2009.08.06 (Thu)
訃報:大原麗子が自宅で死去

大原麗子さん 死去(8月6日 NHKニュース)
多くの映画やドラマなどで存在感のある演技を見せた俳優の大原麗子さんが亡くなりました。62歳でした。
大原さんは東京都出身で、昭和39年にNHKのドラマで俳優としてデビューしました。その後、NHKの大河ドラマ「獅子の時代」や「春日局」などをはじめ、多くのドラマや映画に出演し、ハスキーな声の存在感のある俳優として世代を超えた人気を集めました。昭和52年に出演した洋酒のコマーシャルでの「すこし愛して、ながーく愛して。」というセリフは、当時の流行語にもなりました。大原さんは10年ほど前に手足に力が入らなくなる難病の「ギラン・バレー症候群」と診断され、芸能活動を一時中断して治療にあたっていました。大原さんは、しばらく連絡がないことを心配した親族からの通報で、6日、警察官が東京都内の自宅を調べたところ、亡くなっているのが見つかったということです。警視庁によりますと、事件性はないということです。
大原麗子さんは、表参道のSHU UEMURAで見かけたことがあるけど、テレビのしとやかな印象とはぜんぜん違ってとてもサバサバした男っぽい方だった。山本陽子さん、島田陽子さん, 佐久間良子さんらと共に日本を代表する女優として長い間君臨していたけれども、最近ではその姿を見ることはなくなってしまった。
ウィキペディアによると、1999年から2000年にかけてギラン・バレー症候群の治療のため芸能活動を一時休止していたそうで、2008年11月11日にも、自宅ガレージで足元がふらつき転倒。右手首骨折し、ひざを打撲する重傷を負ったそうだが、これもギラン・バレー症候群の影響でバランスを崩したものと見られている。
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当時は美人の代名詞のように言われており、
化粧品、車からお酒まで数々のCMに出演していた。
美人薄命とは言うが、あまりにも早い死に愕然とした。
ご冥福をお祈り申し上げます。
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女優の大原麗子さん、自宅で死亡…死後2週間経過?
(読売新聞 - 08月06日 21:41)
女優の大原麗子さん(62)が、東京都世田谷区の自宅で亡くなっていたことが6日、わかった。
警視庁成城署幹部によると、大原さんの弟が大原さんと連絡が取れないことから同日、同署を訪れ、午後7時頃、署員とともに、大原さんの自宅に行ったところ、2階寝室のベッドで大原さんがあおむけの状態で死亡しているのが見つかった。遺体の状況から、死後2週間以上が経過しているとみられ、同署では病死の可能性が高いとみている。
目立った外傷はなく、室内に荒らされた形跡もないことから、事件に巻き込まれた可能性はないとみられ、同署で死因を詳しく調べている。大原さんは一人暮らしで、今月3日にも弟から「2週間ほど連絡が取れない」という相談が電話で同署に寄せられていたという。
◇
大原さんは東京都出身。1964年、NHKの新人オーディションに合格し、テレビドラマ「幸福試験」でデビューした。65年、東映に入社し、「孤独の賭け」で映画デビュー。「網走番外地」シリーズなど数々の作品に出演し、「男はつらいよ」では2度マドンナ役を務めた。市川崑監督の「おはん」(84年)、木下恵介監督の「新・喜びも悲しみも幾歳月」(86年)などにも出演。同作では山路ふみ子女優賞を受賞した。
テレビではNHKの大河ドラマ「勝海舟」「獅子の時代」に出演、「春日局」では主役を務めた。TBSの「くれない族の反乱」「浮浪雲」なども話題になった。「すこし愛して、なが~く愛して」のせりふが流行語になったサントリーのCMなど、多数のCMに出演。愛らしい表情としっとりとした風情の日本美人として、何度もテレビの「好感度タレントNo.1」になった。
73年に俳優の渡瀬恒彦さんと結婚、78年に離婚。80年に歌手の森進一さんと再婚したが84年に離婚した。99年から2000年にかけ、手足の神経がマヒして歩行などが困難になる「ギラン・バレー症候群」の治療のため、芸能活動を一時休止した。
一時はあれだけ注目を集めた美人女優が最後は独り淋しくこの世を去り、死後2週間も発見されなかったというのは、悲しい出来事だと思う。きれいな人って若い頃はまわりからちやほやされてみんなからも羨ましがられたりするんだけど、年をとって美貌が衰えてくると誰も見向きもしなくなり、普通の人以上に淋しい思いをするものかもしれない。あまりにも美人すぎるのも考えものだね。もっとも私の場合はそんなことを心配する必要もないけど・・・・。
