2008.10.14 (Tue)
三浦和義はなぜ自殺したのか

落ち葉の妖精
『晴天とら日和』の『ロス疑惑』(三浦和義、ロス市警本部の留置場でTシャツで首を吊って自殺。)
では、とらちゃんが三浦氏に疑惑を持っている理由が書かれていた。全く同感。そして、三浦和義容疑者の自殺に関するエントリーのコメント欄が盛り上がっていることも書かれている(笑)。
三浦和義容疑者自殺の件で、読者の方からたくさんのコメントをいただいているが、中には、とても感情的なコメントもあった。私もそうだが、どうしても、話が人の生死に及ぶと感情的になってしまうようだ。
今回の三浦和義容疑者がロスに移送された目的は、「三浦和義容疑者が一美さんを殺したかどうか(殺人罪)」又は、「一美さんを殺害するために誰かと共謀したかどうか(共謀罪)」を明白にすることであるのに、三浦容疑者が自殺したことで、いつのまにか話題が、自殺か他殺かや、アメリカの刑務所の監視体制へとすりかえられてしまっている。
いくら戦争で人を殺すのをなんとも思わない軍隊を持つアメリカの刑務所だって、三浦容疑者はどこにも逃げられないんだから、これまで何十年もこの事件に真剣に取り組んできた人々が待ち望む裁判が始まろうっていうのに、到着したその日に、三浦容疑者を殺すわけないだろう。おまけに、三浦容疑者の代理人でもあるゲラゴス弁護士が、刑務所の監視体制に不備があったなんて言ってるけど、監視体制万端の日本でだって、極中自殺する人が後を絶たないことを忘れてるようだ。ちなみに、下記は、今年刑務所で自殺した受刑者のニュース。
広島刑務所で自殺(産経 2008.1.13 21:56)
13日午前10時50分ごろ、広島市中区の広島刑務所で、服役中の男性受刑者が独房内で首をつっているのを、巡回中の男性刑務官が発見。同刑務所で蘇生(そせい)術を施すなど応急措置をとったが、男性受刑者は間もなく死亡した。
同刑務所によると、男性受刑者は40歳代。ズボンを高さ約1メートルのベッドのさくに結んで首をつっていた。室内には遺書のような紙が残されていた。約25分前の巡回の際には変わった様子はなかったという。
刑務所で女性受刑者が自殺、山形 (iza 05/10 17:08更新)
山形刑務所(山形市)は10日、居室内で20代の女性受刑者が首をつって死亡したと発表した。単独で収容されており、自殺とみられる。
同刑務所によると、5日午前0時35分ごろ、受刑者が窓の鉄格子にズボンを掛けて首をつっているのを巡回中の職員が発見。病院に搬送されたが10日朝に死亡した。
発見の約10分前に別の職員が巡回した際は布団の中で寝ていたという。遺書はなかった。同刑務所は「誠に遺憾で再発防止に努めたい」としている。
姫路少年刑務所で、20代の男性受刑者首つり自殺 (産経 2008.9.2 13:43)
姫路少年刑務所(兵庫県姫路市)は2日、20代の男性受刑者が首をつって自殺したと発表した。
刑務所によると、8月28日午前9時50分ごろ、刑務所内の体育館にある便所で首をつっているのを職員が発見。病院に搬送したが、2日早朝、死亡が確認された。
受刑者は当時、体育館の一角にある図書室で作業中だった。本を束ねるビニールひもで首をつっていたという。
刑務所は「収容者の動静、心情を把握して再発防止に努めたい」としている。
受刑者は死のうと思えば刑務所の中でも死ねるわけで、別にアメリカの刑務所の監視体制に問題があったわけではないはずだ。
又、三浦容疑者は、自殺する前は元気でとても自殺するようには見えなかったということだが、独房で一人になって、これから裁判で真実が暴露されることを考えたら、恐怖が襲ってきたのだろう。サイパンからロスへ連行された時にかぶっていたあの「麻薬の名前が列記された」帽子は、彼が薬物依存症であったことを証明するものではないか。
彼の麻薬依存症については、マスコミではほとんど語られないが、麻薬など薬物の使用で、人はかなり感情の起伏が激しくなるという。もちろん、三浦容疑者がサイパンで拘留されていた7ヶ月間は、薬物に触れることはなかっただろうが、麻薬はやめてもフラッシュバックと呼ばれる後遺症があるようなので、今回の自殺には、そういった影響があるのではないだろうか。
三浦容疑者が薬物依存症であるとすると、カメラの前で激情的な演技をしたり、殺害を計画したり、万引きしたりと彼のこれまでの犯罪の説明がつく。彼は、薬物依存症だったから、麻薬を手に入れる資金を得るために、妻に莫大な保険金をかけて殺したのではないだろうか。
今回、三浦容疑者はサイパンでロスに移送されることをかなり必死で拒んでいた印象がある。ニュースの報道でも、「移送される」、「されない」のニュースが飛び交っていたと思ったら、いきなり「移送される」ことになった。なぜ移送されることに至ったのかは、読売新聞の「ロス疑惑」特集が詳しい。先日のNYタイムズには、同一犯罪で被告を再度裁判にかけることを禁じる「一事不再理」で「殺人罪」が却下されたから三浦容疑者が移送に同意したと書いてあったが、それだけが理由だろうか。
もし、そうなら、三浦容疑者が自殺したのは、薬切れの禁断症状の中で、2004年にカリフォルニア州法が変わって、「一事不再理」は海外の裁判には適用されないことを知ったからではないか。この「一事不再理」は2004年に制定されたので、それ以前の判決には適用されないのではないかという指摘がフリスキーさんからあったが、ケースバイケースのようなので、今週木曜日の審議会が注目されていた。又、「殺人罪」が認められなくても、「共謀罪」が認められれば、最低25年間の懲役なので今61歳の三浦容疑者にとっては余生を刑務所で暮らすようなものだった。こういったことを改めて考えた末、衝撃的に自殺を決意したのだろう。


