2006.07.24 (Mon)
昭和天皇のメモ、その後の雑感

つまり、上のメモの初めの部分に下記のような文章があったのに、それが削除されていたそうだ。
前にあったのは どうしたのだろう
中曽根の靖国参拝もあったか
藤尾(文相)の発言。
=奥野は藤尾と違うと思うがバランス感覚の事と思う、単純な復古ではないとも。

↑画像は『enjoy Korea』から。
文章を検証してみると、これが、藤尾元文相による発言ではないというのは、明らかである。その理由は下記の通り。
1.藤尾(文相)の発言というのは、下記の発言を意味しているのであり、メモに書かれていたのが藤尾元文相の発言という意味ではない。
藤尾発言[文]1986.9.5
藤尾政行文相は《文藝春秋》86年10月号で,日韓併合について〈形式的にも,事実の上でも両国の合意の上に成立している.……韓国側にもやはり幾らかの責任なり,考えるべき点はあると思う〉と発言し,日韓併合が日本による侵略行為だという見方に疑問を呈した.韓国政府は直ちにこれに抗議し,重大な外交問題に発展した.結局,9月8日,中曽根首相は藤尾文相を罷免して後任に塩川正十郎代議士をあて,9月20日,アジア競技大会の開会式出席のために訪韓した際に陳謝し,問題を決着させた.〔参〕文藝春秋1986年11月号.
2.もし、これが、藤尾元文部大臣の発言だとしたら、その前にある「中曽根の靖国参拝もあったが」という文が浮いてしまう。これは、昭和天皇が中曽根元総理の靖国参拝や藤尾元文部大臣の日韓併合を正当化した発言のその後の展開を気にされているのである。
3.又、これが藤尾の発言だったら、自分を藤尾と呼ぶのはおかしいのではないか?「=奥野は藤尾と違うと思うがバランス感覚の事と思う、単純な復古ではないとも。」
この追加文の画像がどこから来たものかわからないが、もし、これが本物で、天皇のお言葉であったなら、この追加文によって天皇がA級戦犯合祀に不快感を抱かれたのと同じように、中曽根元総理の靖国参拝や藤尾元文相の発言も快く思われなかったということがより明確にわかる貴重なメモとなっている。今、昭和天皇が生きていらっしゃったら、小泉の靖国参拝を嘆き悲しまれるのは確かであり、昭和天皇のお心を受け継がれる現在の天皇も同じ気持ちでいらっしゃるに違いない。それでもなお、安倍は総理になったら、来年の8月15日に靖国参拝するつもりか?尤もその前に、参院選があり、そこで失脚する可能性が高いので、そんな心配はいらないかもしれないが・・・・。
天皇を崇拝している方々にとっては不謹慎に聞こえるかもしれないが、私個人としては、A級戦犯が使えた君主であり、一貫して帝國陸海軍最高司令官であり続けた昭和天皇にも戦争責任はあると信じているので、A級戦犯の合祀を天皇が不快に思われているというこのメモが本物であろうが、あるまいが、それほど大した意味はないと思っている。問題は、日本の国民が靖国問題についてほとんど無知であるということだ。それを知らなければ、なぜ首相が参拝することが問題になるのかも理解できないし、それに対する自分の意見を持つこともできないだろう。
まずは、靖国神社が政府によって戦争を正当化するためにつくられたものだということを理解しなくてはならない。
『靖国問題』高橋哲哉(2005) ちくま新書より
感情の錬金術
先に、戦死者を出した遺族の感情は、ただの人間としてのかぎりでは悲しみでしかありえないだろう、と述べた。ところが、その悲しみが国家的儀式を経ることによって、一転して喜びに転化してしまうのだ。悲しみから喜びへ。不幸から幸福へ。まるで錬金術によるかのように、「遺族感情」が180度逆のものに変わってしまうのである。
(中略)
決定的に重要なのは、遺族が感涙にむせんで家族の戦死を喜ぶようになり、それに共感した一般国民は、戦争となれば天皇と国家のために死ぬことを自ら希望するようになるだろう、という点である。遺族の不満をなだめ、家族を戦争に動員した国家に間違っても不満の矛先が向かないようにしなければならないし、何よりも、戦死者が顕彰され、遺族がそれを喜ぶことによって、他の国民が自ら進んで国家のために命を捧げようと希望することになることが必要なのだ。「多少の費用は惜しむにたらず」。すなわち、莫大な国費を投入しても、全国各地から遺族を東京に招待し、「お国」と「お天子様」とがいかにありがたい存在であるかを知らしめ、最高の「感激」を持って地元に帰るようにしなければならない。
これこそ、靖国信仰を成立させる「感情の錬金術」にほかならない。
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このように、1895年12月には、盛大な戦死者のための大祭典が靖国神社で行われ、その効果もあって、当時の人々に、お国のために死ぬことや天皇のために家族を捧げることを聖なる行為と信じさせることに成功したのである。つまり、靖国神社は戦死者を顕彰する儀式を行うことによって徴兵を嫌う人々の態度を変えさせたり、家族の戦死を悲しみから栄光に変える錬金術の役割も負っていた。まさに当時は、日本の軍国国家の象徴であったし、今でもそうあり続けているのである。そんな靖国神社を国の首相が参拝することが正しいことかどうかもう一度よく考えてみて欲しい。
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私がエンコリで見たのは「徳川侍従長」説です。http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=ttalk&nid=358238
