2007.03.29 (Thu)
このところ納得できない判決が多過ぎないか?
学期末試験の準備で忙しかったから、このところブログの更新ができなかったんだけど、それにもかかわらずいつも訪問してくださったみなさまには心から「ありがとう!」と言いたい。
カナダもやっと春らしいお天気になってきて、青い空に鳥の鳴き声が響き渡る季節がやってきた。そんな気候とは反対に、このところ納得できない裁判の判決が多すぎて心の中は悶々としている。
あの「世にもおぞましい栃木リンチ殺人事件」では、県に約9600万円の賠償を命じた1審・宇都宮地裁判決(2006年4月)から一転して、東京高裁では1100万円の賠償へと大幅に減額(毎日新聞)された。その記事によれば、賠償額が減額されたのは、富越和厚(かずひろ)裁判長が、県警の捜査ミスは認めたものの「殺害を阻止できたとまでは認められず、救命の可能性は3割程度」と判断したためで、これは、ミスと死亡との直接の因果関係を認めた1審の判決とは大きな隔たりがある。
どうやって計算したら、救命の可能性は3割程度となるのだろうか。リンチでやけどを負った須藤さんが映った銀行の防犯カメラの存在を知ったのが殺害される7日前で、この時点で警察が適切な対応を取る義務を怠っていなかったら、須藤さんの命は100%救えたに違いない。警察の過失を認めながら、救命の可能性がたったの3割としたこの判決は絶対におかしいと思う。
さらにこの判決が狂っているのは、
という点。加害者と行動を共にしていることを知っていたら、なおさら、救命される確率は高かっただろうに。この事件の背景には日産自動車(株)があり、日産コンツェルンの創始者、鮎川義介は岸信介の叔父にあたるため、日産と安倍晋三とは深い関係がある。私個人としては、だから、今回の被害者に対して非情な判決には安倍の圧力などもあるのではないかと疑っている。弱い市民を痛めつけ、総理と関係のある大企業を守るこの東京高裁の判決に憤りを感じるのは私だけではないであろう。
そして、読売新聞の3月27日の「石原知事『ババァ発言』訴訟、再び女性の訴え棄却」と言う記事を読んでも全く納得できなかった。この単純な読売の記事からだけでは、なぜ高野伸裁判長が「知事の職務としての発言で、知事個人は責任を負わない」と請求を棄却したのか全く理解できないが、石原が個人としては責任を負わないというのであれば、知事として責任を負うべきではないのだろうか。その場合、女性達が知事の発言として訴え、石原が敗訴すれば、東京都が賠償金を支払うことになる。つまり、都民の税金から払われるのだ。都知事の暴言の罪を償うために都民の税金が払われるとしたら、いくら石原のババァ発言に憤りを感じていたこの女性たちだって訴えるのをやめてしまうだろう。それにしても、いくら知事としてインタビューを受けた時の発言だとしても、なぜ、この発言が個人の発言ではなくて知事としての発言になるのかさっぱりわからない。
さらに、読んで不快になったのが、「きっこ」ブログのすごい中身 石原都知事側「事実無根」と激怒というj-CASTの記事。これを書いた記者はわざわざご丁寧にも「きっこのブログ」の記事を石原事務所に電話で知らせたあげく、許可なく「きっこのブログ」の記事を引用して著作権法にも違反するこんな悪意に満ちた記事を書いているため、このJ-CASTの記事は削除されるようJ-CASTにリクエストしておいた。きっこちゃんは真実を書いただけであり、これは石原の中傷なんかじゃない。「石原都知事側「事実無根」と激怒」というのもおおげさに書かれているような気がする。激怒は突然電話をしてきたこの無礼な記者に向かったものではないのだろうか。ちなみに、石原慎太郎と朝鮮人コンプレックスについては下記のサイトにも書かれている。
石原慎太郎と朝鮮人コンプレックス(7)
石原慎太郎と朝鮮人コンプレックス
又、きっこちゃんはせっかく心の底からしびれるような記事を書いたのに削除しちゃったんだけど、選挙中はインターネットで立候補者について書いてはいけないなんてどこに書いてあるの?公職選挙法に目を通してみたけど、どこにもブログで選挙の候補者について書いてはいけないなんて書いてなかったよ。もし、これが本当だったとしたら、言論の自由を奪う規制であり、そんな法律があるのは、世界中でも日本だけだと思う。選挙中だからこそ、候補者について国民が議論をかわしながら、より良い社会をつくっていくのが真のの民主主義国家じゃないだろうか。それを閣僚の汚職や暴言や官僚の天下りは簡単に許すけど、国民が選挙中に候補者についてブログで語ってはいけないなんて、それこそ政府に都合よく支配されている北朝鮮も真っ青な国になっちゃうよね。