ロス地検は、新証拠を手に入れたと言っていたが、それは何だったのか。それは、「共謀罪」で立証するために、一美さんをホテルの部屋で殴って殺害しようとした元女優の証言だった。日本の裁判では、すでに彼女の証言は「殴打事件」で明らかになっているが、ロスでは、三浦容疑者は、「銃撃事件」で起訴されただけで、「殴打事件」では起訴されていなかったので、ロス地検にとっては元女優の証言が新証拠となった。
彼女はインタビューで次のように語っている。
「昭和五十六年七月十日ころだったと記憶 しています。
私は三浦さんから原宿の喫茶店で一美さん殺害の話しを持ちかけられました。
その時、三浦さんは私にピストルで一美さの頭を撃つように言いました。
それだけで は自分が疑われるので、次に三浦さんの足を撃つようにと言われたんです。」
「ピストルは使ったことがないので出来ない」と断ると、三浦容疑者は鉄製のハンマーのようなものを用意し、それで一美さんを殴って殺人未遂事件を引き起こし日本の警察に逮捕され有罪となった。
この元女優の他にも、この時期に複数の日本人が同じような話を三浦和義から持ちかけられていることをロス市警は把握している。 つまり、彼らの証言は、「銃撃事件」の状況とほぼ一致している。こんな偶然がありえるだろうか。
今回、ロス地検が、「一美さんを殺して保険金を手に入れるために、他人に謀議を持ち掛けた」という事だけでも立証できれば、三浦容疑者がいくら一美さんの殺人を計画したことを否認しても、「共謀罪」で三浦容疑者に、最低でも25年の懲役を課せることがほぼ確実であったそうだ。元女優の証言と日本の「殴打事件」判決で有罪になったことでほぼまちがいなく「共謀罪」を立証する予定だった。
日本で犯罪を犯していたら、無罪になっていたものを、緻密な捜査で定評のある日本の警察を避けて、海外で犯罪を犯したことがかえって仇になった形だ。いくら三浦容疑者でも、犯罪を犯した当時、米国では殺人罪に時効がないことや「共謀罪」の罪がここまで重い事までは知らなかったのであろうし、サイパンからロスに移送される時も、「一事不再理」が海外で適用されないかもしれないことなども予測していなかったのだろう。とうとう最後に逃げ場を失って自殺したと見るのが私の見解だ。
最後に、『きっこのブログ』でも紹介されていたが、毎日新聞から、一美さんのお母様のコメントを転載する。
被害者の人権よりも犯罪者の人権を重んじる日本では、正義は実現しませんでした。死んだことで罪がすべて許されるなら、この世に倫理道徳はなくなります。死んでも、一美、(白石)千鶴子さん=79年、ロスで遺体発見=の無念は変わることはありません。悲しみ苦しんだ遺族の思いは消えることはありません。
一件落着のような風潮がもう出始めています。こんな理不尽なことが許されてよいのでしょうか。ロス捜査当局の方々には心より御礼申し上げます。最後のお願いは、捜査資料を公開してどのような犯罪であったか明らかにしていただきたい。そうでないと、一美、千鶴子さんの霊は永久に安らぐことがありません。
関連サイト:
三浦和義ホームページ
昭和事件史シリーズ 『ロス疑惑』~ 「殴打事件」「銃撃事件」とは? ~
一美さんのお母様がおっしゃられるように、ロス市警は、これまでの捜査資料を公開するべきだと思ったら、今日もランキングの応援よろしくお願いします。

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2008.10.12 (Sun)
三浦和義自殺:ロサンジェルス・タイムズの記事
日本のビジネスマン三浦和義被告が独房で死亡して見つかる
(ロサンジェルス・タイムズ 10月11日10:40 AM PDT)
ロサンジェルス・タイムズのスタッフライター、リチャード・ウィントン、アンドリュー・ブランクステイン、モーリー・ヘネスィーによる記事
三浦容疑者は1981年に前妻を殺害した罪で米国に戻ったばかりだった。彼の死は明らかに自殺。
ロサンジェルスで27年前に妻を殺したために共謀罪で起訴された日本のビジネスマンが、出廷するために米国に到着した数時間後の夜、独房で首を吊った。
三浦和義容疑者(61歳)は、金曜日の9時40分頃、刑務所係官が見回りをした時に、独房で死亡しているのが見つかったとロス市警のジョン・ロメロは言った。
「三浦和義殺人容疑者は独房で一人彼のTシャツを縄状に編んで首に巻いて自殺したことは明らかだ。」とロメロは言った。三浦容疑者は郡USC医療センターに緊急に搬送されたが、そこで死亡が確認された。
当局はすぐに三浦容疑者の家族に伝えるために、日本領事館へ連絡したとロメロは伝える。
ニューヨークの三浦容疑者の弁護士、マーク・ゲラゴスは、地方検事によって今日の未明、12時15分ごろ、三浦が死亡したことを伝えられた。「全く意味がわからない。」とゲラゴスは言った。
ゲラゴスは、「今日、弁護士が三浦容疑者を訪問したとき、彼は背中の痛みを訴えただけで、元気そうだった。特に落胆したり、落ち込んでいるような様子も見られなかった。何か問題があるようには全く見えなかった。むしろ、三浦容疑者は、法廷での闘いに備えて準備万端といったところだった。」と伝えた。
ゲラゴスは、「単独の調査を要求しようと思うが、いまだに何が起きたのか納得できる説明がなされていない現状に不満がある」と言った。
カリフォルニア刑務所基本法によれば、独房の見回りは30分ごとに行われる。予備情報によれば、当局は、収容所係官が三浦容疑者が首吊りしているのを発見された10分前にチェックした時、何も変わりはなかったと発表している。
