てたのだが、内容がとんでもないのが残念だった(笑)。天皇や首相が靖国を参拝しやすくするために、又、靖国社の財源を安定させるために靖国を国営化する、という考えはあまりにも右に片寄りすぎていて受け入れるのが難しいということだ。この問題をただただ避けてまわっている安倍に比べたらどんな意見だろうが、こうして自分の意見を堂々と述べる麻生は、ぜんぜんましだと思う。麻生の私見のどこがおかしいのか、ひとつづつ簡単に説明していこう。
1. 常に根と幹を忘れずに
靖国神社に関わる議論が盛んです。特定の人物を挙げ、「分祀」の必要を言う人があります。国会議員にそれを主張する人が少なくありません。わたしに言わせれば、これは根や幹から問題を見ようとしない、倒錯した発想によるものです。
わたしは靖国神社についてものを言う場合、常に物事の本質、原点を忘れぬよう心がけて参りました。
それでは靖国問題で発言しようとするとき、忘れてならない根と幹とは、何でしょうか。
大事な順番に、箇条書きにしてみます。
A級戦犯分祀については、異論はない。靖国神社と遺族間の問題であり、私達がとやかく言う問題ではないと思う。1985年に中曽根総理が分祀しようとA級戦犯の遺族たちに東条英機の遺族の反対により実現できなかった。又、靖国神社によっても拒否された。遺族にしても靖国にしても戦勝国によって裁かれた東京裁判へのささやかな抵抗だったのではないか?
(1) 靖国神社が、やかましい議論の対象になったり、いわんや政治的取引材料になった りすることは、絶対にあってはならないことです。靖国は、戦いに命を投げ出した尊い御霊とご遺族にとって、とこしえの安息の場所です。厳(おごそ)かで静かな、安らぎの杜(もり)です。そのような場所で、靖国はあらねばなりません。
いかにすれば靖国を慰霊と安息の場とし、静謐(せいひつ)な祈りの場所として、保っていくことができるか。言い換えれば、時の政治から、無限に遠ざけておくことができるか――。
靖国にまつわるすべての議論は、いつもこの原点から出発するものでなければならないと考えます。論議が紛糾したり、立場の違いが鋭く露呈したような場合には、常にこの原点に立ち戻って考え直さなくてはなりません。
「いかにすれば靖国を慰霊と安息の場とし、静謐(せいひつ)な祈りの場所として、保っていくことができるか。言い換えれば、時の政治から、無限に遠ざけておくことができるか――。 」という問いかけだけして答えていないが、これは、首相が参拝を止めることによって簡単に静粛を取り戻せるのではないだろうか?
(2) 靖国神社にとって、「代替施設」はあり得ません。
このことは、靖国に「ないもの」と「あるもの」を考えることで、理解することができます。靖国には、遺灰とか遺骨といった、物理的な何かはありません。あるのは御霊という、スピリチュアルな、抽象的なものです。いやもっと言うと、そういうものが靖国にあるのだと思ってずっと生きてきた、日本人の「集合的記憶」です。
記憶には、誇るべきものがある半面、胸を張れないものもあることでしょう。しかし死者にまつわるものであるからには、総じて辛い、哀しいものです。それらすべて、一切合財を含む記憶の集積を、明治以来日本人は、靖国に見出してきました。これは引っこ抜いてよそへ持って行ったり、新しい場所に「存在するつもり」にしたりできないものです。つまり靖国には、代替施設はつくれません。
高浜虚子の有名な句に「去年今年 貫く棒の 如きもの」があります。この句に言う「棒の 如きもの」が、靖国にはあるのだと思っています。これを無くしたり、むげにしていると、ちょうど記憶を喪失した人が自分とは何者か分からなくなってしまうのと同じように、日本という国が、自分を見失い、碇を無くした船さながら、漂流してしまうと思います。
すっかり靖国には遺灰や遺骨があると思っていたのだが、実は「英霊」と呼ばれる御霊だけだったのか?靖国はそんなに大げさなものか?
