2012.02.20 (Mon)
光市母子殺害事件:元少年の死刑確定は放射能汚染に不安を抱く母子に対するガス抜き
今日、光市母子殺害事件の被告人の元少年の死刑が確定したせいか、「光市母子殺人事件:本村洋氏の気持ちはわからぬではないが・・・」という記事へのアクセスが増えている。
私の考えは、上記のエントリーを書いたときと全く変わっていない。自分の性欲を満たすために、母親と生後間もない9ヶ月の赤ちゃんを殺害したのは確かに恐ろしいことだが、以下の3つの理由で、この元少年に死刑が相当だとは思えない。
まずは、当時少年が、18歳と1ヶ月ということから、少年法が適用されれないのはおかしいと思うのが一つ。死刑を選択するかどうかは、これまでは、最高裁が83年の永山則夫下死刑囚に対する判決で判示した「永山基準」に照らして判断されてきた。犯行時18歳未満であった少年の量刑については、「死刑をもって処断すべき時は無期刑を科す」と規定し、法的には18歳以上から死刑を科すことが可能になる。少年の実際の年齢は18歳と1ヶ月だったが、後ほど詳しく触れるが、精神障がいで精神年齢は、5.6歳ということだったため、当然、物事のよしあしもわからないような状況だったことを考慮しなくてはならない。
又、18歳を成熟した大人と見るというのは、昔だったら許されるかもしれないが、今の18歳を見ると、時代と共に判断力や責任感が一般的に低下してきているような気がする。今の日本では、死刑を科す年齢を19歳まで引き上げる必要があるように思われる。さらに、精神障がいを患っている場合は、精神年齢を実齢とするべきである。
「永山基準」の考察すべき事項として(1)犯行の罪質(2)動喫3)態様、特に殺害の手段方法の執拗(しつよう)性・残虐性(4)結果の重大性、特に殺害された被害者の数(5)遺族の被害感情(6)社会的影響(7)犯行時の年齢(8)前科(9)犯行後の情状があげられている。元少年の弁護団は、法医鑑定書と裁判官が認定したことに大きな差があると述べており、まだ事件の真実は解明されていない状況だ。これらのことからも、又、少年法51条1項によれば、18歳未満の少年には死刑を科すことができないと定めていることからも、精神年齢が18歳未満であった元少年の死刑は回避されるべきであったと思う。
2つ目は、前述のエントリーにも書いたが、元少年の育った環境も考慮すべきであるということだ。元少年は、幼少時から父による虐待を受けてきた。父の虐待はひどいもので、殴る蹴るはもちろん、逆さまにされて頭から水風呂に沈めるなどの暴力もあったという。その上、母親からは、「あなたと結婚して子供を作りたい。」などと言われ、近親相姦の関係だったという。つまり、父親からは暴力的な虐待を受け、母親からは性的虐待を受けて育ったのだ。その母親も元少年が中学のときに首吊り自殺をしてしまったのだ。少年が絞首刑になって喜んでいる人たちは、そんな元少年がどのような精神状態で、毎日を暮らしていたか想像もできないに違いない。
3つ目は、もっとも重要なことだが、元少年が精神障害を患っていたことだ。精神鑑定をした野田正彰関西学院大学教授)と、加藤幸雄氏(日本福祉大学教授)氏によると、被告の精神年齢はかなり低く、5.6歳程度だと言う。ちょうど、少年が1歳くらいの時に父親から暴行され、頭部を強打したのが原因で発生した脳器質的脆弱性の可能性もあったらしい。元少年が勾留されている広島拘置所でも、統合失調症の治療に使う向精神薬が長期間多量投与されていたことなどの証拠もあり、少年は間違いなく精神障害者である。日本が順守するとしている国際的な基準は、精神障害がある死刑囚の刑を執行しないよう求めている。しかし、日本では、精神障がいがあるないにかかわらず、死刑を執行しているので、実際、アムネスティから目をつけられているのだ。
元少年が犯行に至る過程で、被害者に強く抵抗されたとき、自分が両親から受けた過去の凄まじい虐待の数々がフラッシュバックしたにちがいない。父親が母親を強姦し、自分の頭部を強打したこと。母親に性的虐待を受けたことなどが。幼児を虐待する人の約85%が自分も小さいときに虐待を受けた被害者だという。元少年の被告が被害者や被害児の殺人にいたったのも、両親への怒りや憎しみがそのまま目の前の親子に向けられてしまった結果に違いない。
