2012.04.16 (Mon)
福井県庁前で枝野に帰れコール
14日に関西電力大飯原子力発電所の運転再開に理解を求めるため、福井県庁を訪れた「えだNO」に市民から帰れコールが炸裂した。このところ、相手によって言うことをコロコロと毎日のように変えて、まるで精神不安定剤でも飲んだかのような陰気な顔つきの男が経済産業省の大臣だというのだから、日本の閣僚の質もかなり落ちたものだ。最も官僚にとっては、なんでも言うことを聞いて、これまでも何が起こっても「ただちに影響はない。」と顔色一つ変えずに国民を騙し続けてきたこのような人物がかえって重宝するのだろう。
この犯罪者「えだNO」を官僚と共に裏で操るのが、仙谷由人である。一時おとなしくしているので安心していたら、最近では民主党内外で原子力村からの指令を受けて忙しそうに動き回っているではないか。14日にも野田と共に福井入りし、大飯原発再稼動に向けて地元議員に根回ししたそうだ。
野田内閣の幹部らの中でも特に原子力村からの支援を受けている悪魔の落とし子である野田、枝野、岡田、仙谷、細野は、次期選挙で必ず落選させなければならない。原子力総連などの政治団体から資金提供を受けた民主党議員は下記の通り(Facebookより)。

経産省からのエネルギー団体への天下りも目に余る。

福井県庁前:大飯原発再稼働反対「枝野は帰れ!えだNO!」
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2012.02.07 (Tue)
原発国民投票にブチキレた池田信夫が山本太郎攻撃か
さて、悪名高き原子力村の広報担当者の一人でもある池田信夫こと池田のブーが、山本太郎氏が積極的に全国で進めている原発国民投票により、原発の維持が危うい状態になりつつあるのに狂乱し、山本太郎攻撃を始めた。しかしながら、その攻撃の仕方があまりにも的外れなので、ここに晒してみようと思う。ちなみに、原発国民投票は、大阪に次ぎ、ついに東京でも、今日、法定数を突破した。
『池田信夫blog part2』より
トリックスターとしての山本太郎
原発事故のあと反原発運動が盛り上がるのはどこの国でも同じだが、日本の特徴は「子供を守る母親の心」とか「金より命を大事にする」といった心情的なスローガンが多いことだ。その典型が、今や反原発運動のアイコンとなった山本太郎である。
彼の著書は「脱原発で仕事を干された」といった自分の話ばかりで、低線量被曝のリスクなどの事実には関心がない。原発は無限に危険で放射能はゼロにすべきなのだから、そのリスクなんてどうでもいいのだ。これは「放射線のリスクはわからないが原発が危険だということだけはわかる」と主張する安富歩氏と同じだが、山本のほうが余計な理屈がないだけわかりやすい。
山本は、丸山眞男のいう「古層」的な思考様式が現代の日本に生きている貴重な標本である。丸山は日本の古代的な規範の特徴として「集団的功利主義」と「心情の純粋性」をあげた。
集団的功利主義とは西洋的な個人ベースの功利主義ではなく、共同体の「吉凶」を基準にして善悪を決める規範である。ここでは共同体がケガレによって汚染されるのをハライ・キヨメで浄化することが儀式の役割だ。μSvの放射線のケガレを忌避して瓦礫の受け入れを拒否する自治体に対しては、さすがに河野太郎氏も「震災がれきの受け入れに賛成する」と表明したが、ツイッターの反響は「裏切り者!」といったRTで埋まっている。
心情の純粋性は、山本太郎の唯一の売り物だ。仕事を干されたことが純粋さの証明になり、目的の合理性は問われない。共同体をハライ・キヨメで浄化するためには、その儀式を行う祭司の心が純粋でなければならないので、これが内面化されるとキヨキココロを尊重する美意識が生まれる。原発問題でも、環境保護の社会的費用を考える人々は「御用学者」とか「原子力村」といったレッテルを貼られ、不純なクラキココロとされる。
こうした心情の純粋性を重んじる日本的情緒は、時として結果を無視した心情の暴走をまねく、と丸山は指摘した。その典型が、天皇親政を求めてクーデタを起こした皇道派青年将校である。五・一五事件では首相を暗殺するという重大な犯罪にもかかわらず、117万人が犯人の助命嘆願をした。そういう「空気」が、ますます青年将校のヒロイズムを高め、二・二六事件から戦争へとつながった。
これは山本七平の指摘した「空気」の支配と似ている。客観的リスクを無視して「PCBが有害でなくても気持ち悪いからゼロにしろ」とか「ダイオキシンはどんな微量でも有害だから全国のゴミ焼却炉を廃棄しろ」とか「できるかできないか考えないで原発をゼロにしよう」という朝日新聞のような心情倫理が、日本人には広く支持を受けるのだ。
イデオロギー的には逆の立場だった丸山と山本が、ほとんど同じことを指摘しているのは興味深い。このような心情の暴走が起こる原因も、彼らが共通に指摘するように目的合理性の欠如である。それは対外的な戦争が少なく、共同体の秩序を維持することがもっとも重要だった日本の特殊性によるものだろう。身内の融和を守るために対外的な戦力を犠牲にするような部族は、中東のような地域では淘汰されてしまうが、日本はそういう経験をしたことがなかった。
戦後の「革新陣営」も、こうした心情の純粋性に依拠していた。それは決して権力をとらず、結果責任を問われないことを前提にした「甘え」である。さすがに福島みずほ氏のように古典的な空想的社会主義は支持を失ったが、結果を考えないできれいごとを主張する「平和ボケ」は、反原発運動に受け継がれている。山本太郎は、こうした日本の伝統を象徴するトリックスターである。
早い話が、天皇親政を求めてクーデタを起こした皇道派青年将校と山本太郎氏をダブらせ、心情の純粋性が心情の暴走をまねき、戦争を引き起こすこともあるということを言いたいようだが、比べる対象がまったく頓珍漢で笑わせてくれる。青年将校は、首相を暗殺した凶暴な殺人犯であるのに対し、山本太郎氏は、世界から原発をなくそうと訴え、活動している平和思考の芸能人である。人々が山本氏を支持したからといって、戦争が起こるはずがない。
又、「結果を考えないできれいごとを主張する「平和ボケ」は、反原発運動に受け継がれている。」などとまがりなりにも教育者たるものが発言するべきではない。このような発言をする教授から教育を受けたいと思う生徒がいたら、驚きだ。反原発はきれいごとで済まされるようなことではなく、「平和ボケ」でもない。原発を維持することによって、現実的に日本の将来に起こることを危惧するからこそ、原発に反対しているのだ。原発の被害を過小評価し、安全神話で国民を騙す原発推進派のほうがよほど、「結果を考えないできれいごとを主張する「平和ボケ」ではないか。

Trickster(Wikipedia)
以下、中には、池田のブー崇拝者も若干名いるようだが、「命より金を大事にする」池田のブーの陳腐な記事に対するコメントが記事とは対照的にすばらしかったので紹介する。