2006.08.14 (Mon)
首相の靖国参拝 その3
それでは、昨日書いたとおり、日本の官僚3馬鹿トリオの一人、麻生太郎の靖国問題に対する私見について書いてみようと思う。麻生の私見である「靖国に弥栄(いやさか)あれ」(麻生太郎オフィシャル・ウェブサイトより)の批判の後、高橋哲哉氏の『靖国問題』の解決法を引用したい。最後にこんな議論はどこ吹く風、「安倍晋三「次の総理も、そしてその次の総理も、当然 お参りをしていただきたい」」のYouTube動画を紹介。
この私見で、麻生太郎がとてもうまく自分の意見を表現しようとしているのが伝わってきて、好感が持てたのだが、内容がとんでもないのが残念だった(笑)。天皇や首相が靖国を参拝しやすくするために、又、靖国社の財源を安定させるために靖国を国営化する、という考えはあまりにも右に片寄りすぎていて受け入れるのが難しいということだ。この問題をただただ避けてまわっている安倍に比べたらどんな意見だろうが、こうして自分の意見を堂々と述べる麻生は、ぜんぜんましだと思う。麻生の私見のどこがおかしいのか、ひとつづつ簡単に説明していこう。
1. 常に根と幹を忘れずに
靖国神社に関わる議論が盛んです。特定の人物を挙げ、「分祀」の必要を言う人があります。国会議員にそれを主張する人が少なくありません。わたしに言わせれば、これは根や幹から問題を見ようとしない、倒錯した発想によるものです。
わたしは靖国神社についてものを言う場合、常に物事の本質、原点を忘れぬよう心がけて参りました。
それでは靖国問題で発言しようとするとき、忘れてならない根と幹とは、何でしょうか。
大事な順番に、箇条書きにしてみます。
A級戦犯分祀については、異論はない。靖国神社と遺族間の問題であり、私達がとやかく言う問題ではないと思う。1985年に中曽根総理が分祀しようとA級戦犯の遺族たちに東条英機の遺族の反対により実現できなかった。又、靖国神社によっても拒否された。遺族にしても靖国にしても戦勝国によって裁かれた東京裁判へのささやかな抵抗だったのではないか?
(1) 靖国神社が、やかましい議論の対象になったり、いわんや政治的取引材料になった りすることは、絶対にあってはならないことです。靖国は、戦いに命を投げ出した尊い御霊とご遺族にとって、とこしえの安息の場所です。厳(おごそ)かで静かな、安らぎの杜(もり)です。そのような場所で、靖国はあらねばなりません。
いかにすれば靖国を慰霊と安息の場とし、静謐(せいひつ)な祈りの場所として、保っていくことができるか。言い換えれば、時の政治から、無限に遠ざけておくことができるか――。
靖国にまつわるすべての議論は、いつもこの原点から出発するものでなければならないと考えます。論議が紛糾したり、立場の違いが鋭く露呈したような場合には、常にこの原点に立ち戻って考え直さなくてはなりません。
「いかにすれば靖国を慰霊と安息の場とし、静謐(せいひつ)な祈りの場所として、保っていくことができるか。言い換えれば、時の政治から、無限に遠ざけておくことができるか――。 」という問いかけだけして答えていないが、これは、首相が参拝を止めることによって簡単に静粛を取り戻せるのではないだろうか?
(2) 靖国神社にとって、「代替施設」はあり得ません。
このことは、靖国に「ないもの」と「あるもの」を考えることで、理解することができます。靖国には、遺灰とか遺骨といった、物理的な何かはありません。あるのは御霊という、スピリチュアルな、抽象的なものです。いやもっと言うと、そういうものが靖国にあるのだと思ってずっと生きてきた、日本人の「集合的記憶」です。
記憶には、誇るべきものがある半面、胸を張れないものもあることでしょう。しかし死者にまつわるものであるからには、総じて辛い、哀しいものです。それらすべて、一切合財を含む記憶の集積を、明治以来日本人は、靖国に見出してきました。これは引っこ抜いてよそへ持って行ったり、新しい場所に「存在するつもり」にしたりできないものです。つまり靖国には、代替施設はつくれません。
高浜虚子の有名な句に「去年今年 貫く棒の 如きもの」があります。この句に言う「棒の 如きもの」が、靖国にはあるのだと思っています。これを無くしたり、むげにしていると、ちょうど記憶を喪失した人が自分とは何者か分からなくなってしまうのと同じように、日本という国が、自分を見失い、碇を無くした船さながら、漂流してしまうと思います。
すっかり靖国には遺灰や遺骨があると思っていたのだが、実は「英霊」と呼ばれる御霊だけだったのか?靖国はそんなに大げさなものか?
