2007.02.09 (Fri)
柳沢発言の批判は単に揚げ足取りをしているわけではない
そして、『きっこの日記』「差別用語もTPO」にもあった通り、その発言をいつどこでどんな機会にしたかということがとても重要になってくるのであり、厚生労働大臣の立場でありながら、国民の経済状況や周りの環境が悪化して、子供を産みたくても産めない人が増えている時に、こういった女性に産めよ増やせよ的な戦前の日本の人口政策のようなことをぬけぬけとみんなが見ている記者会見で発言したのだから、女性を侮辱しているととられてもしょうがないし、辞任を要求されて当然だ。
又、これから厚生労働大臣として少子化政策を展開しようとする柳沢氏の発言と単なる一議員としての菅氏の発言とでは国民に与える影響が違うし、重さも違う。個人的には、菅氏の「(愛知や東京は)子どもを産む生産性が最も低い」という発言は「出生率が低い」ということを柳沢発言を受けて、冗談で言ったものではないかと私は推測していたのだが、匿名の方のコメントによると、実際は菅氏の発言の方がカメムシ大臣の発言よりも早かったようなので、カメムシ発言を受けての発言ということはなかったようである。でも、「生産性」という言葉に女性に対する侮辱は全く感じられないのだが、みなさまはどうだろうか。きっと「出生率」という言葉がでてこなくて「生産性」と言ってしまっただけだろう。特に悪意あっての発言ではなく、全く問題ないと思うが・・・。柳沢発言を批判することを揚げ足取りと言っている人がこんな指摘をする方こそ、揚げ足取りをしているのではないか。
『低気温のエクスタシーbyはなゆー』で知った日本女性学会の声明はかなり説得力がある。柳沢発言の批判が、単に「言葉の揚げ足取りをしている」のかどうか是非一つ一つの言葉をかみしめながら読んでいただきたい。
《声明》柳沢厚労相の発言に対する日本女性学会の意見書
日本女性学会第14期幹事会および会員有志では、さきの柳沢厚生労働大臣発言に関する意見書を発していくことにしましたので、会員の皆さんにお伝えします。
多くの人に、この意見書を伝えていただけますよう、よろしくお願いします。
日本女性学会第14期幹事会および会員有志
日本女性学会による、柳澤大臣発言に関する意見書
2007年2月2日
本女性学会第14期幹事会および会員有志
柳澤伯夫厚生労働大臣が2007年1月27日、松江市で開かれた集会で、女性を子どもを産む機械に例え、「一人頭で頑張ってもらうしかない」と発言をしていたことが明らかになりました。
これは、子育て支援を司る行政の長としてまことに不適切であり、即刻辞任されるよう強く求めます。
大臣の発言には、以下のような問題があると、私たちは考えます。
第一に、人間をモノにたとえることは、人権感覚の欠如と言えます。
第二に、女性を産む機械(産む道具)としてみることは、女性蔑視・女性差別の発想だと言えます。また、この観点は、優生学的見地に容易につながる危険性をもっているという意味でも問題です。
第三に、女性(人)が子どもを産むように、国(国家権力、政治家)が求めてもよいというのは、誤った認識です。産む・産まないの決定は、個々の女性(当事者各人)の権利であるという認識(リプロダクティブ・ヘルス・ライツ理解)が欠如しています。リプロダクティブ・ヘルス・ライツの考え方は、カップル及び個人が子どもを産むか産まないか、産むならいつ、何人産むかなどを自分で決めることができること、そのための情報と手段を得ることができること、強制や暴力を受けることなく、生殖に関する決定を行えること、安全な妊娠と出産ができること、健康の面から中絶への依存を減らすと同時に、望まない妊娠をした女性には、信頼できる情報と思いやりのあるカウンセリングを保障し、安全な中絶を受ける権利を保障すること、などを含んでいます。
第四に、子どもを多く産む女性(カップル)には価値がある(よいことだ)、産まない女性の価値は低いという、人の生き方に優劣をつけるのは、間違った考え方です。産みたくない人、産みたくても産めない人、不妊治療で苦しんでいる人、産み終わって今後産まない人、子どもをもっていない男性、トランスジェンダーや同性愛者など性的マイノリティの人々など、多様な人々がいます。どの生き方も、平等に尊重されるべきですが、柳澤発言は、子どもを多く産む女性(カップル)以外を、心理的に追い詰め、差別する結果をもたらします。
第五に、少子化対策を、労働環境や社会保障の制度改善として総合的に捉えず、女性の責任の問題(女性各人の結婚の有無や出産数の問題)と捉えることは、誤った認識です。子どもを育てることは、社会全体の責任にかかわることであって、私的・個別的な家族の責任としてだけ捉えてはなりません。