(3) 上の(1)と(2)の土台にあるのは、国家のために尊い命を投げ出した人々に対し、国家は最高の栄誉をもって祀らねばならない、という普遍的な原則です。「普遍的な」というのは、これが国と国民の約束事として、世界中どこででも認められていることだからです。
国家とは、国民を戦場へ連れ出し、命を投げ出させる権力をもつ存在でした。だとすれば、国家の命に応じてかけがえのない命を捧げた人を、当の国家が最高の栄誉をもって祀らなければならないのは、最低限の約束事であり、自明の理です。戦後のわれわれには、この当たり前の理屈がピンと来なくなっているかもしれません。何度でも強調しないといけないゆえんです。
これこそが、靖国問題の原点になっている部分で、国民を戦場へ連れ出すために利用され、遺族の悲しみを喜びに変える錬金術にほかならなかった靖国に奉られた英霊は、今頃どんな気持ちで靖国に眠っているのだろうか?又、最高の栄誉をもって祀らなければならないとあるが、首相による参拝が英霊に対して、最高の栄誉を与えていることになるのか?もしそうだったら、それによってさまざまな問題を引き起こし、その度に大きな騒ぎになっていることを考えれば、(1)で述べていることと矛盾しているのではないだろうか?英霊が安らかな眠りにつくには、首相が参拝するべきではないということだ。
(4) 「天皇陛下、万歳」と叫んで死んだ幾万の将兵は、その言葉に万感の思いを託したことでしょう。天皇陛下の名にこと寄せつつ、実際には故郷の山河を思い起こし、妻や子を、親や兄弟を思っていたかもしれません。しかし確かなこととして、明治以来の日本人には、上の(3)で言った国家との約束事を、天皇陛下との約束として理解し、戦場で死に就いてきた経緯があります。
ですからわたしは、靖国に天皇陛下のご親拝あれかしと、強く念じているのです。
「天皇陛下、万歳」と言ったのは、戦時中にそう強制され、洗脳されたからであって、心からそう叫んで死んでいった将兵なんて無に等しいのではないか?又、爆弾発言をしているようだが、天皇が公式に靖国参拝したときの近隣諸国への影響力は、首相の比ではない。
2. いま、何をすべきか
この問いに対する答えは、もう明らかだと思います。靖国神社を可能な限り政治から遠ざけ(「非政治化」し)、静謐な、祈りの場所として、未来永劫保っていくことにほかなりません。わたしの立場は、靖国にその本来の姿へ復していただき、いつまでも栄えてほしいと考えるものです。世間の議論には、靖国を当座の政治目的にとって障害であるかに見て、なんとか差し障りのないものにしようとする傾向が感じられます。悲しいことですし、わたしとしてくみすることのできないものです。
だから、そのためには首相参拝をやめれば政治から遠ざけることができるし、静かな祈りの場として保つことができるのだ。
3. 現状の問題点
ところが靖国を元の姿に戻そうとすると、たちまち問題点にぶつかります。それは煎じ詰めると、靖国神社が宗教法人であるという点にかかわってきます。少し説明してみます。
(1) 政教分離原則との関係
靖国が宗教法人であり続ける限り、政教分離原則との関係が常に問題となります。実は政治家であるわたしがこのように靖国について議論することさえ、厳密に言うとこの原則との関係で問題なしとしません。まして政治家が靖国に祀られた誰彼を「分祀すべし」と言うなどは、宗教法人に対する介入として厳に慎むべきことです。
靖国神社が宗教法人である限り、総理や閣僚が参拝する度に、「公人・政治家としての訪問か、私的な個人としての参拝か」という、例の問いを投げかけられます。政教分離原則との関係を問われ、その結果、本来鎮魂の行為であるものが、新聞の見出しになってしまいます。つまり靖国がその志に反し、やかましい、それ自体政治的な場所となってしまった理由の過半は、靖国神社が宗教法人だというところに求められるのです。
これでは、靖国はいつまでたっても静かな安息と慰霊の場所になることができません。このような状態に最も悲しんでいるのは靖国に祀られた戦死者でしょうし、そのご遺族であることでしょう。そして靖国をそんな状態に長らく放置した政治家の責任こそは、厳しく問われねばならないと考えます。
(2)戦死者慰霊の「民営化」をした弊害
本来国家がなすべき戦死者慰霊という仕事を、戦後日本は靖国神社という一宗教法人に、いわば丸投げしてしまいました。宗教法人とはすなわち民間団体ですから、「民営化(プライバタイゼーション)」したのだと言うことができます。
その結果、靖国神社は会社や学校と同じ運命を辿らざるを得ないことになっています。顧客や学生が減ると、企業や大学は経営が苦しくなりますが、それと同じことが、靖国にも起きつつあるのです。