公職選挙法にしたって、こんなもの最初から最後まで全ての国民が読めるとでも思ってるのか?長すぎるし、同じようなことが何度もくどくどと繰り返されているだけ。今のネット時代に相応なものに書き換えないと国民を混乱させるだけだ。教育改悪や憲法改悪する前に公職選挙法を改善しろよ!と言いたい。
関連記事:
『4つの目で世の中を考える』「栃木リンチ殺人 犯人の狂気もさることながら警察、日産自の信じ難い対応」
『kisatonomori blog』「栃木リンチ殺人控訴審判決 どうか納得できる裁判を」
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注)コメントやTBには全て目を通しておりますが、お返事はこのところお休みさせていただいております。それでもよろしければお書き下さい。
カナダもやっと春らしいお天気になってきて、青い空に鳥の鳴き声が響き渡る季節がやってきた。そんな気候とは反対に、このところ納得できない裁判の判決が多すぎて心の中は悶々としている。
あの「世にもおぞましい栃木リンチ殺人事件」では、県に約9600万円の賠償を命じた1審・宇都宮地裁判決(2006年4月)から一転して、東京高裁では1100万円の賠償へと大幅に減額(毎日新聞)された。その記事によれば、賠償額が減額されたのは、富越和厚(かずひろ)裁判長が、県警の捜査ミスは認めたものの「殺害を阻止できたとまでは認められず、救命の可能性は3割程度」と判断したためで、これは、ミスと死亡との直接の因果関係を認めた1審の判決とは大きな隔たりがある。
どうやって計算したら、救命の可能性は3割程度となるのだろうか。リンチでやけどを負った須藤さんが映った銀行の防犯カメラの存在を知ったのが殺害される7日前で、この時点で警察が適切な対応を取る義務を怠っていなかったら、須藤さんの命は100%救えたに違いない。警察の過失を認めながら、救命の可能性がたったの3割としたこの判決は絶対におかしいと思う。
さらにこの判決が狂っているのは、
「加害者と行動を共にし、グループの一員だと誤認させた」と須藤さんの過失も指摘し、死亡による損害額を約7200万円と算出した上で、その約3割のさらに半額しか賠償額を認めなかった。
という点。加害者と行動を共にしていることを知っていたら、なおさら、救命される確率は高かっただろうに。この事件の背景には日産自動車(株)があり、日産コンツェルンの創始者、鮎川義介は岸信介の叔父にあたるため、日産と安倍晋三とは深い関係がある。私個人としては、だから、今回の被害者に対して非情な判決には安倍の圧力などもあるのではないかと疑っている。弱い市民を痛めつけ、総理と関係のある大企業を守るこの東京高裁の判決に憤りを感じるのは私だけではないであろう。
そして、読売新聞の3月27日の「石原知事『ババァ発言』訴訟、再び女性の訴え棄却」と言う記事を読んでも全く納得できなかった。この単純な読売の記事からだけでは、なぜ高野伸裁判長が「知事の職務としての発言で、知事個人は責任を負わない」と請求を棄却したのか全く理解できないが、石原が個人としては責任を負わないというのであれば、知事として責任を負うべきではないのだろうか。その場合、女性達が知事の発言として訴え、石原が敗訴すれば、東京都が賠償金を支払うことになる。つまり、都民の税金から払われるのだ。都知事の暴言の罪を償うために都民の税金が払われるとしたら、いくら石原のババァ発言に憤りを感じていたこの女性たちだって訴えるのをやめてしまうだろう。それにしても、いくら知事としてインタビューを受けた時の発言だとしても、なぜ、この発言が個人の発言ではなくて知事としての発言になるのかさっぱりわからない。