第六に、「産む(産まれる)」という「生命に関する問題」を、経済や制度維持のための問題(数の問題)に置き換えることは、生命の尊厳に対する危険な発想といえます。もちろん、出産を経済、数の問題としてとらえることが、社会政策を考える上で必要になる場合はありえます。しかし、社会政策はあくまで人権擁護の上のものでなくてはならず、生命の尊厳への繊細な感性を忘れて、出産を国家や経済や社会保障制度維持のための従属的なものとみなすことは、本末転倒した、人権侵害的な、かつ生命に対する傲慢な姿勢です。
以上六点すべてに関わることですが、戦前の「産めよ、増やせよ」の政策が「国家のために兵士となり死んでいく男/それを支える女」を求め、産児調節を危険思想としたことからも、私たちは個人の権利である生殖に国家が介入することに大きな危惧の念を抱いています。
柳澤大臣の発言にみられる考え方は、安倍首相の「子どもは国の宝」「日本の未来を背負う子ども」「家族・結婚のすばらしさ」などの言葉とも呼応するものであり、現政権の国民に対する見方を端的に表しているものと言えます。2001年の石原慎太郎「ババア」発言、2002年の森喜朗「子どもをたくさん生んだ女性は将来、国がご苦労様といって、たくさん年金をもらうのが本来の福祉のありかただ。・・・子どもを生まない女性は、好きなことをして人生を謳歌しているのだから、年をとって税金で面倒をみてもらうのはおかしい」発言も同じ視点でした。
産めない女性に価値はないとしているのです。少子化対策が、国のための子どもを産ませる政策となる懸念を強く抱かざるを得ません。
小泉政権に引き続いて、現安倍政権も、長時間労働や格差、非正規雇用差別を根本的に改善しようとせず(パート法改正案はまったくの骨抜きになっている)、障害者自立支援法や母子家庭への児童扶養手当減額、生活保護の母子加算3年後の廃止などによる、障がい者や母子家庭いじめをすすめ、格差はあっていいと強弁し、経済成長重視の新自由主義的優勝劣敗政策をとり続けています。ここを見直さずに、女性に子どもを産めと言うことこそ問題なのです。したがって、今回の発言は、厚生労働省の政策そのものの問題を端的に示していると捉えることができます。
以上を踏まえるならば、安倍首相が、柳澤大臣を辞職させず擁護することは、少子化対策の改善への消極性を維持するということに他ならず、また世界の女性の人権運動の流れに逆行することに他なりません。以上の理由により、柳澤伯夫厚生労働大臣の速やかな辞職と、少子化対策の抜本的変更を強く求めるものです。
以上
後世に残るであろう破廉恥な石原の「ばばあ発言」とは何かをご存知のない方のために「石原ばばぁ発言に抗議を」に詳しく書いてあったので、ここに引用させていただくが、その前後の発言も是非忘れないでいて欲しい。
『これは、ぼくが言っているじゃなくて、松井孝典がいってるんだけど「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババァ」なんだそうだ。「女性が生殖能力を失っても生きているっていうのは、無駄で罪です」って男は、80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を産む力がない。そんな人間が、きんさん、ぎんさんの年まで生きているって言うのは地球にとっては悪しき弊害って・・・。なるほどとは思うけど、政治家としてはいえないはね。(笑い)まあ半分は 正鵠を得て、半分はブラックユーモアみたいなもんだけど、そう言う文明っていうのは、惑星をあっという間に消滅させてしまうんだよね。』
上の文の中で石原は、この発言を松井孝典 東京大学教授(惑星物理学、比較惑星学他)が言ったこととしているが、実際は、少し違うようだ。詳しくは、「石原ババア発言」と松井孝典氏の思想についてが参考になると思うが、松井教授は世界の人口増加について述べており、ババアではなく、おばあさんと呼んでいる。又、松井教授は女性は生殖機能を失っても、孫の面倒を見たりして役にたっているとおばあさんのことを決して邪魔者扱いにはしていない。それに比べ、松井教授の意見を歪めた石原のババア発言は、まるで、生殖機能を失った女性は人間として何の役にもたたないので早く死ねと言っているのだ。

↑雑談日記のSobaさんが急遽作って下さった「柳沢、お前の頭の中身はこれだろ」バナー
このように、柳沢厚生労働大臣以上にひどい発言をしているのが石原慎太郎都知事や森喜朗元総理だが、日本ではいまだにこういった古い考えの輩が現政権を握っているかと思うと失望を禁じ得ない。こういった発言は古い自民党のネオコン体質を表すものであり、男尊女卑、兵士の数を増やすための産めや増やせやの軍国主義の確立につながるものである。日本を軍国主義国家に戻さないためにも、安倍内閣が憲法改正を果たす前に政権交代を急がねばならない。柳沢厚労相を辞任させ、次期都知事選では公私混同ネオコン女性差別・人種差別主義者の石原を必ず落選させ、参院選では腐りきった自民党に長期に渡って君臨した森喜朗に是非引退してもらわねばならない。もちろん、安倍もAbEndするべし!