靖国神社にとっての「カスタマー(話を通りやすくするため、不謹慎のそしりを恐れずビジネス用語を使ってみます)」とは誰かというに、第一にはご遺族でしょう。それから戦友です。
ご遺族のうち戦争で夫を亡くされた寡婦の方々は、今日平均年齢で86.8歳になります。女性の平均寿命(83歳)を超えてしまいました。また「公務扶助料」という、遺族に対する給付を受けている人(寡婦の方が大半)の数は、昭和57(1982)年当時154万人を数えました。それが平成17(2005)年には15万人と、10分の1以下になっています。
戦友の方たちの人口は、恩給受給者の数からわかります。こちらも、ピークだった昭和44(1969)年に283万人を数えたものが、平成17年には121万人と、半分以下になっています。
靖国神社は、「氏子」という、代を継いで続いていく支持母体をもちません。「カスタマー」はご遺族、戦友とその近親者や知友だけですから、平和な時代が続けば続くほど、細っていく運命にあります。ここが一般の神社との大きな違いの一つです。
靖国は個人や法人からの奉賛金(寄付金)を主な財源としていますが、以上のような状況を正確に反映し、現在の年予算は20年ほど前に比較し3分の1程度に減ってしまっているとも聞きます。
戦後日本国家は、戦死者慰霊という国家のになうべき事業を民営化した結果、その事業自体をいわば自然消滅させる路線に放置したのだと言って過言ではありません。政府は無責任のそしりを免れないでしょう。
このことを、靖国神社の立場に立って考えるとどう言えるでしょうか。「カスタマー」が減り続け、「ジリ貧」となるのは明々白々ですから、「生き残り」を賭けた「ターンアラウンド(事業再生)」が必要だということになりはしないでしょうか。
4. 解決策
以上に述べたところから明らかなように、山積する問題解決のためまず必要なのは、宗教法人でない靖国になることです。ただしその前に2点、触れておかねばなりません。
(1) 「招魂社」と「神社」
靖国神社は創立当初、「招魂社」といいました。創設の推進者だった長州藩の木戸孝允は、「招魂場」と呼んだそうです。「長州藩には蛤御門の戦いの直後から藩内に殉難者のための招魂場が次々につくられ、最終的にはその数二十二に達した」(村松剛「靖国神社を宗教機関といえるか」)といいます。
このような経緯に明らかなとおり、靖国神社は、古事記や日本書紀に出てくる伝承の神々を祀る本来の神社ではありません。いま靖国神社の変遷や歴史に触れるゆとりはありませんが、設立趣旨、経緯から、靖国は神社本庁に属したことがありません。伊勢神宮以下、全国に約8万を数える神社を束ねるのが神社本庁です。靖国はこれに属しないどころか、戦前は陸海軍省が共同で管理する施設でした。また靖国の宮司も、いわゆる神官ではありません。
(2) 護国神社と靖国神社
第二に触れておかねばならないのは、上のような設立の経緯、施設の性格、またこれまで述べてきた現状の問題点を含め、護国神社には靖国神社とまったく同じものがあるということです。靖国神社が変わろうとする場合、全国に52社を数える護国神社と一体で行うことが、論理的にも実際的にも適当です。
(3) 任意解散から
それでは靖国が宗教法人でなくなるため、まず何をすべきでしょうか。これには任意解散手続き以外あり得ません。既述のとおり、宗教法人に対しては外部の人が何かを強制することなどできないからです。また任意解散手続きは、護国神社と一体である必要があります。
言うまでもなくこのプロセスは、靖国神社(と各地護国神社)の自発性のみによって進められるものです。
(4) 最終的には設置法に基づく特殊法人に
その後の移行過程には、いったん「財団法人」の形態を取るなどいくつかの方法があり得ます。ここは今後、議論を要する点ですが、最終的には設置法をつくり、それに基づく特殊法人とすることとします。
名称は、例えば「国立追悼施設靖国社(招魂社)」。このようにして非宗教法人化した靖国は、今までの比喩を使うなら、戦死者追悼事業を再び「国営化」した姿になります。宗教法人から特殊法人へという変化に実質をもたせるため、祭式を非宗教的・伝統的なものにします。これは実質上、靖国神社が「招魂社」といった本来の姿に回帰することにほかなりません。各地の護国神社は、靖国社の支部として再出発することになります。
なお設置法には、組織目的(慰霊対象)、自主性の尊重(次項参照)、寄付行為に対する税制上の特例などを含める必要があるでしょう。
(5) 赤十字が参考に
この際参考になるのが、日本赤十字社の前例です。日赤は靖国神社と同様、戦時中に陸海軍省の共管下にありました。母子保護・伝染病予防といった平時の事業は脇に置かれ、戦時救済事業を旨としました。講和条約調印後に改めて立法措置(日赤法)をとり、元の姿に戻すとともに、「自主性の尊重」が条文(第3条)に盛り込まれた経緯があります。
