2009.09.28 (Mon)
鳩山首相はなぜIOC総会へ出席するのか

写真左:谷垣 禎一ウィキペディアより
それにしても、不思議なのは、自民党の代表が下野しても「総裁」と呼ばれ、民主党は与党になっても「代表」のままだってこと。自民党は下野したんだから、代表でいいんじゃないのだろうか。逆に民主党は代表ではなく総裁という言葉を使うべきではないのか。だって、総裁の方が代表よりも偉そうに聞こえるじゃない(笑)?つまり、与党の代表は「総裁」と呼ばれ、野党の代表は「代表」と呼ばれるべきだと思うのだ。でも、共産党の場合は、委員長だし、これは各党によって呼び名が違っていて、与党になろうが野党になろうが、そのまま引き継いでいるのだろうね。
まあ、そんなことはさておき、今日のメインテーマは、東京オリンピックについてで、Like a rolling bean (new) 出来事録の「民主党を「今更(10兆円規模の東京五輪招致に)反対するバカ」呼ばわりする都知事というRolling Beanさんのエントリーにもあるとおり、確か、小沢一郎が代表だったときの民主党は、東京オリンピックについては反対だったと思ったんだけど、2,3日前に鳩山総理がIOC(International Olympic Committee: 国際オリンピック委員会)総会に出席することが公式に決まったと聞き、がっかりしちゃった。
おまけに、『きっこのブログ』東京オリンピック招致は『反対』が多数にもあるとおり、オリンピックに反対する人は賛成する人よりも多く、読者の方からも鳩山首相のIOC総会への出席について不満を抱くコメントをいただいている。
まずは、jsds001さんからのコメント。
五輪誘致は優先順位が下
鳩山首相はコペンハーゲンに行って、25%とからめて東京オリンピックを宣伝するそうですね。本当に呼びたいのでしょうか? イシハラの顔を立てる義理はないと思いますが。外遊翌日の朝の映像を見ると、足を引きずっているみたいでした。どこにも触れられていませんが、張り切りすぎて身体のことを軽視しないようにして欲しいですね。政府専用機ならエコノミック症候群の心配はないでしょうが、そんな感じでした。IOC出席だなんて、優先順位では三ケタの案件だと思います。日本に留まってご活躍を。
確かに、元首相経験者も外務省には気をつけろと言ってたね。気に食わない首相には、強行スケジュールを組んで、心身共に疲労させてこらしめるのだとか。それにしても、東京オリンピックに反対していた民主党が、与党になったとたん、東京オリンピックに力を入れるというのはどうしてだろうか。他の2016年夏季五輪の開催地として最終候補に残っているシカゴではオバマ大統領が、マドリードはスペインのカルロス国王、リオデジャネイロはブラジルのルラ大統領が出席するからといって、これまで反対してきた民主党を代表する鳩山首相がIOC総会に出席するというのはいかがなものだろうか。きっと東京オリンピックがかなわなかったときには、辞任するとのたまっていた石原チン太郎にも強く要請されたのだろうが、jsds001さんが言われている通り、あんな奴の顔を立てることもないだろうに。チン太郎を辞任させるにも、東京オリンピックを実現させるべきではない。
次にnekonekonekoさんからのコメント。
オリンピックは辞退すべき
鳩山首相がIOC総会に出席することが決定しました。
馬鹿げた話です。
日本でオリンピックをやる必要などありません。
オリンピックは税金の無駄遣いです。
そんなくだらないことに時間と労力と費用をつぎ込むのはやめるべきです。
最後に、いつも貴重な情報を下さるみちのくさんからのコメント。
東京五輪招致団、50人に“30万円スーツ”を支給 これでは世論の支持も上がるまい
http://diamond.jp/series/sports_opinion/10072/