収容所係官はすぐに助けを求めた後、他の2人の係官とともに、三浦容疑者に人工呼吸による心肺機能蘇生法を行うために独房へかけつけた。刑務所の医務室から医療担当者も独房に応じた。
ロサンジェルス消防署の担当者もパーカー・センター刑務所に、三浦和義容疑者の救命措置を続けるように応答し、三浦容疑者をロサンジェルス郡USC医療センターに搬送した。
警察に誘導されながら、三浦容疑者は金曜日にロサンジェルス国際空港に午前5時前に到着し、警察本部に連行された。火曜日には、中央刑務所に移送される予定だった。
1988年からずっと三浦容疑者を調査し続けたリック・ジャクソン捜査官は、三浦容疑者を拘留することに意欲をみせていたグループの一人である。ジャクソン捜査官は、金曜日に何十年にも渡ってこの重要事件を追った日本のニュースの伝達者のために働いてきた多くの報道陣に警察本部で挨拶されていた。
「この20年の間に三浦容疑者に2度と会えないのではないかと思われるときが何度もあった。」とジャクソンは三浦容疑者と警察本部から戻ってきてまもなく語った。「だから、とても嬉しい。」
ジャクソン捜査官によれば、移送中、三浦容疑者は、サイパンで買った「Peace Pot Microdot」と書かれた白と黒の野球帽について捜査官に語りながら、とても「協力的」だったそうだ。到着時、三浦容疑者はとても疲れていたとジャクソン捜査官は言った。移送中に三浦容疑者が殺人罪の調査について何か語ったかどうかは一切触れなかった。
三浦容疑者は1981年の11月にロサンジェルスのダウンタウンを訪問中に、妻一美さん(当時28歳)の頭部を銃撃して殺すことを計画した罪で起訴された。三浦容疑者もそのとき、脚を撃たれた。
判事は、1988年に殺人と共謀罪の罪で三浦容疑者を逮捕する委任状を発行したが、捜査官は三浦容疑者を日本から引き渡すことができなかった。三浦容疑者は1994年に彼の妻の死を計画したとして日本で殺人罪で一度は有罪となったが、最高裁での判決は、逆転無罪となった。
「彼をここに連れてくることさえできれば、全てがうまくいくはずだった。なぜなら、たくさんの証拠があったから。」とジャクソン捜査官は金曜日に言った。
2月に三浦容疑者は彼のブログに米国領であるサイパンを訪問する計画について書いた。サイパンから日本に帰ろうとした時、三浦容疑者は、1988年に発行された逮捕の委任状で逮捕された。三浦容疑者は最初、引渡しを拒否するために闘ったが、先月日本での裁判を受けて、同一犯罪で被告を再度裁判にかけることを禁じる「一事不再理」で、殺人罪が却下された後、ロサンジェルスに移送されることに同意した。
銃撃犯はいまだに捕まっていないが、検察官は三浦が75万ドルの保険金を手に入れようと、おそらく誰かに銃撃するようにサインを送って一美さんを殺害するために共謀したと信じている。
先週の木曜日に郡の検察官が殺人罪を無効とした決定見直しの手続きをした。2004年に加州刑法が変わり、「一事不再理」保護法は海外での裁判には無効になったからだ。しかしながら、「一事不再理」と同じように刑法の重要な大原則として、犯罪行為時に刑事上違法とされていた場合にしか刑罰を科せられないとする「遡及処罰の禁止」の原則に従えば、加州刑法が改正された2004年前に三浦容疑者が「殺人罪」で起訴されたため、改正された刑法は適用されないことになる。
しかしながら、「遡及処罰の禁止」の原則については、これまでも裁判所によっていろいろと違った判決があり、ロスでの木曜日の公聴会が注目されていた。
ジャクソン捜査官はたとえ検察官が殺人罪を復活させることができないとしても、三浦容疑者は共謀罪が認められれば、最低25年間を刑務所ですごすことになっていたと金曜日に告げた。
ジャクソン捜査官らは、先週の月曜日に長年調査に協力してくれた調査官と会うために東京を訪問した。又、三浦一美さんの母と一緒に一美さんの墓参りをした。
「このような事件で私たちを動かすのは、犠牲者のために愛の灯を燃やすことです。一美さんは美しい女性でした。そして、明らかに、彼女の一生は短すぎました。」とジャクソン捜査官は語った。
そうだったのか。いったん「殺人罪」が無効になったのは、三浦容疑者が日本の裁判ですでに無罪とされていたから、同一犯罪で被告を再度裁判にかけることを禁じる、「一事不再理」という刑法の原則が適用されたからで、「殺人罪」が無効なら、死刑になることもないし、三浦容疑者もロスに移送されることに同意したのか。
でも、ロス市警はずっとうわてで、2004年に州刑法が変わって海外での裁判は除外することになったから、「殺人罪」を再度適用させるつもりだったんだね。確かに「遡及処罰の禁止」の原則で、州刑法が変わる前に侵された犯罪には、海外での裁判の除外はないかもしれないけど、それでも、「共謀罪」が成立すれば最低でも25年の懲役、最高で極刑に処される予定だった。これは、私の想像だけど、三浦容疑者が自殺したのも、こういった刑法の詳細を移送中に聞き、25年の懲役や極刑に処される恐れが生まれたからではないだろうか。
それにしても、ジャクソン捜査官らが、今回の三浦容疑者をロスに移送する前に日本に来て、一美さんのお墓参りをお母様と一緒にされていたなんて、とても感動的な話だ。日本にもこんな情熱のある捜査官がいれば、迷宮入りの難事件ももっと解決しただろうに・・・・。
米国共和党ブッシュ政権の崩壊と共に、日本の保守勢力もどんどん音をたてて崩れ始めたようだ。なんといっても三浦容疑者は、保守勢力によって守られていた。しかし、こういった形で三浦容疑者が自殺することによって、保守勢力にぽっかりと穴があいたようになったのでは?
