2008.10.14 (Tue)
三浦和義はなぜ自殺したのか

落ち葉の妖精
『晴天とら日和』の『ロス疑惑』(三浦和義、ロス市警本部の留置場でTシャツで首を吊って自殺。)
では、とらちゃんが三浦氏に疑惑を持っている理由が書かれていた。全く同感。そして、三浦和義容疑者の自殺に関するエントリーのコメント欄が盛り上がっていることも書かれている(笑)。
三浦和義容疑者自殺の件で、読者の方からたくさんのコメントをいただいているが、中には、とても感情的なコメントもあった。私もそうだが、どうしても、話が人の生死に及ぶと感情的になってしまうようだ。
今回の三浦和義容疑者がロスに移送された目的は、「三浦和義容疑者が一美さんを殺したかどうか(殺人罪)」又は、「一美さんを殺害するために誰かと共謀したかどうか(共謀罪)」を明白にすることであるのに、三浦容疑者が自殺したことで、いつのまにか話題が、自殺か他殺かや、アメリカの刑務所の監視体制へとすりかえられてしまっている。
いくら戦争で人を殺すのをなんとも思わない軍隊を持つアメリカの刑務所だって、三浦容疑者はどこにも逃げられないんだから、これまで何十年もこの事件に真剣に取り組んできた人々が待ち望む裁判が始まろうっていうのに、到着したその日に、三浦容疑者を殺すわけないだろう。おまけに、三浦容疑者の代理人でもあるゲラゴス弁護士が、刑務所の監視体制に不備があったなんて言ってるけど、監視体制万端の日本でだって、極中自殺する人が後を絶たないことを忘れてるようだ。ちなみに、下記は、今年刑務所で自殺した受刑者のニュース。
広島刑務所で自殺(産経 2008.1.13 21:56)
13日午前10時50分ごろ、広島市中区の広島刑務所で、服役中の男性受刑者が独房内で首をつっているのを、巡回中の男性刑務官が発見。同刑務所で蘇生(そせい)術を施すなど応急措置をとったが、男性受刑者は間もなく死亡した。
同刑務所によると、男性受刑者は40歳代。ズボンを高さ約1メートルのベッドのさくに結んで首をつっていた。室内には遺書のような紙が残されていた。約25分前の巡回の際には変わった様子はなかったという。
刑務所で女性受刑者が自殺、山形 (iza 05/10 17:08更新)
山形刑務所(山形市)は10日、居室内で20代の女性受刑者が首をつって死亡したと発表した。単独で収容されており、自殺とみられる。
同刑務所によると、5日午前0時35分ごろ、受刑者が窓の鉄格子にズボンを掛けて首をつっているのを巡回中の職員が発見。病院に搬送されたが10日朝に死亡した。
発見の約10分前に別の職員が巡回した際は布団の中で寝ていたという。遺書はなかった。同刑務所は「誠に遺憾で再発防止に努めたい」としている。
姫路少年刑務所で、20代の男性受刑者首つり自殺 (産経 2008.9.2 13:43)
姫路少年刑務所(兵庫県姫路市)は2日、20代の男性受刑者が首をつって自殺したと発表した。
刑務所によると、8月28日午前9時50分ごろ、刑務所内の体育館にある便所で首をつっているのを職員が発見。病院に搬送したが、2日早朝、死亡が確認された。
受刑者は当時、体育館の一角にある図書室で作業中だった。本を束ねるビニールひもで首をつっていたという。
刑務所は「収容者の動静、心情を把握して再発防止に努めたい」としている。
受刑者は死のうと思えば刑務所の中でも死ねるわけで、別にアメリカの刑務所の監視体制に問題があったわけではないはずだ。
又、三浦容疑者は、自殺する前は元気でとても自殺するようには見えなかったということだが、独房で一人になって、これから裁判で真実が暴露されることを考えたら、恐怖が襲ってきたのだろう。サイパンからロスへ連行された時にかぶっていたあの「麻薬の名前が列記された」帽子は、彼が薬物依存症であったことを証明するものではないか。
彼の麻薬依存症については、マスコミではほとんど語られないが、麻薬など薬物の使用で、人はかなり感情の起伏が激しくなるという。もちろん、三浦容疑者がサイパンで拘留されていた7ヶ月間は、薬物に触れることはなかっただろうが、麻薬はやめてもフラッシュバックと呼ばれる後遺症があるようなので、今回の自殺には、そういった影響があるのではないだろうか。
三浦容疑者が薬物依存症であるとすると、カメラの前で激情的な演技をしたり、殺害を計画したり、万引きしたりと彼のこれまでの犯罪の説明がつく。彼は、薬物依存症だったから、麻薬を手に入れる資金を得るために、妻に莫大な保険金をかけて殺したのではないだろうか。
今回、三浦容疑者はサイパンでロスに移送されることをかなり必死で拒んでいた印象がある。ニュースの報道でも、「移送される」、「されない」のニュースが飛び交っていたと思ったら、いきなり「移送される」ことになった。なぜ移送されることに至ったのかは、読売新聞の「ロス疑惑」特集が詳しい。先日のNYタイムズには、同一犯罪で被告を再度裁判にかけることを禁じる「一事不再理」で「殺人罪」が却下されたから三浦容疑者が移送に同意したと書いてあったが、それだけが理由だろうか。
もし、そうなら、三浦容疑者が自殺したのは、薬切れの禁断症状の中で、2004年にカリフォルニア州法が変わって、「一事不再理」は海外の裁判には適用されないことを知ったからではないか。この「一事不再理」は2004年に制定されたので、それ以前の判決には適用されないのではないかという指摘がフリスキーさんからあったが、ケースバイケースのようなので、今週木曜日の審議会が注目されていた。又、「殺人罪」が認められなくても、「共謀罪」が認められれば、最低25年間の懲役なので今61歳の三浦容疑者にとっては余生を刑務所で暮らすようなものだった。こういったことを改めて考えた末、衝撃的に自殺を決意したのだろう。


