2008.10.12 (Sun)
三浦和義自殺:ロサンジェルス・タイムズの記事
日本のビジネスマン三浦和義被告が独房で死亡して見つかる
(ロサンジェルス・タイムズ 10月11日10:40 AM PDT)
ロサンジェルス・タイムズのスタッフライター、リチャード・ウィントン、アンドリュー・ブランクステイン、モーリー・ヘネスィーによる記事
三浦容疑者は1981年に前妻を殺害した罪で米国に戻ったばかりだった。彼の死は明らかに自殺。
ロサンジェルスで27年前に妻を殺したために共謀罪で起訴された日本のビジネスマンが、出廷するために米国に到着した数時間後の夜、独房で首を吊った。
三浦和義容疑者(61歳)は、金曜日の9時40分頃、刑務所係官が見回りをした時に、独房で死亡しているのが見つかったとロス市警のジョン・ロメロは言った。
「三浦和義殺人容疑者は独房で一人彼のTシャツを縄状に編んで首に巻いて自殺したことは明らかだ。」とロメロは言った。三浦容疑者は郡USC医療センターに緊急に搬送されたが、そこで死亡が確認された。
当局はすぐに三浦容疑者の家族に伝えるために、日本領事館へ連絡したとロメロは伝える。
ニューヨークの三浦容疑者の弁護士、マーク・ゲラゴスは、地方検事によって今日の未明、12時15分ごろ、三浦が死亡したことを伝えられた。「全く意味がわからない。」とゲラゴスは言った。
ゲラゴスは、「今日、弁護士が三浦容疑者を訪問したとき、彼は背中の痛みを訴えただけで、元気そうだった。特に落胆したり、落ち込んでいるような様子も見られなかった。何か問題があるようには全く見えなかった。むしろ、三浦容疑者は、法廷での闘いに備えて準備万端といったところだった。」と伝えた。
ゲラゴスは、「単独の調査を要求しようと思うが、いまだに何が起きたのか納得できる説明がなされていない現状に不満がある」と言った。
カリフォルニア刑務所基本法によれば、独房の見回りは30分ごとに行われる。予備情報によれば、当局は、収容所係官が三浦容疑者が首吊りしているのを発見された10分前にチェックした時、何も変わりはなかったと発表している。
収容所係官はすぐに助けを求めた後、他の2人の係官とともに、三浦容疑者に人工呼吸による心肺機能蘇生法を行うために独房へかけつけた。刑務所の医務室から医療担当者も独房に応じた。
ロサンジェルス消防署の担当者もパーカー・センター刑務所に、三浦和義容疑者の救命措置を続けるように応答し、三浦容疑者をロサンジェルス郡USC医療センターに搬送した。
警察に誘導されながら、三浦容疑者は金曜日にロサンジェルス国際空港に午前5時前に到着し、警察本部に連行された。火曜日には、中央刑務所に移送される予定だった。
1988年からずっと三浦容疑者を調査し続けたリック・ジャクソン捜査官は、三浦容疑者を拘留することに意欲をみせていたグループの一人である。ジャクソン捜査官は、金曜日に何十年にも渡ってこの重要事件を追った日本のニュースの伝達者のために働いてきた多くの報道陣に警察本部で挨拶されていた。
「この20年の間に三浦容疑者に2度と会えないのではないかと思われるときが何度もあった。」とジャクソンは三浦容疑者と警察本部から戻ってきてまもなく語った。「だから、とても嬉しい。」
ジャクソン捜査官によれば、移送中、三浦容疑者は、サイパンで買った「Peace Pot Microdot」と書かれた白と黒の野球帽について捜査官に語りながら、とても「協力的」だったそうだ。到着時、三浦容疑者はとても疲れていたとジャクソン捜査官は言った。移送中に三浦容疑者が殺人罪の調査について何か語ったかどうかは一切触れなかった。
三浦容疑者は1981年の11月にロサンジェルスのダウンタウンを訪問中に、妻一美さん(当時28歳)の頭部を銃撃して殺すことを計画した罪で起訴された。三浦容疑者もそのとき、脚を撃たれた。
判事は、1988年に殺人と共謀罪の罪で三浦容疑者を逮捕する委任状を発行したが、捜査官は三浦容疑者を日本から引き渡すことができなかった。三浦容疑者は1994年に彼の妻の死を計画したとして日本で殺人罪で一度は有罪となったが、最高裁での判決は、逆転無罪となった。