さらに、読んで不快になったのが、「きっこ」ブログのすごい中身 石原都知事側「事実無根」と激怒というj-CASTの記事。これを書いた記者はわざわざご丁寧にも「きっこのブログ」の記事を石原事務所に電話で知らせたあげく、許可なく「きっこのブログ」の記事を引用して著作権法にも違反するこんな悪意に満ちた記事を書いているため、このJ-CASTの記事は削除されるようJ-CASTにリクエストしておいた。きっこちゃんは真実を書いただけであり、これは石原の中傷なんかじゃない。「石原都知事側「事実無根」と激怒」というのもおおげさに書かれているような気がする。激怒は突然電話をしてきたこの無礼な記者に向かったものではないのだろうか。ちなみに、石原慎太郎と朝鮮人コンプレックスについては下記のサイトにも書かれている。
石原慎太郎と朝鮮人コンプレックス(7)
石原慎太郎と朝鮮人コンプレックス
又、きっこちゃんはせっかく心の底からしびれるような記事を書いたのに削除しちゃったんだけど、選挙中はインターネットで立候補者について書いてはいけないなんてどこに書いてあるの?公職選挙法に目を通してみたけど、どこにもブログで選挙の候補者について書いてはいけないなんて書いてなかったよ。もし、これが本当だったとしたら、言論の自由を奪う規制であり、そんな法律があるのは、世界中でも日本だけだと思う。選挙中だからこそ、候補者について国民が議論をかわしながら、より良い社会をつくっていくのが真のの民主主義国家じゃないだろうか。それを閣僚の汚職や暴言や官僚の天下りは簡単に許すけど、国民が選挙中に候補者についてブログで語ってはいけないなんて、それこそ政府に都合よく支配されている北朝鮮も真っ青な国になっちゃうよね。
公職選挙法にしたって、こんなもの最初から最後まで全ての国民が読めるとでも思ってるのか?長すぎるし、同じようなことが何度もくどくどと繰り返されているだけ。今のネット時代に相応なものに書き換えないと国民を混乱させるだけだ。教育改悪や憲法改悪する前に公職選挙法を改善しろよ!と言いたい。
関連記事:
『4つの目で世の中を考える』「栃木リンチ殺人 犯人の狂気もさることながら警察、日産自の信じ難い対応」
『kisatonomori blog』「栃木リンチ殺人控訴審判決 どうか納得できる裁判を」
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現在第1~3位-社会・経済、海外生活、ダイエット

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注)コメントやTBには全て目を通しておりますが、お返事はこのところお休みさせていただいております。それでもよろしければお書き下さい。
2006.04.15 (Sat)
栃木リンチ殺人事件の行方
ウェブサイトでこの事件の具体的な内容を読み、吐き気を覚えた。この世の中にこんな残虐な事件があったとは恐ろしくなり悲しくなって打ちのめされた。それは、心が落ち着くまでこの事件について書けないほどショッキングな内容だった。
まずこの事件を読んだとき、さんざん虐待され続けた上に生き埋めにされて無残な死に方をされた被害者の須藤正和さんに対して大きな悲しみを覚えた。こんな最後を迎えてしまったけれども、天国では安らかに幸せに暮らして欲しい。
一方、殺人鬼たちに果てしなく強い憎しみと怒りが込み上げてきた。しかし、よくよく考えてみると彼らに憤りを感じるよりも、どうして、こんな残虐な鬼畜どもが育ってしまったかを考えて、2度とこんなに常識はずれの鬼畜どもが育たないように対策を考えるべきだろう。又、この事件を無視し続けた日産という大企業に癒着した警察の責任は重大である。
この事件は日本人の凄惨な残虐性をまざまざと見せ付けてくれた。それは、南京大虐殺を思い起こさせるものであり、私の心に歴史の暗い影を再び蘇らせたのだ。日本人にはもともとそんな残虐的な心が宿っているのか?政府がいつまでも南京大虐殺の事実を隠し通そうとしていることに問題があるのだ。そればかりか、南京で大虐殺を繰り返した戦犯たちが奉ってある靖国神社にいまだに一国の主である首相が参拝しているという事実は近隣諸国の神経を逆なでする行為で、許せるものではない。近隣諸国から批判をあびて当然だろう。歴史の事実を隠蔽するのではなく、事実を素直に認め、2度と同じ過ちを繰り返さないよう子孫を教育していくのが政府の役目じゃないのか?
