2008.04.26 (Sat)
このところアクセスが多いわけ
このところやたらとアクセスが多いなと思ったら、やっと今日その原因がわかった。光市母子殺害事件について「山口県・光市母子殺人事件: 世論が変わるとき」という記事を書いたときに、青山学院の瀬尾佳美准教授からTBをいただいたので、「光市母子殺人事件:本村洋氏の気持ちはわからぬではないが・・・」という記事を彼女の「光市母子殺害事件:元少年に死刑は重すぎる」という記事にTBを送ったんだけど、ナナナナナント!現在彼女のブログが炎上中なのだ。そのTBをたどってこのブログに来る人がすごく多いようで、ここ2,3日で2000件以上を記録している。昨日の彼女のブログへのアクセスは、一日のアクセス数ではこれまで見たこともないような数字で25万件、そして、今日はお昼前なのにすでに42万件を超えている。
これに関して昨日と今日いただいたコメントを読んでもまったく意味がわからなかったんだけど、産経新聞のニュースを読んでやっとわかったのだ。
4月24日付けコメント:
今大人気のブログの大人気な発言記事と絶賛トラバ中ですよね。
悪いことは言わないので、対処された方が…
http://okame21.blog87.fc2.com/blog-entry-109.html
「光市事件の死者は1.5人」 准教授の記述で青山大学長が謝罪4月25日22時33分配信 産経新聞
青学の教授だからといって、個人のHPに書いた意見について青学の学長が謝罪する必要があるのか?これが、大学のHPなら学長が出てきてもおかしくないが、どうして個人のHPに書いた内容を学長が責任をとらなくてはならないのだろうか。個人のHPに青学准教授と書いてあるのがいけなかったのか?
私のことを瀬尾佳美氏と間違えて下記のようなコメントを下さった方もいた(爆)。
08/04/25 渡邊
う”~ん、軽すぎる
軽すぎるのは、被告に与えられた刑罰ではなく、あなたの意見(?、というより、独り言ですね。)准教授とも呼ばれる方であれば、もっと研究し、深くヒアリングして意見を公表すべきです。あなたの私的ブログとはいえ、大学の准教授なのですから。・・・と思う、とか、評論家さんを呼び捨てはいかん!ですよ。品位が感じられないし、呼び捨てにしている限り、あなたには相手に対する”思いやり”を感じない。”思いやり”を感じさせない=”愛”から語っていない、ということです。青山学院大学って、そういう大学ですか!?
さまざまな意見をブログ上で語るのは結構。しかし、”愛情”から語ることができなければ、あなたに敬意は払えないし、戯言としか心に響かない。この事件を語るには、人のことは言えませんが、修行が必要なのかも知れませんよ。
少なくとも、”相手”の立場を認めるくらいの精神性を身に付けた上で、大見得切りましょうよ。ちょっと、あなた情けないです、人として。
意見はすべて愛情から語るべきだそうだ(笑)。「評論家さんを呼び捨てはいかん!」って評論家に「さん」をつけるのはもっといかんだろ(爆)。
08/04/26 kanyu
人を教える立場から去ってください
あなたは、家族を殺されたことがあるのか?
