2019.04.11 (Thu)
松居一代 NYライフ:次の標的は『バイキング』坂上忍
2011.08.24 (Wed)
カナダにも米国バージニア州M5.8地震の余波
そろそろ日本語のクラスが9月上旬に始まるので、このところその準備に忙しい。日本語のクラスはできるだけ毎年違った趣向でやろうと思っている。今年は、ただ日本語の文法や日本の文化を説明するのではなく、物語風な語りを多く取り入れながら教えたら、面白いのではないか。授業の中に語りを入れることによって、生徒との距離を縮めることができ、生徒を授業により深く引き込むことができ、学習項目をより長く記憶できるなど、数え切れないほどの多くの利点が研究によって明らかになっている。
今日は、その物語風な語りについてのセミナーが朝の8時半から夕方の4時まで大学であったので、参加してきた。2日間の無料セミナーで軽い朝食と昼食付きだ。お昼が済んで、午後のセミナーの第一部が終わり、ちょうど短い休憩をとろうとしていたときのこと。2時ごろだったと思うが、いきなり、すぐにビルの外に出るようにと指示するアナウンスがはいった。
少し前にも地下のカフェテリア(学食)で小火(ぼや)があり、真冬の寒い中、外に長い間出された経験があるので、また火事でも起こったのかと思ったら、バージニアで発生したマグニチュード(M)5.8の地震の余波がカナダまで来たようで、少し揺れたのだとか。
地震に敏感な私は全く気付かなかったくらだから、ごくわずかに揺れただけだと思う。おそらくマグニチュード2以下だろう。それなのに、セミナーは中断され、2時間もビルの中に入れなかったのだ。日本人がこの様子を見たら、思わず笑ってしまうだろう。

ビルの前に黄色いテープが張られ、中に入れないようにしたタワー
大学には3階建てのビルがほとんどだが、一つだけ13階の「シュモン・タワー」と呼ばれるビルがあり、そのビルが崩壊するのを恐れたそうだが、体で感知できないような揺れでどうやったらビルが崩壊するのか。あまりにも大袈裟な避難指示がでたので、あきれてしまった。おかげで、セミナーは途中で中止となり、みんな家に帰った。

タワーに近づけないように進入禁止にして道を塞ぐ白いトラック
日常、ほとんど地震を体験することのない米国では、今回初めて地震を体験した人も多く、M5.8の地震で、人々がパニックになるのもわからなくはない。ワシントンやニューヨークの空港、駅は一時閉鎖され、携帯電話が一時不通になったり一部地域で停電が発生したそうだ。米メディアは地震関連の報道一色に切り替わり、ワシントン市内ではホワイトハウス、連邦議会などの職員が私と同じように屋外に避難したとか。
気になるのが、米国の原子炉だが、米原子力規制委員会によると、震源近くのノースアナ原子力発電所の原子炉2基が運転を停止したそうだ。6つの州の12の原子炉で異常事態が生じたが、放射能漏れなどの事故はまだ報道されていない。やはり、米国も地震がないので、安心して莫大な数の原子炉を作ってきたが、今回の地震で、オバマ大統領も少しはあせったのではないか。やはり、私たちの想像を超える自然の力の下で、原子炉を稼動させるのはどんな国でも危険だと思った。
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2009.04.26 (Sun)
豚インフルエンザ
しかし、世界保健機関(WHO)は25日、今回のウイルス発生を「公共衛生上の国際的な懸念」とし、世界的流行を引き起こす可能性があるとの見解を示し、各国に警戒を促した。

写真右:メキシコでも豚インフルエンザ、死者68人 米国とウイルス一致(CNN)
カナダでは、2002年に中国で発生したSARSの再来かという声も出ている。SARSは、2003年にトロントで250人の発症者や38人の死亡者を出し、トロント空港は一時閉鎖された。世界中で8,069人が発症し、775人が死亡した。世界保健機関(WHO)が25日、各国に警戒を促した。
写真下:4月25日、WHOが新型インフルエンザで警戒要請。写真はメキシコ市でバスを待つ人たち。24日撮影(2009年 ロイター/Jorge Dan Lopez)