元少年の手紙には殺害時の心境が書かれていた。被害児の遺体を押入れに入れたのは、元少年にとって押し入れはドラえもんがいる場所であり、そのドラえもんが何とかしてくれるのではないか、という思いからやったことであり、その後、元少年が被害者の死姦行為に及んだのは、小説「魔界転生」にインスピレーションをを受けて、被害者を、さらには被害者に投影された最愛の実母を蘇らせたいという衝動に突き動かされてのことだった。
元少年を誹謗中傷する人たちの中には、死刑を免れるためにわざとおかしなことを書いたと批判する人がいるが、元少年は、幼少期から虐待を受けて、発達レベルも5.6歳程度だったわけだから、上記のような子供じみたことを本気で思っていたに違いない。
主に上に述べた3つの理由から、元少年が死刑という極刑に値するという最高裁の判決には、はなはだ疑問が残る。だからこそ、今日、メディアがこぞってこの元少年の実名を明かし、死刑は免れないものであるかのように主張するのを読んで、おぞましい気分になったのだ。今回の判決は、まるで、放射能汚染によって危険に晒され、不安を煽られている日本中の母子たちから批判を浴びる政府や電力会社によるガス抜きのように思えたからだ。つまり、「御覧なさい。日本の司法は母子の味方ですよ。」と言うために、元少年を死刑にしたのではないかと、ついつい考えてしまう。
原発事故は、政府や電力会社の危機管理がずさんだったことから起きた人災だったが、被害を最小限に抑えることもできた。しかし、当時の菅内閣は、事故が起きてからも安全神話をつらぬいていた。まずは、原発を地震国家である狭い日本に54基も作った原子力村のメンバー全員と、国民から情報を隠匿し、嘘の情報を流した政府や政治家を一人残らず極刑に処するべきだ。これだけ多くの国民を不安に陥れた原発事故の責任者も罰せられない司法に、精神障害の少年に死刑を言い渡す権利はない。いったい、日本の司法はどこまで腐りきっているのか。
【安田好弘】#1 【光市母子殺害事件】法医鑑定書
私の考えは、上記のエントリーを書いたときと全く変わっていない。自分の性欲を満たすために、母親と生後間もない9ヶ月の赤ちゃんを殺害したのは確かに恐ろしいことだが、以下の3つの理由で、この元少年に死刑が相当だとは思えない。
まずは、当時少年が、18歳と1ヶ月ということから、少年法が適用されれないのはおかしいと思うのが一つ。死刑を選択するかどうかは、これまでは、最高裁が83年の永山則夫下死刑囚に対する判決で判示した「永山基準」に照らして判断されてきた。犯行時18歳未満であった少年の量刑については、「死刑をもって処断すべき時は無期刑を科す」と規定し、法的には18歳以上から死刑を科すことが可能になる。少年の実際の年齢は18歳と1ヶ月だったが、後ほど詳しく触れるが、精神障がいで精神年齢は、5.6歳ということだったため、当然、物事のよしあしもわからないような状況だったことを考慮しなくてはならない。
又、18歳を成熟した大人と見るというのは、昔だったら許されるかもしれないが、今の18歳を見ると、時代と共に判断力や責任感が一般的に低下してきているような気がする。今の日本では、死刑を科す年齢を19歳まで引き上げる必要があるように思われる。さらに、精神障がいを患っている場合は、精神年齢を実齢とするべきである。
「永山基準」の考察すべき事項として(1)犯行の罪質(2)動喫3)態様、特に殺害の手段方法の執拗(しつよう)性・残虐性(4)結果の重大性、特に殺害された被害者の数(5)遺族の被害感情(6)社会的影響(7)犯行時の年齢(8)前科(9)犯行後の情状があげられている。元少年の弁護団は、法医鑑定書と裁判官が認定したことに大きな差があると述べており、まだ事件の真実は解明されていない状況だ。これらのことからも、又、少年法51条1項によれば、18歳未満の少年には死刑を科すことができないと定めていることからも、精神年齢が18歳未満であった元少年の死刑は回避されるべきであったと思う。