その気持ちもわからずして、知った様なことを言わないで欲しい。
子供を0.5人という時点で、人として失格だ。
そんな人間が人を教える立場になんかいて欲しくない。
自分の欲望だけで、人を殺せば命をもって償うしかないと思う。
『命は尊いもの』などということは、5・6歳で判ること。
18歳の少年だということが何の意味がある。
反省するなどというのは当たり前のこと。
それと罪を償うことは別のこと。
なぜ被害者を中心に裁判を進めてはいけないのか。
被害者の報復感情を法のもとに、被害者の納得いく結果を
出すことがなぜいけない。
あなたは基本的に人を見下しているんだと思う。そして自分は優れている
と勘違いしている。
もう一度、3歳から人生をやり直した方がいい。
そして、まっとうな人間に育って欲しい。
あなたのもとで学んでいる学生達がかわいそうだ。
学生達のために一刻も早く去った方がいい。
3歳からやり直しってどうして3歳から?(爆)
この瀬尾佳美氏の記事に関して「事実の観測→判断基準→結論 拒否する」さんからとても適切なコメントをいただいたので紹介したい。
瀬尾佳美さんのことを、きちがい、と言っているのはおかしな話だと思います。あくまで事実を客観的にとらえて、何が正しいのか、どちらに社会が向かっていくべきなのかを考えるべきだと思います。
ただ、大変失礼かもしれませんが、以下、瀬尾佳美さんがWeb上で発言した事実から、どのように瀬尾佳美さん自身が、事実と感情と想像をごっちゃにしているのか確認し、反面教師として考えていきたいと思います。
> 私は死刑廃止論者ではない。麻原なんかさっさと首絞めたらいいと思っている。だが、光市の事件に関しては死刑は重すぎるように思えてならない。犯人が少年だからだ。
> 国が死刑という形で犯す殺人には、熟慮が必要だと思うのである。最低でも永山基準くらいをラインにしてほしいものだ。永山事件の死者は4人。対してこの事件は1.5人だ(まったくの個人的意見だが赤ん坊はちょっとしたことですぐ死んでしまうので傷害致死の可能性は捨てきれないと思っている)。
> 20日の本村洋氏の意見陳述も、「死ね」という以外のメッセージは何もなく、同情はするが共感はしない。
> 差し戻した最高裁の判事の妻は、おそらく専業主婦で、TVばっかり見ていたため洗脳され、夫の仕事にも影響したのだろう
たとえば、この方は、赤ちゃんだから0.5人分として評価するといっています。
リスク評価における統計的評価手法を誤って表現しているのでしょうが、はっきりいって0.5人を殺すというような事象は現実には存在しません。殺したか殺していないか、さらに殺した場合、刑法的には意図的か過失か、があるだけです。離散的な事象をどうあつかうかについては、物理学でならったはずではないのでしょうか。
(さらに言えば、人間の命を、少数以下を含めた数字で扱うこと自体が正しいことなのかどうかを考えるべきでしょう。4人殺したかどうかを少年でも死刑にする、しないという議論ははたしてまともな議論でしょうか?今回は被告の精神がどれだけ未熟だったか、ある程度成熟していたとすればどの程度の悪意があったのか、を検討すべきで、焦点がぼやけないようにそれ以外の議論を持ち込むべきではないのではないでしょうか?)
人間の命は赤ちゃんだからといって関係ありません。人を殺したのか、殺してないかのどちらかでしかない話でしょう。赤ん坊はちょっとしたことですぐ死んでしまうかもしれないので、だからこそ、みんな大切にするんだと思います。
それから、最高裁の判事の妻は、おそらく専業主婦、と書かれていますが、これはちゃんとした調べに基づく証明された事実や推論される事実でもありません。もはや、妄想の領域です。最高裁判事になられるくらいですから、そのあたりの倫理観は当然持って叱るべきでしょう。この件に関して、最高裁判事として、名誉毀損で訴えればよろしかろうと思ってしまうくらいです。
それから本村さんは(憎しみに煮えくり返っているはずのなか)相当言葉を選んで発言されていましたよ。もちろん、怒りや憎しみが全く垣間見えなかったわけでもありませんが、それは遺族の立場からしかたないことです。さらに、もし、仮に直接的に「犯人に死んでほしい」、と発言されたとしても理解できます。そして、決して批判するようなことにはならないと思います。自分の恋人や子供、両親などを殺されれば、やはり相手も殺したくなるのが人間だと思います。
問題は、そのような被害者の気持ちと、犯人に対して適切な刑罰や社会への償い、更生の機会をどのように考えるかであると思います。遺族を感情的と批判しながら、著者自身が感情に流されていると思います。
あくまで感情を切り離して、精神的に未熟な少年・少女による犯罪をどのように考えるかについて、議論を展開されればよろしいと思います。少年・少女に死刑を科すべきではないというのは著者の考えであって、客観的事実でも、広く受け入れられている常識でもありません。ただし、社会としてこれからも深く考えていくべきものであります。