記事によれば、デザインには招致委員会会長である石原慎太郎都知事お気に入りのデザイナーを起用。 スーツの生地は糸から織った特製で日本の伝統と文化を表す「紫木蓮」と「深川鼠」の色合いを生かしたものだそうだ。 この上下にネクタイとワイシャツ数枚の一式で30万円だという。 これを総会に出席する関係者約50人分オーダー (プレゼンで登壇するのは10人)。合計すると1千500万円である。
だが、オリンピック招致の予算の多くは税金で賄われている。 多くの人が苦しい生活を強いられている大不況下の今、 30万円のスーツ代は庶民感情を無視しているとしか言いようがない。
記事から。
税金でスーツ作る前に新銀行東京の借金を慎太郎の資産で穴埋めしろ!と言いたい。
1,2,3とあるので皆さん読んで下さい。
無駄をなくすことをマニフェストに掲げた民主党政権なのだから、オリンピック開催に伴う全ての予算を透明にするべきで、もし、東京でオリンピックを開催した場合、それに伴う税金からの出費がどのくらいになるのか、又、逆に国民にとってどのような利益があるのかなどをみんなが納得いくよう説明すべきだと思う。
2006.09.03 (Sun)
道州制導入と誹謗・中傷を再考する
道州制導入、3年で道筋 安倍氏が表明 Flash24 (2006年 9月 3日)
安倍晋三官房長官は2日午後、自民党総裁選に向け松山市で開かれた党四国ブロック大会の討論会で、後継首相になった場合の道州制導入に関し「次の任期中に骨格を決めるのが第1弾だ」と述べ、党総裁として1期目の任期である3年間で道筋を付けたいとの意向を表明した。
道州制は、都道府県を廃止して「道」や「州」の広域自治体に再編、国から権限や税財源を移す構想で、首相の諮問機関の地方制度調査会が今年2月に「導入が適当」と答申。竹中平蔵総務相も7月末、「3年以内にいつ導入できるかめどを付けたい」との考えを示している。
安倍氏は、これまでも道州制導入に積極的な姿勢を示しており、1日発表した政権構想にも地方分権に向けた道州制ビジョンの策定が盛り込まれている。討論会で安倍氏は「道州制は国から大幅に権限を移譲する大改革だ。今はそれぞれのイメージがあり、まずそれを統一する。焦ってはいけない」と指摘した。
ただ、これも説明不足で、国民に不安を与えるだけのものになってしまっている。これだけ読むとついに日本もアメリカのようにカタカナ州制度を適用するのかもしれないとか、いまよりももっと大雑把に全国10州くらいに分けられて、地方のサービスももっと雑になるのかとか、「きっこのブログ」でも話題になっていたが、じゃ、日本でオリンピックが開催される頃には東京都が東京州になってしまうのだろうとか、いろいろな憶測をめぐらせてしまうのは、私だけではないだろう。政府としては、こういった新しい政策をメディアに発表する前に、もう少し詳しく説明する準備を整えなくてはならない。
なぜこのように変えることになったのか、具体的には、どうして国から権限や税財源を広域
話はクルリンパと変わって、おとといの記事の続きになるが、このところ、誹謗・中傷の意味について再考する機会を与えられた。誹謗・中傷は心理的なものであり、ただ辞書にこう書いてあるからと言って、書き手側が誹謗・中傷ではないと言っても、受け取った側がそう受け取れる場合もあるということだが、ただここで見落とされているのは、その内容だ。具体例はYannisさんのコメントの一部を引用させていただこう。
こんにちは。どうも残念な事態になってしまっていますね。まずはテッサロニケ氏にとって。
以下の引用文を見る限り、彼の問題となっている記事の続編、これは氏御自身の名誉のためにも書かれるべきではなかった。
(引用はじめ)
それが善意の批判か悪意の誹謗中傷かどうかを判断するのは、まずは誹謗中傷(批判)を受けた側であって、誹謗中傷(批判)を発した側ではない。今回の場合、最初にそれが誹謗中傷かどうかを判断するのは(受け手の)安倍晋三であり、そして最終的には第三者である裁判所が審決する。…(中略)… 誹謗中傷を正当な批判であるとして正当化する論法は、侵略戦争を防衛戦争だとして正当化する右翼の詭弁とよく似ている。それが侵略戦争であったかどうかは、まずは侵略を受けた側の中国の人々が判断する問題なのであって、戦争を仕掛けた日本の判断や定義が普遍的に妥当し通用するものではない。