米国では、ニューヨーク市で豚インフルエンザに8人の児童が感染し、カンザス州では2人、メキシコ国境に近いカリフォルニア州内でも7人の感染が報告されている。
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2007.08.05 (Sun)
禎子の折り鶴をNYに寄贈へ
今日、毎日新聞の記事に被爆して12歳の若さで命を落とした禎子さんによって折られた折鶴をお兄さんが同時多発テロの被害に遭ったニューヨーク市に寄付したという話が載っていて、それを読んで感動したので、ここに紹介したい。

<原爆の子の像>禎子の折り鶴をNYに寄贈へ 兄雅弘さん(Mixiニュースの8月6日付けの毎日新聞より)
被爆から62年のヒロシマには、今年も世界から多くの人たちが駆けつけ、祈り、追悼し、平和を誓った。平和記念公園(広島市中区)にある「原爆の子の像」のモデルで、12歳で亡くなった佐々木禎子さんの兄雅弘さん(66)は6日、市内で小学生たちに禎子さんの短い生涯を紹介した。雅弘さんは、9月に米国ニューヨークの同時多発テロ跡地を訪れ、禎子さんが折って手元に残る5羽のうち1羽の折り鶴を現地の人たちに寄贈することを決意した。「今後五大陸の人たちに託していきたい」。大人になることを信じて折り続けた禎子さんの思いが世界に羽ばたく。
当時2歳だった禎子さんは爆心地から約1.7キロの自宅で被爆し、放射能を含んだ「黒い雨」を浴びた。原爆症による白血病を発症して亡くなった。雅弘さんも自宅にいて被爆している。
折った鶴は1000羽を超える。大半を広島市の原爆資料館に寄贈し、公開されているが、父親(故人)が残していた5羽を雅弘さんが引き継いだ。いずれも禎子さんの体調が悪化して亡くなるまでの約3カ月の間に折った。折り紙などはなく、アメの包装紙や粉末薬の包み紙だったセルロイドを一辺約2センチに切り、針を使ってていねいに折り目をつけて作った。誰もが驚くほど小さいが、精巧だ。
「あまり根を詰めて折ったら体に悪いよ」。雅弘さんは、父がそう声を掛けた際に禎子さんが「うちにも考えがあるんじゃけ」と笑顔で鶴を折り続けた姿を覚えている。「自分の病気が治ってほしいという願いでしょう。でもその一方で、大きい意味で『世界が平和になってほしい』という祈りも、今もって響いているように感じます」と話す。
寄贈は、ニューヨークのジャパン・ソサエティー(日本協会)からの招待がきっかけになった。9月7日ごろに訪米し、テロが起きた11日に同協会で禎子さんの生涯を描いた朗読劇を現地の人たちに披露する。12日には、倒壊した世界貿易センター(WTC)跡地近くにあるテロ犠牲者追悼施設トリビュート・センターで、折り鶴の寄贈式が開かれ、テロで犠牲になった日本人遺族らとも交流する予定。
テロから間もなく6年を迎え、米国でもイラク戦争を冷静に振り返り始めた時期だ。「反省の空気が米国民の中で出始めた今だから、折り鶴を贈る決意ができた。禎子が考えてくれたのだと思います」と語る。
雅弘さんは昨年11月に心臓の手術をした。体調は回復したが、不安は残る。しかし、「禎子の話をして倒れるなら本望。禎子は『兄ちゃん頑張ってね、いつも付いてるよ』と言ってくれるように思います」とほほ笑んだ。
◇国連総長もメッセージ
今年就任した潘基文(バンギムン)国連事務総長は、この日の記念式典に寄せた初のメッセージで禎子さんに触れた。「禎子さんの命は、自身が折った何千羽という折り鶴の中に生き続けています。そして、(中略)『原爆の子の像』の下に刻まれた、次の言葉の中に生き続けています。『これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための』」
代読されたのと同じころ、雅弘さんは広島市東区の小学校で児童ら約600人を前に語った。禎子さんの折り鶴を見せ、「禎子は家計が苦しい家族に気を遣って耐え、本当に苦しい時にだけ『お見舞いでもらったお金があるから、都合のいいときに注射を頼むね』と言った。本当に思いやりにあふれた妹だった。禎子の思いやりの心が、鶴を通じて広がってほしい」と訴えた。【吉川雄策】