「中曽根の靖国参拝もあったが 」の「が」は、映像をよく見てみると「か」ですね。
だとすると、
「前にあったのは どうしたのだろう 中曽根の靖国参拝もあったか」で一文。
藤尾(文相)の発言。 =
奥野は藤尾と違うと思うが
バランス感覚の事と思う
単純な復古ではないとも(思う)
まず最初に「みんなで靖国神社に参拝する議員の会」の奥野と、「日韓併合は両国の合意の上に成立した発言」の藤尾とを違うと思うと評している。
中曽根の参拝と、藤尾発言は同列に扱っていないと解釈できる。
発言者が「藤尾元文相の発言を(バランスに欠けるものとして)快く思わなかった」のが見て取れるのと同時に、それは単純な戦前回帰でもないと評しているのも見て取れる。
...どちらかというと靖国擁護に見て取れるが、「逡巡している」という印象がやはり強い。
一行空いているのと、その後に続く文とは文脈が違うという点で、「藤尾元文相の発言説」は否定されますね。
主部、述部を先に述べて、修飾部を後につける構文は口語ではありがちで、私もよく使いますが、読んでみると読みにくいですねぇ。
昭和天皇の戦争責任については、私はいつも心が揺れ動きます。おっしゃるように、名目的にせよ最高司令官だったのですから言語道断ともいえます。でも一方で、明治以降の立憲君主制のもとと言えども、天皇の権力は形骸的なものに過ぎず、しかも昭和に入って軍部が政権の中枢を担うようになって天皇の影響力は殆どなくなっていたようです。それにこう言っては失礼ですが台頭してきた軍部の超エリート集団に対抗できるだけの知力もなかったと思うんです。しかも敗戦後昭和天皇は、マッカーサーに「自分はどうなってもいいから国民を救ってくれ」と直訴するなど、国民思いの優しいお人柄だったことも偲ばれます。そんなことを考えると昭和天皇の戦争責任を追求するのはどんな意味があるのかと。
それより、時の軍部政権、そしてその先には、虚偽の報道を続けた新聞社などマスコミ、そして人間性と常識を持って為政者を選択できなかったわれわれ国民一人一人が反省しなければならないのではないかと思うんです。
今回の昭和天皇の発言メモについては、公には語らずとも国民思いの優しい昭和天皇のお心があらためて確かめることができて、私はとても嬉しかったです。
もちろん私はだからと言って天皇を礼讃するつもりはありません。そして戦争を忘れてしまった現代の日本人が、自己アイデンティティーを確立する手段として太平洋戦争を美化するような言動も情けないと思います。
今後は、靖国神社位置付け、A級合祀、政治家の参拝、信教の自由、代替慰霊施設の建設など、いろいろは角度から議論が活発になるでしょう。でも絶対忘れてはならないのは、日本があの戦争で三百万人の国民を失い、国土は焦土と化し、全面降伏したということだと思います。
いつもていねいなコメントをありがとうございます。
A級戦犯合祀に焦点を当てるよりも、靖国神社の役割そのものに焦点を当てた方がなぜ首相の靖国参拝が問題なのかがより鮮明に理解できるのではないかと思ったしだいです。
確かにKojitakenさんがブログで議論されていた福田の国家2分発言もおかしな話ですよね。靖国参拝賛成と反対がちょうど2分されていることからきた発言でしょうが、それを不出馬の理由にするというのは、全く理解に苦しみます。
私なんかだったら、「またネットウヨがデマ飛ばしてる」で片付けてしまうんだけど、それでは多くの人を納得させることはできませんよね。反省しなきゃ。
藤尾発言についてはご指摘通りだと私も思います。
そもそも藤尾も奥野も、問題発言をした当時新聞に大々的に叩かれた右翼的発言だったはずで(もはやよく覚えてませんけど、今ちょっとだけ調べたら、奥野発言は、靖国神社公式参拝を巡る1980年の発言みたいですね)、なんでネットウヨが昭和天皇の発言を藤尾発言に化かしてしまうのか、そのコジツケ、もといロジックの過程を追うのさえバカらしいので、調べる気にもなりませんでした。
あと、確かに天皇の個人的感情は本質的な問題ではなくて、総理大臣が、国家神道なるカルト宗教(過激な意見かもしれませんけど)を教義とする靖国神社なんかに公式参拝すること自体が、憲法第20条に反する違憲行為であって、かつてはこうした議論が靖国を論じる際の中心的な論点だったはずなのに、護憲側の防衛線が下がってしまって、「昭和天皇でさえ激怒したA級戦犯の合祀」というのをアピールしなければならなくなっているのは、論壇の急激な右傾化のなせるわざだと思います。まあ、かくいう私も問題の本質を知っていながらそういう書き方をしているわけで、問題があるとは自覚してるんですが、まず靖国問題に興味を持ってもらうためには仕方ないかなと考えています。
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時期の問題2・昭和63年1988年4月28日というタイミング
富田朝彦元宮内庁長官の日記・手帳(富田メモ)は捏造なのか?~日経新聞平成18年7月23日付より
http://ameblo.jp/scopedog/entry-10015094523.html#cbox
に教えてもらいました。
確かに、藤尾氏か奥野氏のどちらかが、複数回問題発言をしていた記憶はあったのですが、よく調べなければいけなかったですね。
「誰かの妄想」さんの記事は、産経新聞が上坂冬子なるデマゴーグを用いて、平然と虚偽の報道をするメディアであることを暴露したものだと思います。