(6) 財源には利用できるものあり
併せて靖国社の財源を安定させる必要があります。このため利用できるのが、例えば独立行政法人平和祈念事業特別基金のうち、国庫返納分として議論されている分です。
平和祈念事業特別基金とは、「旧軍人軍属であって年金たる恩給又は旧軍人軍属としての在職に関連する年金たる給付を受ける権利を有しない方」や、旧ソ連によって強制抑留された帰還した方などの労苦を偲ぶためなどを目的とし、「新宿住友ビル」にある「平和祈念展示資料館」の運営や、関係者の慰労を事業とするため、国が400億円を出資し昭和63(1988)年に設けたものです。資本金のうち半分に当たる200億円は、国庫に返納されることが議論されています。
これを全部、または半分程度靖国社の財産とすることで、靖国の財政を安定させることができるでしょう。また靖国を支えてきた財団法人日本遺族会は、公益法人制度の改革を受け新たにつくられるカテゴリーの「公益財団法人」として公益性を認め、こちらの基盤も安定を図ります。直接の支持母体である「靖国神社崇敬奉賛会」は、そのまま存続させればいいと思います。
(7) 慰霊対象と遊就館
それではいったい、どういう人々を慰霊対象とすべきなのか。周知のとおり、ここは靖国を現在もっぱら政治化している論点にかかわります。だからこそ、あいまいな決着は望ましくありません。「靖国を非政治化し、静謐な鎮魂の場とする」という原則に照らし、靖国社設置法を論じる国会が、国民の代表としての責任にかけて論議を尽くしたうえ、決断すべきものと考えます。
注意していただきたいのは、この時点で、宗教法人としての靖国神社は既に任意解散を終えているか、その手続きの途上であるか、あるいはまた過渡期の形態として、財団法人になっているかしていることです。すなわち慰霊対象の特定、再認定に当たり、「教義」は既に唯一の判断基準ではなくなっています。
さらに靖国神社付設の「遊就館」は、その性質などにかんがみ行政府内に、その管理と運営を移すべきだと考えます。その後展示方法をどうすべきかなどの論点は、繰り返しますがこのペーパーで最初に述べた「原点」に立ち戻りつつ、考えられるべきです。
5. 最後に
ここまでを整えるのに、何年も費やすべきではありません。このペーパーで述べてきた諸般の事情から、靖国神社は極めて政治化された場所となってしまっており、靖国に祀られた246万6000余の御霊とそのご遺族にとって一日とて休まる日はないからです。
政治の責任として以上の手続きを踏んだあかつき、天皇陛下には心安らかに、お参りをしていただけることでしょう。英霊は、そのとき初めて安堵の息をつくことができます。
中国や韓国を含め、諸外国首脳の方々にとっても、もはや参拝を拒まなければならない理由はなくなっています。ぜひ靖国へお越しいただき、変転常なかった近代をともに偲んでもらいたいものです。
日本の軍国主義を煽り、戦争を正当化した靖国神社を国営化したら、国内外からの反発は半端じゃないだろう。いくら財源が20年前の三分の一になってしまったからといって、国営化しようというのは無理がある。本当に靖国神社を日本中、又世界中の人から愛されるものにしたいなら、ドイツのベルリンにあるノイエ・ヴァッへ(国立中央戦争犠牲者追悼所)のように、国家による追悼が戦争の肯定ではなく、否定に結びつくものでなくてはならない。又、その死者を「英雄」としてではなく、「犠牲者」として追悼するべきだろう。
最後に靖国問題の解決法を私の愛読書、高橋哲哉の『靖国問題』から引用させていただく。
一、政教分離を徹底することによって、「国家機関」としての靖国神社を名実ともに廃止すること。首相や天皇の参拝など国家と神社の癒着を完全に絶つこと。
一、靖国神社の信教の自由を保障するのは当然であるが、合祀取り下げを求める内外の遺族の要求には靖国神社が応じること。それぞれの仕方で追悼したいという遺族の権利を、自らの信教の自由の名の下に侵害することは許されない。
(中略)
一、近代日本のすべての対外戦争を正戦であったと考える得意な歴史観(遊就館の展示がそれを表現している)は、自由な言論によって克服されるべきである。
一、「第二の靖国」の出現を防ぐには、憲法の「不戦の誓い」を担保する脱軍事化に向けた普段の努力が必要である。
安倍晋三「次の総理も、そしてその次の総理も、当然 お参りをしていただきたい」(You Tube)
安倍のヨイショもここまでくると吐き気がしてくるぅ。
2006.07.26 (Wed)
TBSが安倍の政治生命を傷つけたって?