又、そもそもこんな事件が起きたのも鬼畜たちの親が子供に十分な愛情を注いであげられなかったからという理由もあるのではないか。又、学校教育のあり方にも問題があったのかもしれない。日本の学校ではクラスで弱いものがいじめられてもなんとも思わない風潮がある。気づいていても無視するような生徒どころか先生やいじめっ子の親もいる。この事件は、いわゆる格差社会の落とし子と言えるだろう。格差社会の拡大によって親も子供もストレスが溜まり、自分は強い立場であると強調したいがために弱い立場のものを虐めるようになる。弱肉強食の世界だ。格差社会が広がると同時にこのような事件もますます増えていくのだ。
今回須藤正和さんのご遺族が勝訴したニュースがほとんどマスコミでとりあげられていないのは、警察や日産がマスコミへ手回しをしたからなのだろうか。
でも、この事件を巡り、ご遺族が県警の捜査の不手際などを問題として、国家賠償法に基づいて県などに約1億5000万円の損害賠償を求めた結果、県警の捜査の怠慢やを殺人事件との因果関係も認められ、県と元少年2人に計1億1270万円(県の賠償限度額は9633万円)の支払いが命じられたことは救いなのかもしれない。
ただ、判決について、県警の込山晴康首席監察官が「大変厳しい判決だ。今後は判決内容を検討して、対応していきたい。」と述べたことについては、かなり失望した。いまだに自分たちの責任を認めずに控訴しかねない態度には、日本の警察官の意識の低さを見たような気がした。
最後に、19歳という若さで殺害された須藤正和さん、そして、心労の末に病に倒れた母、洋子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
この事件を読んで、日本の警察は信じない、日産の車は決して買わないと心に誓った。
参考記事:
栃木・須藤正和さんリンチ殺人 隠された真実(週刊朝日・4/27・2001年)
捜査怠慢、殺人と因果関係を認定…栃木リンチ事件yomiurionline
まずこの事件を読んだとき、さんざん虐待され続けた上に生き埋めにされて無残な死に方をされた被害者の須藤正和さんに対して大きな悲しみを覚えた。こんな最後を迎えてしまったけれども、天国では安らかに幸せに暮らして欲しい。
一方、殺人鬼たちに果てしなく強い憎しみと怒りが込み上げてきた。しかし、よくよく考えてみると彼らに憤りを感じるよりも、どうして、こんな残虐な鬼畜どもが育ってしまったかを考えて、2度とこんなに常識はずれの鬼畜どもが育たないように対策を考えるべきだろう。又、この事件を無視し続けた日産という大企業に癒着した警察の責任は重大である。
この事件は日本人の凄惨な残虐性をまざまざと見せ付けてくれた。それは、南京大虐殺を思い起こさせるものであり、私の心に歴史の暗い影を再び蘇らせたのだ。日本人にはもともとそんな残虐的な心が宿っているのか?政府がいつまでも南京大虐殺の事実を隠し通そうとしていることに問題があるのだ。そればかりか、南京で大虐殺を繰り返した戦犯たちが奉ってある靖国神社にいまだに一国の主である首相が参拝しているという事実は近隣諸国の神経を逆なでする行為で、許せるものではない。近隣諸国から批判をあびて当然だろう。歴史の事実を隠蔽するのではなく、事実を素直に認め、2度と同じ過ちを繰り返さないよう子孫を教育していくのが政府の役目じゃないのか?
又、そもそもこんな事件が起きたのも鬼畜たちの親が子供に十分な愛情を注いであげられなかったからという理由もあるのではないか。又、学校教育のあり方にも問題があったのかもしれない。日本の学校ではクラスで弱いものがいじめられてもなんとも思わない風潮がある。気づいていても無視するような生徒どころか先生やいじめっ子の親もいる。この事件は、いわゆる格差社会の落とし子と言えるだろう。格差社会の拡大によって親も子供もストレスが溜まり、自分は強い立場であると強調したいがために弱い立場のものを虐めるようになる。弱肉強食の世界だ。格差社会が広がると同時にこのような事件もますます増えていくのだ。
今回須藤正和さんのご遺族が勝訴したニュースがほとんどマスコミでとりあげられていないのは、警察や日産がマスコミへ手回しをしたからなのだろうか。
でも、この事件を巡り、ご遺族が県警の捜査の不手際などを問題として、国家賠償法に基づいて県などに約1億5000万円の損害賠償を求めた結果、県警の捜査の怠慢やを殺人事件との因果関係も認められ、県と元少年2人に計1億1270万円(県の賠償限度額は9633万円)の支払いが命じられたことは救いなのかもしれない。
ただ、判決について、県警の込山晴康首席監察官が「大変厳しい判決だ。今後は判決内容を検討して、対応していきたい。」と述べたことについては、かなり失望した。いまだに自分たちの責任を認めずに控訴しかねない態度には、日本の警察官の意識の低さを見たような気がした。
最後に、19歳という若さで殺害された須藤正和さん、そして、心労の末に病に倒れた母、洋子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
この事件を読んで、日本の警察は信じない、日産の車は決して買わないと心に誓った。
参考記事:
栃木・須藤正和さんリンチ殺人 隠された真実(週刊朝日・4/27・2001年)
捜査怠慢、殺人と因果関係を認定…栃木リンチ事件yomiurionline
Tags : 栃木リンチ殺人事件 |
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