2007.07.13 (Fri)
選挙期間中のブログ・ウェブページでの政治的言論表明は公職選挙法には違反しない
尚、『Matimulog』の管理人、町村氏は、H大学法学部・法学研究科で民事訴訟と倒産法・執行法を教えていらっしゃる。『Matimulog』の名前の由来はきっと「町村」と「ブログ」を合わせて一つにしたものでないかと思われる。
no_action_letter総務省の迅速な対応 (2005/08/29)より抜粋。
総務省法令適用事前確認手続規則(平成13年8月29日総務省訓令第197号) 第3条第2項の規定に基づき、下記のとおり照会します。
なお、照会者名並びに照会及び回答内容が公表されることに同意します。
記
1 法令の名称及び条項
公職選挙法、特に146条、148条
憲法21条
2 将来自らが行おうとする行為に係る個別具体的な事実
(1) インターネットのウェブページ(特にいわゆるブログ)を用いて、一般に公表して、衆議院議員選挙の立候補予定者および立候補者、政党などを、その特定の氏名・名称を挙げて、政治姿勢や選挙運動など一切の行為を指摘し、批判または積極的評価を下す行為
(2) 前項の行為を、対象となる候補者および政党の特定の氏名・名称を挙げないでする行為
(3) 特定の選挙区内または選挙区をまたいで、複数の候補者に関する政治姿勢や政見、選挙運動など一切の行為を指摘して比較する一覧表を、インターネットのウェブページ(特にいわゆるブログ)を用いて一般に公表する行為
3 当該事実が照会法令の適用対象となる(ならない)ことに関する照会者の見解及び根拠
公職選挙法第146条は以下のように定めている。
「何人も、選挙運動の期間中は、著述、演芸等の広告その他いかなる名義をもつてするを問わず、第142条(文書図画の頒布)又は第143条(文書図画の掲示)の禁止を免れる行為として、公職の候補者の氏名若しくはシンボル・マーク、政党その他の政治団体の名称又は公職の候補者を推薦し、支持し若しくは反対する者の名を表示する文書図画を頒布し又は掲示することができない。」
これによれば、上記2記載の行為は禁止されているようにも思われる。
しかしながら、憲法21条は表現の自由を保障しており、しかもこれは国民主権主義を具体化するのに必要なツールとして、特に政治的言論に関しては手厚く保障されるべきものである。このことは裁判の公開制限(憲法82条)の例外や名誉毀損の免責事由などにも現れている。
加えて公職選挙法は平等公平な選挙を実現することを目的としており、その限りで憲法の定める自由を制約することとなってもやむを得ないが、その制限は可能な限り少なく、かつ明白かつ現在の危険を避けるために必要な限度にとどめられることが、憲法の許す範囲の制限である。
従って、一般市民が、衆議院議員選挙の公示前後を問わず、政治的意見の表明をすることは推奨されこそすれ、法的制限にかかるものではなく、公職選挙法の上記条文もまたその趣旨に従って解釈すべきである。
なお、146条は「何人も」とあるが、その行為は142条または143条の禁止を免れる行為としてであるため、選挙運動のためにすることが要件となっている。上記2記載の各行為は選挙運動のために行うものではないが、禁止をされるには選挙運動のためにされていることが立証されなければならない。従って、公職選挙立候補者との委託関係が立証されない限り、一般市民がその政治的見解を特定の候補者名・政党と結びつけて表明することは、当然許され、またそれがインターネットのウェブページやブログを通じて公開されることも禁止されるべきでない。
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なお、この選挙の話とは別に、ノーアクションレターはもっともっと活用されて良い。国会議員の質問主意書と同様に、行政庁の見解を正式に問う正式の制度であり、回答義務が原則としてあるからだ。
ブログでルポルタージュを行う方々なども、活用してみてはどうだろうか?
