2011.10.26 (Wed)
第六回シンポジウム 『司法を巻き込んだ小沢一郎攻撃にどう対応すべきか』報告
日本一新の会・代表 平野 貞夫
『司法を巻き込んだ小沢一郎攻撃にどう対応すべきか』をテーマに、第六回シンポジウムが10月21日(金)に、池袋の豊島公会堂で開かれた。雨の中、500名を超える熱心な参加者を得て、シンポジウムは盛り上がった。「日本一新の会」も共催の会合で、ご協力いただいた会員の皆さんに感謝の意を表したい。
このシンポジウムで、私は講師の意見を受けて、総括して今後の展望を申し上げたのでその報告をしておきたい。出席講師は、石川知裕衆議院議員・辻恵衆議院議員・森ゆうこ参議院議員・川内博史衆議院議員・評論家植草一秀氏・元大阪高検公安部長三井環氏の六名であった。それぞれ短い時間で要領よく意見を述べてくれた。
冒頭に、「小沢一郎議員を支援する会」の伊東章代表が、シンポジウムの趣旨について説明、9・26(登石)判決の根本問題は、裁判官と検察が一体となって既得権域を死守しようとしていると指摘した。
そして、「判検交流」の実態を説明し、今後の運動として法的対応が必要であると主張した。そのためは国会議員に働きかけたり、請願運動の必要性を訴えた。
(石川議員)9・26東京地裁・登石判決の当事者である。検察が捏造を積み重ねた調書に、さらなる恣意的想像と曲がった価値観で判決し、判決文の矛盾は司法権の堕落を表すものと、第一審の実態を具体的に報告してくれた。
(辻議員)西松事件以来、いわゆる「小沢問題」について、弁護士国会議員として小沢氏の相談相手の一人であった。9・26判決と小沢氏の裁判の原因になった「検察審査会」のあり方について意見を述べた。
司法がまったく不健全な状況となったので、健全さを早急に確立するため、国会議員が立ち上がるべきだと、新しい運動の方向性を示唆した。
(森議員)最高裁事務総局を相手にして、検察審査会が不正と不法の状況で運営されている状況を、国会やメディアで追求した貴重な政治家であった。野田政権で文科省副大臣に就任したため、「小沢問題」を取り上げる時間がないと思っていたところ、元気な姿でシンポジウムに顔を見せてくれた。これまで、法務省や最高裁を相手に闘ってきた経緯を説明したうえで、民主主義のためには司法や検察と闘わなければならないと結んだ。
(川内議員)小沢グループに所属していないが、日本の危機に対応するため、小沢政権を樹立しなければならないことを主張し続けている政治家である。9・26判決と小沢裁判の開始について、民主党内や各党の反応について説明があった。野党でも、心ある政治家の中には「小沢問題」を民主主義のあり方と考える人が増えてきたとの話があり、これからは国民運動として展開する必要があると提言した。
(植草氏)シンポジウム用の発言メモを用意して、重要な問題点をわかりやすく説明してくれた。特に、小沢氏に対する人物破壊工作の歴史・理由、日本は民主国家か、非民主国家かなどを問いかけた。小沢問題について「日本に政治的自由はなく、民主主義国家の問題として国民的関心を高めるべきだ」という結論であった。
(三井氏)自身の検察官時代を振り返り、現在のわが国の司法・検察の劣化は、民主主義のあり方の問題であり、国民が立ち上がらなければ重大な事態になると主張した。
これらの講師を意見を総括して、私がこれからの運動の展開を申し上げた。要点は次の通り。
①これまでのシンポジウムと際だって異なったことは、西松・陸山会の両事件を、裁判手続など法制面から批判する意見はなく、全員が、日本は民主主義国家ではない、という指摘であった。さらに共通した意見として、国民に訴えて、司法・検察の問題点を知ってもらおうということであった。国会議員がこのような発想で共通した意見を述べたのは始めてである。このことを私は高く評価した。