「彼をここに連れてくることさえできれば、全てがうまくいくはずだった。なぜなら、たくさんの証拠があったから。」とジャクソン捜査官は金曜日に言った。
2月に三浦容疑者は彼のブログに米国領であるサイパンを訪問する計画について書いた。サイパンから日本に帰ろうとした時、三浦容疑者は、1988年に発行された逮捕の委任状で逮捕された。三浦容疑者は最初、引渡しを拒否するために闘ったが、先月日本での裁判を受けて、同一犯罪で被告を再度裁判にかけることを禁じる「一事不再理」で、殺人罪が却下された後、ロサンジェルスに移送されることに同意した。
銃撃犯はいまだに捕まっていないが、検察官は三浦が75万ドルの保険金を手に入れようと、おそらく誰かに銃撃するようにサインを送って一美さんを殺害するために共謀したと信じている。
先週の木曜日に郡の検察官が殺人罪を無効とした決定見直しの手続きをした。2004年に加州刑法が変わり、「一事不再理」保護法は海外での裁判には無効になったからだ。しかしながら、「一事不再理」と同じように刑法の重要な大原則として、犯罪行為時に刑事上違法とされていた場合にしか刑罰を科せられないとする「遡及処罰の禁止」の原則に従えば、加州刑法が改正された2004年前に三浦容疑者が「殺人罪」で起訴されたため、改正された刑法は適用されないことになる。
しかしながら、「遡及処罰の禁止」の原則については、これまでも裁判所によっていろいろと違った判決があり、ロスでの木曜日の公聴会が注目されていた。
ジャクソン捜査官はたとえ検察官が殺人罪を復活させることができないとしても、三浦容疑者は共謀罪が認められれば、最低25年間を刑務所ですごすことになっていたと金曜日に告げた。
ジャクソン捜査官らは、先週の月曜日に長年調査に協力してくれた調査官と会うために東京を訪問した。又、三浦一美さんの母と一緒に一美さんの墓参りをした。
「このような事件で私たちを動かすのは、犠牲者のために愛の灯を燃やすことです。一美さんは美しい女性でした。そして、明らかに、彼女の一生は短すぎました。」とジャクソン捜査官は語った。
そうだったのか。いったん「殺人罪」が無効になったのは、三浦容疑者が日本の裁判ですでに無罪とされていたから、同一犯罪で被告を再度裁判にかけることを禁じる、「一事不再理」という刑法の原則が適用されたからで、「殺人罪」が無効なら、死刑になることもないし、三浦容疑者もロスに移送されることに同意したのか。
でも、ロス市警はずっとうわてで、2004年に州刑法が変わって海外での裁判は除外することになったから、「殺人罪」を再度適用させるつもりだったんだね。確かに「遡及処罰の禁止」の原則で、州刑法が変わる前に侵された犯罪には、海外での裁判の除外はないかもしれないけど、それでも、「共謀罪」が成立すれば最低でも25年の懲役、最高で極刑に処される予定だった。これは、私の想像だけど、三浦容疑者が自殺したのも、こういった刑法の詳細を移送中に聞き、25年の懲役や極刑に処される恐れが生まれたからではないだろうか。
それにしても、ジャクソン捜査官らが、今回の三浦容疑者をロスに移送する前に日本に来て、一美さんのお墓参りをお母様と一緒にされていたなんて、とても感動的な話だ。日本にもこんな情熱のある捜査官がいれば、迷宮入りの難事件ももっと解決しただろうに・・・・。
米国共和党ブッシュ政権の崩壊と共に、日本の保守勢力もどんどん音をたてて崩れ始めたようだ。なんといっても三浦容疑者は、保守勢力によって守られていた。しかし、こういった形で三浦容疑者が自殺することによって、保守勢力にぽっかりと穴があいたようになったのでは?
関連過去ログ”
2008.10.11 (Sat) 三浦和義が自殺
2008.02.25 (Mon) ロス疑惑を振り返って
2008.02.24 (Sun) 三浦和義は、なぜ今頃サイパンで再逮捕されたのか(追記あり)
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