(引用終わり)
確かにここには真理は含まれています。つまり被害というものは被害者がそれを感じ取り、被害を受けたと判断するものであって、加害者がそれを規定するものではない、ということです。しかしその被害の内容が問題だということがこの記事から抜け落ちているように思います。一方はある程度は、あるいはかなり真実をついている批判を(少し茶化した感じの批判を)受けた事がその「被害」、片方は40年近くも文化を圧殺されたり、あるいは十数年も国土を戦場とされたり、また一つの都市で何万人か何十万人かが虐殺されたしたことが「被害」です。一方は真実が明るみにでれば、「被害者」が反論出来なくなる「被害」、もう一方は「加害者」が反論出来なくなる「被害」ですね。
どうもテッサロニケ氏は仰るところの「誹謗中傷」が完全悪とするあまり、完全悪としての「戦争」をアナロジカルに引き合いに出し(ここまでは論理的には正しく見えます)、ついで不適切な例を挙げてしまったようですね。安倍晋三氏に見る日本の右傾化を憂いていたり、実際に日本の占領政策や戦争で自分や家族が犠牲になった中国人や韓国人がこの記事を見たら何と思うでしょうか。中国や韓国に友人が多いであろう氏にはこのような記事は書いて欲しくありませんでした。まあこんな意見は感情的に聞こえるかもしれませんね。
又、誹謗・中傷というのは、全く根拠もなく相手を貶め傷つけることであり、少しでもその理由があるのであれば、誹謗・中傷とは呼ばれない。ある不快な出来事があって相手に対して文句を言ったりする場合は、非難(相手をとがめること)と呼ぶのが正しいだろう。非難される側も、自分がなぜされるのかという根本的なところを考えることもなしに、ただ非難する相手にむかって「誹謗・中傷するな」と言っても逆効果である。もし、自分に何の非もないのに非難されているとしたら、それを正々堂々と相手に伝えるべきではないだろうか。それもせずに非難を誹謗・中傷と呼ぶのはおかしいだろう。
非難する側にも理由があるから非難しているのであって、非難される側もその理由は何なのかを考えて反省することがなければ、問題は一向に解決に向かわず、同じ非難がいつまでも繰り返されるばかりである。多くの者は、過去に心理的に傷つけられて相手を非難するのであり、それを理解しようとせずに非難を誹謗・中傷とすりかえるようでは、人格を疑われてもジンジャエールじゃないか。そういった過去の事件や問題を知らない読者のメールをもって自分の意見として代弁するのも全く意味がないことだ。
又、そこに書かれていることは、次のように全く違う2つのことが同じものとしてとらえられており、理解しがたい文章になっている。
1.「日本の侵略戦争」と「個人(本人)に向けての誹謗・中傷」といっしょくたにしている。
2.「悪政を司ると見られる一国の総理候補への批判」と「一ブロガーである自分への誹謗・中傷」を混同している。
3.「国の平和を願って有志が寝る間も惜しんで書いている批判記事」と「思想が違うというだけで個人を罵倒するネットウヨの落書き」と一緒にしている。
誹謗・中傷は相手に心理的ダメージを与えるものだが、少なくとも、安倍NDにTBされた批判記事は、安倍晋三にとっては新しい政権を構想する上で一般国民の意見としてかなり参考になっていると思う。それをうまく利用するかしないかは安倍自身に委ねられているのであり、私たちは、ただ日本の平和を願って書き続けるだけである。どうしてこれを誹謗・中傷などと呼べるのだろうか?
本人からリクエストがあったこともあり、今日で権力側に媚を売るブログのリンクをはずすことにした。そのブログを訪問することはこれ以後2度とないだろう。