関連過去ログ”
2008.10.11 (Sat) 三浦和義が自殺
2008.02.25 (Mon) ロス疑惑を振り返って
2008.02.24 (Sun) 三浦和義は、なぜ今頃サイパンで再逮捕されたのか(追記あり)
カナダは感謝祭の週末で、とてもいい日が続いています。次のエントリーでその様子を紹介しますね。みなさまも、すてきな週末をお過ごしください。
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2008.10.11 (Sat)
三浦和義が自殺
しかし、日本のメディア、及び『LA Times』にも報じられているので、自殺したことは本当のようだ。最後に、さすがにもうこれ以上逃げられないと知って自殺したのだろう。これまでついてきた全ての嘘を白状もせずに、そのまま墓場どころか地獄へ持っていくとは、どこまで愚かな男なのだろうか。残念なことに、これで、日本の司法のあり方が問われることもなくなる。
最初に「三浦和義が自殺」のニュースのタイトルを見て、読む前に、自殺が失敗に終わったのではないかと心配したが、「死亡」の文字を見つけてほっとした。でも、あとで落ち着いてよく考えてみると、やっぱり自殺してあと一歩のところで助かって、全てを告白してから、ロスで終身刑になってくれた方がよかった。三浦のような男は最後は惨めに死んでいくのが当然の報いだ。たとえ、自殺しなくても、「殺人罪」が認められれば死刑、「共謀罪」が認められれば、終身刑になっていたことだろう。できれば、ロス市警が手に入れた情報などを公開してほしいが、三浦が自殺してしまったことで、それも無理になるかもしれないのが残念だ。
一美さんやその他の被害者のご遺族の方々もこの事件を解明できなかったのは、無念だろうが、三浦が自殺したことで、自分の罪を認めたようなものだと誰もが考えるに違いない。これまでの経緯からしても、三浦が無実を証明するために自殺したとはとても考えられないからだ。それに、無実だったらなぜ自殺したのか。

Los Angeles Times (ロサンジェルス・タイムズ):
日本のビジネスマン三浦が独房で自殺
三浦の弁護士が三浦が自殺したと証言。三浦は火曜日に元妻を殺害したとされる共謀罪で認否を問われる予定だった。(October 11, 2008)(英語)
原文は、Read moreへ。後ほど翻訳。
帽子に別れのメッセージ?=英語で、ロス移送時-三浦元社長(時事通信 2008/10/12-01:29)
「三浦和義元社長(61)がサイパンからロサンゼルスに移送される際にかぶっていた帽子に、英語で別れを意味するメッセージが書かれていたことが11日、分かった。帽子には「PEACE POT MICRODOT」と記載。米在住者によると、麻薬常用者らが別れのあいさつに使うスラングで、POTは大麻、MICRODOTはLSDを意味するという。」
<三浦元社長>移送先ロスの留置場で自殺(毎日新聞 10月11日 19:11)
【ロサンゼルス吉富裕倫】米ロサンゼルスの日本総領事館によると、81年のロス銃撃事件で殺人と共謀の容疑でロス市警に逮捕された元輸入雑貨販売会社社長、三浦和義容疑者(61)=日本では無罪確定=が10日午後9時45分(日本時間11日午後1時45分)ごろ、市警本部の留置場の独房でTシャツを使って首をつっているのを係官に発見された。搬送先の病院で死亡が確認された。
元社長は10日朝、米自治領サイパンから航空機でロス市警のジャクソン捜査官らに付き添われ、「因縁の地」ロスへ身柄を移送されたばかり。元社長の死で、共謀罪での審理を前に、訴追手続きは停止されるとみられる。ロス市警と元社長の対決は第2幕に入らず、終えることになる。
元社長は移送後の10日午前、市警から総領事館へ電話し、総領事館職員との面会を要請。留置場で会った領事に対し「元気だ」と伝えていた。元社長は14日に容疑事実の認否などのため、ロス郡地裁に出廷する予定だった。ロス市警は記者会見を開く予定だ。
事件は、日本で03年に無罪が確定した元社長が発生から約27年後の今年2月、旅行先のサイパン滞在中、ロス市警が88年に取っていた逮捕状で逮捕され、米国で再び訴追手続きが進むという異例の展開を見せた。
元社長は81年、滞在先のロスで妻一美さん(当時28歳)を銃撃させ、死なせたとして日米両捜査当局に殺人容疑などで捜査された。
元社長は一貫して無罪を主張。同じ事件で再び罪に問うことを禁じる「一事不再理」を主張し、サイパンで人身保護請求を申し立てたが、現地の地裁はこれを棄却。ロス郡地裁も9月、殺人容疑の逮捕状は無効としながら、殺人の共謀罪での訴追続行を認めた。
また、ロス郡地裁に求めていた逮捕状取り消しも実現せず、元社長は拒んでいたロス移送に同意した。
◇ことば ロス銃撃事件
81年8月、三浦和義元社長の妻一美さんが、滞在先のロサンゼルス市のホテルの自室で何者かにハンマーで頭を殴られ、けがをした。3カ月後、同じロス市内で夫妻が銃撃され、三浦元社長は左足に重傷を負い、一美さんは頭に銃弾を受けて約1年後に死亡。週刊文春が一連の事件を「疑惑の銃弾」として連載し、疑惑が浮上した。
殴打事件では85年9月、三浦元社長は保険金目当てで実行を依頼した元女優とともに逮捕され、懲役6年の実刑が確定。銃撃事件では、実行役とされた駐車場経営会社社長とともに88年10月に逮捕され、1審で無期懲役の判決を受けたが、東京高裁で逆転無罪。最高裁が検察の上告を棄却し、03年3月に無罪が確定した。