(3) 上の(1)と(2)の土台にあるのは、国家のために尊い命を投げ出した人々に対し、国家は最高の栄誉をもって祀らねばならない、という普遍的な原則です。「普遍的な」というのは、これが国と国民の約束事として、世界中どこででも認められていることだからです。
国家とは、国民を戦場へ連れ出し、命を投げ出させる権力をもつ存在でした。だとすれば、国家の命に応じてかけがえのない命を捧げた人を、当の国家が最高の栄誉をもって祀らなければならないのは、最低限の約束事であり、自明の理です。戦後のわれわれには、この当たり前の理屈がピンと来なくなっているかもしれません。何度でも強調しないといけないゆえんです。
これこそが、靖国問題の原点になっている部分で、国民を戦場へ連れ出すために利用され、遺族の悲しみを喜びに変える錬金術にほかならなかった靖国に奉られた英霊は、今頃どんな気持ちで靖国に眠っているのだろうか?又、最高の栄誉をもって祀らなければならないとあるが、首相による参拝が英霊に対して、最高の栄誉を与えていることになるのか?もしそうだったら、それによってさまざまな問題を引き起こし、その度に大きな騒ぎになっていることを考えれば、(1)で述べていることと矛盾しているのではないだろうか?英霊が安らかな眠りにつくには、首相が参拝するべきではないということだ。
(4) 「天皇陛下、万歳」と叫んで死んだ幾万の将兵は、その言葉に万感の思いを託したことでしょう。天皇陛下の名にこと寄せつつ、実際には故郷の山河を思い起こし、妻や子を、親や兄弟を思っていたかもしれません。しかし確かなこととして、明治以来の日本人には、上の(3)で言った国家との約束事を、天皇陛下との約束として理解し、戦場で死に就いてきた経緯があります。
ですからわたしは、靖国に天皇陛下のご親拝あれかしと、強く念じているのです。
「天皇陛下、万歳」と言ったのは、戦時中にそう強制され、洗脳されたからであって、心からそう叫んで死んでいった将兵なんて無に等しいのではないか?又、爆弾発言をしているようだが、天皇が公式に靖国参拝したときの近隣諸国への影響力は、首相の比ではない。
2. いま、何をすべきか
この問いに対する答えは、もう明らかだと思います。靖国神社を可能な限り政治から遠ざけ(「非政治化」し)、静謐な、祈りの場所として、未来永劫保っていくことにほかなりません。わたしの立場は、靖国にその本来の姿へ復していただき、いつまでも栄えてほしいと考えるものです。世間の議論には、靖国を当座の政治目的にとって障害であるかに見て、なんとか差し障りのないものにしようとする傾向が感じられます。悲しいことですし、わたしとしてくみすることのできないものです。
だから、そのためには首相参拝をやめれば政治から遠ざけることができるし、静かな祈りの場として保つことができるのだ。
3. 現状の問題点
ところが靖国を元の姿に戻そうとすると、たちまち問題点にぶつかります。それは煎じ詰めると、靖国神社が宗教法人であるという点にかかわってきます。少し説明してみます。
(1) 政教分離原則との関係
靖国が宗教法人であり続ける限り、政教分離原則との関係が常に問題となります。実は政治家であるわたしがこのように靖国について議論することさえ、厳密に言うとこの原則との関係で問題なしとしません。まして政治家が靖国に祀られた誰彼を「分祀すべし」と言うなどは、宗教法人に対する介入として厳に慎むべきことです。
靖国神社が宗教法人である限り、総理や閣僚が参拝する度に、「公人・政治家としての訪問か、私的な個人としての参拝か」という、例の問いを投げかけられます。政教分離原則との関係を問われ、その結果、本来鎮魂の行為であるものが、新聞の見出しになってしまいます。つまり靖国がその志に反し、やかましい、それ自体政治的な場所となってしまった理由の過半は、靖国神社が宗教法人だというところに求められるのです。
これでは、靖国はいつまでたっても静かな安息と慰霊の場所になることができません。このような状態に最も悲しんでいるのは靖国に祀られた戦死者でしょうし、そのご遺族であることでしょう。そして靖国をそんな状態に長らく放置した政治家の責任こそは、厳しく問われねばならないと考えます。
(2)戦死者慰霊の「民営化」をした弊害
本来国家がなすべき戦死者慰霊という仕事を、戦後日本は靖国神社という一宗教法人に、いわば丸投げしてしまいました。宗教法人とはすなわち民間団体ですから、「民営化(プライバタイゼーション)」したのだと言うことができます。
その結果、靖国神社は会社や学校と同じ運命を辿らざるを得ないことになっています。顧客や学生が減ると、企業や大学は経営が苦しくなりますが、それと同じことが、靖国にも起きつつあるのです。