↑のバナーをクリックするといつでもYou Tube 大辞典に飛ぶことができる。そして、このYou Tube 大辞典というのが、これまたすごい!日本の歌手からアニメ、テレビ番組、バラエティ番組、格闘技までなんでも揃っており、その上、リクエストも受け付けてくれているようだ。
贅沢を言えば、もう少し、政治関係のテレビ番組があったら、嬉しいな。今日のニュースで、「TBSがおわび、安倍長官と旧731部隊一緒に放映」(Asahi.com 2006年07月26日13時07分)の中にあったTBSの「イブニングニュース」が面白そうなので、リクエストしてみよっか。
TBSは26日、同社の報道番組「イブニングニュース」が21日の放送で旧日本軍731部隊の映像を扱った特集の一部に安倍官房長官の写真パネルが数秒間映っていたと発表したうえで、「意図的ではないが、おわび申し上げます」とする談話を出した。安倍長官は26日午前の記者会見で「私の政治生命を傷つけようということであれば大変大きな問題だ」と語り、総務省の調査結果を待つ考えを示した。
TBSは経緯について「部屋の中にあった、別の番組で使用した安倍長官の写真がはられた小道具が映ってしまった」と説明している。総務省は25日夜までに関係者からの指摘を受け、事実関係の確認に着手しており、今後、電波法や放送法で規定する公平性に問題がなかったかTBSに報告を求める方針だ。
安倍長官は会見で「総務省の調査の結果を待ちたい」としたうえで、「私もビデオを見て、ちょっと驚いた。もし意図的になされたものであるとすると、ちょっと恐ろしい。私もそうした動きに対して戦ってきたが、意図的なものではないと信じたい」と語った。
TBS広報部のコメント 「ニュース内容とは関係のない写真パネルが映し出されたことについては、決して意図的なものではありませんでした。しかしながら報道の趣旨とは全く無関係な方々にご迷惑をおかけしたことにつきましておわび申し上げます」
安倍壷三、かなりご立腹でいらっしゃる様子(笑)。安倍の祖父であったなんちゃってA級戦犯岸信介と七三一部隊(ウィキペディア)にはアメリカの意図により東京裁判で裁かれなかったという共通点があり、全く無関係とは言えないかも。まあ、安倍が総理になったら又こんなことが繰り返されるかもという暗示を視聴者に与えてしまった可能性はあるかも。TBSもさりげなく素敵な仕打ちができる放送局だったのねぇ(はあと)。
明日の続きでは731部隊についてもう少し詳しく書いてみたい。
追記:
『Here There and Everywhere』の
【 TBSがまたやった~安倍長官と旧731部隊一緒に放映~ 】にTBSのイブニングニュースのYou Tubeがあったんだけど、すでに見られなくなってしまっている。でも、肝心な部分の写真は見られるようだ。
その後、「20060727 ズームイン新聞のミカタ辛坊 TBS安倍と旧731部隊関連付け」を追加してくださったようだ。

↑『Here There and Everywhere』より
2006.07.21 (Fri)
靖国A級戦犯合祀問題:靖国参拝は首相を辞任して行け!