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2008.04.28 (Mon)
『きっこのブログ』「人の痛みが分からない人たち」を読んで
これは日本で多く見られる傾向で、ほとんどの人が議論と個人的な友好関係を結びつけてしまう傾向にある。違う意見を表明すると仲が悪くなるとか、人間関係にひびが入るとかだ。欧米では、これは全く逆で、個人の意見を尊重し、議論は議論、友好関係は友好関係と別なものととらえられているので、私はカナダ式でいきたいと思う。このエントリーでは私の意見を書こうと思う。きっこちゃんはどうかわからないけど、でも、私はこれによってきっこちゃんとの
まず最初に、上述のエントリーを読んだ時、きっこちゃんが、かなり感情的になっているという感想を持った。まるで、光市母子殺害事件の加害者を自分をレイプした犯人達と同一視しているようだった。でも、人間は、自分の経験を通して自分の思考を生むものだから、それもわからないわけではない。加害者の年齢も近いし・・・・。きっこちゃんが、自分のレイプ犯を憎むあまりに、光市母子殺害事件の加害者を初め、女性をレイプするものは全て憎むという理屈はよくわかる。
上述のきっこちゃんのエントリーを読んで、まず一番最初に反論したいことは、この光市母子殺害事件の死刑判決が重すぎると言っている人たちは被害者の痛みがわからないと決め付けていることだ。誰だって殺された母子や二人を一度に失った本村氏の悲しみや痛みは容易に想像できるし、わかっている。その痛みがわからないから、加害への死刑という刑が重過ぎると言っているわけではないのだ。遺族が殺されたことのない人だって遺族を殺された人の痛みがわかるように、レイプされたことがなくたってレイプされた人の痛みはわかる。そういった感情論と刑法の問題を一緒に論じることが間違っているということだ。あまりも感情的になりすぎると、論理的な思考能力が欠けてしまう。死刑について日本の刑法を語る時、感情があってもそれをすべて取り去って議論しなくてはならない。さもなければ単なる感情論となってしまうからだ。あえて感情抜きで議論をする人たちを「人の痛みがわからない人たち」としてしまうのはいかがなものだろうか。
この事件で死刑が重すぎると考える人たちは、被害者遺族を思うからこそだ。ただ単に加害者を死刑に処すれば、こういった事件がなくなるというわけではない。又同じ事件が繰り返される。ずっと前に書いたけど、死刑制度のないカナダでは日本よりもずっと凶悪殺人の犯罪率が少ないのだ。2度とこのような残酷な事件を起こさないためには、死刑囚を増やすのではなく、社会を変えて行かなくてはならない。本村氏が言っているように、これだけ悲しみを背負った遺族でさえ、死刑という制度によって死ぬ人が存在するのは耐えられないことなのだ。
死刑制度を廃止することは、この加害者を死刑にすることによってのみ得られる瞬間的満足度よりも貴重なことで、長期的に人々が幸せに暮らしていくには、こういった残酷な罪を犯す者を日本社会からなくすことに限ると思う。そのためには、
磯谷利恵さん殺害事件について思うこと
という記事に書いた通り、他人を尊重する教育に重点を置きながら日本の社会構造を変えて行かなければならない。その上で、最終的には死刑制度をなくさなければならない。それには、長い時間と多くの努力が必要だろうと思うが、日本人がもっと平和に暮らすためには必要なことだと思う。
このところ、日本の最高裁での判決のあり方は厳しすぎると思う。少し前には、最高裁は、何の落ち度もない妻を保険金目当てで殺害させても証拠不十分という理由で三浦和義を無罪にした。いくら自分で手を下していないとはいえ、家族で一番大切にするべき妻を2度も他人に殺させようとしたのだ。一度目は失敗したが、二度目には目的を達成した。妻以外にも同じ会社、フルハムロードで働く白石千鶴子さんの殺害も疑われており、彼女が殺害された後、彼女のクレジットカードから現金を引き出していたのが三浦和義なのに、なぜか白石千鶴子さんの殺害に関しては全く罪に問われていない。
ところが、最近では、光市母子殺害事件を初め、結婚後すぐに家庭内暴力を受け始め、それ以降ずっと虐待され続けて、それがいやになって夫を殺害した妻、三橋歌織被告が懲役15年の判決を受けた。
三橋歌織被告の場合は、二人の鑑定医が被告が犯行時に精神障害を発祥していたと述べただけでなく、「行動制御能力を喪失していた」と責任能力がなかったことを証言しているにもかかわらず、判決では、この鑑定医の証言はほとんど無視され、本来は無罪になるはずが、休憩20年が15年に減刑されただけの判決となった。
ちなみに、死刑制度のある米国でも、弁護側から責任能力に関する主張がなされると、裁判所は精神科医に鑑定を依頼する。鑑定結果で「責任能力なし」となると、検察側は正式裁判を断念することがほとんどだそうだ。
この二人の鑑定医の「責任能力なし」という証言から本来は無罪になるはずだった三橋歌織被告の判決も光市母子殺害事件と同じく重すぎる判決だったと言わざるを得ないだろう。
来年から日本では国民が裁判員として裁判官とともに審理に参加する裁判員制度が始まると言う。この議論をきっかけに多くの人が日本の司法制度や刑法について興味を持ってくれたらと思う。