『Matimulog』election:総務省の回答で紹介されていた「総務省によるIT時代の選挙運動に関する研究会」のPDFファイルの中に「第三者の選挙運動について」という項目があるのだが、その最後には、下記の結論が記されていた。
現行の公職選挙法においても、電話による選挙運動は第三者が自由に行うことができるのであるから、研究会としては、ホームページによる選挙運動は第三者が自由に行うことができるよう、主体制限をかけないことが適当であると考えられる。
なんか、これでとてもすっきりした。やはり、私が思っていたとおりでよかったことが証明された形になった。「公職選挙立候補者との委託関係が立証されない限り、一般市民がその政治的見解を特定の候補者名・政党と結びつけて表明することは、当然許され、またそれがインターネットのウェブページやブログを通じて公開されることも禁止されるべきでない。」というのは、町村教授の意見だが、全くその通りだと思う。
私の場合、公職選挙立候補者との委託関係は全くないので、これからも堂々と意見を書いていこうと思う。
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2006.07.07 (Fri)
安倍が「言論の自由」を破壊する
2006.7.5(その2)
森田実の言わねばならぬ[198]
安倍晋三氏を支持し、「安倍首相」を待望している愚かなる大新聞社の編集者、記者に問う――君たちは安倍晋三官房長官を次の自民党総裁にし、内閣総理大臣にしようとして、世論を安倍支持の方向へ巧みに誘導しているが、本当に日本国民にとって「安倍首相」がよいと考えているのか。それとも、今の政治権力と安倍首相を求める内外の勢力に脅されたり、買収されたりして、安倍首相づくりを推進しているのか。諸君はあまりにも愚かである。
「人間は、何を滑稽だと思うかによって、何よりもよくその性格を示す」(ゲーテ)
大新聞社の編集者、記者の諸君、君たちも読んでいると思うが、『選択』という情報誌がある。『選択』06年7月号の「交差点」(59ページ)下段の「裏通り」の一文を読んだ人は多いだろう。これを読んでもなお、諸君は安倍首相を実現するために働くのか。
『選択』は書店では販売されていない。このため、本ホームページの読者には読んでいない人のほうが多いだろう。その方々のために、以下、「選択」より大切な部分を引用する。
《記事への告訴や抗議が絶えないのは小誌の定めですが、今も次期首相最有力の安倍晋三氏から執拗な訴訟攻勢をかけられています。前編集長時代の六つの記事に対して名誉毀損で訴えてきたのが始まり。損害賠償金として五千万円を支払うとともに、すべての全国紙に謝罪広告を掲載せよと要求してきたのです。裁判官による調停に対しても極めて強硬で、判決まで持ち込まれました(今四月)。内容は、(1)五十万円を支払え、(2)その余の請求はいずれも棄却する――というもの。
当方はこれで手仕まいするつもりでいました。ところが、原告側からこれを不服として控訴してきたのです。それでいま第二回戦をやっているのですが、この裁判の過程で強く感じたことは、安倍氏側のメディアに対する挑戦的、高圧的な姿勢です。全国紙での謝罪を本気でやらせようというのですから尋常ではありません。最近の安倍氏関連記事に対する抗議文も「まだ懲りないのか」といわんばかりの脅迫まがいです。
故竹下登氏はとくに首相在職中、週刊誌から金権などで波状攻撃を受けたものですが、七通とかの訴状を用意して断固告訴を迫った側近に対し、「権力者というものはそういうことをすべきではない」と一蹴したと伝えられています。統治者たる者のひとつの見識。なんたる違いか。(Y)》
「言論の自由」は民主主義の社会において最も大切なものの一つである。政治権力者が、独裁的な考えに立って「言論の自由」を封殺しようとすれば、民主政治は成り立たない。
政治権力者が、独裁政治を求めるのか、民主政治をめざすのか――その境は、言論の自由を認めるのか否かにある。
安倍晋三氏はどちらか。 『選択』の記事を読むと、安倍晋三氏が、「言論の自由」の擁護者ではなく、「言論の自由」の破壊者であり、激しい独裁政治志向の持ち主であることがわかる。
大新聞社の編集者、記者のほとんどは「安倍支持」である。大新聞の記者たちは、安倍氏を首相にしようとしていろいろ画策している。だが、それで本当にいいのか。安倍氏を首相にした瞬間、日本の言論の自由が殺されてしまうおそれ大である。ジャーナリズムは、安倍氏の真の姿を知らせる努力をすべきではないのか。
安倍が裏でこんなことをしているから、道理で統一協会の件もあまりメディアで騒がれなかったわけだね。でも、ブログは政府と癒着することはないので、言いたいことはどんどん書いていいと思う。ただ、『反戦な家づくり』が名誉毀損の警告を受けたように、「言論の自由」を奪おうとする波は、ブログの世界にも押し寄せてきているのも事実だ。『反戦な家づくり』に関しては、相手が悪かっただけかもしれないが、なるべく個人を誹謗・中傷するときは、自分の意見を言うのではなく、本、雑誌、2ちゃんねるなどネットからの引用文を使うようにしようね(笑)。