2008.04.06 (Sun)
"Body World"や『人体の不思議展』は倫理上問題ないのか
はっきり言って、紹介された記事の写真を見ているうちに気分が悪くなってしまった。確かに人間の皮膚の下はこうなっているというのは、理科の実験室にある人体の模型の標本で見た事しかないから、医学関係者とか興味のある人にとってはこの人体標本の展示会は面白いのかもしれないけれど、こういうのが苦手な人にとっては、私みたいにまさに気分が悪くなるだけだろう。また、その標本の入手法を調べれば調べるほど宗教上や倫理上の問題は大丈夫なのかとても気になった。
写真を見たい人は下記のサイトにたくさんあるので、見てみたらいいかもしれない。
ペア・フィギュアスケーターの実物人体標本が登場!? 「人体の世界」LA展覧会
この"Body World"で展示されている人体の標本は、ドイツのグンター・フォン・ハーゲンス(Gunther von Hagens)博士によって1977年にハイデルベルク大学解剖学研究所(University of Heidelberg’s Institute of Anatomy)で開発さた。プラスティネーション(Plastination)という防腐技術を使って保存されており、その防腐技術は、1977年から1982年の間に特許を取得した。プラスティネーションとは、身体を構成している臓器や細胞組織内の水分や脂肪を、最初はアセトンに、次にアセトンをポリマーなどの合成樹脂に置き換えることで、腐敗や悪臭の発生を防ぎ、素手で触れることができる人体や動物の標本を作り出す技術だそうだ。
で、全然知らなかったんだけど、調べてみたら、日本でも『人体の不思議展』と言う名前で、2002年の大阪をかわきりに実物の人体標本の展示会が毎年開催されていて、これまでに全国22会場、20都道府県で開催されたそうで、今年は、現在愛媛で展示中。5月から7月までは青森で展示される予定だ。
『人体の不思議展』HP
日本の『人体の不思議展』は、欧米で主催されている"Body Worlds"から独立したもののようで、日本では、この防腐技術もプラスティネーションからプラストミックに変わっている。
ただ、『人体の不思議展』で検索してみると、この展示会に疑問を持つ人が書いたサイトやブログが多い。その中の一つ、「人体の不思議展」に疑問をもつ会によると、下記のような多くの疑問点が列記されている。
人体の不思議展の会場には模型ではなく本物の人体を樹脂加工した標本が展示されています。その中には人体をプレート状に水平にスライスしたものや、わざわざ弓を持たせてポーズをとらせているものもあります。さらには人体標本に触るコーナーまでありました(仙台展会場)。
1、本当にインフォームド・コンセントを経た献体でしょうか?主催者は、献体は生前の意思にもとづくものとうたっていますが、果たして上記の扱いを受けることまで納得していたのでしょうか?