②問題は小沢一郎という政治家の心境がどういうものか。私はこれについて10月13日(木)、2人だけで2時間にわたって懇談した要点を説明した。西松事件での大久保秘書逮捕以後、私は一貫して麻生自民党政権の、政権交代阻止のための政治謀略であり、昭和九年の帝国人絹事件と同じ「検察ファッショ」だと主張してきた。しかし、小沢氏を擁護する法律家や国会議員の中に私の主張は浸透しなかった。小沢氏は9・26判決への思いも含め、自己の初公判の陳述の中で、一連の強制捜査について「明白な国家権力の濫用であり、民主主義国家、法治国家では到底許されない暴力行為である」と断じ、「とりわけ、二年前の総選挙は、戦後半世紀ぶりの本格的な政権交代が十分予想された特別なものであった。そのような時に、総選挙の行方を左右しかねない権力の行使が許されるならば、日本はもはや民主主義国家とはいえない」と、わが国に民主主義を定着させることを阻止する勢力に挑戦状をつきつけたのである。
これからの運動の展開だが、国民運動としてさまざまな方法を考えなければならない。まず当面の課題として提案したいのは、前回号の末尾に書いた、9・26判決の登石裁判長を「裁判官弾劾法」に基づいて、罷免するため訴追請求を行う運動を展開することである。
これは団体・集団でも可能であるが、問題の性質上、個人の信条と判断で行うことが適切であると思う。私も国会職員歴33年、国会議員歴12年という職責を思い、このままではわが国の議会民主政治は存立し得なくなることを危惧し、登石裁判官罷免の訴追請求の準備を行っている、と総括の中で報告させてもらった。
(裁判官弾劾法による罷免訴追手続)
「何人も、裁判官について弾劾による罷免の事由があると思料するときは、訴追委員会に対し、罷免の訴追をすべきことを求めることができる」(裁判官弾劾法第15条第1項)。日本人はもとより、極論すれば外国人でも訴追請求ができる。
「罷免の事由」については、同法第2条に「1 職務上の義務に著しく違反し、又は職務を甚だしく怠つたとき。2 その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき」と規定している。非行とは、道義に外れた行為と広辞苑にある。。
登石裁判官の罷免訴追請求を行う場合の最大の問題点は、この二つのどこに当たるかということだ。それは過去に判決の内容をめぐって訴追請求が行われたことがないからだ。従って登石裁判官のどこに問題があるのか、理論的に構築して国民的理解と共感を得なければならない。
現時点で私が理論化した「罷免の事由」は次のとおりであるので、参考にしてもらいたい。
①憲法第99条の「憲法尊重擁護の義務」の規定に、特に「裁判官」を明示していることに注目しておくべきである。
②登石裁判官の判決文の内容は、推認と捏造を重ね、証拠のない検察論告を、さらに特定の恣意的価値観によって妄想的に拡大し、「推認」に「推認」を重ねたものである。その論旨は、人類が近代的民主主義国家の公共財として闘いとった基本的人権の諸原理を、ことごとく冒瀆し踏みにじったものである。
③わが国の憲法でいうなら、「法の下の平等」(第14条)、「推定無罪・罪刑法定主義・証拠中心主義」(第31条)、「国民主権」(前文及び第43条)などなどに著しく違反し、職務上の義務を怠るものである。
④裁判官の「自由心証主義」とは絶対的なものではなく、憲法の原理の範囲で存在するものだ。登石裁判官の憲法感覚に正常性はない。裁判官としての資質に異常性があり、罷免の事由となる。これを看過すれば議会政治は崩壊する。
⑤判決文では、繰り返し恣意的価値観で「推認」を繰り返し、憲法原理を叩きつぶし、踏みにじっている。これは日本国民と国家に対する言葉による暴力であり、これを「非行」と言わずして何を非行というのか。登石裁判官は司法権の威信さえ失墜させるものだ。
以上は私が気づいたことだが、他にも問題があると思うので、会員各位の忌憚のないご意見を寄せて頂きたい。
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10月25日には、杉隆氏がパーソナリティーを務める「ニュースの深層」にジャーナリストのカレル・ヴァン・ウォルフレン氏がゲスト出演した。
『ざまあみやがれい!』
上杉隆・ニュースの深層「日本の権力システムとは」ゲスト:カレル・ヴァン・ウォルフレン(動画) より
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