靖国神社にとっての「カスタマー(話を通りやすくするため、不謹慎のそしりを恐れずビジネス用語を使ってみます)」とは誰かというに、第一にはご遺族でしょう。それから戦友です。
ご遺族のうち戦争で夫を亡くされた寡婦の方々は、今日平均年齢で86.8歳になります。女性の平均寿命(83歳)を超えてしまいました。また「公務扶助料」という、遺族に対する給付を受けている人(寡婦の方が大半)の数は、昭和57(1982)年当時154万人を数えました。それが平成17(2005)年には15万人と、10分の1以下になっています。
戦友の方たちの人口は、恩給受給者の数からわかります。こちらも、ピークだった昭和44(1969)年に283万人を数えたものが、平成17年には121万人と、半分以下になっています。
靖国神社は、「氏子」という、代を継いで続いていく支持母体をもちません。「カスタマー」はご遺族、戦友とその近親者や知友だけですから、平和な時代が続けば続くほど、細っていく運命にあります。ここが一般の神社との大きな違いの一つです。
靖国は個人や法人からの奉賛金(寄付金)を主な財源としていますが、以上のような状況を正確に反映し、現在の年予算は20年ほど前に比較し3分の1程度に減ってしまっているとも聞きます。
戦後日本国家は、戦死者慰霊という国家のになうべき事業を民営化した結果、その事業自体をいわば自然消滅させる路線に放置したのだと言って過言ではありません。政府は無責任のそしりを免れないでしょう。
このことを、靖国神社の立場に立って考えるとどう言えるでしょうか。「カスタマー」が減り続け、「ジリ貧」となるのは明々白々ですから、「生き残り」を賭けた「ターンアラウンド(事業再生)」が必要だということになりはしないでしょうか。
4. 解決策
以上に述べたところから明らかなように、山積する問題解決のためまず必要なのは、宗教法人でない靖国になることです。ただしその前に2点、触れておかねばなりません。
(1) 「招魂社」と「神社」
靖国神社は創立当初、「招魂社」といいました。創設の推進者だった長州藩の木戸孝允は、「招魂場」と呼んだそうです。「長州藩には蛤御門の戦いの直後から藩内に殉難者のための招魂場が次々につくられ、最終的にはその数二十二に達した」(村松剛「靖国神社を宗教機関といえるか」)といいます。
このような経緯に明らかなとおり、靖国神社は、古事記や日本書紀に出てくる伝承の神々を祀る本来の神社ではありません。いま靖国神社の変遷や歴史に触れるゆとりはありませんが、設立趣旨、経緯から、靖国は神社本庁に属したことがありません。伊勢神宮以下、全国に約8万を数える神社を束ねるのが神社本庁です。靖国はこれに属しないどころか、戦前は陸海軍省が共同で管理する施設でした。また靖国の宮司も、いわゆる神官ではありません。
(2) 護国神社と靖国神社
第二に触れておかねばならないのは、上のような設立の経緯、施設の性格、またこれまで述べてきた現状の問題点を含め、護国神社には靖国神社とまったく同じものがあるということです。靖国神社が変わろうとする場合、全国に52社を数える護国神社と一体で行うことが、論理的にも実際的にも適当です。
(3) 任意解散から
それでは靖国が宗教法人でなくなるため、まず何をすべきでしょうか。これには任意解散手続き以外あり得ません。既述のとおり、宗教法人に対しては外部の人が何かを強制することなどできないからです。また任意解散手続きは、護国神社と一体である必要があります。
言うまでもなくこのプロセスは、靖国神社(と各地護国神社)の自発性のみによって進められるものです。
(4) 最終的には設置法に基づく特殊法人に
その後の移行過程には、いったん「財団法人」の形態を取るなどいくつかの方法があり得ます。ここは今後、議論を要する点ですが、最終的には設置法をつくり、それに基づく特殊法人とすることとします。
名称は、例えば「国立追悼施設靖国社(招魂社)」。このようにして非宗教法人化した靖国は、今までの比喩を使うなら、戦死者追悼事業を再び「国営化」した姿になります。宗教法人から特殊法人へという変化に実質をもたせるため、祭式を非宗教的・伝統的なものにします。これは実質上、靖国神社が「招魂社」といった本来の姿に回帰することにほかなりません。各地の護国神社は、靖国社の支部として再出発することになります。
なお設置法には、組織目的(慰霊対象)、自主性の尊重(次項参照)、寄付行為に対する税制上の特例などを含める必要があるでしょう。
(5) 赤十字が参考に