2、標本は、すべて国内法の適用を受けない中国人のものです。仮に日本の国民が医学教育用に献体の意思を示しても、このような標本化と展示をなされることは、、現行の「死体解剖保存法」と「医学及び歯学の教育のための献体に関する法律」との制約によって実質的に不可能です。標本がすべて中国人であることの法的あいまいさと人種差別の問題を深く考えるべきです。
3,すべての人は、死後遺体となっても人間としての尊厳が守られなければなりません。遺体には最大限の丁重な扱いをするのは当然です。しかし、この展示が興味本位の見世物になっていることは、倫理的に大きな問題です。
4,「人体の不思議展」は、一般市民から高額の入場料を徴収しており、いわば、死体が金儲けの道具になっているのです。このような人体の利用に社会は歯止めをかける必要があります。キーホルダーなどのグッズを会場で販売するなど営利目的は歴然としています。
5、株式会社日本アナトミー研究所が、中国の死体加工場より死体を輸入していますが、生命倫理はおろかビジネス倫理にももとる営業にほかなりません。
6,主催者に名を連ねる新聞社・テレビなどは、この展示の広告を新聞紙上や電波で流して集客にこれつとめています。マスコミの責任は重大です。人権無視の展示に荷担するのではなく、この問題の告発こそジャーナリズムの役割ではないでしょうか。
7、日本医学会・日本医師会を初めとする医学界の責任は大きいと思われます。倫理上問題の大きい展示に医学者・医師がお墨付きを与えることは、いわば自分の首を自分で絞める結果になります。医療への信頼を得られるのは、真の患者本意の医療であるはずです。インフォームド・コンセントがあったかどうか疑わしい標本の展示を後援することは、医学研究に不可欠な被験者や献体を申し出ようと思っている人の信頼を得ることには明らかにマイナスです。
8、後援する自治体も公共の観点から責任があります。後援名義許可は、宗教性・政治性がないなどの機械的な基準の適用ではなく、倫理的にも深く考慮するべきです。
9、教育界の安易な奨励にも大きな問題があります。教育委員会が後援しているため、小中高の学校の生徒学生には、教育的な展示と思いこまれてしまいます。しかし、実は倫理的にも学術的にも、高度なレベルの標本ではありません。むしろ、これから、人体の有機性・複雑性を学ぼうとする若い人々には有害でしかありません。、
また、解剖実習のない看護学校や看護学部その他のメディカルの学生に見学を薦める学校・教官が少なくないようですが、むしろ精巧な模型を示したり、最寄りの医科大学や医学部にある標本展示館への見学を薦めるほうが学生にとって有益でしょう。
10、多くの主催・後援団体が説明責任を果たしていません。「人体の不思議展」に疑問をもつ会は、公開質問状を仙台展のすべての主催者・後援者19機関に送付しましたが、返信用封筒を添付したにもかかわらず、10機関からしか回答がありませんでした。日本医学会は一旦後援を取り下げると回答したにもかかわらず、現在も後援を続けています。
しかし、見識のある対処をする機関が増えてきました。
一方で、日本赤十字社や日本看護協会が後援を取りやめました。
また、倫理的に問題があるとの理由からさいたま市教育委員会は後援をしておりません。
近畿高等看護専門学校では、今まで授業の一環として展示の見学を薦めていましたが、学校内で検討されたの結果、展示は倫理的に問題があるとして見学を奨励しないことにされたそうです。学生への説明文には、これまで見学を薦めてきたことに対して謝罪すると書かれています。
グンター・フォン・ハーゲンス博士は、そのHPで"Body World"の使命は、一般の人々に人体とその機能を知る機会を広げるものであり、教育上とても価値があるものであることを自負している。しかしながら、ロシアや中国から違法に死体を入手したとする疑惑がメディアでは広がっている。例えば、人体標本の中には、妊婦と8ヶ月の赤ちゃんの標本もある。はたしてそんな状況の妊婦が生前に医学研究のための献体に同意できたのだろうか。もちろん、グンター・フォン・ハーゲンス博士は一切の不正行為を否定している。
一方、日本の「人体の不思議展」にも数々の疑問が残されている。
日本の政治家のみなさまには、映画を検閲しているひまがあったら、「人体の不思議展」こそ入念にチェキして欲しいなんて思ってしまったのだが、どうだろうか。
追記:傍観者Aさんから下記のご指摘があったので、訂正する。
>ハイデルバーグ解剖学大学(University of Heidelberg’s Institute of Anatomy)
正しくは、ハイデルベルク大学解剖学研究所ですね。余談ですが、この大学は、いわゆる旧制高校時代の学生の定番愛読書として知られた「アルト・ハイデルベルク」(マイヤー=フェルスター著)の舞台としても知られる、ドイツ最古の大学です(旧制高校→帝大を経た老教授たちがよくこの本を話題にしていたことを懐かしく思い出します)。
ドイツ政財界の大物をはじめ、多数のノーベル賞物理学者や、哲学者フォイエルバッハ、社会学者・経済学者として今日なお影響力を持つマックス=ヴェーバーなどを輩出しています。
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グンター・フォン・ハーゲンス博士 |
プラスティネーション |
プラストミック |
Medizinische Fakultaet Heidelberg: Institut fuer Anatomie und Zellbiologie
http://www.medizinische-fakultaet-hd.uni-heidelberg.de/Institut-fuer-Anatomie-und-Zellbiologie.102626.0.html ですね.(^^;)
# すみませんね,これでメシ食ってたもんで.
人間だけでなく,動植物の「死」と「生」にたちあって来た私からすれば,「死体」を倫理的に遠ざける思想というのは一種の思想統制じゃないかなと考えますね.