ロス地検は、新証拠を手に入れたと言っていたが、それは何だったのか。それは、「共謀罪」で立証するために、一美さんをホテルの部屋で殴って殺害しようとした元女優の証言だった。日本の裁判では、すでに彼女の証言は「殴打事件」で明らかになっているが、ロスでは、三浦容疑者は、「銃撃事件」で起訴されただけで、「殴打事件」では起訴されていなかったので、ロス地検にとっては元女優の証言が新証拠となった。
彼女はインタビューで次のように語っている。
「昭和五十六年七月十日ころだったと記憶 しています。
私は三浦さんから原宿の喫茶店で一美さん殺害の話しを持ちかけられました。
その時、三浦さんは私にピストルで一美さの頭を撃つように言いました。
それだけで は自分が疑われるので、次に三浦さんの足を撃つようにと言われたんです。」
「ピストルは使ったことがないので出来ない」と断ると、三浦容疑者は鉄製のハンマーのようなものを用意し、それで一美さんを殴って殺人未遂事件を引き起こし日本の警察に逮捕され有罪となった。
この元女優の他にも、この時期に複数の日本人が同じような話を三浦和義から持ちかけられていることをロス市警は把握している。 つまり、彼らの証言は、「銃撃事件」の状況とほぼ一致している。こんな偶然がありえるだろうか。
今回、ロス地検が、「一美さんを殺して保険金を手に入れるために、他人に謀議を持ち掛けた」という事だけでも立証できれば、三浦容疑者がいくら一美さんの殺人を計画したことを否認しても、「共謀罪」で三浦容疑者に、最低でも25年の懲役を課せることがほぼ確実であったそうだ。元女優の証言と日本の「殴打事件」判決で有罪になったことでほぼまちがいなく「共謀罪」を立証する予定だった。
日本で犯罪を犯していたら、無罪になっていたものを、緻密な捜査で定評のある日本の警察を避けて、海外で犯罪を犯したことがかえって仇になった形だ。いくら三浦容疑者でも、犯罪を犯した当時、米国では殺人罪に時効がないことや「共謀罪」の罪がここまで重い事までは知らなかったのであろうし、サイパンからロスに移送される時も、「一事不再理」が海外で適用されないかもしれないことなども予測していなかったのだろう。とうとう最後に逃げ場を失って自殺したと見るのが私の見解だ。
最後に、『きっこのブログ』でも紹介されていたが、毎日新聞から、一美さんのお母様のコメントを転載する。
被害者の人権よりも犯罪者の人権を重んじる日本では、正義は実現しませんでした。死んだことで罪がすべて許されるなら、この世に倫理道徳はなくなります。死んでも、一美、(白石)千鶴子さん=79年、ロスで遺体発見=の無念は変わることはありません。悲しみ苦しんだ遺族の思いは消えることはありません。
一件落着のような風潮がもう出始めています。こんな理不尽なことが許されてよいのでしょうか。ロス捜査当局の方々には心より御礼申し上げます。最後のお願いは、捜査資料を公開してどのような犯罪であったか明らかにしていただきたい。そうでないと、一美、千鶴子さんの霊は永久に安らぐことがありません。
関連サイト:
三浦和義ホームページ
昭和事件史シリーズ 『ロス疑惑』~ 「殴打事件」「銃撃事件」とは? ~
一美さんのお母様がおっしゃられるように、ロス市警は、これまでの捜査資料を公開するべきだと思ったら、今日もランキングの応援よろしくお願いします。

