2012.02.22 (Wed)
光市母子殺害事件とカナダ女子高生連続レイプ殺害事件との比較
カナダでは1976年に死刑制度が廃止されたが、世界の死刑制度の現状を見ると、あらゆる犯罪に対する死刑を廃止している国は91カ国、戦時の逃走、反逆罪などの犯罪以外は死刑を廃止している国が11ヶ国、法律上は死刑制度を維持。ただし、死刑を過去10年以上実施していない、もしくは、死刑を執行しないという公約をしている国は、33ヶ国。日本のように過去10年の間に死刑の執行を行ったことのある国は61ヶ国となっている。このように、世界全体(196ヶ国)のほんの3割弱の国(61ヶ国)だけが、過去10年の間に死刑を執行したことになる。
1990年初旬にカナダでは知らない人がいないほど有名な連続レイプ・殺人事件があった。その事件の概要と判決結果を光市母子殺害事件と比較してみると、日本がいかに刑罰の厳しい国かが浮き彫りになってくる。
ポール・ベルナードとカーラ・ハモルカは、誰もがうらやむような美男美女のカップルだった。しかし、その二人の笑顔の下に隠されていたのは、牙をむいた悪魔の怪物だった。
ベルナードの母、マリリンは、子供の頃、トロントの裕福な弁護士とその妻に養子として育てられた。ベルナードの父、ケニスは、英国の母とイタリア人移民の間に生まれた。ケニスの父親は、大理石とタイルのビジネスで社会的に成功したが、その裏では、妻と子供に虐待を行っていた。ケニスは、父親のファミリー・ビジネスを継ぐ替わりに、会計士になった。ベルナードの母、マリリンは、弁護士の父親の反対で当時つきあっていた彼氏と別れ、1960年にケニスと結婚した。しかし、ケニスは、ケニスの父親がそうであったように、妻のマリリンに暴力を振るうようになった。マリリンは、長男と長女を産んだ後に、元の彼に会うようになった。そのうち、マリリンは元彼の子供を身ごもり、1964年8月27日にポール・ケニス・ベルナードを出産した。ケニスはそれが自分の子供ではないことを知っていたが、実の父親として、出産証明書に署名した。
1975年、ポール・ベルナードの父、ケニス・ベルナードは女児の体に触れたとして、幼児に対する性的虐待で起訴された。又、自分の娘にも性的虐待をした。ベルナードの母は、夫の虐待によってうつ状態となり、家族と一緒に暮らすのはやめ、同じ家の地下室で家族とは別れて生活をした。ポール・ベルナードの兄と姉は、感情的、精神的動揺を隠せずにいたが、ポールは、それほど気にしていないようだった。いつも笑顔を絶やさず、丁寧でしつけ正しく、学校の成績もよく、ボーイ・スカウトの制服も似合ったので、近所の母親たちからは、理想的な子供として評判がよかった。
そんなベルナードも、16歳のとき、母親から、本当の父親のことを聞き、かなりショックを受けた。その頃から、自分の母親を「だらしない女」「売春婦」などと呼ぶようになる。サー・ウィルフリッド・ローリエ高校を卒業すると、アムウェイで働くようになる。スカーボローのトロント大学に通う頃までには、デートした女性に公で屈辱を与えるのを楽しむような暗い性的な空想をするようになる。
1987年の10月にカーラ・ハモルカと出会い、即座にお互いに性的に興味を持つようになる。彼が知っているほかの女性とは違い、カーラは彼のサディスティックな性行動を奨励した。
Autopsy Presents: Paul Bernardo and Karla Homolka, Part 1
病理解剖などショッキングな写真あり。
注意:これ以降は、かなり残酷なストーリーや描写などがあるので、18歳未満の方や、残酷な話が苦手の方は、読まないで下さい。
1990年初旬にカナダでは知らない人がいないほど有名な連続レイプ・殺人事件があった。その事件の概要と判決結果を光市母子殺害事件と比較してみると、日本がいかに刑罰の厳しい国かが浮き彫りになってくる。
ポール・ベルナードとカーラ・ハモルカは、誰もがうらやむような美男美女のカップルだった。しかし、その二人の笑顔の下に隠されていたのは、牙をむいた悪魔の怪物だった。
ベルナードの母、マリリンは、子供の頃、トロントの裕福な弁護士とその妻に養子として育てられた。ベルナードの父、ケニスは、英国の母とイタリア人移民の間に生まれた。ケニスの父親は、大理石とタイルのビジネスで社会的に成功したが、その裏では、妻と子供に虐待を行っていた。ケニスは、父親のファミリー・ビジネスを継ぐ替わりに、会計士になった。ベルナードの母、マリリンは、弁護士の父親の反対で当時つきあっていた彼氏と別れ、1960年にケニスと結婚した。しかし、ケニスは、ケニスの父親がそうであったように、妻のマリリンに暴力を振るうようになった。マリリンは、長男と長女を産んだ後に、元の彼に会うようになった。そのうち、マリリンは元彼の子供を身ごもり、1964年8月27日にポール・ケニス・ベルナードを出産した。ケニスはそれが自分の子供ではないことを知っていたが、実の父親として、出産証明書に署名した。
1975年、ポール・ベルナードの父、ケニス・ベルナードは女児の体に触れたとして、幼児に対する性的虐待で起訴された。又、自分の娘にも性的虐待をした。ベルナードの母は、夫の虐待によってうつ状態となり、家族と一緒に暮らすのはやめ、同じ家の地下室で家族とは別れて生活をした。ポール・ベルナードの兄と姉は、感情的、精神的動揺を隠せずにいたが、ポールは、それほど気にしていないようだった。いつも笑顔を絶やさず、丁寧でしつけ正しく、学校の成績もよく、ボーイ・スカウトの制服も似合ったので、近所の母親たちからは、理想的な子供として評判がよかった。
そんなベルナードも、16歳のとき、母親から、本当の父親のことを聞き、かなりショックを受けた。その頃から、自分の母親を「だらしない女」「売春婦」などと呼ぶようになる。サー・ウィルフリッド・ローリエ高校を卒業すると、アムウェイで働くようになる。スカーボローのトロント大学に通う頃までには、デートした女性に公で屈辱を与えるのを楽しむような暗い性的な空想をするようになる。
1987年の10月にカーラ・ハモルカと出会い、即座にお互いに性的に興味を持つようになる。彼が知っているほかの女性とは違い、カーラは彼のサディスティックな性行動を奨励した。
Autopsy Presents: Paul Bernardo and Karla Homolka, Part 1
病理解剖などショッキングな写真あり。
注意:これ以降は、かなり残酷なストーリーや描写などがあるので、18歳未満の方や、残酷な話が苦手の方は、読まないで下さい。
Tags : ボール・ベルナード |
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