少し前にKojitakenさんが 「靖国神社と昭和天皇」という記事の中で問題提起していた「昭和天皇が激怒していたA級戦犯合祀」について、天皇のメモが宮内庁で見つかったことがわかったそうで、「昭和天皇が不快感 靖国神社のA級戦犯合祀」という東京新聞の記事(7月20日付け)にNikkei Netより詳しく元宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)のメモ(上写真)と共に取り上げられている。
A級戦犯の合祀問題をより深く歴史的に検証したいなら、『Nozumu.net』の「A級戦犯合祀は自らやめるべきである」(7月20日改)がお薦め。靖国神社の起源から始まってA級戦犯合祀がもたらした代償に至るまでとても詳しく書かれている。

これに対して、昭和天皇メモ:小泉首相「靖国参拝に影響ありません」という毎日新聞の記事によると、語彙力が少ないせいか、小泉は昭和天皇が靖国参拝しなかったことも自分が参拝することもただ「心の問題だから」で片付けており、インタビュアーやこの記事を読む人にこのふてくされた写真と共に不快感を与えている。こういったときこそ、国民に対して、天皇のメモがなぜ靖国参拝に影響がないのか説明するべきだろう。
又、小泉は、この記事のコメントの中で、
>一宗教法人に対して、あああるべきだ、こうあるべきだと政府としては言わないほうがいい。議論は結構です。
という発言によって、靖国神社が宗教法人であることを認めている。自分では私人として訪問といっているわりに、公用車や秘書を伴って派手に靖国神社を訪問していることから、首相として公式に訪問しているに等しい。つまり「宗教法人」である靖国が国と特別の関係に入ることを禁じる日本国憲法第20条の「政教分離」規定に対する違憲行為をどうどうと行っていることになる。
さらに、少し前に『tsurezure-daiary』のおこじょさんに紹介していただいたAsahiの英字新聞の記事"POINT OF VIEW/ Paul Giarra; Shrine visits become America's problem, too"には、ABCやTBSで取り上げられたハイド氏の発言が言及されており、小泉の靖国参拝がアメリカにとっても大きな問題になっていることが書かれている。
小泉に右へ倣えと言う感じで、この件についてコメントを求められても、逃げるばかりで全く自分の考えを国民に伝えようとしない安倍信三は、卑怯この上ない。こんなときこそはっきりと自分の意見を言うのが次期首相候補たるものではないか?総裁選に靖国は関係ないと言っているわりに小泉も安倍もこの問題をあまり語ろうとせず、「心の問題」で逃げ切ろうというその態度は情けなさ過ぎる。安倍も小泉もそんなに靖国参拝がしたいのなら、、Kamayanが訴えているように、辞職してから参拝してくれ!
支離滅裂なことを語り始めた小泉首相 『森田実の言わねばならぬ』(2006.6.29)が私や首相の靖国参拝に反対する人々の言いたいことを代弁してくれている。
それにしても、こんな事件が起こるなんて、ただの脅しだろうけど、大事にいたらなかったからよかったようなものの、暴力で言論の自由を封鎖するような手段は厳重に注意されなければならない。
日経新聞本社に火炎瓶 昭和天皇発言報道関連か [ 07月21日 10時10分 ]
21日午前2時15分ごろ、東京都千代田区大手町、日本経済新聞社東京本社の社員通用口前に、ミニバイクに乗った男が火炎瓶のようなものを投げ付けた。建物に被害はなく、けが人もなかった。
日経新聞は20日付朝刊で、昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を表す発言をしていたことを示すメモの存在について報道。警視庁は報道との関連も捜査する。
調べでは、現場には瓶の破片やガソリンのような液体が散乱していた。ガソリンを入れた瓶の口に布を差し込み、火を付けて投げたとみられる。
これから、この天皇のメモの件は、首相による靖国参拝やA級戦犯を分祀できるかどうかの議論に発展していくだろうと思う。次回はそのことについて書いてみたい。
2006.07.04 (Tue)
安倍は靖国参拝を公私混同している
みにーさん、はじめまして。
私はイリノイ州在住で米大手企業に勤める中年サラリーマンです。私も趣味で中学の国語を教えていたことがあります。
さて安倍さんのアンタイキャンペーンを頼もしく読ませていただきました。一見ソフトで容姿もいいので人気が高い安倍さんですが、中身は、みにーさんご指摘の通り、相当に軍国的だと思います。残念なことに対抗馬がイマイチ魅力がないこともあって、このまま次期首相になる公算が高いでしょうねえ。
でもご安心を。安倍政権はそう長くは続かないと見ます。というのは中韓との関係が一層悪化し、アジアでの主導権を完全に中国に奪われ、一方で決断力のない安倍氏のもと小泉改革は大きく減速し、安倍さんの支持率は急降下すると思うからです。そうなれば次の参院選で自民党が敗北し安倍さんは責任をとって降板となる。っとなって欲しい。