過去に書いた少子化対策に関する記事を読んでいただくとこの記事の内容がわかりやすいと思う。
ホワイト・カラー・エグゼンプションと少子化問題
安倍晋三の美しい年頭会見!
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Tags : 柳沢発言 |
2007.02.07 (Wed)
アホ炸裂の懲りない柳沢発言

↑雑談日記のSobaさんが急遽作って下さった「柳沢、お前の頭の中身はこれだろ」バナー
「柳沢厚労相:ぽろり、柳沢語 失言へ集中砲火 平身低頭、説明は回避--衆院予算委」(毎日新聞 2007年2月8日 東京朝刊)によると、衆院予算委員会集中審議で小宮山洋子氏(民主)に「再三おわびしているが、何が悪かったと思っているのか」問いただされても、ただ平謝りするだけで、何が悪かったか説明できなかった様子。こりゃひどい。こんなのが厚生労働省の大臣だとは・・・あまりにも情けなさ過ぎる。
国民が子供をたくさん産もうと思えるような豊かで幸せな暮らしができる生活環境や、女性やその配偶者が出産休暇をとっても後ろめたさを感じない、又、子供を産んだ後でも安心して仕事に復帰できる職場環境などを整えず、又、出産費用を政府が負担するなどの政策も提案せず、一人の女性を機械に例えて、ただ子供をたくさん産むように促すような発言をしたことが悪かったとなぜ言えないのか?ただ謝罪すればいいってもんじゃないだろう。
そして、新たな問題発言だけど、これがもし、大学での講演だったら、聞いている人は学生で、これから結婚する人ばかりだから、まだ許されるけど、記者会見での発言だから、いろいろな人が聞いているということもわきまえずに、こういった発言をするのは、全くアホ丸出しでふざけている。この柳沢のおっさんには、一昨日の記事で紹介した冷泉彰彦氏が言うとおり、大臣としてのひたむきさや真剣さがまったくないと同時に自分でも認めているようだが、国民との対話に必要な国語力がない。
又、この柳沢のおっさんは、今の世間の家族構成の実態が全く把握できてないと見える。「柳沢厚労相「結婚・子供2人、健全」発言に疑問の声」(Asahi.com 2007年02月06日17時23分)の中で心理学者コメントが紹介されていたが、まさにその通りだ。
心理学者の小倉千加子さんも「結婚したい、子供が2人以上ほしい、というのを健全とすること自体、古い道徳観からくる発言で、年齢的な限界を感じる」と言う。「こういう発言が止まらない人が厚生労働大臣をしているから、ピントのずれた政策が続き、少子化が止まらないのだと思う。
夫婦に子供2人の4人家族というのは昔は多かった家族構成のあり方だけど、今の現実は母子家庭や父子家庭、又、一緒に生活していても結婚していなかったり、子供がいなかったり、一人暮らしだったりする人が大半であるということを知っていたら、これらの人は健全ではないということで、小泉純一郎、安倍晋三、小池百合子など、みんなこれに当てはまるのだ。
『S氏の時事問題』の 「柳沢厚労相の「健全な状況」という問題発言」にフランスの出生率について面白い内容が書かれていた。フランスでは結婚率は減少しているのに、出生率が先進国の中でも急上昇しているそうだ。なぜなら、生まれる子供の半数が婚外子(日本でいう非嫡出子)だからだ。
そこで、カナダの状況をCanadian Statistics(カナダ統計)の "Family arrangements(家族構成)"という項目で調べてみた。
日本語訳:
家族を持つことはいまだにカナダの社会の中では普通だが、二、三十年前に比べると、家族のサイズはかなり縮小してきている。1961年には6人以上の家族構成が16%を占めていたが、2002年には6人以上の家族は2.6%まで減少。家族の平均的人数は1961年には3.9人であったが、2001年には3人にまで減っている。逆に一人暮らしの数は増加している。1961年には一人暮らしが9%だったが2001年までには26%まで増加した。
又、3世代が一緒に生活している家族はとても少なく、2001年では2%だけだった。子供のいる家族の75%は子供を養育するために両親とも働いている。注目するべきことは、カナダではシングル・ペアレント(英語ではlone parentsと言う) が徐々に増えており、加えて、その負担も大きい。2001年には、両親のそろった家庭の平均的な子供の数は1.1人であるのに大して、シングル・ペアレントの家庭の子供の数は1.5人となっている。
