2011.02.24 (Thu)
松木農水政務官の大義ある辞任に続け
「半兵卒で頑張る」松木農水政務官が辞意(11/02/24)
上の動画にあるように、松木農水政務官は、辞任を決意した理由として、「人としてどうしても小沢さんに対してのああいうやり方は僕には納得できなかった。」と語り、民主党常任幹事会が22日に、小沢氏を裁判の判決確定まで党員資格停止処分とする決定をしたことや増税やTPPなど菅政権の政策に対する不満を挙げた。
松木氏のプロフィールを読むと、今の地位を築くまでの道のりは長く、過去に何度も落選してきており、決してたやすいものではなかったことがわかる。それでも、人としての道をはずれた菅内閣のやり方に抗議して辞意を決意したということは、松木氏が自分を犠牲にしてまでも、国民のために国民主権政治をめざす小沢氏の正当性を訴えるというとても重要な役割を果たしており、立派なことだと思う。
2月22日は松木氏の誕生日であった。その記念すべき日の翌日に辞任を決意するということは、養う家族もいることだろうし、並大抵のことではない。松木氏のこの行為は、辞任と自決との大きな差さえあれ、大義のために自分の誕生日の11月25日に自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決した三島由紀夫を思い起こさせた。
松木氏が辞意を表明したことに対して、公明党の山口那津男代表は「大義名分のない行動だ」と断じ、社民党の福島瑞穂党首は「何のために辞任するのか。国民に分かりにくい」と疑問を呈したそうだが、本当にそうだろうか。
「大義名分」とは、国語辞典によると二つの意味があって、一つは、「君国に対する臣下の忠義と分限」、もう一つは「正しい、りっぱな理由」となっている。松木氏が辞意を表明したのは、国を米国に売り渡そうとしている菅政権に対して、君国である日本に、半兵卒として忠義を尽くしたものであり、官僚のいいなりのまま、日本国民に裏切り行為を働く菅政権に抗議するというりっぱな理由があるではないか。国民には非常にわかりやすいと思うが・・・・。松木氏の行為を理解できないようでは、山口氏や瑞穂タンは日本の政治家として失格である。最近の瑞穂タンはどうもおかしい。
それでも、人間の生命というのは不思議なもので、自分のためだけに生きて自分のためだけに死ぬというほど人間は強くない。というのは、なんか人間は理想なり何かのためということを考えているので、生きるのも自分のためだけに生きることにはすぐ飽きてしまう。すると、死ぬのも何かのためということがかならず出てくる。それが昔言われた“大義”というものです。そして、大義のために死ぬということが、人間のもっとも華々しい、あるいは英雄的な、あるいは立派な死に方と考えられていた。
しかし今は大義がない。これは民主主義の政治形態というものは大義なんてものがいらない政治形態ですから当然なんですが、それでも心の中に自分を超える価値が認められなければ、生きていることすら無意味であるというような心理状態がないわけではない。
三島は、戦争で自分が一兵卒として死ねなかったことに対して、コンプレックスをもっていたと思われる。三島が言及しているとおり、戦時中は、「大義のために死」んで、靖国神社に英霊として祀られることが、名誉であった。そう国民を洗脳することによって、日本軍が兵士をいくらでも徴兵できるようにしていたのだ。三島は戦時中に子供時代を過ごしたため、かなり軍部の影響を受けていたといえよう。三島のような天才をも愚弄してしまった戦争とは恐ろしいものだ。
しかし、時代が変わって現代では、政府に抗議するために焼身自殺した1人の青年の死が中東の市民革命を引き起こした。チュニジアの貧しい1人の青年が大学を卒業した後も職がなく、生活のためにしかたなく、路上で果物や野菜を街頭で販売し始めたところ、販売の許可がないとして女性警察官が商品と秤を没収、さらにはその警官から暴行を受けた。この事件で生きることに絶望した青年は、政府に抗議するために同日午前11時30分、県庁舎前で石油をかぶり火をつけ、焼身自殺を図った。この事件は「ジャスミン革命」と呼ばれ、インターネットを通して広がり、中東の市民革命のきっかけとなった。
その後、エジプトで市民革命が起こり独裁政治を30年以上も行っていたムバラク大統領を辞任させることに成功した。今、リビアで45年にもわたって独裁政治を行っていたカダフィー大佐が失脚しようとしている。
日本でも、党内や野党や国民から見放された菅直人がムバラク化、カダフィー化し、居座るつもりらしいが、いいかげん、国民や会派離脱届や辞任届を提出した議員らの気持ちを読んで、一刻も早く辞任して欲しい。