最後にきっこちゃんへ
辛い思いをしたきっこちゃんがいまだにその当時の夢を見てうなされるほど、そのレイプ犯が憎いのはよくわかるよ。でも、いつまでもその犯人に恨みを抱いていると自分が辛くなるだけだと思う。事件を忘れることはできないだろうから、難しいこととは思うけど、犯人を許して、自分もその事件から解放された方がいい。そうすることによって、今よりももっともっと世界は広がっていくのではないかと思うよ。きっこちゃんが罰をくださなくったって、一人は罰を受けたじゃない。悪い奴は自然に悲惨な運命をたどるようになる。きっこちゃんがそいつらを怨んだからって何も変わらない。きっこちゃんが辛い思いをするだけ。きっこちゃん、この事件から自由になって、どうか、幸せになってください。
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2008.02.25 (Mon)
ロス疑惑を振り返って
生きていれば、今日で55歳になられたそうだ。
三浦元社長逮捕…一美の無念「光差した」母親が仏前に報告(読売新聞 2月25日)
一美さんのお父様はこの事件による心労がたたったせいで、病気になり、1990年に亡くなられている。一美さんや、亡くなられたお父様、そして、お母様の無念が一日も早く晴れますように。
そこで、「疑惑の銃弾」事件というサイトを元に、三浦和義の過去から現在までの犯罪を含む「ロス疑惑」(殴打事件、銃撃事件)の全容と判決を箇条書きで振り返ってみようと思う。
1965年 三浦が高校3年生の時、自宅が放火され、外から駆けつけて両親を助け出すふりをするが、実際は三浦が放火したことが判明し、水戸少年刑務所で6年過ごす。
1979年 5月 ロス郊外のサンフェルナンド・ヴァレー(Fernand Valley)で女性の白骨死体が見つかり、「ジェーン・ドゥ・88」と名づけられる。
1981年 8月 一美さんがロスの「ホテルニューオータニ」の部屋にいたところ、日本人元ポルノ女優の矢沢美智子が部屋に侵入し、一美さんともみあううちに、一美さんの後頭部をハンマーで殴る。
同年 11月 ロス郊外の駐車場で三浦夫妻が何者かの二人組に車上から銃撃され、一美さんは頭部を撃たれて高度障害の「植物人間」になる。三浦も脚を撃たれたが、1週間の軽症で済んだ。
1982年 1月 一美さんは米軍の病院飛行機で帰国し、東海大学付属病院に入院。
同年 3月~7月 一美さんが「植物人間」になったことで、三浦は生命保険会社3社から最高限度額が支払われ、総額1億5500万円を手にする。
同年 11月 一美さんが死亡。
1984年 1月~3月 『週刊文集』に「疑惑の銃弾」と題して三浦夫妻の銃撃事件についての記事が連載され、「ロス疑惑」騒動の引き金となる。これをきっかけにテレビや新聞、雑誌などが報道合戦を繰り広げる。
三浦和義容疑者マスコミと鬼ごっこ「ロス疑惑」でメディアスクラム 一躍スーパースター!!
1984年1月 三浦は、文芸春秋に6000万円の損害賠償を請求する民事訴訟と「疑惑の銃弾」の執筆者を名誉毀損で訴える刑事訴訟を起こす。
同年3月 『ジェーン・ドゥ・88」の歯型がフルハムロードの取締役だった白石千鶴子さんの歯型と一致した。白石千鶴子さんは、1979年3月20日に離婚後「北海道に行く」と言い残し行方不明になった。実際は北海道ではなくて、3月29日に出国していた。一方、三浦は3月27日にロスに向かい、4月6日に帰国している。
同年5月 千鶴子さんの銀行口座に前夫から慰謝料430万円が振り込まれる。
同年5月 『サンケイ新聞』が一美さんをハンマーで殴った元ポルノ女優の告白をスクープした。三浦はこれに対して、単なる痴話喧嘩で、愛人が妻のところに押しかけてもみあいになり、その時、かっとなって妻を突き飛ばして怪我を負わせただけで、実際はハンマーで殴ったわけではないと供述。
同年5月から6月にかけて、三浦は会42回にわたり、キャッシュカードで千鶴子さんの銀行口座からお金を引き出し、その総額は426万5000円にのぼった。この件について、三浦は、「千鶴子さんに金を貸しており、アメリカからカードを郵送してきたので、自分で引き出して返してもらった」と供述。
同年7月 矢沢美智子は『サンケイ新聞』に告白した内容そのままを「上申書」に書き、警視庁に提出。
同年9月 三浦が一美さん殴打事件での殺人未遂容疑で逮捕される。翌日矢沢美智子も同容疑で逮捕される。
1986年7月 東京高裁で矢沢美智子に懲役2年6ヶ月が確定。
1987年8月 東京地裁で三浦和義に懲役6年が言い渡される。
1988年10月 ロス銃撃事件で三浦和義と共謀し実行犯とされた元駐車場経営者の大久保美邦が殺人容疑で逮捕される。
1994年3月 東京地裁は証拠不充分で大久保美邦に無罪、三浦には無期懲役を言い渡す。
1998年7月 東京高裁はロス銃撃事件で、大久保に無罪、三浦に逆転無罪を言い渡す。
検察側は東京高裁での無罪判決を不服として上告。
同年9月 最高裁は三浦に殴打事件で1,2審判決を支持し、懲役6年を言い渡す。
同年11月 三浦は宮城刑務所に収監されるが、実際の刑期は未決拘留日数が差し引かれるため、約2年2ヶ月だった。
2001年 1月 三浦が宮城刑務所を出所。
2003年 3月 ロス銃撃事件に対し、最高裁で三浦に無罪が確定。
サイパンで逮捕された三浦和義容疑者、いわゆる「ロス疑惑」とは