より詳しい票などは、上のリンクの”Table”をクリックすると見ることができる。
この統計では、フランスのような婚外子かどうかはわからないが、シングル・ペアレントの数が増えていることは間違いない。カナダでは、大家族も少なくなり、一人暮らしが増え、シングル・ペアレントも増えている。これは、決して欧米だけの現象ではないと思う。日本だって同じだろう。つまり、柳沢が理想としている両親と2人の子供という家族構成を増やすことは今の状況ではとても無理であることがわかる。では、どんな政策をとったらいいのであろうか。
再び、『S氏の時事問題』の 「柳沢厚労相の「健全な状況」という問題発言」にこの問題に対処する方法が書かれていたので、ここに最初の部分だけ引用させていただく。
つまり、「少子化対策」として最も有効な政策は、家族のあり方には関係なく女性、あるいはそのパートナー(夫とはいわない)が子育てと仕事を両立できるように社会がサポートしていくことであり、多種多様な家族のあり方を社会が容認していく必要があるということではないだろうか。
家に早く帰って子作りに励むために、日本版「ホワイト・カラー・エグゼンプション」を導入しようとしたり、「女性は産む機械」や「結婚して子供が2人という家族構成が健全」という暴言を吐いたりする今の時代にそぐわないこのおっさんに厚生労働省を任せておいたら、本当にいつまでたってもこの少子化問題は解決しないと思う。 与党が本気で真剣に少子化を考えているのであれば、柳沢を即刻辞任させ、もっと適任を厚労相として選ぶべきであろう。少子化対策なんて本気で考えていないからこそ、いつまでも無能な人物に厚生労働大臣という重要な地位を与えて国民を混乱させているのだ。野党側は参院選のためにも一致団結して、もっと具体的で国民が納得する少子化政策を打ち出していただきたい。
又、あまりにも無知丸出しの柳沢発言のおかげでアパ関連のニュースが消えてなくなってしまった。マスコミには安倍に致命傷を与えるためにアパと安倍の関係をもっと掘り下げて、広く世間に伝えて欲しい。
追記(1/10):コメント欄に民主党の菅直人氏の「(愛知や東京は)子どもを産む生産性が最も低い」発言はどうなんだという質問があったけど、私が思うに、これは、柳沢発言の「女性は産む機械」を受けて冗談で言ったものではないか?又、少子化政策を進めていく上で、重要な地位にある柳沢後世労働大臣の発言と一国会議員の発言とは重みの違いがあるのは言うまでもないだろう。
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2007.02.06 (Tue)
県知事選と市長選の結果が意味するもの
北九州市長選では、せっかく安倍内閣総理大臣妻アッキーやナンミョータレントが応援にかけつけたにもかかわらず、自公推薦の候補らを抑えて、無所属の新人で民主党、社民党、国民新党が推薦する北橋健治氏が当選を果たした。又、愛知県知事選では、圧勝といわれていた自公推薦の神田真秋氏が同じく無所属の新人で民主党、社民党、国民新党が推薦する石田芳弘氏にわずかの差で辛勝した。
北九州市長選の開票結果 北九州市長選
当 217,262 北橋 健治 無新〈民〉〈社〉〈国〉
177,675 柴田 高博 無新〈自〉〈公〉
56,873 三輪 俊和 無新〈共〉 (選管確定)
(2007年2月5日2時5分 読売新聞)
愛知県知事選の開票結果 愛知県知事選
当1,424,761 神田 真秋 無現〈自〉〈公〉
1,355,713 石田 芳弘 無新〈民〉〈社〉〈国〉
160,827 阿部 精六 無新〈共〉 (選管確定)
(2007年2月5日2時6分 読売新聞)
いったいこれは何を意味するのだろうか?柳沢本人は愛知県知事選で勝利し、これで首がつながったと喜んでいるようだが、今回の選挙には、柳沢発言が影響し、自公議員は下記の記事を読んでもわかる通り、ヒヤヒヤさせられたに違いない。
愛知・北九州首長選:与党は安堵の一方、動揺も 1勝1敗(毎日新聞 2月5日)
政府・与党に危機感、愛知・北九州1勝1敗で発言続々(読売新聞 2月5日)