例えば最近,金ぴかの神宮寺宮型四方破風式の霊柩車を「不快」に思う人が多くなり,中には霊柩車が家の前を通るのが不愉快だと言い出した人がいたそうだ (だったら,どっかのマンションへ引っ越せ!).こういう人たちにとって,「死」を思わせる霊柩車というのは,自らの「生」を否定されるものと映るのであろう.ところがこういう人たちに限って,自分は誰某の生まれ変わりだとか,死んでも生まれ変われるなどという,生命は永久に続くなどという馬鹿げた「性善説」を信じていたりする.私はこれは「日本イデオロギー」と名付けているのだけど,「生」だけを「正」とする価値観は必ず戦争を引き起こす.
日本で霊柩自動車が初めて使われ出したのは大正11年の大隈重信の葬儀だという(トラックを改造したもの).もともと日本人の葬式というのは「葬列」であり,柩(=神輿)を担いで「あの世」(村の外界)へ送り出す儀式だったのである(名古屋市内では車での葬列が未だ見られ,警察が交通規制してくれる.ちなみに現在の八事の火葬場は満杯になったので現在港区に第二火葬場を建設中).ところが都市化によって「村の外界」があまりにも遠くなったため,自動車や電車(もとは馬車軌道の京王帝都や阪急が戦前にやっていた)によって「都市の外界」へ送り出すこととなった.宮家が京都御所から朝敵どもに江戸城へ拉致され,明治天皇の死と同時に八王子のさらに外界の高尾へ京王の馬車の霊柩車によって送り出されたことは,近代化と共に天皇の死をも東京の「外界」へ送り出そうという宮内庁の思惑があったのだと考えられる.首都圏に住む人で,中央線の終点がどうして武蔵小金井と高尾なのか,考えたことがある人はいるのだろうか(京王と都営新宿線だけ特殊な1372mm軌間).
その後,東京市内で民間にも使われ始めたという記録が残っている.確かに霊柩車の格好は美学で言うモダニズムからはかけ離れたキッチュ (kitsch) なものである.kitsch というのは「低俗な」という意味のドイツ語だ (ドイツ語が分からない方々には申し訳ないが(笑)).ところが大衆というのは常に「低俗な」ものを好む.特に,その都市の歴史が浅いほど,文化は低俗なものとなる(羽仁五郎『都市の論理』より).関西と関東の落語を比べてみれば,上方落語が上品で江戸落語が下品なのは一目瞭然,先日まで放映していたNHKのドラマで上方落語を扱ったら関東地方の視聴率が低かったというが,当たり前だ.東夷に上方の高級な「笑い」が分かってたまるか.
長くなりそうなので結論から申し上げると,このコメントで「死体」を見ることに倫理的に反発している人の多くは,実は「死」をポルノグラフィー化することで,隠そうとしているのである.学生の頃,たまたまドイツ人の通訳のバイトをしてた時,連れのドイツ人が霊柩車を見て,あれは何だ,私も乗ってみたいと騒ぎ出したのを覚えている (そういえば御料車に乗りたくて宮内庁を志望した奴がいたな).そして,当時の私の頭には Leichenwagen という単語が浮かばなくて,あれは死体にならないと乗れないですよと苦し紛れに説明した記憶がある.