同年5月 「べルビー赤坂」5階にある書店で『わんわん共和国』という月刊誌と、「ロス疑惑」についての文庫本を万引きするも被害額が少なく容疑を認めて謝罪したために不起訴処分となる。
2007年4月 三浦がコンビニエンスストアでコラーゲンなどサプリメント3632円そ相当を万引きをする。小田原区検は、三浦を窃盗罪で略式起訴し、小田原簡裁は罰金30万円の略式命令を出すと、三浦は全額支払い同日釈放された。
三浦和義容疑者の万引きビデオ サプリメント6品3600円相当を万引きした容疑
2008年2月 三浦がサイパンで米当局に殺人容疑で逮捕される。
「サイパンで逮捕された三浦和義容疑者、いわゆる『ロス疑惑』とは」という上から2番目の動画で、病院のベッドで横になりながら、泣きながら「一美、一美と百回近く呼んだ」と言っているが、かなり嘘くさい。こんなときに何回呼んだか自分で数えていたのだろうか(笑)。これだけの犯罪を犯しておきながら、無罪になって万引きまでするとは、60歳にもなった大人のやることじゃないだろう。若い頃から自分の家に火をつけて、両親を助けるふりをするなど、とんでもないことをしているが、自分の家族を殺すのを何とも思わない冷血鬼の本性がかいま見られる事件だった。他人だけでなく、いかに肉親までも騙すかを熟知した知能犯と見ていいだろう。
この男が無罪になった背景には、マスコミが騒ぎすぎたという事実もあるかもしれないが、だからと言って三浦を有罪とする説を、確証はないかもしれないが、100%否定するべきではないと思う。
みなさまはどう思われますか。
これでもこの男が無罪だと思いますか?
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2008.02.24 (Sun)
三浦和義は、なぜ今頃サイパンで再逮捕されたのか(追記あり)

米国ロサンゼルスのホテルで起きた妻の一美さん殴打事件で、殺人未遂容疑で逮捕された後、拘置質問のため東京地裁に入る三浦和義元被告(中央)=1984年9月14日 (毎日jpより)
それにしても27年も前の事件なのに、なぜ今頃再逮捕されたのかと不思議に思った方は多いと思う。日本では殺人罪の時効は25年(以前は15年だった)だが、米国では*殺人罪の時効はないため、今回再逮捕されたのだ。
日本では最高裁で無罪が確定していたので逮捕できないから、執念深くこの事件を負っていたロス市警が三浦が米国自治領であるサイパンに行くという情報を得て、三浦がサイパンに出かけたときに再逮捕したようだ。三浦は、きっと殺人を実行するのは、捜査の目が荒いので米国の方が何かと都合がいいと思ったのだろうが、米国には時効がないとは知らなかったのではないだろうか。それで、米国でも25年過ぎたから時効だろうと思って、サイパンに旅行に行ったのかもしれない。又、サイパンが1986年に米国自治領になったことを知らなかった可能性も高い。
個人的には殺人罪に時効はいらないと思う。人を殺しても時間がたてば許されるというのは納得がいかない。日本も殺人罪には時効をなくすべきではないか。そうすれば、少しは殺人を減少させる助けになるのではないか。
さてさて、日本のニュース報道の元になった米紙ロサンゼルス・タイムズがどんなふうに報道しているのか読んでみよう。(英語の原文は続きを読むへ)
1981年にロサンゼルスで妻を殺した男が再逮捕される
日本で釈放された会社員が米国の自治領であるサイパンで逮捕された
ロサンゼルス・タイムズ スタッフ記者 マーラ・コーン
2008年2月23日
自国で釈放されてから10年後、日本人のビジネスマンが27年前の妻殺害容疑で金曜日に逮捕された。
三浦和義(60歳)容疑者は、米国自治領であるサイパンを旅行中、身柄を拘束され、ロサンゼルス市警察署によれば、ロサンゼルスで起訴される可能性があると伝えられている。
1981年11月の三浦一美さん殺害は、その夫であった三浦和義容疑者が二人の通り魔に銃撃されたと主張し、ロサンゼルスや米国の都市での暴力事件に対する日本特有のものの見方を強調したため、当初は国際的な騒動にまで発展した。
日本の歴史上、最も衝撃的な国際殺人事件の一つであり、疑惑の目が三浦和義容疑者に向けられた時、日本のメディアは雇われた強欲な殺し屋の下劣きわまりない話としてその事件を報道した。
銃撃された時、よくロサンゼルスを旅行していたファッション輸入業者であった三浦容疑者は、自分と妻はフレモントアベニューの地平線の写真を撮影する旅行者であったと言った。 三浦容疑者は、昼休みで混雑していた地域の真ん中で、妻が頭を撃たれたと証言した。
三浦容疑者は、2人の青年が古い濃緑の米車を近くに止め、お金を要求したと警察に言った。三浦容疑者が躊躇すると、男の一人が車の窓から銃を向け、彼の脚を撃った。それから、彼の妻の頭を撃ち、1,200ドルを持って逃げたと言った。
当時、28歳だった一美さんは、銃撃された後に昏睡状態に陥り、1年後に日本で死亡した。
他国で犯した犯罪で起訴されるのを許容するという日本の法の下で、三浦和義容疑者は殺人罪の疑いで日本で告発された。
三浦容疑者は、1994年に有罪判決を受けて、終身刑に判決を言い渡された。 しかし、1998年、東京最高裁は、共犯者が見当たらないとして逆転無罪を言い渡した。