自民幹事長 選挙結果は厳しい(NHKニュース)
今、柳沢を辞任させたら、安倍内閣崩壊を招くことになり、それだけは避けたいと思っているだろうが、これだけ2つの選挙に大きな影響を与えた発言を許す安倍内閣は、参院選で苦い思いをしてからでは遅すぎるというのに・・・。今、柳沢を辞任させ、参院選に備えた方がどれだけ将来のためになるかわからないようでは、安倍内閣の無力を世間にアピールするだけだ。
村上龍がプロデュースするJMMのメルマガで冷泉彰彦氏の「世論との対話力」という柳沢発言と関係した面白い記事を読んだので、紹介したい。コピペ禁止だが、JMMのメルマガにリンクされていないので、リンクされしだい、下の記事は削除し、リンクを表示したいと思う。
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■ 『from 911/USAレポート』第288回
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「世論との対話力」
日本では柳沢伯夫厚生労働大臣の「失言」問題が騒ぎになっているようです。海外でも報道されていて「恥ずかしい国」であるという非難もされているようですが、アメリカではそれほどの騒ぎにはなっていません。例えばNYタイムスでも「外信囲み記事」という扱いに過ぎません。
ただ、問題となっている「女性は子供を産む機械」という言葉を英語にすると"baby-baring machine"とか"child-making device"ということになるわけで、「マシーン」とか「デバイス」という「字面(じづら)」は何ともはや刺激的です。そう考えると「余り話題になっていない」こと自体が、日本の男性政治家がこの種の失言をしても「誰も驚かない」という予見があるような気がして何ともイヤな思いがします。
確かに柳沢厚労相は「機械なんて言ってごめんなさいね」という断りを席上では言っていて、その意味では悪気はなかったのかもしれません。少子化の責任を女性だけに押しつけているという反発もあるようですが、百歩譲ってそれも下品なレトリックの一種と思うことも可能かもしれません。ただ発言の主旨として「要するに合計特殊出生率が1.5になればいい」という願望的な数字を言っているだけで、そこに具体的な提案がまるでないことには呆れるばかりです。
これとほぼ時期を同じくして、アメリカではジョー・バイデン上院議員(民主、デラウェア州選出)の失言が話題になりました。バイデン議員は軍事外交畑に通じたベテラン(任期6年の上院で当選6回)で、ざっくばらんな語り口はTVでも有名です。そのバイデン議員は2008年の大統領選挙へ向けて、選挙準備委員会の発足を表明したばかりでしたが、一言の失言で候補としての可能性は風前の灯火になってしまいました。
こともあろうに、民主党内で候補指名を争うことになるバラク・オバマ議員に対する不用意な発言をしてしまったのです。「彼は指名はムリだろう。上院に当選したばかりで、まだ経験はない。そんな実力があるとは思えないね」というのもなかなか挑戦的ですが、この部分はそれほど問題になっていません。
問題になったのは「彼は黒人大統領候補としては初めての本流だね。理路整然としているし、切れるし、カッコイイし、クリーンだし……何だか(子供向けの偉人伝的な)読み物(ストーリー・ブック)みたいな話だね」という部分でした。
何が問題になったのでしょう。この中では特に「クリーン」という部分です。つまり、オバマ候補を「初めての本格黒人候補」と言うことは、過去の黒人候補たちをバカにしたということになるのです。とりわけオバマ候補が「クリーン」と言ってしまっては、過去の候補が「クリーンでない」という含意があると言われても仕方がありません。
オバマ陣営は早速声明を出して「私としてはバイデン議員に怒りは感じないが、ジェシー・ジャクソン師やアル・シャープトン師などの先輩候補は、それぞれに真剣な政策を掲げて立候補したのであって、彼等のことを侮辱するのは許せない」としています。
ジャクソン師やシャープトン師というのは、それぞれ黒人の市民運動家で、大統領候補には何度も挑戦していますが、予備選では大きな票は取れずに最終的には有力候補にはなっていません。ですが、彼等の努力があったからこそ、民主党としては真剣に黒人票と向き合ってきたとも言えるし、現在オバマという「本格候補」を出すに至ったのは事実です。その「先人」を侮辱するというのは、人種差別的と言われても仕方がないでしょう。