◇今は一日一日がありがたい…
式典で被爆者代表の一人として献花した畦忠幸(うねただゆき)さん(76)=広島県呉市=は、旧制中学3年だった14歳の時、爆心地から約1.8キロ東の国鉄(当時)広島駅前で被爆した。学徒動員で駅の小荷物を運ぶ仕事を担当。夜勤明けで市内の下宿先に帰ろうと市電を待っていると、マグネシウムをたいたような青白い光が右側から迫った。「熱い」と感じた瞬間、吹き飛ばされた。
気がつくと、辺りは暗闇。「さっきまで太陽が照っていたのにどうしたんじゃろ。地球が裂けたんか」。半ズボンをはいたひざ下は大やけどを負い、右手の皮が垂れ下がっていた。周りの人も同様だった。下宿先にいて無事だった2歳上の兄と夢中で呉市の実家にたどり着いたが、そのまま起き上がれなくなった。
両足の筋が硬直し、歩けるまで約半年。最初の4カ月は寝たきりで、毎朝風呂をたいてもらい、温めながら筋を少しずつ伸ばした。「歩けないから家の中をはって回る。生きているより、死んだ方がよかったと思った」。畦さんは振り返る。
3年後の1948年、中国電力に入社。技術社員として、空襲で焼けた呉の市街地に新しい電柱を立て、復興に力を尽くした。ペンチを握る右手に力が入らず、時間があればリハビリとして鉄線を切り続けて克服。定年まで勤め上げた。
手足のケロイドは今も残る。若いころは軍手でケロイドを隠した。でも、今は一日一日がありがたいという。昨年からは地元の自治会長も引き受けた。「今は元気で生かさせてもろうとる。無理せず、地域のため人のためになることを続けたい」と語った。【武井澄人】
◇「ネバー・アゲイン」 留学生ら
被爆地で何があったのか。その悲惨な過去を心に刻むため、人々が世界各国からヒロシマを訪れる。「この地に原爆が投下されたことを、どう思うか」と尋ねた。
ヨルダン人男性の留学生、ヒックマット・ハドクシュさん(25)は、久間章生・前防衛相の「(原爆投下は)しょうがない」発言について話した。「何十万人もの命を奪う原爆の投下は戦争犯罪。しょうがない発言は米国に『無償の贈り物』を与えたようなもの」と、強い口調で批判した。
中国人の男性留学生、張前さん(28)は「日本が中国で残酷行為をしたのは残念だが、原爆は生き残った人も苦しませ続けている。繰り返してはならない。核廃絶のメッセージを広島から送り続けてほしい」と語った。
娘と一緒に米国からやって来た男性医師(58)は、平和記念公園で日本人から鶴の折り方を教わっていた。「何が起きたのか知ろうと広島に来た。とても悲しいことだが、本土に上陸して戦えばもっと多くの人が亡くなったかもしれない。投下の意図は、今となっては分からない」。スイス人男性でエンジニアのファビオ・ヴァルトゥリーニさん(32)は「原爆を投下したことで、戦争が早く終わったかもしれないし、しょうがなかったのかもしれない。一番大切なのは二度と繰り返さないこと」と話した。
原爆慰霊碑の前で追悼の祈りをささげたのは、ブラジル人女性で学校長をしているノエミ・アルカラスさん(48)。「罪のない子どもや市民を殺した原爆は、どんな理由であれ正当化できない」と話した。英国人女性の大学生、アンジェラ・スプロストンさん(22)は昨年、米・真珠湾を訪れたという。慰霊碑の前で、「真珠湾攻撃は軍事施設を狙った作戦。多くの一般市民を殺した原爆とは根本的に違う。投下が正しかったと主張する人は、ここに来て何が起きたかを見なくてはいけない」と述べた。
さまざまな受け止め方があったが、「ネバー・アゲイン(決して、二度と)」の気持ちは一致していた。【加藤小夜】
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これだけ日本の国民に苦痛を味わわせたにもかかわらず、軍需産業を発展させるために日本を再び戦争に巻き込もうとしている安倍晋三はAbEndさせるしかないと思う方は、本日もランキングの応援、宜しくお願いします。

『とりあえずガスパーチョ』より

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