英国の社会学者 Joffrey Gola が提案した「死のポルノグラフィー」によると,現代は死がタブー視される時代であり,死について語ること,死を直視することを好まない傾向がキリスト教国圏でも起こりだしているという.特に20世紀の米国社会においてそれは顕著だとのことだ.かつて病人は枕辺で看取られながら死んでいったが( http://www.l.u-tokyo.ac.jp/shiseigaku/ja/gyouji/s080112.htm を参考),現在では「死」は病院の中に隔離されている.しかも,死体と遺族が対面できるのは消毒された霊安室で防腐処理をされて,廊下に出てからなのである.このようにして死はかつてのセックスのように秘め事になっていき,幼児ポルノと同じ扱いになっていくのではないかというのが私の恐れなのです.
P.S. Marvin Harris "Cannibals and Kings --The Origins of Cultures" (1977) も,別の意味で「死のポルノグラフィー化」と関連しています.ひまな人は読んでみてね.
しかし、「生々し過ぎる」という批判が出て、胎児標本だけは展示されませんでした。
正しくは、ハイデルベルク大学解剖学研究所ですね。余談ですが、この大学は、いわゆる旧制高校時代の学生の定番愛読書として知られた「アルト・ハイデルベルク」(マイヤー=フェルスター著)の舞台としても知られる、ドイツ最古の大学です(旧制高校→帝大を経た老教授たちがよくこの本を話題にしていたことを懐かしく思い出します)。
ドイツ政財界の大物をはじめ、多数のノーベル賞物理学者や、哲学者フォイエルバッハ、社会学者・経済学者として今日なお影響力を持つマックス=ヴェーバーなどを輩出しています。
それこそ科学の自由への政治的干渉だと私は考えますけどね.
# 生き物屋なので,この手の解剖は子供の頃から大好きで,それでがり勉したような所もあります.
実は、日本で最初に「人体の不思議展」が行われたとき、私も家族を連れて見に行った1人です。布施英利さんからプラスティネーションの話を聞いたこともあり、人が「死」というものに接することがほとんどなくなってしまった現代においては、こうした展示にふれ、あらためて人の死について考えるのも悪いことではないと思いました。
しかし、当時はいろいろなポーズを取らせるようなことはしていませんでした。もし、あんな標本があったら、私も違う考えを持ったと思います。
少し前に『父さんのからだを返して』という本が出ており、そこには20世紀初頭、父親が学術研究の名の下に骨格標本にされてしまったイヌイット族の少年の絶望的な物語が描かれています。今回の展示にも、これと同じような背景があるのではないでしょうか。そう思うと、怒りと嫌悪感が湧いてきますね。
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4月6日(日)24:55~25:50:日テレ系で『兵士たちが記録した南京大虐殺」~NNNドキュメント\'08』があります。
ところが,ヒロヒト氏の葬式は違った.大正天皇までは京王帝都の軌道を用いて馬車で高尾へ運ばれていたのが,宮内庁特製の「洋型」霊柩車が用いられたのである.そのあとすぐ,若死にした高松宮氏も実は同じアメリカ的な「営業車」的なデザインの「洋型」霊柩車が用いられた.どうも宮内庁の意向は皇族の葬儀もアメリカふうに変えたいのだろう(但しヒロヒト氏のは宮内庁の職人が作ったのに対して,高松宮氏のは都内の業者へ発注していた).
結局,神仏混淆的な建築意匠の宮型霊柩車を宮内庁は嫌うようだ.確かに黒塗りの営業車ならば,それが霊柩車なのか仕事に使われている車なのかヤンキーが乗り回してるデコ車なのか,目の前を通過されないと分からない.
# 暴走族を観察していると,なぜ彼らが昔から右翼っぽい格好をして,奇妙奇天烈な車やバイクを乗り回しているのかが分かってくる.彼らは神仏混淆の世界に浸って自らを神社の神さまと錯覚しているのだ.風俗は天皇制によって作られる,これが日本イデオロギーなのである.(映画「靖国」も江戸時代以前からある「普通の土着神」の神社だったら,あれだけもめるまい)