中には異論もあり、CNNでは(チョイ悪という感じで売っている)キャスターのグレン・ベックなどは「白人候補の場合は、極右でKKK支持などという人は、それこそクリーンじゃないとして非難されても誰も文句を言わないのに、黒人の悪口を言ったら叩かれるというのはダブル・スタンダード」と言っていましたが、同僚のポーラ・ゼーンからは「冗談じゃありません」と一蹴されていました。
どうやらこれで本当にバイデン候補の選挙戦は「数日で終わり」になりそうな雲行きです。では、柳沢大臣にしても、バイデン議員にしても何が悪かったのでしょうか。それは緊張感のなさということに尽きると思います。世論というのは移ろいやすいものです。また時には感情的にもなります。その一方で、多様性もあって、感情も理念も一筋縄ではいかない複雑な様相を取って現れるものだと思います。
政治というのは、そうした世論と対話をするのが仕事で、その世論との対話に真剣さを欠く人間は政治に携わるための基本的な能力に欠けると言わざるを得ません。その「真剣さ」というのは具体的にどういうことを言うのでしょう。そうした問題を扱った映画が英国で制作され、それがアメリカのアカデミー賞の作品賞候補になっているというのは興味深い現象です。
タイトルは『ザ・クイーン』で、エリザベス女王を演じたヘレン・ミレンがアカデミーの主演女優賞候補にも入っており、地味な政治ドラマながら42ミリオンというヒットになっている作品です。内容はダイアナ妃の事故死の直後、世論の追悼のモメンタムがどんどん走り出す中での王宮の内情を描いています。あくまで公式の弔意表明を拒んだエリザベス女王に対して就任早々のトニー・ブレア首相が必死の説得をする一方、女王は伝統の守護者として言うことをきかない、ドラマはそこから始まります。
これは史実ですからストーリーを申し上げても構わないと思いますが、最終的にはバッキンガム宮殿に半旗が掲げられ、女王自身も追悼のTVメッセージを行うことになります。その妥協が成立するまでの心理ドラマが実に巧妙に描かれていて、なかなかの評判です。
ブレア首相を演じたマイケル・シーンという役者も本人にソックリで、しかも話し方も似ているので何ともリアルなのですが、実際に女王と首相の間で行われた会話は想像するしかないわけで、この作品はドキュメンタリーとは言えないでしょう。あくまで「こういうことだったのではないか」というファンタジー的なフィクションとして見るのが良いのだと思います。
ブレア夫人を演じたヘレン・マクロリーという人は外見はそれほどソックリではないのですが、キャラクター的には「たぶんそうだったのでは」と思わせるような演出がされているのも興味深い点です。就任早々の、しかも久々の労働党政権を奪還した夫妻は、女王に「親任」されること自体がそもそも不愉快だという風に描かれています。「私の首相に任命します」という「儀礼的なセリフ」にも表情としてはカチンと来る、そんな演出なのです。
それが、ストーリーが進むにつれて、ブレアは女王の「頑固なまでの保守主義」にある激しい決意を見て不思議な尊敬心を抱くに至る、その心理の動きが映画のヨコ糸であり、女王は女王で世論の動向に驚きながら最終的には「このままでは君主制への不信任が暴走する」という懸念から妥協に至るのです。これがタテ糸で、きれいに整理してしまえば、君主と首相が必死に向き合うことで政体として世論と向いあうこと
が出来た、それが映画のテーマになっていると言えるでしょう。
エリザベスという人は、第二次大戦中は従軍の技術者として軍事車両の修理を担当していたそうで、自動車の運転には相当な自信があるのは事実だそうです。これを反映して、映画の中の女王も、ダイアナ騒動から孫の二王子を守るために御料地にこもって狩猟を続けたり、一人でランド・ローバーで荒れ地を走るというようなシーンがあります。
やがて女王はムリに浅い川の流れを突っ切ろうとすると、クルマはスタックして立ち往生してしまいます。女王がスッと下車してシャシーの下を覗き込むとシャフトが折れているのです。「あらあら困ったわ」とすぐに携帯で侍従に助けを求めるのですが、その女王の視線にふっと見事な角を生やした鹿が勇姿を現します。その時、二王子でしょうか、狩人の近づく気配がすると、女王は鹿に「お逃げなさい」という目配