靖国神社の最大の問題点は、私はやはりA級戦犯の合祀だと思います。それは中韓に対してどうのという対外的観点ではなくて、A級戦犯は、太平洋戦争で「生きて敵に捕まってはならぬ」と国民に自決を命じ、結局三百万人もの国民を死なせておいて、自ら生きて敵の捕虜となった国賊、亡国の徒だと思うからです。彼らが全責任を一身に負う覚悟で沖縄戦の前に降伏するという決断をしていれば確か百万人位の命が救われたのです。なぜそんな無能で無責任な指導者達を崇めなければならないのかが日本人として全く理解できません。私のこの意見はもう何年も前から思っていることですが、先日民主党の小沢さんが同じことを語っていたのに驚きました。私は別に民主党支持者でも小沢支持者でもありませんがね。むしろ二大政党が時々政権交代をするのが望ましいと思っており、自分自身固定観念を持たずに政権を見つめていこうと思います。
今後のご活躍をお祈りしています。
Aja
靖国問題はかなり奥の深い問題で、政府によって意図的に隠された事実を知らないことには、語れない。政府が国民に誤った歴史の認識を植えつけようとしていることは、問題にしなくてはならないと思う。Ajaさんのコメントにあるように、数多くの日本人兵士までを侮ったA級戦犯の行為は許しがたいものがあり、その霊が祀られている靖国を首相が参拝するなんて、中韓への影響を抜かして考えても日本人に対する冒涜ではないだろうか。
又、『きまぐれな日々』のKojitakenさんの「今日は支離滅裂に」という記事でも面白い発見があった。
直前にAbEndにTBされている美爾依さんの「カナダde日本語」の記事は、靖国神社の問題を取り上げているが、私見では国家神道こそカルト宗教の極致だ。国家神道は、日本の伝統的な神道とは何の関係もなく、明治政府が勝手にでっち上げたものだ。安倍は、天皇が靖国に参拝すべきだとほざいているらしいが、1978年にA級戦犯が靖国に合祀されたことを知って激怒した昭和天皇が、以後靖国への参拝を取りやめたことを安倍は知らないのだろうか。ましてや、戦犯の疑いのある昭和天皇と違って、今上天皇は平和愛好者なのだ。天皇が靖国に参拝すべきだなどとほざくA級戦犯の孫に対し、天皇はどう思っておられるのだろうか。本音をお聞きしたいものだと思う。
さて、A級戦犯であったにもかかわらず、アメリカによって命拾いした祖父を持つ安倍にとって、靖国神社参拝を支持するのは当然のことだろう。靖国には、祖父の代わりに死んでいった祖父の戦友が眠っているのだ。しかし、そういった公私混同した政治家が日本を代表する総理になった場合、さまざまな弊害が生じることを国民は覚悟しなければならない。昭和天皇さえもが激怒したA級戦犯が合祀されている靖国参拝をなおも続行しようというこのおろかな行為こそ、多くの日本国民を初め、近隣諸国や将来はアメリカまでをも敵にまわすことになるであろう。
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追記:
『tsurezure-diary』のおこじょさんにとても参考になる朝日の英字新聞の記事"POINT OF VIEW/ Paul Giarra; Shrine visits become America's problem, too"(06/24/2006)の情報とコメントをいただいた。きっとTBSやABCで取り上げられて話題になった小泉をアメリカ議会でスピーチさせるのに反対したというハイド氏の主張はこの記事から引用されたのだろう。
こんにちは。
首相の靖国参拝はアメリカにとっても迷惑らしいです。
http://www.asahi.com/english/Herald-asahi/TKY200606240132.html
日本が靖国史観に染まるのはmoral declineだそうで。
| 2006-07-05 |
おこじょ
2006.07.03 (Mon)
安倍の靖国参拝に対する愚考

『きっこのブログ』「祖父の代から売国奴」はとても力強く、国民の怒りをうまく表現していた。安倍が大嫌いなきっこちゃんもきっとAbEndキャンペーンに賛同してくれるだろう。
私がAbEndキャンペーンを通して安倍が総理になることに反対している理由は数え切れないほどたくさんあるけど、その中でも靖国神社参拝は大きな理由の一つだ。なぜかというと一国の主である首相が靖国参拝することは、かつての日本の侵略戦争を正当化し、日本軍国主義の復活を強く肯定していると近隣諸国にとらえられかねないからだ。植民地支配のための略奪戦争を栄光の戦争として顕彰し、A級戦犯も含めた靖国神社の「英霊」たちを、「尊い犠牲」として祀っているのだ。そして、首相が靖国を参拝することは、戦争で家族を亡くされた遺族の方々にさえも不快感を与えるのだ。