2つ目は、前述のエントリーにも書いたが、元少年の育った環境も考慮すべきであるということだ。元少年は、幼少時から父による虐待を受けてきた。父の虐待はひどいもので、殴る蹴るはもちろん、逆さまにされて頭から水風呂に沈めるなどの暴力もあったという。その上、母親からは、「あなたと結婚して子供を作りたい。」などと言われ、近親相姦の関係だったという。つまり、父親からは暴力的な虐待を受け、母親からは性的虐待を受けて育ったのだ。その母親も元少年が中学のときに首吊り自殺をしてしまったのだ。少年が絞首刑になって喜んでいる人たちは、そんな元少年がどのような精神状態で、毎日を暮らしていたか想像もできないに違いない。
3つ目は、もっとも重要なことだが、元少年が精神障害を患っていたことだ。精神鑑定をした野田正彰関西学院大学教授)と、加藤幸雄氏(日本福祉大学教授)氏によると、被告の精神年齢はかなり低く、5.6歳程度だと言う。ちょうど、少年が1歳くらいの時に父親から暴行され、頭部を強打したのが原因で発生した脳器質的脆弱性の可能性もあったらしい。元少年が勾留されている広島拘置所でも、統合失調症の治療に使う向精神薬が長期間多量投与されていたことなどの証拠もあり、少年は間違いなく精神障害者である。日本が順守するとしている国際的な基準は、精神障害がある死刑囚の刑を執行しないよう求めている。しかし、日本では、精神障がいがあるないにかかわらず、死刑を執行しているので、実際、アムネスティから目をつけられているのだ。
元少年が犯行に至る過程で、被害者に強く抵抗されたとき、自分が両親から受けた過去の凄まじい虐待の数々がフラッシュバックしたにちがいない。父親が母親を強姦し、自分の頭部を強打したこと。母親に性的虐待を受けたことなどが。幼児を虐待する人の約85%が自分も小さいときに虐待を受けた被害者だという。元少年の被告が被害者や被害児の殺人にいたったのも、両親への怒りや憎しみがそのまま目の前の親子に向けられてしまった結果に違いない。
元少年の手紙には殺害時の心境が書かれていた。被害児の遺体を押入れに入れたのは、元少年にとって押し入れはドラえもんがいる場所であり、そのドラえもんが何とかしてくれるのではないか、という思いからやったことであり、その後、元少年が被害者の死姦行為に及んだのは、小説「魔界転生」にインスピレーションをを受けて、被害者を、さらには被害者に投影された最愛の実母を蘇らせたいという衝動に突き動かされてのことだった。
元少年を誹謗中傷する人たちの中には、死刑を免れるためにわざとおかしなことを書いたと批判する人がいるが、元少年は、幼少期から虐待を受けて、発達レベルも5.6歳程度だったわけだから、上記のような子供じみたことを本気で思っていたに違いない。
主に上に述べた3つの理由から、元少年が死刑という極刑に値するという最高裁の判決には、はなはだ疑問が残る。だからこそ、今日、メディアがこぞってこの元少年の実名を明かし、死刑は免れないものであるかのように主張するのを読んで、おぞましい気分になったのだ。今回の判決は、まるで、放射能汚染によって危険に晒され、不安を煽られている日本中の母子たちから批判を浴びる政府や電力会社によるガス抜きのように思えたからだ。つまり、「御覧なさい。日本の司法は母子の味方ですよ。」と言うために、元少年を死刑にしたのではないかと、ついつい考えてしまう。
原発事故は、政府や電力会社の危機管理がずさんだったことから起きた人災だったが、被害を最小限に抑えることもできた。しかし、当時の菅内閣は、事故が起きてからも安全神話をつらぬいていた。まずは、原発を地震国家である狭い日本に54基も作った原子力村のメンバー全員と、国民から情報を隠匿し、嘘の情報を流した政府や政治家を一人残らず極刑に処するべきだ。これだけ多くの国民を不安に陥れた原発事故の責任者も罰せられない司法に、精神障害の少年に死刑を言い渡す権利はない。いったい、日本の司法はどこまで腐りきっているのか。
【安田好弘】#1 【光市母子殺害事件】法医鑑定書
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