追記:
『スポーツ報知』によると、6日に自宅寝室で亡くなっていたのを発見された大原麗子さんの行政解剖が7日に行われた結果、3日に病気で亡くなっていたことが分かったそうだ。弟の政光さん(60)が連絡とれなくなったのが2週間前ということなので、2週間前に亡くなられたと思われていたようだけど、実際は死後3日目に発見された形だ。
8日に東京・世田谷区の自宅で密葬が執り行われ、後日、かつての共演者らが中心となって「お別れの会」が開かれる予定だという。
大原麗子さんは難病の一つであるギランバレー症候群を患っていたようだが、その他にも乳癌の手術を2度も受けていたり、鬱病にかかっていたりしたそうなので、ギランバレー症候群が直接の死因だったかはよくわからない。
『難病情報センター』 ギラン・バレー症候群より
1. ギラン・バレー症候群とは
筋肉を動かす運動神経の障害のため、急に手や足に力が入らなくなる病気です。手足のしびれ感もしばしば伴います。多くの場合(約7割程度)風邪をひいたり下痢をしたりなどの感染の後1-2週して症状がはじまります。症状は2-4週以内にピークとなり、その後は改善していきます。症状の程度はさまざまですが、もっとも症状のひどい場合には寝たきりになったり、呼吸ができなくなることもあります。
2. この病気の患者さんはどのくらいいるのですか
人口10万人あたり年間約1-2人がかかると考えられています。
3. この病気はどのような人に多いのですか
子供からお年寄りまで、どの年齢でもかかることがあります。男性の患者さんの方がやや多いことが知られています。
4. この病気の原因はわかっているのですか
自分を守るための免疫のシステムが異常となり自分の神経を攻撃するためと考えられています。かかりはじめの一番症状の強い時期に、約60%の患者さんの血液中に、神経に存在する「糖脂質」という物質に対する抗体がみとめられます。これが自分の神経を攻撃する「自己抗体」としてはたらいている可能性があります。その他にリンパ球などの細胞成分やサイトカインなどの液性成分も関わっていると考えられます。
5. この病気は遺伝するのですか
この病気は遺伝しません。
6. この病気ではどのような症状がおきますか
両手両足に力が入らなくなり、動かせなくなります。また多くの場合に手足の先にしびれ感を感じます。顔面の筋肉や目を動かす筋肉に力が入らなくなったり、呂律がまわらなくなったり食事をのみこみにくくなったりすることもあります。場合によっては呼吸ができなくなることもあります。
7. この病気にはどのような治療法がありますか
病気がはじまってからなるべく早く、血漿交換療法あるいは免疫グロブリン大量療法を行うと、ピークの時の症状の程度が軽くなり早く回復することがわかっています。また症状のピークの時には人工呼吸器を用いたり血圧の管理を行ったりといった全身管理が重要であり、回復する時期にはリハビリテーションも大切となります。
8. この病気はどういう経過をたどるのですか
症状は遅くとも1ヶ月以内にピークとなり、その後徐々に回復にむかい、6~12ヶ月で多くの患者さんがほぼ完全によくなります。しかし何らかの障害を残す方は約2割おられ、経過中に亡くなられる方が約5%と報告されています。
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今回の不思議なH1N1の流行に対しても、そろそろ予防接種(ワクチン?)の強制を言い出すかもしれません。将来、それが元でこの病気が増える可能性があります。
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大原麗子さん、2週間前孤独死、打ち倒したギラン・バレー症候群はインフルエンザワクチンでも感染
【日記】原爆の日、民主党マニフェスト、とくらBlog更新、保坂さんに会った
そうだったのですか。H1N1の予防接種が原因でギラン・バレー症候群にかかってしまうこともあるのですか。そういうことを聞くと、予防接種なんてしたくなくなりますね。
私のカナダ人の知り合いにもこの病気にかかってしまった女性がいるのですが、車椅子に乗ってはいますが毎日元気で働いています。世界中に行っていろいろな治療も受けているようですが、なかなかよくならないようです。