三浦容疑者は米国の自治領、北マリアナ諸島にあるサイパンの空港で殺人と共謀罪の疑いで逮捕された。ロス市警は、グアム(米領)、サイパン両当局と捜査協力を進めてきた*LA市警長期未解決事件捜査班が三浦容疑者がサイパン入りするとの情報をがつかんだ。ロス市警担当者は、三浦容疑者の身柄の送還を求めている。
当局は、三浦容疑者が日本では妻を殺害して逃れることはできないだろうが、ロスのダウンタウンではそれが可能かもしれないと信じて、*65万ドル(約7,000万円)の保険金目当てに妻の殺害を演出したのではないかと見ている。三浦容疑者は、一美さんが撃たれる3カ月前に元女優にハンマーで一美さんを殴らせ、殺人未遂罪に問われ、*13年間服役している。
*殺人罪の時効(statute of limitations on murder)はカナダでもない。
*LA市警長期未解決事件捜査班 LAPD (Los Angeles Police Department) cold case detectives
cold casaeというのは初めて知ったのだが、coldはoldと同じ様に古いという意味だそうだ。暖かい食べ物も古くなると冷たくなるものね。
*65万ドル(約7,000万円)の保険金
『「疑惑の銃弾」事件』によると、この金額は、AIUの海外旅行障害保険の金額であって、一美さん死亡後、三浦は一美さんの生命保険を三社の保険会社から全額で1億5,500万円手に入れているそうだ。
*13年間
日本の報道では最高裁で懲役6年を言い渡されたが、未決勾留期間が差し引かれるため、実際の刑期は2年2ヶ月だったと報じられている。
新たな証拠が見つかったとされるが、どんな証拠なのかとても気になる。それにしても、東京最高裁判所で逆転無罪になったときは、この裁判官の目は節穴かと思った。だって、いくら証拠がないと言っても、3ヶ月前に元女優にハンマーで一美さんの頭部を殴らせて、殺人未遂の罪で服役している男をまざまざ無罪にするなんてどうかしてるよね。三浦はきっと一美さんに致命傷を負わせるために、銃撃事件でもプロの殺し屋に一美さんの頭を狙うように依頼したのではないだろうか。どちらも頭部を狙った犯行に誰もが共通性を見いだせなかったはずはない。
罪のある者を見逃し、罪のない者を有罪にしたり死刑にする日本の司法システムはどうなっているのだろうか。
もし、新たな証拠が決定的なものだったら、三浦和義は日本史上最低な冷血殺人犯として無能な日本の最高裁と共に世界中から非難を浴びるだろう。
追記:
今日のエントリーにゴルゴ十三さんから下記のようなコメントをいただいた。
事件が起きたタイミング
三浦和義は伯母が石原裕次郎のマネージャーをしていた関係で石原ファミリーとのコネクションがあります。事件が起きたのもレーガン・中曽根政権の時。米軍機を使って帰国させたり、文春などネオコン反共メディアが騒ぎ立てました。
日本のネオコン・ネオリベ路線推進のために騒ぎを起す人間(裏権力と繋がった男)のような気がします。今回はイージス艦の事故や米兵の事件を忘れさせるために、と言いたくなります。支援者の浅野健一同志社大学教授は独自の北朝鮮コネクションを持ち、支援団体の人権と報道・連絡会は創価学会が絡んでいます。創価学会・統一教会の影がちらほら見えます。
三浦の叔母というのは、水の江滝子だったっけ?彼女が石原裕次郎のマネージャーをしていたのは知らなかった。どうりで、三浦自身やその支持者がネオコンで国家権力に寄り添った人達だったから、裁判でも有利だったのかもしれない。
ただ、このニュースは、沖縄女子中学生暴行事件やイージス艦から国民の目をそらせるために米国がしくんだものという意見には同意しかねる。私としては、米軍に関するニュースと一般の殺人事件のニュースは、全く性質の違うものだと思っている。
関連記事ブログ:
『きまぐれな日々』突然の三浦和義氏再逮捕と「9.11」の因縁 (2月24日)
当時から、こんな事件どうでもいいよなあ、と思っていたのだが、唯一23年前に三浦氏が逮捕された日のことはよく覚えている。当時私は学生で、夕食をとりながら毎日新聞の夕刊を開いて、女優の夏目雅子さん死去の知らせに衝撃を受けた。夜、横浜スタジアムで行われたプロ野球・大洋-阪神戦に阪神タイガースが勝ち、21年ぶりのリーグ優勝に向けてのマジックナンバーが点灯した。それらのニュースが報じられるはずの夜のニュースの時間帯に、突如臨時ニュースが入って、どの民放テレビ局も特別体制で大々的に報じたのが「三浦和義逮捕」のニュースだった。夏目雅子さん死去も、阪神のマジック点灯も、どこかに行ってしまった。
それにしても、kojitakenさんって記憶力がいいねぇ。私なんて若かったこともあるけど(笑)ほとんど何も覚えてないし・・・・。
『zara's voice recorder』「ロス疑惑再び 動画あり」
まさかあの頃の動画まであったとは。
『晴天とら日和』「何故?今頃三浦元被告の「疑惑の銃弾」なのか?⇔イージス艦(あたご)事件・毒餃子事件・沖縄米兵事件は忘れナイゾ!!!"」 (2月24日)
とらちゃんが三浦和義に関するニュースを集めてくれている。
参考記事:
「疑惑の銃弾」事件
とても詳しく三浦和義に関する過去の事件が書かれている。
三浦元被告:米当局が殺人容疑で逮捕 旅行中のサイパン島(毎日jp 2008年2月23日)
ロス疑惑(ウィキペディア)
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