せをするのです。
その鹿の運命については映画をご覧いただくとして、堂々とした姿を誇りながらハンターに追われている鹿というのは女王に取っての君主制の運命を暗示しているのだと思います。また荒野を走り続けて故障したローバーは女王自身なのかもしれません。こうしたシーンは勿論フィクションでしょうが、人物の描写として非常に成功していると思います。
またブレアから「女王陛下はどうしてそこまで頑固でいらっしゃるのですか。それは余りにも若くして即位されたからですか」というセリフがあり、女王が「そうかもしれませんね」という反応を示す部分なども、英国の保守的な人々の女王に対する愛着が出ているように思われます。エリザベスという人は元来は王位継承の可能性は低かったのですが、伯父であるエドワード8世が「王冠をかけた恋」のために退位して父ジョージ六世が即位するというハプニング、更にその父の早世によって27歳で即位しているからです。
それにしても、英国王室の内情を描いた映画がこれほどまでにアメリカでヒットするというのは、どう説明したら良いのでしょう。作品自体が良くできているということも勿論あります。また君主制を捨てて出発したアメリカの人にとって、自国にはない制度だからこそ、君主制に関心があるということもあるのでしょう(その意味で、アメリカ人は日本の皇室にも興味を示す人が多いのです)。
ですが、この映画の中のエリザベスとブレアという人物が示す、世論に対する真剣な姿勢というものは、ファンタジーにしても人々の琴線に触れるものがあるのでしょう。この映画の描いているドラマがどこまで「事実」であるかは全く分かりません。ですが、君主制に賛成の人にも、反対の人にも映画のテーマについては伝わるものがあるのだと思います。
公選で選ばれた元首と、世襲君主の大きな違いは、世襲君主は終身制で任期がないという点です。勿論、絶対王政の時代にはそれゆえに無謀な政治も行われたのですが、現代のようにメディアを通じた世論が発達した時代では、世襲君主は在位している限り世論の支持を失うわけには行きません。そのギリギリの状況から来る真剣さというものは、実は公選で選ばれた代議員や元首にも必要なのではないでしょうか。
世論への真剣さということでは、一連の「タウン・ミーティング」の問題も同じでしょう。ある政策に対して予想される反論を取り上げて、反論を誠実に受け止めつつ政策の正しいことを主張し、理解を求める、その姿勢が欠落して「ただやればいい」というのもお粗末ですし、そもそも世論の理解というのは国会での与野党による賛否両論の応酬の際に、それぞれが世論を背負って真剣勝負を繰り広げる中で進むのが本
当でしょう。
その意味で、柳沢大臣やバイデン議員は明らかに真剣さを欠いていたと言わざるを得ないと思います。ところで、今回の件でポイントを稼いだと思われるオバマ候補ですが、2日の金曜日にはNYタイムスに「母親が白人で父親がケニア人のオバマ氏は、最終的には黒人票を取れないとの調査結果」という「アンチ・オバマ」の記事を載せられてしまっています。
タイミングも含めて意図的な記事としか思えませんが、いずれにしても大統領選へ向けての候補者選びというのは、こうした「批判」も含めてあらゆる試練に耐えて、世論との対話力が試されるプロセスだと言えるでしょう。そのプロセスを通じて、時には「大化け」する候補も出てくる、この辺りに大統領選の意義があるとも言えます。
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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。ニュージャージー州在住。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わったか』『メジャーリーグの愛され方』。訳書に『チャター』がある。
最新刊『「関係の空気」「場の空気」』(講談社現代新書)
カナダでも話題になっている『ザ・クイーン』という映画については、又折を見て紹介したいと思う。
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