具体的事件を例に出してブログで自身の主張を展開されたことは、世の中の注目を集める目的が少なからずあったのでしょう。
ですがその論調は、被害者の感情を逆なでし、また、それに同情する人々をもあざけるようなもので、結局は自身が感情に流されているからと受け取れます。
本当に少年を死刑にしてよいのかどうか、さらに死刑にできるとするなら、その基準はどうあるべきかについて、もっと過去の事件を例に議論を展開されればよろいいと思います。
以上から、瀬尾佳美さんは事実と感情と想像をごっちゃにされていると結論づけされていただきます。 あとは皆さんが判断すればよろしかろうと思います。
それからリスク理論入門ですが、学者らしいタイトルをつけたかったのでしょうが、内容は学者のレベルではありません。タイトルに見合っていないということです。安全と便利のバランスは、リスク削減のコストは誰が負担すべきなのか、このあたりはリスク管理の専門家の間では常識のレベルであり、理論と呼べるようなたぐいのものではないと思います。
よって、この本のタイトルとしては、「ニュースにみるリスク管理の考え方」、くらいがちょうどよいレベルの本と思いました。
「リスク理論入門」というのは、瀬尾佳美氏が書かれた著書だろうか。私はまだ読んでいないのでこのことに関する言及は避けたいと思うが、かなり冷静に瀬尾佳美氏の意見を批判するコメントだと思う。
最後に、とてもよく書かれた毎日新聞の記事をことさんがコメント欄に紹介してくださったので、そのコメントから転載させていただく。
光市事件に関して、いい文章が記事があったので紹介しておきます。
http://mainichi.jp/life/edu/sodachi/news/20080419ddp014070011000c.html
◆光市母子殺害事件を考える
◇厳罰化では何も残らぬ
(中略)
そうした裁判の経緯や騒動とは別に、光市の事件はさまざまな教訓に満ちている。
加害者の元少年は父親に虐待を受けて育っていたといわれる。母親は虐待を受けた末にうつ病になり、自殺している。
対応すべき山口県の児童相談所の働きかけはあったのか。
児童相談所の情報収集能力、予算、人材は十分にあったのか?
逆送したために元少年は8年にわたって拘置所に留め置かれたまま裁判を受けてきた。
その間に贖罪教育や労働訓練は行われなかった。
少年院に送られていれば、少年はなんらかの精神的成長をみせただろう。
被害者遺族に真摯な謝罪ができるような教育が行われなかった司法制度に問題はなかったのか?
現在、法務省は被害者保護のためとして「少年審判を被害者等が傍聴できる」よう少年法を改正しようとしている。
被害者保護と言いつつ、検察官は被害者と遺族の悲しみや無念を、裁判で加害者を責める武器に見立てようとしてはいないか?
そもそも被害者と遺族が、加害者を死刑にしなければ無念が晴れないような状態に追い込んでいるのは誰か?
判決のはるか前に被害者や遺族の受けた傷が回復するように、経済援助や精神的ケアなどを行うのは国家が最優先すべき仕事ではないのか?
「死刑か、無期懲役か」を語る前に考えなければならない多くの問題が顔をのぞかせている。
なぜかメディアも国民も「もし被害者になったら」という仮定から始まり、国家や警察や検察は「自分と同じ正義の側に立っている」という観点に立ち、なんの疑問も持たず「加害者はまったくの他人」と考えて厳罰化になびいていくようだ。
正義を語る口調が、どこか八つ当たりや嫉妬に似ているのが特徴だ。
もし光市の事件に死刑判決が出て、多くの人の胸がスカッとしたとすれば、その後に残るものはいったい何だろうか? ただの忘却ではないのか?
死刑は金も知恵もいらない、国家と政治家にとってもっとも安上がりな事件の解決方法だ。テレビをながめる前に、加賀乙彦著『死刑囚の記録』(中公新書)、森達也著『死刑』(朝日出版社)を開いて欲しい。
悲劇が起きるまでに積み重なった被告人の不幸をみつめ、教訓をつかみだし、同じような境遇の子どもを生みださないために、児童相談所・学校・地域などに欠けているものを補っていく。
被害者の死に報いる、事件を風化させない道とは、未来に役立てるために悲劇をみつめ噛みしめる辛抱強さのなかにあるのだと思う。
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PS
いまこれを書いている時に、辛坊治朗がテレビ番組(ウェークアップ)でBPO批判をしていました。
彼にとっては、あの偏向報道こそが被害者側の立場に立った報道で、BPOの勧告はそれに反するものと考えてるみたいです。
救いようのないバカとしか言い様がないです。
死刑からいったい何が生まれるのか。自分は死刑になりたくないから罪を犯さないということではなく、罪を犯した後、三浦和義のように、いかにうまく逃げるかということだろう。
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