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2008.10.11 (Sat)
三浦和義が自殺
しかし、日本のメディア、及び『LA Times』にも報じられているので、自殺したことは本当のようだ。最後に、さすがにもうこれ以上逃げられないと知って自殺したのだろう。これまでついてきた全ての嘘を白状もせずに、そのまま墓場どころか地獄へ持っていくとは、どこまで愚かな男なのだろうか。残念なことに、これで、日本の司法のあり方が問われることもなくなる。
最初に「三浦和義が自殺」のニュースのタイトルを見て、読む前に、自殺が失敗に終わったのではないかと心配したが、「死亡」の文字を見つけてほっとした。でも、あとで落ち着いてよく考えてみると、やっぱり自殺してあと一歩のところで助かって、全てを告白してから、ロスで終身刑になってくれた方がよかった。三浦のような男は最後は惨めに死んでいくのが当然の報いだ。たとえ、自殺しなくても、「殺人罪」が認められれば死刑、「共謀罪」が認められれば、終身刑になっていたことだろう。できれば、ロス市警が手に入れた情報などを公開してほしいが、三浦が自殺してしまったことで、それも無理になるかもしれないのが残念だ。
一美さんやその他の被害者のご遺族の方々もこの事件を解明できなかったのは、無念だろうが、三浦が自殺したことで、自分の罪を認めたようなものだと誰もが考えるに違いない。これまでの経緯からしても、三浦が無実を証明するために自殺したとはとても考えられないからだ。それに、無実だったらなぜ自殺したのか。

Los Angeles Times (ロサンジェルス・タイムズ):
日本のビジネスマン三浦が独房で自殺
三浦の弁護士が三浦が自殺したと証言。三浦は火曜日に元妻を殺害したとされる共謀罪で認否を問われる予定だった。(October 11, 2008)(英語)
原文は、Read moreへ。後ほど翻訳。
帽子に別れのメッセージ?=英語で、ロス移送時-三浦元社長(時事通信 2008/10/12-01:29)
「三浦和義元社長(61)がサイパンからロサンゼルスに移送される際にかぶっていた帽子に、英語で別れを意味するメッセージが書かれていたことが11日、分かった。帽子には「PEACE POT MICRODOT」と記載。米在住者によると、麻薬常用者らが別れのあいさつに使うスラングで、POTは大麻、MICRODOTはLSDを意味するという。」
<三浦元社長>移送先ロスの留置場で自殺(毎日新聞 10月11日 19:11)
【ロサンゼルス吉富裕倫】米ロサンゼルスの日本総領事館によると、81年のロス銃撃事件で殺人と共謀の容疑でロス市警に逮捕された元輸入雑貨販売会社社長、三浦和義容疑者(61)=日本では無罪確定=が10日午後9時45分(日本時間11日午後1時45分)ごろ、市警本部の留置場の独房でTシャツを使って首をつっているのを係官に発見された。搬送先の病院で死亡が確認された。
元社長は10日朝、米自治領サイパンから航空機でロス市警のジャクソン捜査官らに付き添われ、「因縁の地」ロスへ身柄を移送されたばかり。元社長の死で、共謀罪での審理を前に、訴追手続きは停止されるとみられる。ロス市警と元社長の対決は第2幕に入らず、終えることになる。
元社長は移送後の10日午前、市警から総領事館へ電話し、総領事館職員との面会を要請。留置場で会った領事に対し「元気だ」と伝えていた。元社長は14日に容疑事実の認否などのため、ロス郡地裁に出廷する予定だった。ロス市警は記者会見を開く予定だ。
事件は、日本で03年に無罪が確定した元社長が発生から約27年後の今年2月、旅行先のサイパン滞在中、ロス市警が88年に取っていた逮捕状で逮捕され、米国で再び訴追手続きが進むという異例の展開を見せた。
元社長は81年、滞在先のロスで妻一美さん(当時28歳)を銃撃させ、死なせたとして日米両捜査当局に殺人容疑などで捜査された。
元社長は一貫して無罪を主張。同じ事件で再び罪に問うことを禁じる「一事不再理」を主張し、サイパンで人身保護請求を申し立てたが、現地の地裁はこれを棄却。ロス郡地裁も9月、殺人容疑の逮捕状は無効としながら、殺人の共謀罪での訴追続行を認めた。
また、ロス郡地裁に求めていた逮捕状取り消しも実現せず、元社長は拒んでいたロス移送に同意した。
◇ことば ロス銃撃事件
81年8月、三浦和義元社長の妻一美さんが、滞在先のロサンゼルス市のホテルの自室で何者かにハンマーで頭を殴られ、けがをした。3カ月後、同じロス市内で夫妻が銃撃され、三浦元社長は左足に重傷を負い、一美さんは頭に銃弾を受けて約1年後に死亡。週刊文春が一連の事件を「疑惑の銃弾」として連載し、疑惑が浮上した。
殴打事件では85年9月、三浦元社長は保険金目当てで実行を依頼した元女優とともに逮捕され、懲役6年の実刑が確定。銃撃事件では、実行役とされた駐車場経営会社社長とともに88年10月に逮捕され、1審で無期懲役の判決を受けたが、東京高裁で逆転無罪。最高裁が検察の上告を棄却し、03年3月に無罪が確定した。

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