この際参考になるのが、日本赤十字社の前例です。日赤は靖国神社と同様、戦時中に陸海軍省の共管下にありました。母子保護・伝染病予防といった平時の事業は脇に置かれ、戦時救済事業を旨としました。講和条約調印後に改めて立法措置(日赤法)をとり、元の姿に戻すとともに、「自主性の尊重」が条文(第3条)に盛り込まれた経緯があります。
(6) 財源には利用できるものあり
併せて靖国社の財源を安定させる必要があります。このため利用できるのが、例えば独立行政法人平和祈念事業特別基金のうち、国庫返納分として議論されている分です。
平和祈念事業特別基金とは、「旧軍人軍属であって年金たる恩給又は旧軍人軍属としての在職に関連する年金たる給付を受ける権利を有しない方」や、旧ソ連によって強制抑留された帰還した方などの労苦を偲ぶためなどを目的とし、「新宿住友ビル」にある「平和祈念展示資料館」の運営や、関係者の慰労を事業とするため、国が400億円を出資し昭和63(1988)年に設けたものです。資本金のうち半分に当たる200億円は、国庫に返納されることが議論されています。
これを全部、または半分程度靖国社の財産とすることで、靖国の財政を安定させることができるでしょう。また靖国を支えてきた財団法人日本遺族会は、公益法人制度の改革を受け新たにつくられるカテゴリーの「公益財団法人」として公益性を認め、こちらの基盤も安定を図ります。直接の支持母体である「靖国神社崇敬奉賛会」は、そのまま存続させればいいと思います。
(7) 慰霊対象と遊就館
それではいったい、どういう人々を慰霊対象とすべきなのか。周知のとおり、ここは靖国を現在もっぱら政治化している論点にかかわります。だからこそ、あいまいな決着は望ましくありません。「靖国を非政治化し、静謐な鎮魂の場とする」という原則に照らし、靖国社設置法を論じる国会が、国民の代表としての責任にかけて論議を尽くしたうえ、決断すべきものと考えます。
注意していただきたいのは、この時点で、宗教法人としての靖国神社は既に任意解散を終えているか、その手続きの途上であるか、あるいはまた過渡期の形態として、財団法人になっているかしていることです。すなわち慰霊対象の特定、再認定に当たり、「教義」は既に唯一の判断基準ではなくなっています。
さらに靖国神社付設の「遊就館」は、その性質などにかんがみ行政府内に、その管理と運営を移すべきだと考えます。その後展示方法をどうすべきかなどの論点は、繰り返しますがこのペーパーで最初に述べた「原点」に立ち戻りつつ、考えられるべきです。
5. 最後に
ここまでを整えるのに、何年も費やすべきではありません。このペーパーで述べてきた諸般の事情から、靖国神社は極めて政治化された場所となってしまっており、靖国に祀られた246万6000余の御霊とそのご遺族にとって一日とて休まる日はないからです。
政治の責任として以上の手続きを踏んだあかつき、天皇陛下には心安らかに、お参りをしていただけることでしょう。英霊は、そのとき初めて安堵の息をつくことができます。
中国や韓国を含め、諸外国首脳の方々にとっても、もはや参拝を拒まなければならない理由はなくなっています。ぜひ靖国へお越しいただき、変転常なかった近代をともに偲んでもらいたいものです。
日本の軍国主義を煽り、戦争を正当化した靖国神社を国営化したら、国内外からの反発は半端じゃないだろう。いくら財源が20年前の三分の一になってしまったからといって、国営化しようというのは無理がある。本当に靖国神社を日本中、又世界中の人から愛されるものにしたいなら、ドイツのベルリンにあるノイエ・ヴァッへ(国立中央戦争犠牲者追悼所)のように、国家による追悼が戦争の肯定ではなく、否定に結びつくものでなくてはならない。又、その死者を「英雄」としてではなく、「犠牲者」として追悼するべきだろう。
最後に靖国問題の解決法を私の愛読書、高橋哲哉の『靖国問題』から引用させていただく。
一、政教分離を徹底することによって、「国家機関」としての靖国神社を名実ともに廃止すること。首相や天皇の参拝など国家と神社の癒着を完全に絶つこと。
一、靖国神社の信教の自由を保障するのは当然であるが、合祀取り下げを求める内外の遺族の要求には靖国神社が応じること。それぞれの仕方で追悼したいという遺族の権利を、自らの信教の自由の名の下に侵害することは許されない。
(中略)
一、近代日本のすべての対外戦争を正戦であったと考える得意な歴史観(遊就館の展示がそれを表現している)は、自由な言論によって克服されるべきである。
一、「第二の靖国」の出現を防ぐには、憲法の「不戦の誓い」を担保する脱軍事化に向けた普段の努力が必要である。
安倍晋三「次の総理も、そしてその次の総理も、当然 お参りをしていただきたい」(You Tube)
安倍のヨイショもここまでくると吐き気がしてくるぅ。