おまけに靖国神社に祭られているのは、日本人戦死者だけでなく、アジア・太平洋戦争が激化するにつれて、朝鮮、台湾から日本軍の軍人軍属として半ば強制的に戦時動員された約5万人の旧植民地出身者も含まれており、殖民地支配と弾圧の加害者として戦死した日本人とまったく同格の「護国の神」として合祀されている。日本軍の軍人軍属として戦時動員された旧植民地出身者の慰霊や遺族の気持ちを考えたら、いてもたってもいられなくなる。故郷から遠く離れ、異民族の宗教である靖国神社に勝手に合祀されて、とても気の毒だ。自分の家族くらい好きなところに埋葬してあげたいと思うのは当然の気持ちだろう。
そんな中、安倍はよせばいいのに、靖国参拝について又救いようのないコメントをした。
安倍氏、靖国参拝「信仰の自由、国民の一致した考え」2006年07月04日13時07分
安倍官房長官は4日の記者会見で、首相の靖国神社参拝で首脳外交が滞っている中国を民主党の小沢代表が訪問していることについて「(9月の自民党総裁選への)影響はないだろう。国のために戦った方々に対する慰霊の気持ち、信仰の自由、良心の自由が侵されることがあってはならないというのが日本国民の一致した考えではないか」と述べ、中国による靖国神社参拝の中止要求を牽制(けんせい)した。
安倍氏はさらに、「自由と民主主義、基本的人権、法律の支配という価値を持つ国々に共通する考え方だ」と強調。「問題があるからこそ(首脳会談で)意見を述べ合い、違いを認め合うことが成熟した国家の関係ではないか」と述べ、中国の対応を批判した。
何度も言うが、民間の一個人が戦争で亡くなった方々を靖国神社にお参りするのは全然問題ないのは言うまでもないが、首相が参拝するとなると話は全く違ってくる。それは、私人から、公人に変わると、一変してその影響力が高まるからだ。
↑の安倍の発言は、そんな遺族達が起こした靖国参拝訴訟の最近の判決結果「靖国参拝訴訟:最高裁、憲法判断示さず 原告敗訴が確定」(毎日新聞 2006年6月24日 2時57分)を受けてのものだろうが、この判決は腑に落ちなかった。この裁判での今井功裁判長の判決は、首相による参拝が合憲か違憲かの憲法判断を見送っただけではなく、参拝が私的か公的かの判断を示さないまま、原告側の敗訴が確定したもので、私の目には、最もはっきりさせないとならない部分である憲法判断を放棄しており、中途半端に映った。ただ、逆に言えば、首相参拝が合憲と判断されたわけでもないので、小泉や安倍はそこのところ勘違いしないで欲しい。
「政教分離」規定によれば、特定の宗教団体、つまり、靖国神社のような「宗教法人」が国と特別の関係に入ることは、法律で禁じられている。故に首相の靖国神社公式参拝は、過去に何度も日本の司法によって違憲と断じられているのだ。過去の靖国参拝訴訟の判決、並びに判決に対する各新聞社の記事は、『誰かの妄想』の「靖国参拝訴訟 最高裁判決」が詳しい。
首相の靖国神社公式参拝訴訟の中で最も明確に違憲とされたのは、1991年1月10日の岩手靖国訴訟・先代高裁判決においてであり、次のような判決が下った。『靖国問題』高橋哲哉 ちくま新書(2005)p.105より
天皇、内閣総理大臣の靖国神社公式参拝は、その目的が宗教的意義をもち、その行為の態様からみて国又はその機関として特定の宗教への関心を呼び起こす行為というべきであり、しかも、公的視覚においてなされる右公式参拝がもたらす直接的、顕在的な影響及び将来予想される間接的、潜在的な動向を総合考慮すれば、公式参拝における国と宗教法人靖国神社との宗教上のかかわり合いは、わが国の憲法の拠って立つ政教分離原則に照らし、相当とされる限度を超えるものと断定せざるをえない。
したがって、右公式参拝は、憲法20条3項が禁止する宗教的活動に該当する違憲な行為といわなければならない。
[中略]
天皇の公式参拝は、内閣総理大臣のそれとは比べられないほど、政教分離の原則との関係において国家社会に計り知れない影響を及ぼすであろうことが容易に推測されるところである。
少し前に麻生が首相どころか天皇が靖国を参拝するべきだと言ったのを覚えていらっしゃる方も多いと思うが、上の判決を読めば麻生がいかに無知で恐ろしい思想の持ち主であるかがよくわかるであろう。麻生とは遠い親戚関係にある安倍も政教分離の意味がよくわかっていないようで、故に将来、安倍と癒着する統一協会の資金によって支援される政党が誕生し、創価学会と公明党のような関係を築き上げる可能性すらある。この安倍の発言は、右翼の代表者としてなら認められるが、一国の次期総理大臣候補としては、あまりにも無教養で自国中心的な考えが過ぎる。この一言が中国や韓国に日本に対してどれだけ不快感を与え、反感を煽ったか本人はまだ気づいていないようだが、今後こんな奴が首相になって失言を繰り返したらと想像するだけで、気が滅入ってしまう。
改めてAbEnd!安倍が総理になる前にThe Endさせなくてはならない。
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